第19話「孤立する拍、俺の鼓動」
夜半、俺はひとりで目を覚ました。
静けさは不自然なほど深く、虫の声すら聞こえない。
胸に手を当てる。
――ドン。
確かに鼓動はある。
だが、その裏に、もうひとつの鼓動が忍び寄っていた。
遅れて、柔らかく、影のように。
囁きが俺の命を模倣し始めている。
「……ついに来たか」
呟いた声は自分のもののはずなのに、耳に届いた瞬間、影が真似をして返す。
「……ついに来たか」
まるで二人の俺が同時に喋っているようだった。
◆
翌朝、広場に出ると、村人たちの視線が一斉に俺に注がれた。
ミナが青ざめた顔で駆け寄る。
「リク……顔色が」
「大丈夫だ」
強がって言うと、また影が同じ声で繰り返す。
「大丈夫だ」
周囲の者たちは凍りついた。
老婆が杖を突きながら近寄り、目を細めた。
「もう囁きに半分食われてる。声じゃない、拍のほうだよ」
ヨルグが唇を噛みしめた。
「放っておけば、命ごと奪われる」
「じゃあ、どうすればいいんだ」俺は叫んだ。
その叫びも、影が真似して返す。
「どうすればいいんだ」
輪の中に俺が二人いる。
◆
老人が杖を鳴らした。
「合声では守れぬ。鼓動は一人のものだからだ。……リク、自分で決着をつけろ」
「どうやって?」
「孤立するしかない。輪から出て、影と一対一で拍を競え。おまえの鼓動が本物なら、影は耐えられぬ」
広場に沈黙が落ちる。
孤立――それは守りを捨てることだった。
誰も声を重ねてくれない。
鼓動が乱れれば、そのまま死ぬ。
ミナが泣きながら首を振った。
「駄目だよ、リク。孤立なんて……!」
だが俺は彼女の手を握り、微笑んだ。
「大丈夫。これは俺の戦いだ。声も鼓動も、俺が守る」
◆
夜、吊台の前にひとり立った。
村人たちは輪を作らず、遠くから見守るだけ。
俺と影の二つの拍が、静寂の中で重なっていた。
――ドン。
俺の鼓動。
――ドン。
遅れて影の鼓動。
やがて影は先に出始めた。
――ドン、ドン。
俺を追い越し、俺の心臓を操ろうとする。
喉が焼け、視界が揺らぐ。
倒れそうになる俺を、影の声が嘲る。
「ひとつ多い」
「ひとつ多い」
同じ言葉が幾重にも反響する。
◆
俺は拳を握り、胸を叩いた。
返拍――声の時と同じだ。
だが、鼓動を逆に打つのは死と隣り合わせ。
頭がくらみ、血が逆流する。
「リク!」ミナの悲鳴が遠くから聞こえた。
「やめろ!」ヨルグが叫ぶ。
だが俺は続けた。
――ドン! ドン!
影の鼓動をずらす。
俺の心臓は苦しみ、体が痙攣する。
だが影の拍も乱れていった。
「……俺の鼓動は、俺のものだ!」
叫びは掠れ、血の味がした。
だが、その瞬間。
影の鼓動が崩れ、輪郭を失った。
◆
俺は地に倒れた。
胸は激しく波打ち、呼吸は荒い。
だが、鼓動は戻っている。
影の真似声はもう響かない。
村人たちが駆け寄り、ミナが泣きながら抱きしめた。
「生きてる……リク、生きてる!」
ヨルグは深く息を吐き、老人は杖を突いて頷いた。
「よくやった。孤立を乗り越えた者の拍は、もう奪えぬ」
だが俺は知っていた。
影は消えていない。
ただ、次の狙いを変えただけだ。
耳の奥で、かすかな声がした。
――「俺だけを狙っても意味がない。次は……村すべてだ」




