ゆけむり探検の奇跡⑨
≪人物紹介≫
☆ 那智竜太郎 19歳
正統なる杜国主の長男、現在浪人、百万両の賞金首であるナチの竜
☆ 如月胡桃 19歳
宇都宮国東宮家老の長女、東宮直営の乙女倶楽部所属の役人
☆ 阿倍蜜柑 18歳
古河国東宮用人の末娘、東宮直営の乙女倶楽部所属の役人
☆ 大鳥虎之助 22歳
大鳥国主の三男、妾の子、現在賞金稼ぎ
☆ 板屋の伊万里 26歳
フタラ温泉宿、板屋の女将
☆ 中宮の神楽 17歳
二荒山神社中宮の末娘、巫女
☆ 望月華音 12年前=14歳
リュウタロウの世話係、杜の宮の巫女
☆ 望月雷蔵 12年前=50歳
カノンの父親、12年前の杜国主、元杜国家老
☆ 那智時継 18年前=37歳
リュウタロウの父親、正統なる杜国最後の当主
☆ 那智瑞羽 18年前=19歳
リュウタロウの母親、元杜の宮の巫女
☆ 大鳥錬龍 27歳
大鳥国主の長兄、竜の力を継承
☆ 朔心月 62歳
大鳥国の国家老、軍師
* ここでの歳は満年齢にて記載
* 話が進むにつれ改定あり
「それなのに…、現実はとても残酷だわ、どうしてあんなにもお優しい方達が…」
「…ごめん、続けるわね、トキツグ様が率いた家臣と城下町の鳶に大工達が、オオクマの貯水湖に着いた時には、もう本当に決壊する寸前だったの、だから迷っている暇もなくて、皆は水門を開ける作業に取りかかったわ」
「雨がだんだん強くなり、風も出てきて水門を空ける作業は厳しさを増したの、それでも皆が力を合わせ少しづつ水門が開くと水は噴水のようにクマソ川へと注がれた、すると轟音と共に流れ落ちる水流の向こうに小さな人影があったわ、小さな影は鋭い視線を向けたまま立ち尽くしていたの」
「その人影にトキツグ様が真っ先に気が付いて、水流の反対にいる影に話したかけたみたいだけど、放水の音がうるさくて何を話したのか聞き取れなかったと、父上は言っていたわ」
「でも小さな影には伝わった様子でトキツグ様に応じていたの、その影の正体はオオトリの代官に連れられて来た異人の子供よ、その異人の男の子は竜刀を携えていて、男の子は竜刀を自身の前に突き出して何か叫んでいたそうよ」
「それに対してトキツグ様は、ひとつ頷いてからゆっくりと首を振って男の子に応えていた」
「それを見た男の子は、がっくりとうな垂れると激しい怒りをぶつける様に竜刀をクマソ川へと投げ込んだ、男の子はその場に座り手を組合わせると動かなくなった、その途端トキツグ様が対岸へと走り出して、皆も慌ててトキツグ様を追いかけたわ」
「すると急に辺りが暗くなり、南の方角から不穏な気配が立ち込めたの、続いて雷が立続けに三度落ち真っ黒な雲が見る見る空を覆いつくしたわ」
「父上は得体の知れないものへの恐怖に身動き出来ず、トキツグ様を追いかける者達も同様に、その場に立ち尽くして事の顛末を見守ることしか出来なかった」
「雷が落ちたのはお城の宝物庫だったわ、後になって確認したら宝物庫は内側から吹き飛ばされていて、そこには異人たちが貢物として渡した甕が、蓋の開いた状態で転がっていたの」
「それから空を覆う黒い雲が一箇所に集まり、だんだん厚みを増してくると風はいっそう強くなったわ、風はしだいに渦を巻き始めあっという間に竜巻へと変わった、空の黒雲と大地に流れるクマソ川を結ぶ竜巻は徐々《じょじょ》に大きさを増し、クマソ川の水を空へと巻き上げていったの」
「トキツグ様は水流の対岸に着くと、両手を組み座り込む男の子を抱き上げた、男の子は意識がないのかぐったりと手足が伸びていたわ、トキツグ様は男の子を安全なところまで運び、横にさせるとご自分の羽織を男の子に掛けて、それから徐々に大きくなる竜巻を見ていた」
「トキツグ様の視線の先でまた雷が落ちたわ、場所はクマソ川の中域にあたる中州だったの、それより下流は左右に広大な農地が広がっていて、刈り入れ前の稲穂がびっしりと田を埋めていたわ」
「すると中洲に落ちた落雷のあとにもう1つの竜巻が起こったの、クマソ川上流の竜巻と、中域の中洲に起こった竜巻はお互いを呼び寄せるようにクマソ川を移動していった、2本の竜巻が激しくぶつかり合い、拡張工事中だったクマソ川の堰を決壊させてしまった」
「そして…、止めとなる最後の落雷が杜の宮境内に落ちたわ、幸い避難している誰にも怪我は無く、降りしきる雨のため火事にもならなかった、でも境内に落ちた雷は御神木である高野杉に深々と傷を残した、そして堰を切ったクマソ川の流れは大きく変わり、杜の宮へと進路を変えたの」
「決壊したクマソ川の流れは、杜の宮へと真っ直ぐ進んだ、それを見たトキツグ様は…、オオクマの貯水湖から放出される水で既に氾濫状態のクマソ川へと、…飛び込んだそうよ」
カノンは震える手を『ぐっ』と堅く握り締め、深く息を吐いてから話を続けた。
「父上は川に飛び込んだトキツグ様をお助けしようと慌てたわ、しかしどういう訳か一歩も足が動かない、父上が辺りを見回すと皆が同様に金縛りに合い硬直していた、父上はそれでも声を振り絞ってトキツグ様を呼んだ、その時、クマソ川が一匹の巨大な竜になったと父上が言うの」
「そのころ私は、杜の宮で執り行われていた祈祷の手伝いをしていたの、すると奥方のミズハ様は私に手招きして、私は走ってミズハ様の下に行くと、眠っているリュウタロウを私に抱かせてにっこりと微笑んだ」
「私は訳が分からずに首を傾げてミズハ様を見上げていた、ミズハ様は…、『わたくし達は、何時如何なる時も、あなたの幸せを願い、見守っているわ、ですから決してあなたは1人ではないのよ、もしも寂しくなった時は御神木にいらっしゃい、わたくし達の心を感じることが出来るはずですから』と…、リュウタロウの顔をさすりながら言われた…」
カノンは声を詰まらせた。
「そして…、先々代のナチ・ジジン様と奥方のマキエ様が祈祷の席から立ち上がり、リュウタロウの顔をそっと撫でると宮の外へと向った、それからリュウタロウの叔母にあたる北の宮様もあとに続き、御子息のリュウグ様、神主であるマサトキ様と奥方のカズコ様、そして…ミズハ様…、皆さまが流れを変え目前に迫り来るクマソ川へと次々に飛び込んで行かれた…」
カノンの瞳からは『ポタポタ』と大粒の涙が流れ落ちた。
「…杜の宮から城下町にかけて、すべてをのみ込んでしまう勢いで氾濫するクマソ川に、上流から流れ来る一匹の大きな水竜が現れたの、水竜は杜の宮を囲うようにぐるりと回ると、溢れかえる水を自らの体内に取り込んでいった、そして杜の宮と城下町を大きく迂回して進み、あちこちに点在する集落をすべて避け、そして海へと去って行かれた…」
「ふと気付けば、クマソ川を決壊させた2本の竜巻は消えうせ、黒雲もいつの間にか消え、空は何事も無かった様に晴れ渡っていた…」
「…私たちには何が真実であったのか分からない、すべてが偶然に起こった天災なのかも知れない、でも私たちは、この大惨事から護って戴いた、那智一族の命と引き替えに……」
カノンの涙は止め処なく流れ続けた。
「みんなそれっきり戻ってこなかったんだね…」
リュウタロウは確認するように訊き、カノンは小さく頷く、
「そっかー、オレの両親はみんなを護るために死んだのか、だからみんなオレに対して優しいんだ」
リュウタロウは空を見上げた。
「うん、もちろんそれもあるわ…、でもみんながリュウタロウに優しいのは、みんなリュウタロウのことが大好きだからよ」
カノンがリュウタロウの頬に手を伸ばす、
「そーなのかな…、でもオレひとり残して死んじゃったら、オレは…」
リュウタロウは目を細める。
「リュウタロウ・勘違いしないでね、那智一族の方々が誰よりも一番に護りたかったのはね、リュウタロウ・あなたのことなのよ!」
「オレを助けるために…」
「そうよ、キミはミズハ様がお腹を痛めて産んだ子、そしてナチ・トキツグ様の御世継ぎなの、キミは【那智】を継承する唯一の希望であり、一族にとって最愛の子供なんだからね」
「ボクは…」
リュウタロウの頬に大粒の涙がつたい落ちた。
「私たちは皆で誓ったわ、絶対にキミを護り通すことを、杜の国を以前のように豊な国にすることを、そして豊になった杜の国を【那智】にお返しするということを」
カノンはリュウタロウの涙を拭いながら言う。
「それなのにごめんね、私たちの力不足のせいで、杜の領地は見る見る小さくなるし、一番重要な京に通じる門番の役目も、朱雀さまの御威光なしには到底適わないわ」
と言うカノンは口惜しさに涙を浮かべる。
「和の国は異国船の入港を禁止した、でも…、門番の不在が何年も続く訳にもいかない、だから天の皇はオオトリに門番を置くことにしたわ…」
カノンの表情が苦渋に歪む、
「オオトリの門番は…、7年前のあの日、オオクマの貯水湖に居た少年よ!」
カノンの目には憎しみの色が窺えた。
「もしかして、この大見得っていうのは、その門番の人と戦うためのものなの」
カノンの表情を見詰めるリュウタロウは、そう問わずにはいられなかった、
「…わからない、7年前の惨事が偶然なのか、それとも彼によるものなのか、また彼がどういう経緯で門番になったのか、私には何も分からない、けれど、私たちはそれでもキミを護るという約束だけは、絶対に果たさなければ成らないの、その為にはたとえ相手が竜神であっても引く訳にはいかない!」
カノンの鬼気迫る決意に圧倒され、リュウタロウは返す言葉が出てこない。
「そして、これだけははっきりしているわ、オオトリの代官は大惨事のあといち早く杜からの独立を宣言し、偉人の彼を養子に向かえた、そして何食わぬ顔でオオトリ国を造り、オオトリの港の専有を皇から与えられたの、数百年に渡り、那智一族が、杜の民が護って来た港をいとも簡単に奪い去った…」
「だから戦うの、奪われたから奪い返すの、そんなことをして手に入れた豊かさなんて、ちっとも嬉しくないよ、止めてよカノンそんなの間違ってる」
リュウタロウは必死に言う、
「わかってる、私たちが間違っているのはよくわかっているわ、でもね、もう嫌なのよ…、私たちは何があっても今後一切【那智】を失う訳にはいかないの、たとえそれが外道の行為と罵られようと、私たちから那智を…、いいえ・リュウタロウを奪うものは、奪われる危険のあるものは、誰であろうと赦さない!」
カノンはリュウタロウに背を向け、馬の手綱を握った。
「ダメだ、こんなのよくないよ、いますぐ止めさせないと」
「リュウタロウまだ話は終っていないの、お願い最後まで聞いて」
「でも、こんなふうに挑発していたら本当の戦になっちゃうよ」
「甕が無いの!彼等が手土産に置いていった甕が無くなっていたのよ」
「甕って…、竜を封印できるっていう甕のこと」
「ええそう、その甕がどこにも無くなっていたの」
「でも、それと今回の大見得とは関係ないだろう」
「あるわ、もしも彼等の元に封印の甕が戻っていたら、那智の御神である朱雀様が封印されてしまうかもしれないのよ」
「そんなわかりもしないことを心配して、もしも違っていたらそれこそとり返しがつかないよ」
「リュウタロウわかって、私たちは何があってもキミを失う訳にはいかないのよ、その為には過剰と思えるような準備が必要なの」
「違う!カノンがオレに教えてくれたことはこんなやり方じゃない、人は誰でも過ちを犯す生き物だから、自分だけが正しいなんて思っちゃいけないって教えてくれたじゃないか、まずは相手を責めるんじゃなくて、相手の気持ちを理解するようにと言ったのはカノンだろう」
「私たちは無力なの、こうして準備をしておかないと、いざという時に何にも出来ない、また傍観するだけになってしまうのよ、もうそんな思いをするのは嫌なの…、お願いだからわかって…」
「…カノン……」
『ドッドーンンンン……』




