65.最終話⑸
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「被害妄想が妄想じゃなかったパターンって、けっこう珍しいもんね。モリリンがそこに辿り着けなくても無理はないよ。ミナちゃんもあえてその可能性をモリリンには言わなかったんでしょ?」
「言うわけないわ。ただでさえ受験勉強で一杯一杯なのに……いらない重荷を背負わせるほど鬼畜じゃありませんよ」
鱈福屋のおかずが捨てられることと凛は関係があるかもしれない。そのことを知れば、間違いなく彼女は「自分のせいで」と気に病むタイプだ。
受験戦争の渦中にいる凛に、証拠がない疑惑を口にするのはためらわれた。そしてたとえ証拠があったとしても、ことの次第によっては凛が落ち着くまで真実を告げるつもりはない。
金曜日の19時。
冬至が近づく季節。外はすっかり暗い夜だ。
凛が通っている塾がある通りの、コンビニ近くの路上に停められた車の後部座席にて、美奈子は助手席に座る鳥元と軽口を交わしながらその時を待っていた。
車内には美奈子と鳥元と——もうひとり、運転席にこの車を調達した京也がいた。彼は終始不機嫌そうに押し黙り、隣で交わされるやり取りに口を挟もうとはしなかった。
「よっしゃ、準備完了。到着遅くなってヒヤヒヤしたけど、なんとか間に合ったね」
鳥元は助手席のダッシュボードにセッティングした望遠レンズの付いた一眼レフのシャッターを押す。
カメラは今回のためのレンタル品である。
それを使いこなすため、事前に鳥元は大学のカメラサークルで、夜間の撮影に向いた設定を教えてもらっていた。ついでにサークルから遠隔操作ができるシャッターリモコンを借りて来たため、カメラ本体に触れなくても撮影が可能になっている。撮影ポイントは絞れているので、事前の準備は容易にできた。
カメラはレンズ部分以外をダッシュボードと同色のブランケットで隠してあるので、車内を凝視しない限りは張り込みだと通行人からは気づかれない。
試し撮りした写真は、即座にブルートゥースでカメラと繋げている鳥元のスマートフォンに送られる設定にした。
「やっぱ車は偉大だね。風がないだけで寒さが全然違う」
「ほんと、昨日は地獄でしたもんね」
美奈子と鳥元は昨日も現場を見張っていたが、残念ながら犯人は現れなかった。そして冬の寒空の下で長時間同じポイントを監視するのは難しいと初日に悟った。
そこで急遽拠点が必要という結論に至り、車を動かせる京也を引っ張り出したのだ。
京也からしたら、美奈子たちの調査に自分が加えられるのに、一日のタイムラグがあったことが気に食わない。
何よりも凛がこの件を自分ではなく美奈子に相談したことが、ここに来ても納得できなかった。
「キョーヤも、いつまでむくれてんのさ。そんなに仲間ハズレが嫌だった?」
「黙れ。騒ぐなら車外に放り出すぞ」
からかってくる鳥元に京也は冷徹な口調で返すが、相手はその程度での威嚇で怯まない。
「こえー。いつも被ってる猫は散歩中か?」
「そう思うなら探してこい。そして二度と帰ってくるな」
「この人はどうでもいいですけど、凛には同じ調子で怒らないでくださいよ。トラウマの上書きなんて冗談でも笑えないわ」
車内のギスギスした空気をものともせず美奈子が言い放つ。
複雑そうな京也の表情に察するところはあるものの、遠慮する気はさらさらない。
美奈子は自分が京也にとっての「恋敵」に位置付けられることを、十分自覚していた。
「……君に言われるまでもない」
「そーですか。だったらいいんですけどねぇ」
「うわ、バッチバチじゃん。モリリンもってもて〜。俺も参戦すべき?」
茶化す鳥元を美奈子と京也が黙殺する。
車内の空気が屋外に負けず劣らずの氷点下になりかけたところで、京也が諦めたようにため息を吐き出した。
「凛に相談できる相手がいるのを、悪いことだとは思わない。……これは俺の個人的な問題だから……当たって悪かった」
ここで引ける人なのよねえ……と感心して、美奈子も挑発的な態度を改めた。
「今回は凛にとってたまたま私が言いやすかっただけですって。相談したくても、溝口先輩は鱈福屋さんと近すぎたんですよ。ネガティブな話題って、関わりが深い人には切り出せないものでしょう。……大事な人を不快にしてしまうって、わかってたらなおさら」
要するにそういうことだと、一応フォローも忘れない。
路上駐車で待機している一本道は、片側に塾の他に事務所系のビルが並ぶ。反対側には道に沿って流れる水路を挟んで高い塀の先に大きな工場が建っていた。
夜ともなればコンビニと塾の入った建物以外は明かりが消える。
コンビニで肉まんや温かい飲み物を調達し、交代で見張をしながら美奈子たちはその時を待った。
凛の通う塾の授業が、あと30分で終了する。
今日も空振りかと諦めかけた時、ソイツが現れた。
美奈子たちが待機する車の横を、一台のワゴン車が通り抜ける。
これもまた、幹線道路への抜け道に利用している地元民の車かと思いきや、ワゴンは塾の手前で停車した。
車内に緊張が走った。
50メートルほど離れた位置に停まったワゴンの運転席から、人が降りてきた。
後部座席から前へと身を乗り出し、美奈子がその人物を凝視する。
「……持ってるわね」
この距離だと暗さもあってはっきりとは見えないが、背格好からして男だろう。黒いコートに身を包んだソイツの手に、白いビニール袋がぶら下がっているのが遠くからでも見ることができた。
鳥元がカメラのシャッターを連写し始めた。
男は堂々とした足取りで乗ってきた車を回り込み、建物の隙間、問題のポイントへと近づいていく。
塾と隣のビルの隙間の前に駐車された車が目隠しとなって男の存在を隠す。しかし電柱に設置された街頭の明かりが、男の行動をおぼろげながらも美奈子たちに伝えてくれた。
「やっぱり自販機が邪魔ね」
手前側のビルに自販機が設置されているおかげで、決定的瞬間はカメラに収められそうにない。
「何も持たずに車に戻ったとこが撮れたら、まずはオッケーでしょ。あとは現場の写真だね」
腹立たしいが、袋の中身は必要な犠牲として目を瞑る必要があった。
美奈子たちはあの男との直接対決は予定していない。証拠を持って、鱈福屋にタレ込むのが今回の最大の目的である。
自動販売機の陰に隠れた男が、数秒もしないうちにビルの隙間から姿を現す。男の手からはビニール袋が消えていた。
決まりだ。
美奈子たち車内の3人は無言で男を睨む。
注目を浴びているともつゆ知らず、男は塾に背を向けて、車の後方から回って運転席に戻る——かと思われた。
「…………ん?」
建物と駐車された車のあいだ、人がひとり通るのもやっとなくらい細い隙間で、男が盛大にずっこける。
側溝の窪みにつまづいた? ザマアミロ、と一瞬思ったが、すぐにそれは誤りだとわかった。
こけた男の後ろに、人が立っているのが見えたのだ。
真っ先に反応したのは京也だった。
彼ははっと息を飲み、運転席のドアを開けて現場へと走り出す。
自動販売機の明かりに照らされた人物は、高校の女子の制服を着ていて……。
スクールバッグを重たそうに両手で持つ彼女は、地面に倒れた男を見下ろしていた。
「はあ——っ! 凛!?」
運転席のドアが勢いよく閉まるのと同じタイミングで、美奈子も彼女に気づいた。
あのバカっ、何やってんのよ!
京也と同様、慌てて現場に急行すべく後部座席のドアを開く。
「——ふざけんじゃないわよ! クソが!!」
聞いたこともない凛の怒声が、それなりに離れた車の中にまで届いた。
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