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異世界転生したら処刑投票の村でした〜死に戻りを繰り返して人狼ゲームを勝ち抜く〜  作者: しげみち みり


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第6話「祈りの家、影の囁き」

 夜が、音を食べていた。

 村の外れ、祈りの家――小さな教会は、月光を受けて青く沈み、塔の影が石畳に長い刃のように伸びている。影は風に揺れない。ただ、そこに在るというだけで、誰かの足を縫いとめるように冷たい。

 ――“ひとつ多い”。

 レナの最期の言葉が、鼓膜の裏でこだまする。吊台の印は今朝で十四。犠牲者の数とは一致しない。では、あの切り目は何を数えている?


「封は確かだ」

 カイが扉の楔を探る。蝋は割れていない。だが蝋の縁に、猫の爪でひっかいたような細い跡がある。

 老人は杖の先で扉を軽く叩き、鼻をわずかにしかめた。「鐘の油と煤の匂い……扉の内側から吹いてくる」

「鐘守の倉にあるはずの油だ」カイが頷く。「鯨脂に煤を溶かした重たい匂い。こんなに強く漂うのはおかしい」


 エダが胸元を握りしめる。「ここは神の家。影など入るはずがないのに」

「“神の家”だから、皆が安心する」俺は答えた。「安心は、もっとも深い隙だ」


 昨夜のドルンの死は、全員の顔色を薄くした。誰もが言葉を少なくし、それぞれの手を見つめる時間が増えた。手の汚れは、己の潔白を確かめるための拙い儀式に変わっている。



 配置は決めた。

 カイが屋根と鐘室を監視。

 俺とミナは祭壇裏、扉が死角になる角度で。

 老人は広場側から祈りの家を見張り、エダと老婆は扉の脇に座って祈る。

 痩せた青年は少し離れた墓地の門、笛を手のひらに隠した。


 月の出は遅く、空はしばらく無月の薄闇に沈んでいた。蝋燭の火が壁に長椅子の影を伸ばす。木の節が人の顔に見える瞬間ごとに、ミナの指が俺の袖をつまむ。

「怖い?」と彼女が囁く。

「怖い」俺は短く笑った。「怖いから、目がよく利く」


 鼻腔の奥を掠める、油の匂い。重い。鼻の根元にぬめりを作る嫌な質だ。鐘を上げ下げする綱には必ず差される油。――そして、レナの踵。踵だけが黒く汚れ、足裏の中心はきれいだった。塔の石段は乾いている。油は手すりに付いている。踵で重心をかけ、手で手すりを掴めば、あの汚れ方になる。


 外で、砂の擦れる音。

 カイが屋根を這っているのか、それとも――。



 最初の鐘は、息の合間に落ちてきた。

 誰も綱に触れていない。にもかかわらず、腹の底を揺らす低音が、塔の中から滴る。

 エダの祈りが止まり、老婆が顔を上げた。

 次いで、二つ目。三つ目。短く、間を置いて、四度目は鳴らない。


「屋根に影!」

 カイの声。

 俺は祭壇裏から飛び出し、扉の楔を蹴り外す。冷気とともに、塔の庇を渡る黒いものが視界の端をかすめた。人か獣か――爪先だけで屋根を蹴り、踵はつけない。

「追う!」

 叫ぶ俺より早く、カイが屋根の上を走る影を追っていた。黒い輪郭は、鐘室の開口へ吸い込まれるように沈み、月の光に溶けた。



 祈りの家の内部は、冷えた湯のように静かだった。

 長椅子の間を抜け、祭壇に駆け寄る。香の灰の上に、黒い粉――煤と油が、指で払ったような線を描いている。

 鐘室へ続く石段の上に、小さな包み。蝋の封。


 老人がそれを拾い上げ、蝋を割る。

 紙片が一枚。そこに、墨で短い一行。


 ――「影は声を持たない」


 ミナの呼吸が速くなる。「声を持たない……投票しないってこと?」

 俺は頷き、紙片を光に透かす。薄く黒い粉がにじむ。指で擦ると、べたつきが残った。鐘の油だ。紙の縁には、丸い穴の跡が小さく並んでいる。歯車の歯か、鋲か。

 影は声を持たず、しかし“数に入る”。

 数――吊台の印。ひとつ多い。


 背後の扉の陰で、老婆がぽつりと言った。「……笛」

 痩せた青年が反射的に肩をすくめる。

「夜、短く三つ。聞いた」老婆の言葉は乾いているが、確かだった。

 青年は震える声で返す。「群れを落ち着かせる合図です。夜……不安で、つい」


 俺は青年の靴に目を落とす。爪先に泥、踵は薄い。畑の土。だがさっき屋根を渡った影の足跡は、爪先で引っかくようで、油と煤が混ざっていた。違う。



 その夜、犠牲は出なかった。

 夜の底を探るような時間が過ぎ、空の端が白み、鳥の声が戻ってくるまで、誰も倒れなかった。

 静けさは救いというより、不気味な猶予だった。

 朝、広場の吊台へ向かう。

 切り目は――十五。

 また、増えている。


「どうして……昨夜は誰も殺されていないのに」ミナの声が掠れる。

「“声を持たない影”が“いる”限り、印は進むのかもしれない」俺は言う。「犠牲の数じゃない。影の呼吸に合わせて刻まれる“数”だ」


 老人が目を閉じ、短く頷いた。「ならば、影を祈りの家に誘い込んだことで、やつは満足した。……いや、遊んだだけか」


 エダは祈りを結び直し、吊台をにらんで震えた。「神よ……なぜ数が増えるのです」


 俺は紙片をもう一度見た。

 ――影は声を持たない。

 声を持たないなら、投票しない。けれど、鐘の数に合わせて“在る”ことを示す。

 鐘は昨夜、三度鳴った。吊台の印は一晩で一つ増えた。単純には結びつかない。……もしかして、印は“鐘の状態”を刻むのか?



 昼下がり、俺はカイと塔に登った。

 鐘室の床は黒く、油と煤が靴底でぬるりと滑る。綱は太く乾き、途中、わずかに繊維が毛羽立っている。夜、誰かが綱を使った痕だ。

 庇の端、金具の一つに真鍮の欠片が挟まっていた。歯の並ぶ薄い板片。穴が一つ、端に穿たれている。

「外された部品と似ているが、歯の数が違う」カイが言う。「鳴り方を変えるための割り板だろう。挿す位置で打音の間合いを調整できる」


「鳴る回数は?」

「綱を引かずとも、重しの落下で短く“鳴らす”仕掛けができる。屋根を走る者が、庇の外から棒で押し込めば……三度鳴る」


 俺は庇から身を乗り出し、広場を見下ろす。石畳に俺たちの影。――そして、塔の影が重なると、一瞬、影の数が“ひとつ多く”見える。

「影は声を持たない。影は数に入る。鐘は、影を増やす」

 口に出した言葉は、謎かけのようで、しかし背筋に冷たく馴染んだ。


「鐘が鳴る“前”に集まれば?」俺は尋ねる。

「影は増えないかもしれない」カイは顎に手を当てる。「だが、人は鐘で集まるよう躾けられている」


 躾け――。

 俺は急に喉が乾いた。

 この村の呼吸は鐘に合わせられている。祈る時刻、食べる時刻、集まる時刻、投票の時刻。

 鐘が、数を決めている。



 夕暮れ、全員で作戦を練った。

 鐘の封を二重にする。

 鐘室の綱に“鈴”を付ける――誰かが触れれば、別の音が鳴る。

 祈りの家の扉は外からも内からも楔を打ち、屋根の縁には灰を撒いて足跡が残るようにする。

 さらに、吊台の足元にも薄く灰を敷いた。夜の間に刻まれるなら、誰かはそこに立つ。


 痩せた青年が不安そうに笛を握る。「僕は……吹かないほうがいいですか」

「吹くとしたら、合図を決めよう」俺は言った。「短く二度――危険。三度――見失った。四度――集まれ。五度――鐘へ」

 青年は何度か小さく息をついて、頷いた。


 エダは祈りの言葉を短くして、扉の内側に座ることにした。老婆は吊台の前に座り込み、灰をじっと見張る。老人は広場の中央、全員を一望できる位置で杖を立てる。

 ミナは俺の袖を指先で摘み、「離れないで」と呟いた。



 夜は、予告なしに濃くなる。

 星が幾つか瞬き、風が塔の角を撫で、髪の毛先を湿らせる。

 最初のうちは、何も起きなかった。

 やがて、祈りの家の屋根で小さな音がした。灰を踏む音ではない。……潜る音。屋根材の隙間に、薄い板をこじ入れるような、木と金の軋み。


 鈴が、かすかに鳴った。

 鐘室の綱だ。

 俺はカイと目を合わせ、頷く。

 次の瞬間、塔の中から低音が落ちた。ひとつ。

 続けて、ふたつ。

 ――三つ目は、鳴らない。


 笛が、短く二度鳴った。青年の合図。危険。

 俺は祭壇の陰から飛び出し、扉を開け放つ。外の空気は刺すように冷たい。塔の庇の縁に、人影の影のようなものが張り付いている。月が雲に隠れ、輪郭だけが浮く。

「そこだ!」カイの叫び。槍の穂先が月光を滑り、庇に火花が散る。

 影は綱を離し、屋根の反対側へ走った。灰が舞い上がる――が、足跡は爪先で抉れ、踵が残らない。

 俺は追わず、灰の模様を見る。爪先の幅。間隔。……人の足の間合いだ。四肢の獣なら、もっと狭い足跡が四つ残る。

 人間。

 ――では、なぜ“影”と呼ぶ?



 その夜の犠牲は、やはり出なかった。

 代わりに、朝、吊台の灰に奇妙な模様が残った。

 円をなぞるように、指のような、爪のような細い筋が十五。切り目の位置と一致する角度に、それぞれ短い擦過。

 誰かが夜の間に、印の位置を“なぞった”。

 老婆は一睡もしていないと言い張った。だが、目は赤く、瞬きの間が長い。見間違いはある。……だとしても、これは明確な“見せつけ”。

 印は――十六。

 また、増えた。


「数え癖を、誘導されている」俺は言った。「俺たちは“十”だと思って動く。けれど、鐘の鳴らし方、合図、吊台の印で、無意識に“十一”を数えさせられている。誰かがずっと、俺たちの呼吸を管理している」


 老人が杖を少し強く握った。「では、影は“鐘の側”にいる」

 カイが頷く。「倉の封は俺が見ている。破られてはいない」

「封自体を遠隔で“動かせる”なら?」俺は庇の金具を思い出す。「真鍮の割り板を棒で押し込む。綱に触れずに鳴らす。封は破れないが、鐘は動く」


 エダが顔を上げた。「なら、誰が棒を持って屋根に登れるの」

 カイは屋根を見上げ、静かに答えた。「屋根に慣れた者。毎日、屋根を歩く者」

 視線が、痩せた青年に集まる。彼は狼狽して、笛を握った手を胸に当てた。「ぼ、僕じゃない……!」

 俺は首を振る。「爪先の幅が違う。君の靴はもっと薄い」

 青年の肩の力が抜け、涙がにじんだ。



 ここで、ミナが指を上げた。「……“声を持たない”って、投票しない者がいるって意味じゃないの?」

「投票しない“者”?」

「ううん。者じゃないかも。――“鐘の一打”。投票の場で、誰かが無意識に“はい”と頷くように、鐘が一回余計に鳴って、その“音”をみんなが人数として受け入れてる。だから“声を持たない」。声じゃなく、音で数を増やすの」


 俺は息を呑んだ。

 言葉が、ぴたりと骨に合った。

 影は人の形をしているかもしれないし、していないかもしれない。だが“声”を持たない。――音で、数を増やす。

 鐘が“人数”になっている。

 だから、吊台の印が犠牲と無関係に増える。鐘の“状態”が、印に移されていく。


「印を刻むのは誰だ」老人が問う。

「夜のあいだに吊台へ近づける者」カイが短く答える。「鍵を持つ俺、老人、エダ……いや、鍵は俺が持っている。となると、鍵など要らない方法で来られる者」

 俺は塔から張られた綱の毛羽立ちを思い出す。屋根から梁、梁から吊台の上梁へ。夜のうちに渡れる者。

 ――軽く、爪先だけで立てる者。

 ――踵を使わない者。


「今夜、鐘は鳴らせない」俺は口にした。「鳴れば、影は増える。数も増える。俺たちは、鐘の前で先に集まる」

 カイが頷く。「鐘室の綱は切れない。だが、綱の“手前”に楔を追加できる。割り板も外す。庇の金具には“鈍い刃”を噛ませて、棒が差し込めば音ではなく金属音が出るように」


 老人は短く言った。「やれ」



 夕闇が落ちる。

 俺たちは祈りの家の中と外、塔の周りに配置につく。灰は新しく敷き直し、鈴は感度を上げ、吊台の周囲の梁には薄い白布を張った。触れればすぐ分かるし、風では揺れない工夫も施した。

 痩せた青年は笛を胸に抱え、決めた合図を静かに復唱する。ミナは俺の左隣、カイは右。老人は中央に立ち、エダと老婆は扉の脇。

 誰もが息を潜めた。


 ――音。

 鈴が微かに、ひとつ。

 次いで、金属がこすれる耳障りな音。庇の“鈍い刃”が棒を弾いたのだ。

 鐘は鳴らない。

 代わりに、屋根の上で足の速い音。爪先で石を押す乾いた連打。

「来た!」カイが叫ぶ。

 俺は外へ飛び出し、灰の軌道を追う。爪先の抉り――幅は狭い。昨夜よりも。速度が上がっているのか、あるいは別の足。

 庇の縁に短い影が止まり、こちらを見た。

 月が雲から抜け、影の輪郭が“人”だと分かった。覆面。額から顎まで布で覆い、目だけが光る。

「止まれ!」カイの穂先が閃く。

 影は身を捻り、庇の内側に消えた。鐘室ではなく、塔の支柱の細い隙間へ。人ひとりがやっと通れる空間。

 その先は、梁――吊台の上梁へつながる。

「吊台!」俺は叫んだ。


 広場へ駆け込むと、白布が一枚、破れていた。

 吊台の足元の灰に、細い指のような跡。……そして、印の位置に合わせて、刃物で木を撫でた新しい筋。

 老婆が立ち上がろうとして躓き、エダが支える。

 俺は足元に目を走らせた。

 ――踵の跡が、ひとつもない。

 爪先だけ。

 影は、踵を地面につけない。常に爪先で立つ。

 人であり、人でない歩き方。


「そこまでだ!」

 カイが吊台の背後から影に飛びかかり、槍の柄で壁に押し付ける。覆面の下から荒い息。

「誰だ」

 影は答えない。

 “声を持たない”。

 だが、喉は潰れていない。……意図的に沈黙している。

 俺は手首を掴み、指の腹を嗅いだ。油と煤。鐘の匂い。

 影は抵抗をやめ、ゆっくりと手を開いた。そこに薄い真鍮の板。端に穴。細かい歯。――割り板。

 布の隙間から覗く目は、焦点を結ばない。どこか、遠い。

 カイが面布を剥ぎ取る。

 現れた顔に、広場の全員が息を呑んだ。


 ――鐘守の子、カイの弟だった。

 頬は痩せ、唇は乾き、目は虚ろ。

「なぜだ」カイの声が震える。「お前が、影を――」

 弟は口を開いたが、声は出なかった。ほんのわずかに喉が鳴り、空気の擦れる音が漏れるだけ。

 “声を持たない”。


 老人が一歩進み出る。「理由は後だ。今、問うべきは“もう一匹”だ」

 カイが顔を上げ、はっとする。

 そうだ。鐘を鳴らす工夫、庇の金具、割り板、吊台の印。弟ひとりでは届かない場所がある。

 “導く者”がいる。

 レナを踵で疑わせ、群衆の数え癖を利用し、紙片で揺さぶる“声を持つ”者が。


 白布が、もう一枚、裂けた。

 吊台の反対側。

 ミナが振り返り、俺の袖を強く引いた。

 俺は咄嗟に彼女を抱え、身を伏せる。

 月が厚い雲に入り、広場が闇に沈む。

 次の瞬間、笛が――四度――鳴った。

 集まれ、の合図。

 だが、笛を吹く青年は、墓地の門で倒れていた。喉に浅い切り傷。命はあるが“声”が出ない。


 ――“声を持つ”者が、声を奪った。

 鐘は鳴らなかった。それでも、印は――十七。

 夜の終わり、吊台に刻まれていた。


 祈りの家の扉に、黒い粉で文字が描かれていた。

 ――「次は“数える者”」

 老人が震える指で杖を握り直す。

 俺はミナの肩を抱き、カイの弟から目を離さず、心の中でひとつ数え、ふたつ数え、みっつ――数を刻んだ。

 もう、鐘ではない。

 俺たち自身の心臓で、数える。


 影は、まだ終わらない。

 だが、輪郭は見えた。“声を持たない影”と、“声を奪う導き手”。

 次は、“数える者”が狙われる。

 なら――俺が、“数え”をやめるわけにはいかない。


 夜が明ける。

 塔の影が縮み、祈りの家の扉に描かれた粉の文字が、日差しで淡く散る。

 印は十七。

 俺は指を一本折り、静かに息を吐いた。

 次の投票までに、もうひとつ――影より先に、数を刻む。

 “声を持たない影”に、俺の声をぶつけるために。

 そして、“声を奪う導き手”の喉元へ、迷いなく。

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