8.両片思いが動きだす⑻
じれったい。もどかしすぎる。
ママはいつまで溝口さんと今の関係を続けるつもりなの?
私が独り立ちして子供の心配がなくなるまで? この4年間、物理的な距離感はほとんど縮まらなかったってのに?
これってあれじゃないの。
ずっと先、それこそ何十年も経ったあとでママが年取って死ぬ間際に人生を振り返ったときに「溝口さんとお付き合いしたかったな」って後悔するパターン。
今だって溝口さんに交際相手が現れることに、本当は怯えているくせに。溝口さんの気持ちを知ったら、そんな不安は杞憂なんだってわかるのに。
二人が両片想いだと知っている身としては、ママたちを見守るしかない状況がとても歯痒くて仕方がない。
そんなことを昼休みに美奈子にグチると、彼女からは氷のように冷たい眼差しがが返された。
「それは私じゃなくて、あんたのママに直接言いなさいよ」
「マ……ママにこんなことはっきり言えるわけないよ」
「あーはいはい。結局は似たもの親子なのね」
言われてちょっとムッとする。
私は好きな人ができたら4年間も見ているだけで満足するなんてことはない。多分……きっと。
私と美奈子は体育館横の日陰に並んでお弁当を食べていた。ここならひと気がないから思う存分ナイショ話ができる。
「不満そうだけど、大好きな人に対して臆病になってるところは、あんたも凛ママも同じでしょ」
追撃されてぐうの音も出なくなる。
くそう、事情が話せる人ができて喜んでいたってのに、なんてドライな友人なのよ。
でもまあ美奈子のそういうところが好きだったりするんだけど。
「せっかく溝口先輩の思いも聞けてホッとしたのに、これからもママの進展がない恋バナを聞かされ続けるって……そんなのないよ」
「嫌なら鬱陶しいからやめてって言えばいいじゃない。それか高校卒業したら家出るとか。4年も耐えられたなら、あと2年の我慢って思えば聞き流せるでしょ」
「恋バナが嫌なんじゃないの! ただもうちょっと変化が欲しいっていうか、………………なんか言ってて自分が嫌になってきた。ごめん、忘れて……」
自分の望むシナリオにママを乗せて動かそうだなんて、傲慢にもほどがある。
「ママにはママのペースがあるよね。……口を挟むのはただのお節介だって、わかってるつもりだったんだけど……」
急にシュンとした私の横で美奈子が肩をすくめる。
「浮き沈みが激しいわね。まあ凛の気持ちもわからくもないけど。……そうねえ…………」
お弁当を食べ終えた美奈子は空を見上げて考え込む。
「もう少し視野を広げて、ママにばかり注目せずに考えてみたらどうかしら。……例えば、どうして溝口先輩は凛に自分の気持ちを話そうと思ったのか、とか」
「……ママや私に、自分のことで遠慮はいらないって伝えるため?」
「そうね。でも、それだけじゃないかもしれない」
「というと?」
難しい顔をしていた美奈子がはっと目を見開いた。そして次第にその表情が楽しげなものに変わっていく。
そうしてとびきりの笑顔を私に向けて、ずいと至近距離に顔を近づけた。
「ねえ、ちょっとだけ私に遊ばれてみない? 悪いようにはしないってことだけ保証するわ」
「ぐ……、具体的に何をするのかと、予想される結果の説明を要求させてください」
「あんたは何もしなくていいわ、私が勝手に動くから。結果はそうねぇ……」
「いや、だったら美奈子が何をするのかを教えてよ」
私の訴えを無視して、美人な友人は楽しげに、ほれぼれするほど綺麗に笑って口を開く。
「上手くいけば、あんたにはそのもだもだを心置きなく共有できる仲間ができるわ」
じれじれの状況に、一緒になってもだもだしてくれる人。美奈子が名前をあげなくても関係者の少なさから心当たりが一人に絞られてしまった。
該当者はどう考えても溝口先輩だ。
「いや、いやいやいや、無理でしょ。学校で溝口先輩と話すなんてできないよ」
前回ほんの数分溝口先輩と一緒にいただけでクラスメイトにからかわれたってのに。
また目撃情報が上がったとなれば、今度はどこの誰に何を言われるかわかったものじゃない。
「噂好きに餌をやるようなヘマはしないわ。余計な人たちには知られずに溝口先輩と心置きなく話せる環境を用意してあげるって言ってるのよ。怯まず乗っかっておきなさい」
「ちなみに、どうやるのか聞いてもいい?」
「なんてことないわ。私の繋がりを駆使するだけよ」
「や、だから具体的に……」
昼休み終了5分前のチャイムが鳴って、私の追及はそこで終わった。
そして迎えた放課後。
私と美奈子は駅から離れた国道沿いのカラオケ店にやってきた。
個室は密談に最適だからと美奈子が待ち合わせ場所に指定したらしいけど、先輩は本当に来てくれるのかな……。そんな心配は私たちがカラオケ店に到着したときに早くも吹っ飛んだ。
店の前には既に溝口先輩と、彼のお友達である鳥元先輩が待ち構えていたのだ。
「……嘘でしょ」
信じられないとばかりに美奈子を見ると、勝ち誇ったようなドヤ顔を返された。
挨拶もそこそこにとにかく話は中に入ってからとなり、4人でカラオケ店の自動ドアをくぐる。
私はカラオケが初めてなので、受付は美奈子たちに任せきりになった。
フルータイムというメニューを選ぼうとした鳥元先輩を横からさえぎった美奈子が「30分でいいです。18時には出ます」と言う。
「えー、せっかくだしもっと遊ぼうよ」
「おまけが何言ってるんですか。凛と溝口先輩の密会をセッティングできた時点で私たちは用済みだってのに」
「うわーミナちゃんが冷たいー」
軽口を言い合う美奈子と鳥元先輩について行くかたちで、私と溝口先輩もカラオケ店の狭い通路を奥へと進む。
溝口先輩とは最初に挨拶をしただけでその後は言葉を交わしていない。彼も私と同様に、美奈子と鳥元先輩の仲を不思議がっているようだった。
指定された部屋に入り、私と美奈子が隣あって座り、向かいのソファに先輩二人が落ち着いた。
美奈子は背もたれに深く腰掛け、あとはお好きにと顎で正面に座る溝口先輩を示した。
「いや、ちょっと待って。せめてどうやって先輩と連絡できたのかだけは教えてよ」
完全な傍観者になろうとしている美奈子に慌てて待ったをかける。
「あんた、時間が限られてること忘れないでよ。ただ私が鳥元先輩と繋がってたから、伝言をお願いしただけよ」
「なにその人脈。いつの間に?」
「1年の時の図書委員会で、図書室の当番が一緒だったのよ。その時に意気投合して、話の流れで連絡先を交換してたの」
「こ、コミュ力お化けがいる」
どんな会話の持っていき方をしたら、委員会の当番が一緒になっただけの先輩とそこまで親しくなれるのか。
「鳥元先輩がいなくなるなら、私も席を外すわ。だけどこの場をセッティングした責任もあるから、男二人いる密室にこの子を残して出ていくわけにはいかないの。わかっていただけるかしら?」
美奈子のはっきりとした意思表示に、溝口先輩は理解を示して軽くうなずく。
「いいよ。その様子だと西森さんの事情も、俺とのことも聞いているんだろうし。気を遣ってくれてありがとう。こいつも、人間のことよく見てるやつだから、意見は参考にできると思う」
「話すの初めてだよね。鳥元 優っていうからよろしく」
「はい。存じ上げています。え、と……西森 凛です」
「知ってる知ってる。ミナちゃんのお友達のモリリン。学校の隠れた人気キャラじゃん」
「…………はい?」
鳥元先輩のノリについていけずたじたじになって、言われた意味がわからずにきょとんとしてしまう。
「気にしなくていいよ。こいつのチャラさは半分計画的なものだから、一緒になってはしゃぐ必要もない。見た目はこれだけど、口の堅さは俺が保証する」
「多少の鬱陶しさはあるけど、鳥元先輩は引き際は弁えているわ」
「えー、そういうこと言っちゃうんだ」
大げさに不貞腐れた態度を取る鳥元先輩にも美奈子は冷たい。
「空気が読めて人に好かれるチャラ男だって褒めてるんです。っていうかそういうところが鬱陶しいんですよ。」
「いやいやチャラ男のキャラ付けで好感度高く保つのって結構大変だなんよ? 人の不幸を話のネタにしたらすぐにクズ認定受けるのわかってるし。人をイジる限度も弁えて、俺って結構周りに気を遣って生きてんだよ」
「び、ビジネス陽キャ……」
「あははっ、その言い方すっごいウケる! けど今日の主題はこっちじゃないっしょ。俺には構わずモリリンとキョーヤでお話しどうぞ」
ケタケタと笑いながらも鳥元先輩は話の方向性を戻してくれた。
そうか美奈子は先輩のこういうところを言ってるんだと感心しつつも、私の呼び方はモリリンで決定されたのかとちょっと複雑な気分を味わった。
しかしせっかく美奈子が作ってくれた機会を無駄にするわけにはいかない。膝の上に置いたこぶしをぎゅっと強く握り、覚悟を決めて溝口先輩へと顔を向けた。
「お呼び出ししてすみません。溝口先輩がママたちのことに反対してないって知ったら、今の状態がずっと続くことが前以上にもどかしくなっちゃって……」
「いいよ。俺も可能ならゆっくり話したいと思ってたから。ヤキモキしてるのが自分だけじゃないと知れて、正直ほっとした」
あ、先輩もなんだ。
共感できたことによって安心が込み上げ、私と先輩は同じタイミングでため息をついた。
「すみません。せっかく認めてくださってるのにうちのママがおよび腰で。本当に、家では溝口さんのことばっかり話してるんですけど」
「いや、うちの親父がむっつりなのが悪い。態度でモロバレなのに、未だに俺にも気づかれてないと思ってるからな。あれでいて頑固な面もあるから、下手に口出ししてヘソを曲げられても厄介だし……」
「参考までにお聞きしたいんですが、この先私や先輩が就職とかで親元を離れることになって、ママたちの生活環境が変わったら、二人の仲も何かしらの変化が起こると思いますか?」
溝口先輩は俯き気味に思案して、難しい顔で口を開く。
「どうだろう。親父を見てるとあんまり期待できそうにないから、西森さん次第としか」
この「西森さん」はママを示している。ちょっとややこしいなと思いつつ、先輩の答えには苦笑を浮かべるしかできない。
「なんか、ダメっぽいですね……」
そしてまた、ふたりでため息。
早くも手詰まりになって会話が途切れた私たちに、横から鳥元先輩が口を挟んだ。
「話の脈絡からして、キョーヤのお父さんとモリリンのお母さんがお互い好き合ってるってことだよな?」
「……まあな」
「なんだよその面白い状況。つーかキョーヤもモリリンも、よく親の恋愛を受け入れられてるな。まずそこがすごいわ」
「多少は警戒していた時期もあったが、あまりにも進展がなさすぎるままに時間がすぎて、葛藤や反発よりもいい加減にしてくれという思いが強くなったんだよ」
「溝口先輩に同じです」
遠慮がちに片手を挙げると鳥元先輩は「ふーん」と気の抜けた声を出してソファに深く座り直した。
「面白いのは面白いけど、放置が最善じゃね? 親の立場からすれば色恋沙汰にガキが口出しするのが一番鬱陶しいだろ」
「お前この4年もの間、家で西森さんのお母さんと自分が映った写真を眺めて悩ましげにため息を吐く親父に、何も言わずに様子を見続けた俺に対してこれからもそのままいくのが最善だって言いたいのか?」
「4年間、いかに溝口さんが素晴らしい人なのかを毎日母から聞いてきた身としましては、そろそろ二人の仲に進展があってもいいのではと望んでしまうわけですが……これってダメですか……?」
溝口先輩と私の立て続けの問いかけと美奈子の睨みに怯んだ鳥元先輩は、降参とばかりに両手を合わせた。
「ゴメン俺の口出しが一番余計でした。心無い部外者は黙るから続きをどうぞ」
続き、と言われてもなぁ……。
「こんな言い方で申し訳ないけど、親のことで焦れてるのが俺ひとりじゃないって知れただけで、安心した」
「……私も、です」
悩んでるのは私だけじゃなかった。
先輩も、同じことを思っていたと知れたのが今日一番の収穫だ。
「なんか、あと3年はママのことを見守っていけそうな気がしてきました」
「それは……長いね。本当に?」
「すみません。……ちょっと強がりました」
先輩が苦笑したタイミングで壁に掛けられた電話が鳴った。
立ち上がろうとした美奈子を制した鳥元先輩が電話に出て、退室5分前になったと私たちに伝える。
残された時間で私と溝口先輩は連絡先を交換した。
愚痴でも報告でもいいから、親のことで何かがあった時のために。
でもこれはママたちには内緒。自分たちより先に子供が親睦を深めていることを知った二人が、自分の気持ちを遠慮してしまったら嫌だから。
今のところは私も溝口先輩も特に行動を起こすことはない。
ママと溝口さんの成り行きを見守り、進展があればそっと背中を押すということで合意した。
こうして、私と溝口先輩のあいだで、秘密の同盟が結ばれた。