第4話「血の痕、沈黙の影」
四度目の朝が来た。
石畳の冷たさも、鐘の音も、村人たちの顔も、何もかもが繰り返しだ。けれど俺だけは違う。三度も死に戻り、ようやく一つの真理を掴んだ。――この村に潜む狼は、一匹じゃない。
木こりの死体。胸を噛み砕かれたあの惨状は、俺を嘲るように蘇る。
そして俺は気づいた。処刑の票を集めて俺を吊っても、夜には別の犠牲が出る。つまり、村人の中に狼が潜んでいるのだ。
広場の輪に立ちながら、俺は声を張った。
「聞いてくれ! 俺が何度も吊られても終わらなかった。それが証拠だ。狼は、この中にいる!」
人々の視線が突き刺さる。レナは薄笑いを浮かべ、ドルンは怯えて汗を拭い、エダは震える指で十字を切った。
だが、その中で――ミナの瞳だけは揺るがなかった。
「リクの言葉を、私は信じる」
その声が、広場の空気を裂いた。
◆
投票の結果は、やはり俺に偏った。
カイは「証拠がない」と冷徹に言い、ドルンは恐怖に駆られて俺を指し、老婆は掟を理由に俺を拒んだ。
だが、ミナと火傷の女がレナに票を入れたことで、均衡は少しずつ揺らぎ始めている。
俺は縄にかけられるたびに確信する。
――次がある。
何度でもやり直せる。
だからこそ、一つでも多くの「手掛かり」を残さなければ。
その夜、俺は再び処刑された。
だが、死の直前に叫んだ言葉は確かに残ったはずだ。
「塔の部品を仕掛けたのは、狼だ!」
視界が黒に沈み、意識が途切れる。
◆
五度目の朝。
石畳の冷たさに目を覚ました俺は、すぐに辺りを見回した。
鐘の音。集まる人々。
だが――一人、姿がなかった。
火傷の女だ。
昨日、俺と同じ方向に票を投じた、数少ない味方の一人。
彼女の家の扉は開いていた。広場に駆けつけた村人たちの叫びが響く。
「中に……血が……!」
俺は駆け込んだ。
石床に、赤黒い血溜まり。家具が引き倒され、壁には爪痕。
火傷の女の体は無惨に裂かれ、冷たい目が天井を見つめていた。
村人たちの間に恐怖と疑念が走る。
「昨夜、処刑したのは狼じゃなかった!」
「まだいるんだ……」
老人が杖を突いて言う。「狼は複数いる。そうでなければ、説明がつかぬ」
俺は拳を握った。
――やはり、そうだ。
だが、犠牲が出るたびに、味方が削られていく。俺は焦りを覚えた。
◆
その夜、俺は決意を固めていた。
もう「ただ吊られて終わる」わけにはいかない。
次の投票で、必ず「流れ」を変える。
俺はミナに声をかけた。「君だけが、俺を信じてくれた。理由を教えてくれないか」
ミナは一瞬、躊躇い、唇を噛んだあとに答えた。
「夢を見たの。あなたが死んで、鐘が鳴って、また広場に立っている夢。何度も……」
俺は息を呑んだ。やはり、ミナも「ループの残滓」を見ている。
だからこそ、彼女は信じてくれるのだ。
――仲間がいる。
「でも、私だけじゃ足りない」ミナは震えながらも言った。「カイも、きっと心のどこかで迷ってる。あの人を動かせれば……」
俺は頷いた。カイの冷徹さの奥に、一瞬の迷いを何度も見てきた。それをどうにかして揺さぶる必要がある。
◆
翌日の投票。
俺は強く言った。「火傷の女を殺したのは、昨夜吊られなかった誰かだ! そして、レナは疑いを逸らすために笑っている!」
レナが目を細める。「証拠は?」
「証拠は……俺自身だ。何度も死に、何度も見てきた。狼は一匹じゃない。君の足跡、塔の部品、吊台の印――全部つながってる!」
広場が揺れる。
ミナが強く頷く。「私はリクに従う!」
カイの目が俺を射抜く。彼の槍はまだ俺に向いている。だが、その瞳にはわずかな迷いが生まれていた。
ドルンは額に汗を浮かべ、「よそ者は危険だ」と繰り返す。エダは「神の御心」と唱えるばかり。
だが、昨日と同じ言葉の裏に、動揺が混じり始めていた。
◆
投票は拮抗した。
俺とレナ、票は半々。
老人が杖を鳴らす。「再投票だ。掟は決して揺らがぬ」
その瞬間、レナがにやりと笑った。
「いいじゃない。またよそ者を吊れば済む話。掟に従えば間違いない」
俺は息を吸い、叫んだ。「いや! 掟に従って俺を吊れば、また犠牲が出る! 昨日の火傷の女のように!」
その名を出した瞬間、広場に重苦しい沈黙が落ちた。
血の痕。爪痕。裂かれた体。
誰もが、それを思い出していた。
レナの笑みがかすかに揺らぐ。
カイの手が、槍の柄を握り直す。
ドルンが額に浮いた汗を拭い、エダが震える声で祈りを繰り返す。
――沈黙の影が、人々の心に広がっていく。
まだだ。
この村は、まだ狼に支配されている。
そして俺は、必ずその牙を暴き出す。




