ゆけむり探検の奇跡⑪
≪人物紹介≫
☆ 那智竜太郎 19歳
正統なる杜国主の長男、現在浪人、百万両の賞金首であるナチの竜
☆ 如月胡桃 19歳
宇都宮国東宮家老の長女、東宮直営の乙女倶楽部所属の役人
☆ 阿倍蜜柑 18歳
古河国東宮用人の末娘、東宮直営の乙女倶楽部所属の役人
☆ 大鳥虎之助 22歳
大鳥国主の三男、妾の子、現在賞金稼ぎ
☆ 板屋の伊万里 26歳
フタラ温泉宿、板屋の女将
☆ 中宮の神楽 17歳
二荒山神社中宮の末娘、巫女
☆ 望月華音 12年前=14歳
リュウタロウの世話係、杜の宮の巫女
☆ 望月雷蔵 12年前=50歳
カノンの父親、12年前の杜国主、元杜国家老
☆ 那智時継 18年前=37歳
リュウタロウの父親、正統なる杜国最後の当主
☆ 那智瑞羽 18年前=19歳
リュウタロウの母親、元杜の宮の巫女
☆ 大鳥錬龍 27歳
大鳥国主の長兄、竜の力を継承
☆ 朔心月 62歳
大鳥国の国家老、軍師
* ここでの歳は満年齢にて記載
* 話が進むにつれ改定あり
【】
≪ダイヤ川大滝の滝壺≫
大滝から流れ落ちる大量の水が滝壺に打ち付けられていた、止むことの無い怒涛の音が周囲を支配している、そんな中に2人の男が対峙していた。
1人は紺の仕立に無地の襠高袴を着込んだ、ずぶ濡れのリュウタロウと、もう1人は袖無しの羽織にたっつけ袴を着たトラノスケである。
「オオトリ…トラノスケとは、オオトリ・レンタツの何なんだー!」
長い間、瞑目し沈黙を続けていたリュウタロウが問い質す。
「…わいが倒さなあかん人間やが、今の問いの答えはこうや、オオトリ・レンタツとはオオトリ国主様やー、ほんでもって京から頼まれて門番やっとる玄武様やなー、レンタツにとってわいが何かやてー、レンタツはわいの長兄や…」
トラノスケの目は憎しみに満ちていた。
「………分かった、続きを始めよう」
リュウタロウの目が赤く染まっていた、押し殺した声であるがトラノスケに届いたようで、トラノスケは笑顔で応じた。
トラノスケは大小の太刀を腰に手挟んでおり、リュウタロウは竜刀一振りのみを腰に落ち着けていた、2人の身長差は一寸(3cm)も無く五尺八寸(176cm)前後である。
だが、リュウタロウに比べトラノスケの腕周りはかなり太い、対峙の姿勢は両足を軽く開いただけで垂直に立っていた、それでいて相手を威圧するだけのどっしりとした構えを見せた。
リュウタロウは少し戸惑っていた、トラノスケの構えはどう見ても刀での尋常な勝負を想定させる、だがトラノスケの商売道具の中には飛び道具しかなく、剣術での戦いになるとは思っていなかったからだ。
「どないしたーリュウノジ、そん顔はわいが剣術なんぞでけんと思うとるんかいな、本気でかかってこんと一瞬で終わるでー」
トラノスケは自信に満ちた表情で言うと、大刀の鞘を左手で掴み鯉口を切った。
リュウタロウはそれに応じるように、竜刀を鞘から抜いて正眼に構えた。
「オオトリ、オレは12年前のことを今でも悔いている、あの時のオレはなぜあんなにも未熟なガキだったのか、なぜオレは杜の皆を止めることが出来なかったのか…、でもオレが一番に後悔しているのは、なぜオレはオオトリ・レンタツよりも先に朱雀の力を使わなかったのかだ!」
リュウタロウの悲しみに満ちた叫びが響いた。
「戦を仕掛けたんは杜の方や、おどれが被害者みたいに言うんやないわ、オオトリかて宿場町と一緒に五百もの人間が死んどるんやどー!」
トラノスケも右手で柄を掴むと刀身を引き抜いた、そのまま片手持ちに右脇に寝かせると、左手は脇差の柄に乗せられていた。
「オオトリは杜から奪っていったんだ、土地も、港も、領民も、門番の地位も、何から何まで奪い…、そしてオレから杜の国を、杜の人々を………カノンを、すべてを奪っていったんだー!」
リュウタロウは言い終わると同時に、正眼に構えた竜刀を引き付けると迅速に駆けた、トラノスケとの間合に入ると上段から面に振り下ろした。
怒りに任せたリュウタロウの一撃は、両手で柄をしっかりと握り渾身の力で討たれたものであった、間合いも正確で早さも充分である、渾身の一撃はトラノスケの眉間へと吸い込まれて行く、
一瞬遅れて始動したトラノスケの右手の太刀が、間合に入ったリュウタロウの胴から左肩へと切り上げるような角度で閃いた、
トラノスケは片手で太刀を振るいながら左足を引いて竜刀をかわした、そして打ち下ろされる竜刀とすり上げた太刀がぶつかり『キィィィンッ』と高い金属音を立てた、
なんと片手持ちのトラノスケの太刀が左上へと振り抜き、リュウタロウの竜刀が弾かれた、リュウタロウは大きく仰け反る、
「弱いもんが強いもんに奪われるんは、あたりまえやー!」
仰け反るリュウタロウへとトラノスケが仕掛けた、駆けながら左上に振り上げた太刀の刃を返し、そのまま袈裟に斬りかかる、
リュウタロウは体勢を戻す余裕が無いと判断すると、地面を蹴り後方へと飛んだ、
トラノスケの袈裟斬りが音を立ててリュウタロウを襲う、
「……ようかわしたなー、仕舞いにしたろうとおもたんやが、浅かったわ」
右手に持った太刀の切っ先を右足の前に垂らしたトラノスケが言った、
後方に飛んだリュウタロウは後ろに一回転して転がり方膝を着いた、その姿勢のまま竜刀を構える、竜刀を右手で持ったリュウタロウの袖が切り裂かれ、脇腹から胸にかけて血が滲んでいた。
リュウタロウは血の滲む胸に手を当てて『ふーっ』と息を吐いた、
「驚いた…、流儀を聞かせてくれないか」
よろめきながら立ち上がるとトラノスケに訊いた、
「宮本武蔵が祖の、二天一流や」
と応えるトラノスケは左手で脇差を抜いた。
「なるほど、確かに剛剣だ…」
リュウタロウは左足を半歩引き、右手で持つ竜刀の切っ先をトラノスケの眉間に付ける、間合を確認しながらリュウタロウは切り裂かれた袖を破り捨て、上半身を諸肌に脱いだ。
「なんや、顔に似合わずえぐい身体しとるやんけー」
諸肌になったリュウタロウの身体には無数の刀傷があった、
「賞金稼ぎに狙われるのも、これが初めてじゃないからね…」
トラノスケは左手の脇差を突き出しつつ『じりじり』と間合を詰めた、
「そんでも生きのこっとるゆーことは、悪運が強いんか、それとも竜神の力に助けてもろたんかー!」
と言う言葉尻に、今度はトラノスケが仕掛けた、
左手の脇差でリュウタロウの首筋を突く、リュウタロウは突きを払うとすぐさま両手で竜刀を握り八双からの袈裟切りを討つ、トラノスケの無防備な左胸を目掛け竜刀が振り下ろされた、
「おおおおおお!」
と言う、気合を発しながらトラノスケは更に間合を詰める、竜刀がトラノスケの左肩へと打ち下ろされたが、トラノスケが間合を詰めたため竜刀の鍔元が肩に当たり、一寸(3cm)程肩に食い込んで止まった、
左肩で竜刀を受け止めたトラノスケは、右手の太刀と左手の脇差を左右に大きく広げた、左右の刀の切っ先をリュウタロウの胸へと定めると、左右同時に突きを討つ。
左右から同時に迫り来る刀の切っ先が、リュウタロウの胸へと突き刺さるかに思われた瞬間、トラノスケの肩に食い込んだ竜刀を手放すと、リュウタロウは身体を捻りトラノスケの顔を殴りつけた、
トラノスケの上体が崩れそのぶん刀の軌道がそれた、それでもリュウタロウの胸には二筋の新たな刀傷が出来た。
「剣士が刀を手放すんかい…、おもろいやんけ、せやけど無手でどないするんや」
右手の太刀を肩に担ぎ、左手は脇差を持ったまま手の甲で口から流れる血を拭いながらトラノスケは訊いた、
「オオトリ、もう1つ確認させてくれ、おまえはオレが竜神の力を使えることを知っているようだが、それでもオレを倒せると思っているのか」
リュウタロウの胸から流れる血は、袴へと染み込み前半分が赤い血の色に染まった。
トラノスケは右手の太刀で肩をトントンと叩いてから、
「出し惜しみしとる余裕は無いやろがー、それにな、わいは端からそれを待ってるんやー!」
『カッ』と目を見開くと、脇差を眼前にて水平に寝かせて持ち、太刀は脇差の中腹で垂直に立てて構えた、
「そうかい、まだ死ぬわけにはいかないんでね…」
と言うリュウタロウは無手のまま左右の拳を重ねた、まるでそこに刀がある様に正眼の構えを取る、すると周囲から水がリュウタロウの手に集まった、そして集まった水は刀の形へと変化した。
「おもろいなー、水を自在に操る力かいな、ほならここら一帯はおどれの手の内やないか、せやのにあくまでも刀での勝負に拘る言うんかー」
トラノスケの目が鋭く光る、
「いや、尋常な勝負ではオレの負けだ、でもオレにはまだ遣らなければならない事がある、だから死ぬわけにはいかないんだ、使わせてもらうよ…」
水で像を成した刀は竜刀と同じ刃渡りで固定した、刃先は透明に透けていて鋭く、その切味が良いのは一目瞭然である。
「だがなーリュウノジ、水はしょせん水やろが、鋼の刃を受けることはでけんのとちゃうかー」
トラノスケは左足を『じりじり』と進めながら間合を計る、
「受ける気は無い…、先に斬るまで…」
リュウタロウは大量の出血のため呼吸が荒い、肩幅に開いた足に力を溜め不動のまま、トラノスケが仕掛けるのを待つ、そして時が流れた。
四半刻(30分)過ぎた、既にリュウタロウの袴は血で真っ赤に染まり足元にも流れていた、トラノスケは足の指先で一歩づつ間合を詰めた、そして両者の刀が届く位置はあと半歩と迫っている、
リュウタロウは大量の出血に視界が霞んだ、音は大滝から流れ落ち滝壺に打ち付ける水音意外なにも聞こえない、それでもリュウタロウは目を閉じ視界を棄てた、すべての神経を眉間へと集中し相手の気を探る、
トラノスケは目を閉じたまま不動の姿勢を保つリュウタロウを見詰めた、そしてゆっくりと息を吸い、そしてゆっくりと静かに吐いた、
「はぁっ!」
と言う、短い気合を発したトラノスケが脇差を一閃し、水刀ごとリュウタロウの首を撫で切る、
リュウタロウは右足を大きく踏込むと上体を低く沈めた、リュウタロウの髪を掠めるように脇差が空を切る、
トラノスケの右手の太刀は、身を屈めたリュウタロウの頭に上段から振り下ろされた、
リュウタロウの水刀は、右の足元から左上へと撥ね上がった、
リュウタロウの深く踏込んだ右足が地面を蹴り、身体ごと水刀を振り上げ斬撃の速度を加速させた、
トラノスケの振り下ろした太刀がリュウタロウの頭に吸い込まれるかに見えた瞬間、リュウタロウが左上へと飛んだため太刀が空を切った、そしてトラノスケは左脇腹から右の胸にかけて冷たい痛みが走った。
リュウタロウの常人ならざる脚力は、トラノスケとの距離が二間(3.6m)も離れた場所まで飛ばせていた、だが膝を着いて着地したリュウタロウは、両手を地面に着いたまま荒い息を繰り返していた、既に水刀も失われ顔を上げるのも困難であった、
「あーおもろかったなーリュウノジ、こんなにゾクゾクしたんは生まれて初めてや、また遣りたいなー」
トラノスケは自身の刀を鞘に納め、右手に竜刀を持って歩き寄る、
「冗談じゃない…、ボクはもう懲り懲りだよ…」
と途切れ途切れに応えた、
「せやけどなー、わいはちと腹立ってんねんで、どないしてわいは無傷なんやー」
トラノスケは自らの腹を擦りながら訊く、
「そりゃー…、水で人が斬れるわけ…、無いでしょう…」
リュウタロウは顔を上げ、笑みを浮かべて応えた、
「んな訳ないやろ、わいの一帳羅がずたぼろになっとるやんけー」
と言う、トラノスケの袖無しの羽織が真っ二つに切り裂けていた、
「こん刀もそうや、波紋が有るくせに刃が付いとらんのはどーゆーこっちゃ」
右手に持つ竜刀を突き出しながら言った、
「それは…、門の鍵だから…、人を斬る刀じゃないんだよ…」
と応えると目を瞑った、
「ほんまに腹の立つやっちゃなー、端から勝負になっとらんやないかー、馬鹿馬鹿しいてやってられんわ、もー仕舞いじゃ」
トラノスケは竜刀をリュウタロウへと放り投げた、リュウタロウはやっとの事で竜刀を受取る。
「良いのかい…、キミは賞金稼ぎなんだろう…」
大岩に背を預けて、尻を着いて座ったリュウタロウが訊く、
「おのれの方こそどーなんや、わいがオオトリ・レンタツの弟と知って、そんでもわいを殺さんのはなぜや」
トラノスケはリュウタロウを見詰める、リュウタロウは視線を竜刀に向けた、
「ボクは…、キミの言うように人殺しだよ…、何百という人の命を奪った…、極悪人だよ…、でも、もう同じ過ちは犯したくない…、いや、犯してはならないんだ…」
リュウタロウは過去の大惨事を悔いた、
「あれは戦や、双方が納得していた戦なんやぞー、おのれだけの責任ちゃうやろがー!」
「同じだよ…、人の命を奪ったことには変わりない…」
「リュウノジ、おのれは・あれから今までそんなふうに生きてきたんか…」
憐れむような視線をリュウタロウへと向ける。
「なーリュウノジよ、おのれの為す事いうんはなんや」
少し間を置いてトラノスケが訊いた、
「ボクは…、ナチの名を穢してしまった…、皆が命を掛けて守ろうとした名を…、ボクが未熟なばかりに…」
リュウタロウは俯いたまま言う、
「汚名を雪ぎたい、いうんか」
ほんの少しだけ頷いた、
「オオトリのことは、レンタツのことはもうええんか」
リュウタロウは顔を上げ、トラノスケを睨む、
「終わったことになど出来るものか、オレが…、カノンを奪ったあいつを赦せるわけないだろー」
と怒り烈しく言うリュウタロウは、咳き込み血を吐いた、
「そうか、んならわいとリュウノジは敵や無いなー、わいがほんまに倒さなあかんのはレンタツやからなー、こう言っちゃー悪いが、リュウノジは小手調べみたいなもんや」
と言い、高らかに笑った。
「あっそう…、もうどっちでも良いや…」
と言う、リュウタロウは『ズルズル』と音を立てて斃れた、
「あほー、為さなならん事があるんやろー、んなとこで死ぬんやないぞー!」
トラノスケは慌てて商売道具の箱へと走った、
(なにを今更慌ててるんだか…)リュウタロウのぼやけた視界に、走り行くトラノスケの後姿が微かに見える、
トラノスケが箱を背負い戻ったときには、もうリュウタロウの意識は無かった。




