その傘は偶然そこに
それって、昔どこかにあった、忘れられてしまったけれど
すごく格好いいお話の後日談なんだよ。
そう考えると、少し幸せだよね
――引用 「うう。勇気を出してスレを立ててみます」
名の無い吟遊詩人の言葉
あるところの、小さな滑り台とベンチと、
後はゴミ箱が一つしかない小さな児童公園でのこと。
降りしきる雨の中、スーツを着た中年の男が一人、
近道をしようと公園を横切っているときだった。
ふいに、今朝がたから降っていた雨が途切れるように止んだ。
男は足を止め、不審がるように上を覗っていたが、
にわかに出来た雲の穴から覗く青空を見ると切なそうに微笑み、
そのまま傘を閉じると、滑り台に立て掛けた。
その傘は、よく見るとデザインが女性向けで、
大事に使い込まれているのも分かった。
「いい加減、こういうのも手放した方がいいのかな。
ダメだよなぁ、もう半年も前なのに。
…………あの時カッコつけて見得を切ったけど、
俺にはやっぱり君を忘れる事なんて出来なかったよ。
君は、どうだい? 元気……って言うのはおかしいか、
楽しくやってるかい?」
男は誰へともなくそう呟くと、内ポケットから手帳を取り出し、
そこに挟まっている写真を抜き出した。
そこに写っているのは今男の持つ傘を両手で抱え、
こちらに向かってにっこりと微笑む、
男と同じくらい歳つきの女性だった。
明るくにこやかに微笑んでいて一見では分かりにくいが、
彼女の羽織ったカーディガンの下は入院服で、
どことなく頬もこけている様に見えた。
男はしばらくその写真を眺めていたが、
両手で縦に二つに裂くと、そのままゆっくりと、
丁寧とも言える手付きで写真を細かく破ってしまった。
細かくなった紙片はすぐに風に乗って飛ばされ、
何処へともなく吹き飛んでいったが、
幾片かは舞い上がり、空に昇るように飛んでいった。
男がそれを切なげな、無理やり作った笑みで見上げると、
さっき出来たばかりの雲間から、微かに虹が輝いた。
「忘れる訳じゃないけど、これからも色々あるだろうけど、
俺……行くよ。本当にありがとう」
男は名残惜しそうに言って傘と滑り台に背を向けた。
「がんばって」
ゆっくりと、踏みしめるような足取りで
そこから立ち去って行く男の耳には微かだが確かにそう聞こえたが、
しかし背を向けた後は一度も振り返る様子もなく、
しっかりとした足取りで歩いていった。
その傘を残して。
あるところの、小さな滑り台とベンチと、
後はゴミ箱が一つしかない小さな児童公園でのこと。
20代中ごろくらいのカップルがベンチに座っていた。
しかし二人の雰囲気は、のどかな公園に関わらず剣呑で、
男性側はやれやれといった様相で押し黙り、
女性側はそれにさらに腹を立て、並び立てるように不満を述べる。
しばらくして、不満も出尽くした、といった様子で女性が黙ると、
二人の間はどうしようもない重苦しい空気が、
息をする音さえ気遣わせるほどどっしりと居座ってしまった。
女性の方は、肩を怒らせ、長年の怒りをあらわに、
腕を組んで目をぎらぎらさせている。
男性の方は怒りは無いものの、
疲れきったような、ウンザリとした表情を浮かべ、
二人と同じようにどんよりと黒く曇った空を見上げていた。
そうして押し黙って座っている間に、
二人の上の雨雲はどんどんと色を増していき、
ついにはポツポツと雫を垂らし始めた。
男性が女性の方を見やると、
腕を組んだまましばらく動きそうも無い。
男性はやれやれと首を振ると、
カバンから折り畳み傘を出して立ち上がり、
――――少し離れた滑り台に掛けてあった女物の傘を取って来ると、
助成の正面いたち、傘を開いて女性に差し出した。
女性は、男性が立ち上がった瞬間に浮かべた
絶望とも諦めともつかない表情をくしゃくしゃに歪めると、
傘の下でぽろぽろと雫を落とした。
「どうし、て」
「どうして、って」
しゃくりあげながら問う女性に、
男性はまるでランチについて話すような当たり前の口調で言った。
「お前は雨降ってきたのに傘も差し出して貰えない程の
何かをやらかしたのか?」
女性はもはや何も言わず、黙って小さく嗚咽を漏らすだけだ。
男性も、何も言わない。しかし二人の間の空気は、
さっきまでが嘘のように軽く透明なものになっていた。
少しして、男性は自分の傘を横に開いたまま置き、
女性に呼びかけてその手を取ると、
差し出した傘と一緒に思いっきり引き寄せ、
そのまま胸に抱きとめた。
俯いて鼻を鳴らす女性に、
「とりあえず帰って温かい物でも飲もう」
そう言って、自分の傘を取り上げた。が、それを女性が制する。
「それここに置いてこ」
「どうして?」
「このままがいい」
「こんなちっこい傘に二人入れるか、濡れるぞ」
「一緒でなら、いい」
男性はやれやれと首を振ると、それ以上何も言わず、
自分の傘をたたむとベンチに置き、
そのまま二人は公園を後にした。
その傘を残して。
あるところの、小さな滑り台とベンチと、
後はゴミ箱が一つしかない小さな児童公園でのこと。
大雨から逃げるように、二人の子供が滑り台の下で雨宿りをしていた。
一人は大きすぎる不似合いな学ランを来た少年だ。
第3ボタンまでを中途半端に開けているが、
それがかえって少年のあどけなさを4割ほど増しに見せていた。
もう一人はやはり不似合いなセーラー服に身を包む少女。
少し茶色がかった長髪は一つにまとめられ、
背中で重そうに雫を垂らしている。
二人はチラチラとお互い視線を交差させながら、
ベンチに置かれた折り畳み傘を見やっている。
二人の視線は明らかに物欲しげだが、
口に出す事も行動に移すこともせず、
黙ってチラチラとぶつからないように視線を動かすだけだった。
時間が経つにつれ、雨はどんどん強くなり、
空はどんどん暗くなる。
少年が携帯で時計を確認してため息をついたとき、
少女はぱっと飛び出すと、ベンチの傘を手に走って戻ってきた。
「こ、これ」
少年に傘を差し出して、長い髪から雫を落とし、
少女はつっかえながらの少年に傘を差し出す。
「こ、この傘、使って、下さい!」
少年は驚いて少女の顔を見つめる。
少年、実は折り畳み傘をカバンに持っている。
が、小さな物のため一人で入るのも辛く、
すぐに止むならと雨宿りをしていただけだ。
もっと言うなら、先に雨宿りしていた少女の事が
気がかりで一人抜け出せなかった、というのもあったし、
”このまま”、というのも勿体無い、なんていう下心も無いでもなかった。
とにかく少年は少女に驚きながらも、
つっかえつっかえ弁解する。
「い、いや、その、そっちこそ、自分で取ったんだから」
「い、いえその」
はっきり喋れよ、と自分と相手へ同時に思いながら、
少女も少年に傘を押し付ける。
実は少女、カバンに折り畳み傘を持っている。
が、これを差して帰れば即塾に行く羽目になり、
それが嫌でグズグズとここで時間を潰している間に、
少年が後から入ってきて出にくくなってしまったのだった。
もちろん、すぐに出て行かず見とれていた自分が悪いのだが。
とても自分の状況を説明できない二人は、
つっかえつっかえの要領の得ない茶番を繰り広げた。
何遠慮してるんだろ。
しばらくして少年の頭に浮かんだ考えはいかにもで、
少年としてはかなり言いにくい案だったが、
少年にはそれしか思いつかなかった。
雨脚は衰えぬまま空はどんどん暗くなっているし、
いずれにしてもいつまでもここにいる訳にはいかない。
意を決して少年は言った。
「その、もし良ければ……
二人で、その、差していきません?」
言ってから頭の悪さに嫌になる。
どう聞いても頭の悪いナンパ文句にしか聞こえない。
とっさに取り消そうとすると、少女はさっと赤面し、
目をキョロキョロさせてこくこくと頷く。
「えっと、その。お願いします」
自分で言っておいて冗談だろと言いかけて、
やっと飲み込んだ少年は、ぎこちない手付きで傘を開く。
そこそこ高価なものらしく、大きさも子供二人が入るには十分だ。
「じゃあえっと、お邪魔します」
傘を持った右手側に少女がすっと入り、
少年も傘をそちらにずらす。
「家どっち?」
「こっちです」
「……って事は三陽小?」
「はい、そうなんです」
「ああ、なるほど。
……何年何組? 一年だよね?」
お互いの住所から始まった話題は、
お互いの自己紹介に繋がり、なんでもない話題に飛び火していく。
緊張の抜けない面持ちで歩いていく二人が明日には、
半年後にはどうなっているかは、
まだ本人達も知らないし、今はどうでもいい事だった。
今回も三題話です
お題は
『公園』『偶然』『傘』
でした
変な引用文から始まり、変な終わり方しましたが、
今回はいい感じに仕上がった気がします
(分かりやすいお題的な意味で)
ここまでお読み頂き、ありがとう御座いました