4.両片思いが動きだす⑷
放課後、全国チェーンのファミレスに私と美奈子はやってきた。
ファミレスまでは学校から徒歩で約15分。さらには駅とは逆方向にある。
今のところ、同じ制服を着た生徒はいないようだ。
それでも用心して一番端の席につき、ひとまずフライドポテトを注文する。
ひとつのメニューを二人でシェアして、代金も割り勘。飲み物はセルフのお冷で済ませて、ドリンクバーすら頼まない。
私たちは店側にとってあまり喜ばしくない客なのだろう。
放課後に美奈子とファミレスに来た時はいつもこうだ。
フライドポテトが運ばれたところで本題に入った。
「誰にも言わないでね」と前置きして「じつは——」と切り出し、私はママと溝口先輩のお父さんとの繋がりを話した。
ママが前職を辞めることとなった経緯はぼかしつつ、溝口さんが鱈福屋を紹介してくれたことや、今日の昼休みに先輩と話したことまで。
ママと溝口さんはお互いを意識していて、私も先輩も、親の恋慕に嫌悪感を持っていない。
……いや、正直にいうと昔は嫌だなって思ってたときもあったけど、ママの片思いの恋バナを聞かされているうちに次第にそれも薄れていったというのが正しい。
「ふーん。別に不倫とかじゃないならいいんじゃないの。よかったじゃない、先輩も応援してくれてるんでしょ?」
私の長年の悩みに対しする美奈子の感想は拍子抜けするほどあっさりしたものだった。
目立つ人の話題は良くも悪くもその人の「少数派の部分」がゴシップになって周知されやすい。
溝口先輩が父子家庭なのは学年を通り越して高校では広く知られていた。
「にしてもあんたのママと溝口先輩のお父さんかぁ。世間って意外と狭いわね」
「……うん。ホントそう」
ひと通り話し終えて二人でポテトをつまむ。
次々にスティック状のポテトが減り、お皿の底の白さが目立つようになったころ、「個人的な意見だけど」と美奈子が話しだした。
「子どもが反対しないのは親にとってありがたいことでしょうけど、調子に乗って口出しするのはどうかと思うわ。恋愛なんて結局は当人同士の問題でしょ」
「それは……私も、たぶん先輩もわかってる。私は先輩がママについてどう思ってるか、知れただけで満足だし……うん」
反対しないって、溝口先輩に言ってもらえたことが嬉しかった。
だけどひとつ悩みが解消すると、また欲が出てしまうのが人間というもので……。
「……贅沢かもしれないけど、子どもが反対してないならママと溝口さんに、もうちょっと進展があってもいいんじゃないかなぁ……って」
常連客と店員として、溝口さんが日替わりのごはんを鱈福屋に取りに来たときだけ顔を合わせる。
ほぼ毎日会うとはいえ、ママと溝口さんは言ってしまえばそれだけの仲だ。
「お互い好きだってんなら、そのうち何かあるでしょ」
最後のポテトを食べ終えて、美奈子はあっけらかんと言い放つ。
そのうち……か。
「…………4年」
「ん?」
「ママの片思い、4年越しなんだけど、そのうち何かあってくれると思う?」
4年。
ママが鱈福屋に勤めだして、溝口さんに恋心を抱くようになってからまる4年が経過した。一途に溝口さんを想い続けて4年だ。
その間に私は中学生活を終えた。溝口先輩にいたっては今年度で高校を卒業する。
当初私は溝口さんがママの次の彼氏で、そのうち家で一緒にご飯を食べるようになるんだろうなあとゲンナリしてたけど、ついにそんな日は訪れなかった。
次第にママが溝口さんを好きでいるあいだは他人が家に上がり込むことはないとわかって、そうしたらママの恋バナの相手も嫌でなくなった。
さらにさらに時間が経つと、ママの溝口さんに寄せる恋愛感情がこれまでの彼氏たちとはレベルが違うことに気づいた。
そうなると日ごろの恋バナがもどかしく感じてしまうのだから、私も大概わがままだ。
「そんなに好きなら告白すれば」と言った私に、ママは「溝口さんに会えるだけで十分」とキッパリ言い切った。
ママが幸せならそれでいい気もするけれど、何年もほぼ内容が変わらない恋バナを聞かされ続けるのは……さすがに堪える。
なんかこう……もうちょっと何かしらの変化があってほしいと望むのは、贅沢なことなのかな……。
「……4年かぁ…………長いわね」
美奈子が頬杖をついて遠い目をしたのにホッとする。
「ずっと誰にも言わなかったの?」
「言えるわけないよ。私とママだけの話じゃないし……、今日先輩の気持ちが知れて、だったら美奈子になら打ち明けてもいいかなって……思えたの」
色恋沙汰はスキャンダルになりやすい。
私がもどかしさを感じているからって、下手に触れ回っていいはずがない。
「よく我慢してきたと思うわ。安心して、誰にも言わないから」
「うん。信じてる」
「直球で言われると照れるわね……。まあ、今日溝口先輩と話せたのは凛にとって大きな進展でしょう。だったらひとまずそれで満足して、経過を見守ったら?」
「そうだね。そうするわ」
欲張りすぎるのは良くない。
先輩の気持ちを聞けたのもそうだけど、美奈子に打ち明けられたことも私にとってはすごく大きい進展だ。
「聞いてくれてありがとう」
「あら、話せってせがんだのは私よ? お礼を言うところじゃないでしょう」
美奈子は財布から150円を取り出してテーブルに置いた。
「あっ、今日は私が払うよ。昼休みも助けてもらったんだし」
「これでいいのよ。ちゃんと話してくれたから貸し借りはチャラよ」
小銭を美奈子に戻そうとしたが、彼女は頑として受け取らなかった。
*
ファミレスを出たところで美奈子とは別れた。
バスに乗って塾へ行き、終わったら家へ帰る。
私の住んでいるアパートは駅からだと徒歩30分と少し遠いけど、近くにスーパーやコンビニ、ホームセンターがあるので生活に困らない。
なによりママは職場まで自転車で通える。わりと好立地な場所なのだ。
現在の居住地には、ママが鱈福屋で働き始めてすぐに引っ越した。
アパートのオーナーと鱈福屋の店主のお父さんが知り合いで、部屋に空きができたから、嫌でなければどうかと勧めてくれたのだ。
家賃も知り合いの紹介ということで融通してくれて、ママの元カレが知る場所にいつまでも住み続けることに不安があった私たち母子には渡りに船だった。
アパートの隣はお墓になっていて、1階の端に住んでいる私たちの部屋の窓からは塀越しに墓石が並んでいるのが見える。引っ越してきた当初はちょっと怖かったけど、慣れてしまえばなんてことはない。
立地のおかげで家賃は相場よりも安く、さらに隣がお墓ということで夜も静かだし、隅の部屋だから片側は隣人に気を使う必要がない。
結局のところ、死んだ人より生きている人間のほうが怖いってのは本当なんだと思う。
「ただいまー」
「おかえりなさい」
鍵を開けて家に入るとテーブルにいたママが立ち上がり、キッチンで夕飯を温めだした。私は自室に行って部屋着のスウェットに着替える。
洗濯物を脱衣所に持っていってリビングに戻り、キッチンカウンターに置かれた料理の盛られたお皿を、テーブルへと運んだ。
炊飯器からお茶碗にご飯を盛りつけ、コップを用意して。いつもの流れで準備をしていく。
時刻は夜の9時30分を過ぎたところ。西森家の夕飯はだいたいこんな時間だ。
「今日ね、溝口さんの息子さんと話したの」
「あら、京也君と? しっかりした子でしょう」
両手に味噌汁の入ったお椀を持ってキッチンを出たママはあっけらかんと告げた。
ママは私なんかよりずっと以前から溝口先輩と繋がっている。父親である溝口さんが仕事で早く帰れないとき、いつも代わりに鱈福屋へ夕飯を取りに行ってるからだ。
ご飯の準備が完了し、ママと私はテーブルの定位置についた。
正面に座るママは普段は後ろで束ねているストレートの長い髪をほどいた家仕様のスタイルになっていた。
垂れ目が与える優しい印象通りに、ほわほわしたいつも明るい人で、ママは滅多なことでは怒らない。
娘の贔屓目もあるけれど、年齢以上に若く見えるんじゃないかな。
「うん……優しそうな人だった」
話はそこで一度中断。ふたりで手を合わせて「いただきます」をする。
「凛ちゃんのひとつ上だから……そっか、京也君はもう高校3年生かぁ」
大きくなったわねぇと続きそうなほど、感慨深げな言い方だ。
「ママ、なんか親戚のおばさんみたい」
「似たようなものよ。育ち盛りのお子さんの成長は見ているだけで嬉しくなるわ。加藤さんたちも私が勤める以前の、まだ小さかったころの京也君のことをいろいろ話してくれるし、より身近に思えちゃうのよ」
加藤さんとは、鱈福屋を営むご夫婦の苗字である。
「溝口さんの息子さんだから?」
「そうねえ。口元とか特にお父さんにそっくりなのよねえ。落ち着いた感じの雰囲気も年々似てきてるし……」
箸を止めて思い出しながら呟いていたママは、私の視線に気付いて慌てて首を振った。
「でもっ、京也君もかっこいいけど、私は断然溝口さん派よ。年を重ねたからこそのおおらかな空気は溝口さんにしか出せないし、微笑んだ時の目元のシワがたまらないのよね〜」
「……そっか」
それはなんのフォローだとは言わない。こんなの日常茶飯事だから。
ママの上機嫌っぷりから、おそらく今日も溝口さんが店に来たのだろう。恋焦がれる男性を思い出してときめく母に余計な水は差さないに限る。
「溝口さんの息子さん、ママに対してすごく好印象だったよ。私がいつもお世話になってますって言ったら、世話になってるのはこっちのほうだって」
「謙虚な子よね。さすがは溝口さんが育てた息子さんだわ」
違う。私が言いたいのはそういうことじゃないの。
「それだけ好きならもっと積極的になればいいのに。告白まではいかなくても……、遊びのお誘いとか、連絡先聞いてみたり……。私、溝口さんがうちでご飯食べてても文句言わないよ?」
溝口さんは料理にあれこれいちゃもんをつけない、出された品は残さず食べる人みたいだし。
直接会ったのは一度だけなのに、私は溝口さんの人柄についてかなり詳しい。全部ママのせいだ。
しかし恋をしている当のママは、娘の許しに顔を赤くするだけで喜ぶ素振りはない。
「だから……そういうのじゃないのよ。溝口さんはママにとって憧れというか……、存在してるだけでありがたい人なのよ。こうして毎日お店に来てくださるだけで、幸せでお腹いっぱいよ」
箸を置いて、もじもじと。おそらく溝口さんの姿を思い出しているであろうママはとても幸せそうだ。
このやり取りはこれまでに何度もしてきた。
入れ替えが激しかったかつての彼氏たちはなんだったのだと不思議になるぐらいに、ママは溝口さんに対しては自分から行動しようとしない。
何もしないで後悔するぐらいなら、勇気を出してアタックしてもいいのでは? あっちも脈アリみたいだし——って気楽に考えてしまうのは、結局私が当事者じゃないからなんだろうな。