1、昔から世界の流行りに疎い日本
縁の下の天下の分け目、丁未の乱についてなんとなぁく簡単にテキトーに分かるお話。
物部守屋ファンが書く手抜き歴史書です。
そして諸説ありありです。
主な登場人物
親世代
・欽明天皇…廃仏派と崇仏派の板挟み
・物部尾輿…松永久秀、織田信長の大先輩
・蘇我稲目…俺は止めたよ!?止めたからね!?
子世代
・敏達天皇…頼むから葬式で喧嘩すんな
・用明天皇…えぇ…子世代癖強すぎん?
・物部守屋…大先輩2号、善光寺のきっかけ
・蘇我馬子…息子がやらかした苦労人
・推古天皇…ごめん厩戸、巻き込んじゃった
ゲスト
・聖徳太子…ええで
昔々、それはもう本当に大昔。西暦587年に起こってしまった現在の日本の基礎を作る様な乱が起きてしまった。
それと言うのもその乱の名前とは教科書に載り、かの有名な聖徳太子や推古天皇、蘇我馬子を語るには必要不可欠な重要な乱であり、学校の教師方がどんな捉え方をしているのかは測りかねないが、少なくともあの乱が起こらない限りは今の日本は無いも同然で最初の天下の分け目と言っても過言では無いからである。自論だけど。
丁未の乱、という乱を皆さんは覚えているだろうか?今回はその縁の下の天下の分け目の乱を分かりやすく語ろうと思います。
これはまず、丁未の乱に至るまでの長いようで短いような、あっという間な出来事。
大昔、丁未の乱の台風の目である物部守屋と蘇我馬子、事の始まりはその親の代。
「大王よ、我らには既に八百万の神々がいるのです、貴方の身や我らの身もその神の血は引かれている。何故異国の異神など今更受け入れるのですか!?」
当時の物部氏の代表──物部尾輿
「大王よ、現在仏教とは我らがこの国以外では当たり前のように流行しておりこの気を逃してしまうと外交に支障が出てしまいます。今や宗教とは政治であると、ご存知ではありませんか!!」
当時の蘇我氏の代表──蘇我稲目
日本に漸く仏教がやってきたのである。
当代、欽明天皇の時代、552年に日本についに仏教が到来した。
当時の世界において宗教とは政治であり統率であり支配であり戦争だった。その使い方や在り方は現代にも続くほど、私達人間には宗教とは切っても切り離せない深いもの。
古墳時代の人間からしてみると仏教とは日本以外では流行りに流行り、寧ろ仏教を取り入れていない国の方が少ないと言われるほど流行った。流石は世界三大宗教。
実は世界三大宗教の中で一番お年寄りなのが仏教なのである。
当時の日本は流行に乗り遅れたブラウン管テレビの様になっていて、当時の天皇は後ろめたさを感じていた。
物部氏はもとより物部神道という独自の宗教を持っており、この時代にできた色んな神道は所謂言い伝えや伝承などに通ずるもので、神社の元手がここから来ている。
物部尾輿の言い分もわかるが、流行に遅れてしまい外交が上手くいかなくなるのも確かだ。
「…ただでさえ我々は他国より遅れていて、排他的な姿勢を取ってきていた。我とて仏教など信用してはおらぬが国としての体裁がある。」
「ッ…しかし、異教の神を受け入れるなど…天罰が降るやもしれないのですよ!?」
「だろうな、だが我々は人間で仏教を運んできた存在は神でも我らの神の導きでもあるまい、人間だ。」
「尾輿よ…お主の気持ちもわかるがこればかりは仕方がないのだ。吾とて完全には仏教なぞ信用しとらん。
しかし国とは人だ、分かっているだろう。」
「そんな…分かりたくなどない、知りたくなどない!」
この日以降、二世代続く廃仏派VS崇仏派の大人気ない抗争が始まることとなる。
抗争の内容は国どころか全世界の今後を左右するとても大事な内容なのだが、如何せん当の本人達である物部親子と蘇我親子の性格が少々大人気なく、そう言わざる負えないのだ。
あとこの時の天皇様は欽明天皇であり、後に大きな影響を及ぼす判断を下す。
そしてシレッとそんな大人気ない大人達をみて育ってきたのが後の推古天皇である額田部皇女と聖徳太子である厩戸皇子だ。