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5.両片思いが動きだす⑸





     ◇  ◇  ◇








凛たちが夕飯を食べる約1時間前。



「ただいま」



仕事から帰った父親の声を聞き、溝口 京也は自分の部屋を出た。

父——隆則(たかのり)は手にぶら下げていた夕飯の入った袋をダイニングテーブルに置いて、スーツを脱ぐため寝室へ向かう。


入れ違いでダイニングに入った京也は電気ケトルに水を入れ、スイッチをオンにした。

隆則が持ち帰った鱈福屋のビニール袋から2人分の夕飯を取り出し、中身を確認する。


透明の丸い容器に入ったサラダ。

小松菜と細く切ったちくわと、こんにゃくとにんじんの煮物。

メインの魚のホイル焼きはトースターに並べて軽く温める。

ラップに包まれた味噌玉は、棚から取り出したお椀にそれぞれ入れてお湯が沸くのを待つ。

その間に炊飯器からご飯を盛り付け、箸やコップをテーブルに配置していく。


スーツの埃を落として形を整えハンガーにかけてと、一連の作業を終えた隆則がダイニングへ入り、温め終わった魚のホイル焼きをテーブルへと運んだ。


お湯が沸けてケトルのスイッチが切れたので、隆則は味噌玉の入ったお椀に湯を注ぐ。

ピンポン玉くらいの大きさの味噌玉は、出汁や具材を味噌と一緒に丸めたものだ。鱈福屋の日替わりおかずのサービス利用者に、毎回必ず提供される。

熱湯で簡単に溶けるので、インスタント味噌汁として重宝されていた。


溝口家の夕飯に鱈福屋の日替わりおかずが導入されて、十年以上。

京也と隆則。親子ふたりで黙々と食事の準備をしていくのも慣れたものだ。






鱈福屋の日替わりおかずは、月額制の夕食提供サービスである。

基本は主菜と副菜、サラダと味噌玉のセットで、オプションとしてパックのご飯を付けることも可能だった。


元々は仕事と家事育児の両立に難儀していた隆則を見かねた鱈福屋の店主・加藤が提案した溝口家のためのサービスだったが、十年の年月をかけて徐々に利用者が増えていった。


政令指定都市の中心地から電車で3駅という土地柄もあり、近年は駅近くに次々とマンションが建ち、鱈福屋周辺の人口が急増したのも要因のひとつだ。主に単身赴任者や独身世帯が日替わりおかずのサービスを利用していて、近頃は店独自のアプリを取り入れたことにより予約がスムーズになり食品ロスも低減された。


ちなみに溝口家は利用していないが、鱈福屋の定休日である水曜日は、加藤の実家でもある隣の精肉店の揚げ物がサービス利用者は半額で購入できるようになっていた。





「いただきます」



京也と隆則はテーブルに向かいあって座り、同時に手を合わせて小さく呟いた。

そこから黙々とご飯を食べる。食事中はテレビもついていない。


いつも通りの静かな夕食だったが、今日は珍しく終盤に京也が父親へと口を開いた。



「今日、西森さんの娘さんと学校で会った」



淡々とした報告に、味噌汁のお椀に口をつけていた隆則がむせる。咄嗟にお椀と箸をテーブルに置き、顔を背けて口元に手拭きを当てた。

味噌汁が気管に入ったようだ。小さな咳を繰り返しながらも隆則は横目で息子をうかがった。


父親の動揺に、京也は努めて気にしていないように振る舞い、さらに言葉を続ける。



「素直そうな子だった。『いつもお世話になってます』だってさ」



凛は小柄で、ぱっちりとした大きな瞳が印象的だった。喜怒哀楽の感情に従いころころと表情が変わる。裏表のない性分なのだろう。



「……そ……そうか」



息子の報告に隆則は挙動不審なうなずきを返し、食事を再開した。さっきよりも明らかに食べるスピードが早い。


普段は落ち着き払っている隆則は、凛の母親に関連することだけ挙動不審になるから、意味非常にわかりやすい。

そんな父親のおかしな態度を指摘しないのは、息子としての優しさだ。



「ごちそうさまでした」



京也よりも早く夕飯を食べ終えた隆則は逃げるように椅子から立ち上がった。

食器をキッチンへ運ぼうとして身を翻したタイミングで、鈍い音がした。テーブルが小さく振動する。



「いっ————っ!」



隆則がテーブルの脚に足の小指をぶつけたのだ。

根性で悲鳴を抑え、痛みに耐えながらキッチンに消える父親を、京也は呆れながらも黙って見送った。








      ◇  ◇  ◇









翌日。バイトを終えてから学校に登校した。

スーパーの早朝品出しバイトは、月曜と火曜、そして金曜が私の出勤日になっている。

土日はがっつりフルタイム。こっちは品出しじゃなくて、デリカ業務だ。


うちは生活に困窮しているわけじゃないけど、経済的に裕福というにはほど遠い。せめて塾の費用と、自分のお小遣いは自力でどうにかしたかった。


高校卒業後は、できれば大学に進学したい。

ママは過去に奨学金の返済で相当苦労したらしい。経済的に多少の余裕があっても生活レベルを上げず、余ったお金のほとんどを貯金に回しているのは、私の進学のためだと知っている。


ママはそうやって先を見据えて行動できるタチなのに、なぜあんなにも昔は男を見る目がなかったのか。

私の父親しかり、最後に付き合っていた彼氏もしかり。これまでママが好きになって家に連れてきた男はみんな、本当にろくでなしばかりだった。


さらに言ってしまえば、そんなろくでもない男たちとはすぐに距離を縮めるくせに、どうして溝口さんにはもっと積極的になれないのか。娘として不思議でならない。

……いや、今までがあんなのだったから、臆病になっちゃったのかもしれないけど。


ママがまたおかしな男に目を付けられる前に、さっさと溝口さんとくっついてほしい。

交際とまではいかなくても、せめて店員と常連客から、もうちょっとプライベートでも連絡を取り合う仲ぐらいにはなってくれないかなあ……。


溝口さんの息子さんも同じ考えだとわかった今、私の願望は膨らむばかりだった。



そんなことをつらつらと考えながら、教室の窓から校庭を眺める。

登校してくる溝口先輩を発見した。いつもなら目で追ってしまうのに、不意に白けた感情が込み上げて私は窓枠を離れて席に着いた。



結局のところ、舞い上がっていたのは私だけなんだろうな。

先輩の気持ちが知れたら何かが変わると、勝手に期待していたんだ。


ママも溝口さんも、現状に満足して大きな変化は望んでいないかもしれないのに。

そう思うと昨日の自分のテンションが急に恥ずかしくなって、熱くなった顔を隠すため机に突っ伏した。



「……馬鹿みたい」



私が下手にしゃしゃり出て、ママと溝口さんの関係が拗れでもしたら、またママは職場に居づらくなってしまう。そういうところに頭がまったく回っていなかった。


当事者じゃない人間が二人の仲をアレコレ言っても、いいことなんてあるはずがない。







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