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7.両片思いが動きだす⑺






      ◇  ◇  ◇





翌日の夕方、凛の母・遥子が勤め先である鱈福屋のカウンターに立っていると、仕事帰りの隆則がやってきた。


遥子は隆則の顔をみとめるとすぐに店の奥へ引っ込み、大型冷蔵庫から溝口家専用の日替わりおかずを取り出した。


溝口家の日替わりおかずは食べ盛りの息子のに配慮して、メイン料理の量が父親のぶんよりも少し多めに入っている。これは鱈福屋の店主である加藤の計らいだ。



「今日もお疲れ様です」



遥子の屈託のない笑顔に、隆則の表情も和やかになる。



「お疲れ様です。いつもありがとうございます」



ときめきを胸の内に抑えつつ、日替わりおかずの入ったビニール袋を手渡す。



「今日のポークソテーのソース、加藤さんの自信作なんです。ぜひまた感想を言ってあげてください」


「わかりました。食べるのが楽しみです」



日替わりおかずで好評だった料理はカウンターの量り売りに並ぶことがしばしある。

その中でも特別評判の良いレシピを、加藤は自身の人脈を駆使して飲食店や食品会社に売り込んだりもするので、食べた人の感想はあるだけありがたいのだ。



「そういえば、昨日娘が京也君と学校でお話ししたみたいで」


「そのようですね。息子からうかがっています」



隆則が緊張したことに気づかず、遥子は微笑みながらさらに続ける。



「よくよく考えると、同じ学校に通っていても一年以上顔を合わせなかったのですね。学年が違うと、交流する機会もあまりないのおかしら」


「世間は狭いと言いますが、そういうこともあるのでしょう。息子が西森さんの娘さんに、失礼なことを言ってなければいいのですが……」


「失礼なんてとんでもないです。とても優しい先輩だったと娘も言っていました」



それには隆則もほっとして、思わずといった感じで深く息を吐き出した。



「それはよかった」


「京也君はしっかりされてますから、溝口さんが心配されることなんてありませんよ」


「そう言っていただけると……親として、嬉しいものですね」



穏やかな笑みを浮かべた隆則につられ、遥子の笑みも深まる。

談笑していると、隆則の背後で通行人が立ち止まった。



「長話をしてしまってすみません。こちら、美味しくいただきます」


「とんでもないですっ。またお待ちしておりますね」



隆則は速やかに次の客へと場所を譲り、遥子の前から立ち去った。



「いらっしゃいませっ。どうぞゆっくりご覧になってください」



身を屈めてケースに陳列されたおかずを眺める客へと声をかける。

いつも以上に明るい声音になったことは、陽子自身も自覚していた。







      ◇  ◇  ◇



      ◇  ◇  ◇





一方、隆則はというと——……。鱈福屋を通り過ぎ、道を曲がり、人通りが少なくなったところで間足取りを軽く弾ませていた。


片手にビジネスバッグ、もう片方の手には大切な日替わりおかずをぶら下げているので体を大きく揺らすわけにはいかないが、気分的にはスキップがしたくてたまらない。それぐらいに、彼は浮かれていた。



上機嫌を持ち前の難しい表情で隠しながら帰宅する。

しばらくしたら京也も帰ってきて、いつも通り、ふたりで夕飯の準備に取り掛かった。


互いに向かい合ってテーブルにつき食事をする。今日に限ってやたらと京也が視線を向けてくるのはなぜなのか。



「……何かあった?」


「………………いいや?」



平静を装って否定すれば、息子はそれ以上言及してこなかった。








父が風呂に入っているときを見計らい、京也はテーブルに放置された隆則のスマートフォンをタップした。


隆則は仕事用とプライベート用でスマートフォンを使い分けている。プライベート用とはいえ、アナログを好む父はこれを使ってSNSはおろか読書をしたり、動画やゲームを楽しむこともなかった。

連絡は電話とメールだけで、一番使用しているアプリは鱈福屋の専用アプリだったりする。


このスマートフォンは京也が中学を卒業して自身のスマホを持つまでは隆則と共用で使っていたから、勝手は知っている。


スマートフォンのパスワードは「0623」——京也の誕生日だ。


ホーム画面を起動させ、アルバムを開く。


そこにはさまざまな家電製品や何かの部品の拡大写真など、無機物を写した画像が数枚と……、スクロールを必要としない画面の一番下に唯一、人物の画像が並んでいた。


鱈福屋を背景にして、緊張で硬い表情をした隆則と、エプロン姿ではにかむ遥子が並ぶ写真だ。

アルバムでただひとつお気に入りに設定されているその画像は、4年前からずっとスマートフォンの中にある。


隆則がプライベート用のスマートフォンを操作せずにぼんやりと眺めているときは、この写真を見ているのだと、京也はとっくに気づいていた。


指摘するとへそを曲げそうなのであえて口には出さないが、隆則にとって遥子が特別なのは息子の目から見ても明らかだ。


ホーム画面に戻したスマートフォンを暗転させて、京也は浴室のほうに目を向けた。


今日のあの機嫌の良さからして、おそらく遥子とのあいだで嬉しいことがあったのだろう。


うきうきな態度を周囲に隠し通せていると思っているところが、息子としてはなんとも複雑である。


数年間続く現状に呆れつつ、京也は静かにため息をついた。







      ◇  ◇  ◇









学校に行って、その足で塾に行って、家に帰る。

今日のママは一味違っていた。



「お帰りなさい。凛ちゃん大好きっ!」



玄関を開けるとウッキウキの声が奥から聞こえ、ああ今日は溝口さん関係で良いことがあったんだなと察する。



「ただいま」



苦笑しながら家の中へ。

自室を経由してリビングに行くと、ママは鼻歌を歌いながらキッチンに立っていた。



「ありがとう! 凛ちゃんが京也君のこと教えてくれたおかげで、今日は溝口さんといつもよりたくさんお話しできたの」


「それは、よかったね」



よほど嬉しかったのだろう。満面の笑みではしゃぐママは本当に溝口さんが好きなのだと、改めて実感させられる。



「お腹すいてるわよね。待ってて、すぐに盛り付けるから」



ほかほかのおかずをママから受け取り、テーブルに並べた。



「溝口さんは、私が息子さんと会ったことで、気まずいとか……嫌な顔はしてなかった?」


「全然〜、そんな人じゃないわよ」



ならよかった。

安心して夕飯が並んだ食卓につく。


それにしても、いつも以上に溝口さんと話せたってだけでこんなに喜ぶとか……。これ、この先もっと親密な仲になることがあったら、ママのテンションどうなっちゃうんだろう。



「それだけ親しくしてるんだったら、スマホで繋がったらいいのに」



そう。ママと溝口さんは未だに連絡先の交換すらできていないのだ。



「そんな……恐れ多いこと、ママにはハードルが高すぎるわ」


「いや、普通に聞けば溝口さんならきっと教えてくれるよ。鱈福屋さんのおかずの感想を、自分の料理の参考にしたいから教えてほしいとか……そういう理由なら不自然じゃないと思うけど」



私の提案を想像してみたのか、しばし食べるのを止めて考え込んだママは、やがて顔を赤くして涙目になった。



「そんなのムリよ。連絡が来るのを待っているあいだ、どきどきして何も手につかないわ。いつ溝口さんから連絡が入るかわからないスマホなんて……とてもじゃないけど持てそうにないわ」


「…………そっか」



やっぱり、ママが積極的になるのは難しいか。

こうなると二人の恋の行方は溝口さん頼みなんだけど……、私が溝口さんからのママへのアクションを期待して早数年。結局何も起こらなかったのよねえ。


お互いがお互いのことを好いていて。おそらく一番のネックであろう、両者の子どもも反対していない。


こんな好条件が揃っているのに、どうして二人の関係は進んでくれないのか。


下手に口を出しすぎるのはよくないって、私もわかっている。


だけどね、こうして毎日ママがいかに溝口さんのことが大好きかを聞いていると……さすがに、ほんの少しでいいから進展がほしいって思っちゃうのよ。





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