38.絶妙な距離感を維持せよ⑷
志士脇の処遇についても、決まったことに私が文句をたれたって何も変わらない。
うじうじしても仕方がないし、心機一転、ここらで気持ちを切り替えよう。
学校の終わり、塾の授業が始まるまでの時間で本屋に立ち寄った。
普段は見向きもしないジャンルのコーナーをうろうろして、新しいことを始めるヒントを探す。
収納や断捨離の本を立ち読みしながら、自分の部屋を思い浮かべて危機感を募らせる。
引っ越しまでに、そろそろ本格的に整理していかないと。
とりあえず優先順位の上位に「部屋の整理」を位置づけて、読んでいた本を棚に戻す。
参考書のコーナーで様々な資格試験のテキストを眺めていたら、自動車免許の問題集を発見した。
「……原付かぁ……」
ママと話していたことを思い出し、自動車免許の書籍と一緒に陳列された、原付免許の問題集を手に取る。
見た感じ、問題は見知った道路標識や交通ルールの常識問題が多いみたい。
マークシートならそこまで難しくないか……? とか、ペラペラと全体的に問題集を流し読みしていたその時——。
「……もしかして、西森さん?」
遠慮気味にかけられた声に顔をあげる。
通路の右側、大股で3歩ほど離れた場所に、京也先輩が立っていた。
「あ、こんにちは」
思わず反射で頭をぺこり。お辞儀をしてから思い立ち、はっと周囲を見渡した。
見える範囲に同じ学校の制服を着た学生どころか、他の客や店員もいない。
京也先輩はそんな私に苦笑して、彼も自然な動作でぐるりと周りを確認。
そして本棚のほうを向いて、ずらりと並ぶ書籍を順に目で追うように見せかけてカモフラージュ。
「隣、行ってもいい?」
はいと小さくうなずき、先輩のために場所を開けるために左にずれた。この動作はあんまり意味がないのではと、動いてから思った。
自分よりも背が高い男性限定で、私のパーソナルスペースは広くなる。
正面に立たれるよりはマシだけど、隣や後ろに人がいても極度の緊張が襲ってくるのだ。
恐怖心で頭が真っ白になって、背筋がぞわぞわする感覚は、成長したところで慣れやしない。
それが、気遣いの塊とも言える京也先輩だったらどうだろう。
断りを入れてから近づいてきた先輩は、私の隣に並んで本棚に体を向ける。お互いの間には20センチほどの距離があった。
——あれ?
普段は男の人に接近されると無意識のうちに身構えて、肩に過剰な力が入るのに、今はそれがない。
疑問を感じつつ右隣を見上げる。京也先輩の横顔に別の意味でどきどきして、緊張を隠すために持っていた本を開いた。
「バイクの免許取るの?」
「原付のほうです。教習所に通う必要もないみたいだし、持っていてもいいかなって」
「そっか。たしか原付だけなら一日で取れるんだっけ?」
そう言いながら京也先輩は普通免許の問題集に手を伸ばす。
「先輩は、自動車の免許を取られるんですか?」
「来年の入試が終わればね。卒業までの時間があるうちに取っておけとは言われてるし、俺もそのつもり。マイナンバーカードもあるけど、身分証として免許証は何かと便利なんだって」
「お父さんからの受け売りですか」
「……まあ、そうなるね」
少し恥ずかしそうな先輩になるほどと納得して、ママの言葉を思い出す。
おそらくママが原付限定で免許を取得しているのには、そういう理由があるのだろう。
「あれからどう? 家にアイツが来たりとか、おかしなことは起こってない?」
「はい。おかげさまで平和になりました。ママも、毎日楽しそうで……」
チラリと京也先輩をうかがう。同じくこちらへと顔を向けた彼と目が合った。
探り合うというよりも、同調すると言ったほうが近い感覚。視線だけの意思疎通は一瞬で終わる。
「よかった。舞い上がってるのが親父だけだったら、どうしてやろうかと」
そこは心配しなくて大丈夫ですって。
「親の付き合いが順調なのはいいとして、その皺寄せが凛に回ってないか気になってたから」
「大丈夫ですよ。むしろ私まで恩恵をいただいて恐縮するぐらいです」
ママも溝口さんも、恋愛にうつつを抜かして他をおなざりにするような人じゃない。
「先輩は、何か変わったこととかありました?」
「ないよ。強いて言うなら鱈福屋に行く頻度が下がったぐらいかな」
変化とするには些細すぎて、これといった感動も抱かない。
念願叶って交際に成功したママたちの恋はどこまでも単調で、私が想像していた燃え上がるような情熱的な恋愛とはほど遠かった。
気持ちが通じあえた。そして毎日顔を合わせられる。ママはいつも、そんな小さな幸せを噛み締めている。
これが大人の恋というものなのか。当人同士が満足しているなら、娘とはいえ外野がとやかく口出しすべきじゃない。
たとえ交際に至ったとしても、両片思いのころと付き合い方はそう変わらないとした京也先輩の予想は見事に的中したようだ。
「幸せそうでなによりです」
「俺としては早いうちにもう一歩踏み込んで欲しいんだけど、こればっかりはなぁ……」
「……?」
京也先輩にとって、現状維持には不都合があるのかと疑問が浮かぶ。
横目に彼の顔色をうかがうも、にっこりと話題を流されてしまった。
「凛は本屋にはよく来るの?」
「いえ、今日はたまたまです。先輩は?」
「週三くらいで通ってるかな。買ったり買わなかったりはその時によるけど」
それはもはや立派な常連客では?
今回は面白そうな本があったのかと聞こうとして、京也先輩が何気なく広げている普通免許の問題集の下に、文庫本を重ねて持っているのを見つけた。
真っ黒な背表紙に明朝体で「アザミの鎮魂」と記された本は、いかにも美奈子が好きそうな題名だと思ってピンとくる。
「お手持ちの文庫本は、鳥元先輩のオススメですか?」
「よくわかったね」
京也先輩が見せてくれた表紙絵の青白い女性の睨み顔にヒエっとなりながら、自分の勘が当たったことに心の底から安堵した。
よかった。美奈子と京也先輩が直接繋がってるってわけじゃなかった……。いや別に、そこが親密な仲だったとしても、私には関係のないことなんだけど……。
いや…………うん、やっぱり嫌……かな。
「ホラー系は苦手?」
「あんまり得意じゃないです。それ系の映像は極力見ないようにしてますし、ホラー小説とかの文章系はあとから思い出してじわじわ怖くなってしまうので」
「へえ……そっか」
「先輩今、こいつお墓の隣に住んでるくせにって思ったでしょ」
「……こいつとか、くせにとは思ってないよ」
全部を否定しないということは多少なりとも似たような考えが浮かんでたんだよね。
気持ちはわかる。私もママが一緒だから大丈夫なだけで、ひとりだとあのアパートに住める気はしないから。
「騒音とか気にならないし、こっちも気にしなくていいので、お墓の隣は結構快適ですよ」
まあそんな住み慣れたアパートとも、もうすぐお別れになる。
カバンの中でスマホが振動し、時間を知らせてくれた。
もっと京也先輩と話したかったけど、塾に行く時間だ。
「では、そろそろ塾に行ってきます」
持っていた問題集を棚に戻す。
原付免許を取得するための本が出ているとわかったから、ひとまずは図書館に同じのが置いてあるかを調べよう。
試験内容が直近で変更してたりして、図書館に改訂版がなかったら諦めて最新の出版物を購入するが、極力お金は使いたくない。
カラオケを3回我慢したら、問題集が一冊余裕で買えるのは承知してるけど、そこら辺は何を優先するかの価値観の違いということで目を瞑っておく。
「気をつけて行ってきなよ。何かあったらすぐに連絡して」
「そんなに心配しなくても大丈夫ですって」
人が自分のことで不安がっていると心に余裕が生まれるこの現象、何か名称とかついてないかな。それともこれは単に私の性格が歪んでるだけか?
「お会いできてよかったです」
「俺も。今日立ち寄ってよかった」
別れ際の挨拶をしようと京也先輩に向かい顔を上げ、間近にある先輩の顔を見て妙な気恥ずかしさを覚え目を逸らした。
「あのさ、何もなくても……たまに連絡してもいい?」
「はいっ、もちろんです。……私もっ……いつでも……」
先輩にメッセージを送りますとは、勇気がなくて最後まで言えなかった。
連絡してもいい? ——って、それを言った時の京也先輩がどんな顔をしていたのか、思い切って確認しなかったことを、私は塾の授業中ずっと後悔した。




