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異世界転生したら処刑投票の村でした〜死に戻りを繰り返して人狼ゲームを勝ち抜く〜  作者: しげみち みり


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第5話「再投票、黒い踵と誰もいない夜」

 鐘の音が、青い空を割った。

 広場に集まる足音は、いつも通りで、しかし重い。昨夜の血の匂いが、乾いてもなお石の目に残っているのだろう。誰もが深く息を吸い、吐き出すたびに、見えない膜が一枚ずつ剥がれていくような気がした。


 俺は輪の外から中へ歩いた。カイが槍で制しようとする。だが彼の手首は、昨日よりもわずかに下に落ちていた。迷い――それは微かな救いだった。


「再投票だ」

 老人が杖を石畳に打つ。澄んだ音が広場を貫き、影がゆっくりと長くなる。

「掟に従い、多数を得た者を処刑する。疑いは恐怖を呼び、恐怖は判断を濁らせる。――だからこそ、事実を述べよ」


 レナは編み上げた髪を肩の上で弄び、薄く笑った。「また同じ話で飽きないのかしら。よそ者を吊る。それで終わりでしょ?」

 ドルンが「そ、そうだ」と合いの手を入れ、エダは「御心のままに」と祈りの文句を混ぜる。

 痩せた青年は黙して無言、寡黙な老婆は目を伏せたまま微動だにしない。ミナだけが、俺のほうを真っ直ぐ見ている。その瞳のなかだけ、濁りがなかった。


「事実から始めよう」

 俺は声を張る。「昨日、塔の庇から見つかったのは真鍮の輪と短い歯だ。鐘の引き金だ。誰かが触れた痕跡は油で、煤が混じっていた。――鐘の油の匂いは台所の油と違う。鯨脂を煮詰めた重たい匂いだ。嗅げば分かる」


「わたしは料理の油で煤けただけよ」

 レナは肩をすくめる。「暖炉の掃除もしたし、煙突だって詰まる季節。煤ぐらい誰にだって――」


「踵だ」俺は言った。「足裏全体じゃない。踵の縁だけ。昨日も言った。広場の外へ回り込んだ足跡は一人分で、踵にだけ濃く付着していた。塔へ上る石段は手すりが煤けていて、足場は乾いている。手を汚さず、踵で静かに重心を支えたなら――」


 レナの笑みが、ほんの一瞬だけ、張り紙の端のように浮いた。

 カイが目を細める。「匂いは、確かに違う。鐘を上げ下げするときに使う油の匂い……俺は知っている」

「どうして?」ミナが首を傾げた。

「父が鐘守だった」カイは短く答えた。「季節の始まり、油を差すのはいつも俺の仕事だった」


 老人が視線をゆっくり巡らせる。「ほかに“事実”はあるか」


「ある」

 俺は吊台を指した。「ミナが見つけた印。円の外縁に均等に刻まれた切れ目。昨日は十。――今朝は、十一だ」


 ざわ、と一斉に顔が吊台に向く。

 確かに、薄い白痕が新しく一本増えている。刃物でなぞったばかりのように、木目が若く露出していた。


「誰が刻んだ」

 老人の問いに、誰も応えない。

 レナが鼻で笑う。「よそ者が夜中に刻んだのかもね。吊られるための目印を増やして、誰かの心を煽るために」


「俺にはできない」

 喉の奥がひりついた。幾度も縄を受けた場所を、体が記憶している。「俺は夜を知らない。死んでいるからだ。――だが、君は知っているだろう? 夜の音、夜の匂い、夜の足音を」


 レナの目が細くなった。

 そこへ、寡黙な老婆が、乾いた声で短く言った。「笛」

 全員が振り向く。老婆は皺の間から斜めに広場を指した。「夜半、笛の音……聞いた」


 痩せた青年の肩がびくりと跳ねた。彼の腰にはいつも細い笛が差してある。羊飼いの子だと誰かが言っていたのを思い出す。

 青年は口を開閉させ、声を押し出した。「し、習慣だ。夜目覚めると、音を確かめる。群れが落ち着くように、短く、ひと節だけ……」


 ミナが俺の袖を小さく引く。囁きが耳元に触れた。「昨夜も、少しだけ聞こえた。怖かったから、胸の中で数を数えたの。――十、十一、十二……笛は三つ鳴って、止まった」


 数。切れ目。鐘の部品。踵。

 ばらばらの歯車が、ゆっくりと噛み合いはじめる感覚があった。


「靴の底を見せてくれないか」

 俺は言う。「全員。踵の縁の汚れと、爪先の泥。場所が違えば、通った道が違う」


「侮辱だわ」レナは吐き捨てる。「女の靴を人前で――」

「命が懸かっている」カイが静かに遮った。槍の穂がわずかに傾き、広場の空気が引き締まる。「見せろ」


 レナは舌打ちし、渋々足を差し出した。踵の縁――黒い。だが足裏の中央は綺麗だ。

 ドルンは泥が全体にべったり。エダはほとんど汚れていない。老婆は薄い灰が全体に、痩せ青年は草の汁で緑がかっている。カイは軍靴で、爪先に土。ミナは薄い革靴に細かな砂。


 老人が俺に視線で促す。

「踵の黒、そして鐘の油の匂い……」俺はレナの靴に顔を近づけ、小さく嗅いだ。喉の奥に重たい匂いが降りてくる。「――これだ」


 レナは笑う。「だからなに? 鐘なんて誰でも触れる。鐘守の家の倉にだって、油はある」

「では、鐘守の家に案内できるな」カイが低く言う。「俺は今、倉を封じている。鍵はここにある。――昨夜、封を破られた形跡はない」


 レナの瞼が一瞬泳いだ。

 その一滴の揺れが、石の輪に波紋のように広がっていく。


「投票だ」

 老人の一言で、空気が重く沈む。

「名と、理由を。――事実を示せ」


 ドルンが早口で俺を指差す。「よそ者! 理屈をこねて村を乱した!」

 エダは胸に手を当てる。「私は……レナ。鐘の油。匂いは嘘をつかない」

 寡黙な老婆は遅れて、やはりレナ。痩せ青年は俺。

 カイは長く黙し、「レナ」と言った。

 ミナはためらわない。「レナ。踵。印。全部つながってる」

 老人は最後に、深く目を閉じ、言葉を落とす。「レナ」


 数え上げられる名。

 多数は――レナだった。


「本日の処刑は、レナ」

 老人が告げると、レナは肩をすくめた。「やっと踊りが終わるのね。ずいぶん下手な指揮者だったもの」


 縄が用意される。

 俺は無意識に喉を押さえていた。ミナが気づいて手を握ってくる。温度が、皮膚に現実を戻す。


「最後に言いたいことは」カイが問う。

 レナは薄く笑った。「印の数は、いつも“ひとつ多い”。――それが意味するのは、あなたたちの誰も、数を正しく数えていないってこと」

「どういう意味だ」

「今日も、明日も、あなたたちは“ひとつ余分な影”と一緒に数を数える。影は、決して投票しない癖に、数に入っているのよ」

 意味の分からない捨て台詞のようで、しかし胸の奥に冷たい指を入れられたような違和感を残す言葉だった。


 レナの足台が外れ、縄が鳴った。

 石畳に落ちる影は、ほんの一瞬だけ、塔の影と重なった。鐘は鳴らない。風の音だけが、広場を撫でていく。



 夜。

 俺は“初めての夜”を生きた。

 レナが処刑され、俺は吊られずに夜を迎えた。死に戻らない夜は、音がひどく多い。革のきしみ、木壁を這う風、遠くの獣の息、誰かの寝返り、祈りが途切れる拍――。


 ミナの家の前で見張りをしながら、俺は吊台の印を懐の紙片に写していった。十、十一、十二――。ふと、数が合わない気がして、鼻梁を指で押さえる。

 ――“ひとつ多い”。

 レナの言葉が耳の奥で反芻する。

 実際の生者の数と、広場に集まっている“影の数”。俺たちは、ずっと誰かを“数に入れて”きたのか?


 遠く、低い笛が鳴った。

 短く、ひと節。静寂。もうひと節。

 羊飼いの笛。痩せた青年。

 俺は立ち上がり、闇に目を凝らした。石壁の縁、屋根の稜線、塔の庇。何も動かない。だが、音は確かに移動している。……北の畑のほうだ。


 そのとき、背後で誰かの小走りがした。

「リク!」

 ミナだ。肩で息をし、言葉を継ぐ。「ドルンの家、灯りが――」


 俺は駆け出した。

 ドルンの家は広場の裏手、薪小屋の影になっている。窓から光が洩れ、戸が激しく打たれていた。中から押し込められているように、内側から。

「ドルン!」扉を叩く。「開けろ!」

 返事はない。代わりに、低い唸りのような、喉の奥で絞る音が聞こえた。


 肩で戸をぶつ。きしみ。二度、三度。蝶番が悲鳴を上げて、ようやく枠から外れた。

 鼻を刺す血と脂の匂い。

 室内は荒らされ、ドルンは机と戸の間に身を差し込むように倒れていた。喉元に深い歯形。体を盾にして、何かを入れまいとしていたのだ。


「間に合わなかった……」

 ミナの声が震える。俺は周囲に目を走らせた。床に、泥――いや、泥ではない。灰と油が混じった黒。踵の形はない。爪先で引っ掻いたような筋が、壁から天井へ、そして梁へ。


「屋根だ」

 俺は顔を上げた。梁に、縄の繊維が擦れた細い痕。窓枠の内側にも、同じ痕がある。

 外から来たのではない。――上から、降りた。

 塔から張られた綱? 鐘の綱? あるいは、屋根伝いに跳ぶ何か。狼が人の姿を取るのか、人が狼に変わるのか、今は分からない。ただ、扉に楔を打ち込んでいても無駄だったという事実だけが残る。


 ミナが、炉の脇で何かを拾い上げた。「これ……」

 手のひら大の金属片。真鍮の板に短い歯が並び、端には穴。昨朝の部品に似ているが、歯の並びが違う。

「鐘の引き金の別の部品だ」俺は指で歯を数えた。「この歯の数……吊台の切れ目と同じだ」


 彼女の肩が震えた。「誰かが、わざと見せているの?」

「俺たちに“数”を意識させたいのかもしれない」

 ――また、数。

 頭の中で、誰かの顔と誰かの名が、鏡合わせのように重なっては剥がれる。


「カイを呼んでくる」

 ミナが外へ飛び出した。俺はドルンの遺体に布をかけ、窓枠の痕を紙に写す。指でなぞると、繊維のささくれが触れた。塔の綱と同じ感触――カイの手に残る古い傷の上に、俺の記憶が重なる。


 不意に、背後の暗がりで何かが動いた。

 反射的に身をひねる。

 闇のなかから現れたのは、痩せた青年――笛を握り、蒼白な顔で。

「お、俺じゃない!」彼は両手を挙げる。「笛は……癖なんだ。羊を数えるとき、音を合わせる。昨夜も――」

「お前の靴」俺は指さした。「爪先に泥、踵は薄い。畑を歩く足だ。けれど、ここに残った痕は爪先の引っ掻き――お前のものとは違う」


 青年の膝が抜けて、その場に座り込んだ。「……怖かった。音を鳴らすと、群れが落ち着くから。俺も、落ち着くんだ」


 俺は息を吐く。

 彼は“影”ではない。少なくとも、今は。

 影――レナの言葉が、また胸の奥で黒く蠢く。“ひとつ多い影”。投票しないのに数に入っている影。見えているのに、誰も触れられない影。


 誰だ。

 俺たちは、誰を“いるもの”として数えている。



 夜が明ける前、カイが駆けつけ、老人、エダ、老婆も続いた。ドルンの遺体を前に、皆の顔が硬くなる。

「これで三人」老人が低く言った。「木こり、火傷の女、ドルン。――レナを処したが、夜は終わらぬ」

「レナは狼ではなかったのか」エダの声は掠れている。

 カイは真鍮の部品を手に取り、歯の数を数え、吊台の印と見比べた。「一致する。誰かが、意図して“数”を置いている」


 俺は口を開いた。「影の話を聞いてくれ。レナが言った。“ひとつ多い”と。――俺たちは、いつも誰かを数に入れているのに、そいつは投票しない」

「亡霊の話か」老人が眉を上げる。

「違う。もっと物理的だ。例えば――塔だ」

 皆の視線が塔へ向く。

「鐘が鳴ると、俺たちは集まる。鐘が“ひとつ”余計に鳴ったら? あるいは、途中で短い合図を忍ばせたら? ――俺たちは無意識に数を合わせてしまう。そこに“ひとつ多いもの”が紛れ込む」


 カイの表情が変わった。「鳴らし方……」

「昨朝、部品が外れていた。今日、別の部品がここにあった。誰かが鐘の仕組みをいじって、俺たちの“数える癖”を逸らしている。印は十のはずが十一。俺たちは十人のつもりで十一の呼吸をしている」


 寡黙な老婆が、珍しく口を開く。「なら、影は――鐘の側にいる」

 老人の目に、初めて深い警戒の色が宿った。「鐘守の倉は封印してあると言ったな、カイ」

「ああ」

「ならば、封が破られる瞬間を見張るべきだ。今夜。皆で」


 俺は頷いた。ミナが隣で拳を握る。エダは十字を切り、痩せた青年は笛を胸に抱えた。


 空が白み始める。

 鐘はまだ鳴らない。

 しかし俺たちの鼓動は、もう鐘の代わりになっていた。数、数、数――この村の呼吸が、誰かに刻まれている。

 それを断ち切る。今度こそ。



 朝。

 広場に再び集まったとき、塔の庇に、小さな包みが結わえ付けられているのをカイが見つけた。縄は新しい。封は蝋で、刻印が押されている。

 老人が受け取り、蝋を割る。中には、小さな紙片が一枚。

 そこに書かれていたのは、ただ一行。


 ――「次は祈りの家」


 エダの顔から血の気が引く。

 祈りの家。教会。鐘の下。

 影は、そこで待つというのか。


 紙片の裏には黒い粉が薄く付着していた。指にこすりつけると、べたつく重さが残る。鐘の油と煤。

 俺は紙片を握りしめ、空を見上げる。塔の庇の影が、道の上に落ち、俺たちの影と重なった。


 ――ひとつ、多い。

 影の数が、確かに“ひとつ多い”。


 ミナが小さく俺の袖を引く。「怖い?」

「怖いよ」正直に言った。「でも、次は俺は死なない。――死ぬにしても、“場所”を選ぶ」


 カイが槍を握り直し、短く頷く。「今夜、鐘が鳴る前に、祈りの家を囲む。封も、屋根も、庇も、梁も、綱も。全部、俺が見る」

 老人は杖を掲げる。「掟は命を護るためにある。掟の上に鐘はない。鐘の上に神もいない。――今日からは、掟よりも事実で動く」


 エダが震える唇で祈りをやめた。「……分かった」


 俺は吊台の印を見た。

 昨日は十一。今、十二。

 気づかぬ間に刻まれている。それでも、もう驚かない。数が増えるなら、こちらも数を増やすまでだ。手、目、耳、息――生者の数を。

 レナはもういない。だが、彼女の言葉は残った。

 “影はいつもひとつ多い”。


 なら、俺は――ひとつ多い“生”をここに置く。

 死に戻りの命で、影のぶんを踏む。


 鐘はまだ、鳴らない。

 それでも、村のどこかで、数を刻む音が小さく始まっている。

 俺は深く息を吸い込み、吐き出した。

 今夜、祈りの家で、俺たちは“影”と対面する。

 投票のための鐘は鳴らさせない。

 鳴るのは――俺たちの心臓だ。


 そして、誰もいない夜は終わる。

 必ず。


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