58.温泉旅行⑸
ロープウェイ乗り場の案内板には、山の地図がイラストタッチで描かれていた。
私と京也先輩が看板を見上げる視界の端で、トレッキングの装いをした5人ほどの老齢のグループが脇道から山へと入っていく。
どうやらロープウェイを使用しなくても、1時間もかからず山頂まで行けるみたいだ。
山の標高は287メートル。徒歩で登ればいい運動になりそうだけど、ここはおとなしくチケットを買って列に並んだ。
紅葉の季節にはまだ早い、青々としげる木々の上をロープウェイはゆっくりと上へ進んでいく。
後ろを振り返ればママたちがいるであろう温泉街の街並みがよく見えた。
「あとで行きたい店とかある?」
「特には決めてないですが……本場の温泉卵は食べておきたいです」
「ちなみに温泉プリンってのもあるらしいよ。出来立てはホカホカのトロトロだって」
「なんですかその魅惑のワード。絶対行きます」
わたしの食いつきのよさに、先輩が嬉しそうににっこりと微笑む。
「言うと思った。美味しそうだよね」
「ひょっとしてリサーチ済みですか?」
さすがは京也先輩。行き当たりばったりな私とは大違いだ。
「昨日の夜に少し調べたぐらいでそこまで入念にはしてないよ」
「山に登るの……もしかしなくても予定外でしたよね」
事前に観光の予定とか立ててたなら申し訳ない。
先輩のことだからオススメのお店とか、ママたちと一緒に行動して楽しめるように他にも色々とチェックしてくれていたのだろう。
「うん。嬉しい予定外だった」
「だといいですけど……」
「俺だとあそこまでスムーズにはいかない。親父が全力で止めに来ただろうから」
「……それは……すみませんなんとなく想像できます」
だろう? と笑う京也先輩に納得してうなずき返す。
溝口さん、たぶん京也先輩には普通に怒ったりするんだろうなあ……。
山の上の駅に到着してロープウェイを降りた。
土産物屋を兼ねた駅舎を通り過ぎて外に出ると、子供が遊べるアスレチックが設置された大きな公園になっていた。
道標を頼りにアスファルトの歩道を進み、展望台に到着した。
切り立った崖を利用して造られたその場所は、高さが胸くらいある手すりの下がまさに断崖絶壁だった。身を乗り出して覗き込んだら、この崖はえぐれるように窪んでいるみたいで、岩肌が見えない。
「……こわ」
気を取り直して前方の景色へと顔を上げる。
見晴らしは最高で、山を背にして広がる街並みとその奥にそびえる山々までがよく見渡せた。
スマホのカメラを起動して、絶景をパシャリ。
報告も兼ねてあとでママに送ろう。
「先輩……1枚だけいいですか?」
カメラのレンズを切り替えて、せっかくだから京也先輩とも記念に写真を撮る。遊園地では記念写真を撮らなかったから、こうして一緒に写るのは初めてだ。
「俺も貰っていい?」
「了解です。すぐに送ります」
早速メッセージアプリを経由して京也先輩へ写真を送信する。
ついでにママにも……。
画像の選択画面に隣同士で並んだ——風景写真と、京也先輩と私のツーショット。
「…………」
どちらを送るか、数秒間の逡巡の末に風景写真を選択した。
公園として整備された場所から脇道に入り、石積みの階段を登りきった。鳥居の先に、目的の神社があった。
明るく開けた公園とは対照的に、山の木々に囲まれた境内はとても静かで、厳かな空気が満ちていた。
——受験は自力でがんばりますから、どうかママと溝口さんがの仲がいい感じに進んでいきますように……。……それと、このご縁が途切れることなくいつまでも続きますように。
神社に祀られている神様の名前も知らずに、欲深く願う。
……隣で手を合わせている先輩は、何を神様に伝えているのだろう……?
気になってチラリと横を盗み見た時にはもう、京也先輩はお参りを終えていた。
「お待たせしました」
後ろに人が並んでいたので足早に拝殿の前から退いた。
段差の高さにばらつきのある石の階段を、足元を気にしながら一歩ずつ下っていく。
「お願い事は……あんまり他言しない方がいいんだっけ。というか、そもそもの目的は受験祈願だったか」
頭上から聞こえた言葉に、階段を踏み外しそうになる。そういやここに来た趣旨はそれだった。
「上手くいくといいね」
「……がんばります。ちなみに迷信とかは信じない派なのでぶっちゃけますが、神様にお願いしたのはママと溝口さんの仲がこれからも続きますように——ってことです」
受験は自分でどうにかなりそうだけど、こればかりは私の力ではどうにもならない。
「ないとは思うけど、ふたりに収拾つかないレベルの喧嘩されたら、非常に困るので……」
「なるほど。ないとは思うけど、それは確かに面倒だね。俺の親父も大概頑固だし」
でも大学受験よりそっちなんだ、と。面白そうに笑われて少しだけむっとなる。
「そういう京也先輩はどうなんですか?」
「内緒。俺は迷信とか割と信じる派閥だから」
口調が軽すぎる。絶対嘘だ。
「神様を言い訳にして回答から逃げてるようにしか聞こえませんよ」
「うん、まあそんなとこ」
「なーんか軽いんですよね」
私ばっかりが手のひらの上で遊ばれているような。
「じゃあ、願いが叶った時にでも打ち明けようか」
「絶対に忘れてますって。自慢じゃないけど最近の私の頭、受験のための知識以外まったく記憶に定着してくれないんですよ」
「その言い方だと、俺の願いは叶うって思ってくれてるんだ」
「…………ずるいです」
とんだヒントがあったものだ。
顔が熱くて、石の階段を下り切っても頭を上げられない。
「エピソード記憶として定着したのでもう絶対忘れません。だからこれ以上はやめておきましょう。じゃないと……ママたちと会った時に挙動不審になって怪しまれちゃいます」
隠し事は苦手だ。
ママたちの前で普通にしているためにも、私は自覚しすぎちゃいけない。
不審な挙動をしないためにも、ママたちと合流する前に落ち着かないと。
そうだ。山を降りて美味しいものを食べていたら、このドキドキも自然と治るだろう。
今日のことは、答え合わせができる日まで鮮明に覚えている自信があった。
お参りを終えて戻った公園には、最初に来た時よりも人の数が増えていた。
家族連れが多く、小さな子供たちが公園のアスレチックで遊んでいて、賑やかなはしゃぎ声が遊具から離れた歩道にも届く。
駅で下りのロープウェイの到着を待っていると、どこからか鈴の音が聞こえてきた。
出所を探して乗り場の柵越しに見下ろすと、山の中、木々の途切れたところに山を登る二人組を見つけた。
開けた場所でふとそのうちの一人が上を向く。還暦をゆうに超えているだろう老齢の男性だった。
ツバの広い帽子を頭に被った男性は目が合った私に向かい、くしゃりと笑って軽くお辞儀をする。つられて私も頭を下げた。
一連のやり取りに気づいた後続の女性が、男性の視線を追ってこちらへと顔を向ける。柔和な笑みを浮かべて会釈した彼女は先に行った男性を追って木々の木陰に消えた。
尾を引く鈴の音も、やがてゆっくりと遠ざかった。
色違いの服を着たふたりは、夫婦だったのか。
足取りはかくしゃくとしていて、山歩きに慣れた様子だった。
今日は秋晴れの、絶好の登山日和なのだろう。
見ず知らずの人たちに山頂はもうすぐですよと心の中でエールを送り、温泉街にいるであろうふたりのことを考える。
「ママたち……大丈夫ですかね……」
お願いだから、恐縮しすぎて謝ってばかりいないでよママ。
……まあ、そういう状況を作ってしまったのは私なんだけど……。
「さすがに問題ないと思うよ。今ごろふたりで散策を楽しんでるんじゃないかな」
「……ですよねぇ」
先輩の言うとおり、心配のしすぎだと信じたい。




