ゆけむり探検の奇跡⑬
≪人物紹介≫
☆ 那智竜太郎 19歳
正統なる杜国主の長男、現在浪人、百万両の賞金首であるナチの竜
☆ 如月胡桃 19歳
宇都宮国東宮家老の長女、東宮直営の乙女倶楽部所属の役人
☆ 阿倍蜜柑 18歳
古河国東宮用人の末娘、東宮直営の乙女倶楽部所属の役人
☆ 大鳥虎之助 22歳
大鳥国主の三男、妾の子、現在賞金稼ぎ
☆ 板屋の伊万里 26歳
フタラ温泉宿、板屋の女将
☆ 中宮の神楽 17歳
二荒山神社中宮の末娘、巫女
☆ 望月華音 12年前=14歳
リュウタロウの世話係、杜の宮の巫女
☆ 望月雷蔵 12年前=50歳
カノンの父親、12年前の杜国主、元杜国家老
☆ 那智時継 18年前=37歳
リュウタロウの父親、正統なる杜国最後の当主
☆ 那智瑞羽 18年前=19歳
リュウタロウの母親、元杜の宮の巫女
☆ 大鳥錬龍 27歳
大鳥国主の長兄、竜の力を継承
☆ 朔心月 62歳
大鳥国の国家老、軍師
* ここでの歳は満年齢にて記載
* 話が進むにつれ改定あり
【】
≪フタラ温泉街:板屋・弥生の間≫
『しんっ』と静まり返った室内の中央でリュウタロウは床に横たわっている、胸の傷は縫合され晒捲かれていた、熱があるようで呼吸は多少荒いが命には別状がない様子である。
「カ・ノン…」
リュウタロウのうわ言が洩れる、額に当てた濡れ手拭が温まったため、桶の水を替えに井戸へと行っていたイマリが襖を開けた、
「ナチ様は気付かれましたか」
イマリは桶を片手に襖を閉めながら訊いた、
「いんや・まだや、さっきからうわ言でなんや女の名前を言うとるけどな」
床に横たわるリュウタロウを挟んだ反対側で胡坐をかくトラノスケが応えた、
「そうですか…、もう丸一日経ちますね」
リュウタロウの額から手拭を外すと、汲んで来たばかりの冷たい水に手拭を浸してから、またリュウタロウの額へと手拭を戻す。
「オオトリ様も少しお休みになられたらいかがですか」
「おおきに、せやけどわいは大丈夫や、女将はんこそ休んだ方がええ」
イマリはトラノスケへと笑顔を向けた、
「私はナチ様が目を覚ましましたら、ゆっくりと休ませていただきます」
「そおか、すまんなー迷惑かけてしもて、この埋め合わせは必ずするよって、堪忍なー」
トラノスケがイマリに頭を下げた。
大滝の滝壺から右肩にリュウタロウを背負い、左肩に自らの商売道具の大箱を背負ったトラノスケが、イマリの待つ大渓谷の崖道に姿を見せた、始めは驚きを見せたイマリだったが、滝壺での出来事を鋭く察すると何も事情を聞かずに道案内に立った、急ぎ温泉街に戻ったイマリは大八車と人足を用意して、来た道を慌ただしく戻る、その道すがら町医者を手配し板屋で待たせていた。
トラノスケによってリュウタロウの胸にはきつく晒が捲かれていた、それによりある程度の止血がなされていたが、傷は深く完全には止まらない、これ以上出血が続けば命取りになるのは明らかだった。
トラノスケの下へと駆けつけた大八車にリュウタロウを乗せると、一目散に板屋を目指した、町医者が手術道具を揃えて待っている弥生の間にリュウタロウが運び込まれると、さっそくきつく締め付けた晒を鋏で切り胸を広げた、すると出血はしているものの、どういう訳か傷の半分が既に塞がっていた、
「とんでもない回復力じゃのー、まるで野生の馬並じゃぞー」
と言う町医者の感想がこぼれる、医者は傷の深い部分だけ4・5針づつ縫い、後は自然に完治するからと言い残して板屋をあとにした、それでも回復までは少なくとも五日は見るようにと告げた。
「わいが仕掛けたんや…、リュウノジの力を試したくてな」
トラノスケがぽつりと言う、
「ナチ様は、伝説の賞金首だそうですね」
イマリが穏やかに応える、
「なんやしっとんたんかい、リュウノジは百万両の賞金首【ナチの竜】や、せやけどわいがリュウノジと戦ったんは賞金稼ぎや無いで、わいはリュウノジとちゃう別の竜を倒さなあかんのや」
トラノスケは眠っているリュウタロウの顔を見詰めた、
「何か別の理由で戦われたのですか」
「すまんな、それに関しては説明できひんのや、これでもわいは武士やさかいなー、国の内情に関しては言えん堪忍してなー、せやけどこれだけは信じて欲しい、わいは金輪際リュウノジと戦うことは無い、寧ろこれからは協力していこ思うとるんや」
「それを聞いて安心しましたわ」
イマリが安堵の表情を浮かべた。
「ん・あっ……、ここは…」
「気が付きましたか、ナチ様…」
細く開いたリュウタロウの目は焦点が合わないようでぼやけていた、リュウタロウはイマリの声に反応し首を傾ける、
「イマリさん…、ここはいったい…」
「ここは板屋です、ナチ様の泊まられている弥生の間ですよ」
にっこりと微笑んで応えた、
「オレはいったい…、イタッ…」
起き上がろうと頭を持上げたリュウタロウが、胸の痛みに顔を歪めた、
「あったりまえやないか、昨日の今日で治るような怪我ちゃうやろがー、おとなしゅう寝ときー」
「オオトリ!」
リュウタロウは上半身を起こして身構えた。
「ナチ様、当館での刃傷沙汰はご法度で御座います、落ち着いてください」
イマリに両肩を摑まれたリュウタロウはそのまま床へと寝かされた、
「あんなーリュウノジよ、わいはそのオオトリ呼ばれるんわあまり好かんのや、それやったらトラスケの方がまだましや」
苦笑いを浮かべたトラノスケが言う、
「ナチ様がお怪我をなされた事情はおおよそ存じてます、ですが重体のナチ様をこちらまでお連れしたのはオオトリ様ですよ」
そう言い、イマリは場を執り成す、
「トラスケがオレを助けたのか…」
リュウタロウがトラノスケを見上げる、
「そや、感謝してえぇでー」
と満面の笑みで応えた。
「ふー、助かったよ…、あーーありがとう…イマリさん」
リュウタロウはトラノスケに向けた言葉を、恥ずかしさからイマリへと反らした、
「くっくっくっく、わっかりやすいやっちゃなーリュウノジは、照れくさいんやったら無理して言わんでもええちゅーねん」
「照れてなんかないよ、そもそもトラスケが蒔いた種じゃないかー、オレが感謝する必要なんて無いだろう」
興奮したため、さらに熱が上がったリュウタロウの顔が赤く染まる、
「とにかく気が付かれまして良かったです、何かお食べになりますか」
「あーすみません、水をいただけませんか、喉がからからで…」
「分かりました、すぐにお持ちしますね」
と言い、イマリが部屋を後にした、
「トラスケ、あれからどのくらい経った」
リュウタロウは苦痛の顔をしかめながらも上体を起こした、
「丸一日や」
トラノスケは頬杖を付きながら応えた、リュウタロウはふらつきながらも立ち上がると浴衣を脱ぎ、自らの羽織袴へと着替える。
「お待たせしましたー、何をなさっているのです!」
イマリが水差しを手に襖を開けると、褌一丁のリュウタロウの姿が目に入った、
「……いやん」
と、両手で胸を隠すリュウタロウ、それを見て頬杖から頭がすべり落ちるトラノスケ、ガックリと力が抜け水差しを落としそうになるイマリはそのままうな垂れるように座った、その隙にイソイソと着替えをするリュウタロウに、
「何を馬鹿な事をしているんですかー、あなたは大怪我をしているんですよ、安静にしていなければ命の保障は無いと医師からも仰せ使ってますのに、オオトリ様からも言って下さいませ…」
と、イマリが言った。
「リュウノジかて分かってるやろ、自分の身体のことやさかい自分が一番よー分かる筈や、そんでも行かなしゃーないんやろー、あん子等んとこに」
リュウタロウがトラノスケを見る、
「ですが、そんな大怪我をした身体でフタラ山の頂上へ行くのは無理です」
イマリがリュウタロウへと、考え直すように求めた、
「水をいただきます」
リュウタロウは水差しを受取ると、そのままぐびぐびと飲み干した、
「はー生き返ったー、いやー快調快調」
リュウタロウは両腕をぐるぐる回して見せた、
「男なんちゅーんは馬鹿な生きもや、惚れた女のためやったら自分の命も惜しゅうないもんやでー、好きなようにやらせたりー」
「オレは別にクルミさんやミカンちゃんに惚れてなんかいないよー、ただ彼女達がいまオレを必要としているのなら、オレは全力で応えたいだけだよ」
「ほーかー、ほなそゆことにしといたるわ」
「なんだよその顔は…」
「なんもない、なんもない」
ニヤ付いたトラノスケは、顔の前で手を振った。
「分かりました、それでは私もご一緒いたします」
イマリがすっと立ち上がり言う、
「いや、それは駄目です、イマリさんにこれ以上迷惑をかける訳にはいきません」
リュウタロウが慌てて拒む、
「いいえ、私は板屋の女将としての責任を果たすために参るのです」
イマリがき然と言う、
「女将はんは止めといた方がえぇ、ずっと寝ずの看病しとったんやから、無茶したらあかん」
「怪我人を一人で行かせたとあっては板屋の名折れです、そのようなことでは御客様に安心して我が旅籠に御泊りしていただけません」
イマリの覚悟が固いことに圧倒された、リュウタロウとトラノスケは互いの顔を見る、
「しゃーない女将はん、ここはこのオオトリ・トラノスケに任せときー、わいがリュウノジを山のてっぺんまで連れてったる、約束するさかい待っててんかー」
「いや、これはオレの問題だからトラスケには関係ないよ」
「こんガキャー、人の親切は素直に受けんかいなー」
「トラスケだから嫌なの、他の人からは素直に受けるよ」
「ほなら、女将はんに行ってもらうゆーんか」
「いや、そーいう意味じゃないけど…」
「はっはっは、それ見てみー人の親切は素直に受けるもんや」
トラノスケが高らかに笑い、リュウタロウが顔をしかめる。
「ナチ様、オオトリ様の仰いますように、御引き受け願いましょう、正直に申しまして私が同行いたしましても、ナチ様を頂上にお連れするのは無理ですわ、オオトリ様でしたらナチ様のお力になれますから」
(だから嫌なんですよー、トラスケに助けてもらって登るなんて…)とリュウタロウの顔に書いてあった、
「ナチ様、キサラギ様とアベ様のことを考えてください、彼女たちが捕らわれてから既に三日目です、一刻も早くたどり着くためには選り好みなどしている時ではありません、それに…」
イマリは言い難そうにリュウタロウを見る、
「せや、彼女たちかてもう限界にきとる筈や、ぼやぼやしとる暇はないでー、どないするんやリュウノジ!」
トラノスケがリュウタロウに鋭い視線を向ける、
「…頼む、オレをフタラ山の頂上まで連れて行ってくれ」
とトラノスケへと頭を下げた、
「よっしゃ、ほなら行こうかー」
トラノスケが勢いよく立ち上がった、
「暫しお待ちいただけますか、すぐにお弁当をご用意しますので」
そう言うと、イマリは急ぎ厨へと向った。
イマリが立ち去るとリュウタロウは壁に背を預けた、
「しんどそうやな、板屋を出るまで我慢せー、女将はんと別れたあとはわいが負ぶったるさかい心配すな」
ふらつくリュウタロウを心配した、
「大丈夫だよ、ちゃんと歩いて登るさ」
壁に預けていた身体をふらつきながらも起こして言った、
「強がるんやない、ほんまはわい1人で行った方が早いんやが、巫女ちゃんが言うとったからなー、リュウノジが居らんと道が開かんとな、せやからわいは待っとったんや」
トラノスケは苛立たしい気持ちを押し殺しつつ言う、
「…悪かった」
リュウタロウにも、トラノスケが一刻も早くクルミとミカンを救出したい気持ちが分かった、
「ほな行くでー、もう暫くは平気な顔しとれよ」
リュウタロウはトラノスケに笑顔を向けた、それが応えである。




