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31.恋が実る⑵





こんな時間にいきなり何を言い出すのかと、困惑する先輩にそこをなんとかと頼み込む。

京也先輩は最終的に頼みを聞き入れ、住んでいるマンションの所在地を私に教えてくれた。今私がいる場所からだと、待ち合わせをするよりも家まで来てもらったほうが早いとのこと。


駅から徒歩圏内の縦に長いファミリー向けマンション。

一階エントランスの扉前まで京也先輩は出てきてくれていた。



「なんか、ホントに、すみません」


「や、それはいいけど……家に帰ってないの?」



制服姿で重たい鞄を肩にかけて息を切らせる私に、京也先輩は目を丸くした。



「塾帰りで……ちょっと、いろいろ、ありまして……」


「……とりあえず、親父は家にいるけど……呼んでこようか?」


「……いえ、できましたら、家の玄関席までお邪魔していいですか? 人目があるとこは、ちょっと……」



マンションに帰宅した人にJKとおじさんのバトルを見られるのは非常にまずい。

私は別に問題ないかもしれないけど、ここの住人である先輩と溝口さんにおかしな噂がたつのは避けたかった。



「そうだね、行こうか」



納得した様子でうなずいて、先輩はマンション内へと私を招き入れた。

二人きりで乗ったエレベーター内で、先輩は心配そうに口を開く。



「大丈夫?」


「……私は、大丈夫です。溝口さんに、ちゃんと全部話して、謝ります。……それで、言いたいことを全部言うつもりできました」



頭の中にチラつく志士脇の影に眉を顰め、罪悪感を押し殺して京也先輩を見上げる。



「先輩にも、謝らないといけないんです」



私は自分達にとって都合の悪いことを、全部黙っていた。

今の状態は、沈黙を選んだ末に引き起こされた結果でしかない。



「話は聞くよ。でも凛が謝る必要があるかの判断は、今は保留にしとこうか。とりあえず、親父に対して頭を下げるなら、俺も混ざらないといけないし……、西森さんとの関係が拗れたのはどう考えても親父がへそを曲げたのが原因だろう」



エレベーターが止まり、扉が開く。

だからそんなに思い詰めるなと告げて、先輩は先に箱から降りた。


市内を一望できるマンションの角部屋が、京也先輩の家だった。



「……お邪魔します」



扉を開けて玄関に踏み入れる。中まで入るかと先輩にジェスチャーで聞かれたけど、ここでいいと首を横に振った。



「わかった。ちょっと待ってて。——親父、お客さん来てるんだけど」



廊下に上がった京也先輩は、ややぞんざいな口調で声を張り上げた。そして奥の部屋へと消えていく。


ここまできたら逃げるわけにはいかない。

覚悟を決めて肩にかけたスクールバッグの持ち手をぎゅっと力強く握った。


少しの間待っていると、廊下の突き当たりのドアから溝口さんが顔を出した。



顔を見た途端に頭の中が真っ白になりかける。

逃げ出したくなるのを気力で踏みとどまり、険しい顔つきで彼を見上げた。警戒されないように物腰柔らかく笑顔で挨拶……とか、そんな気遣いをする余裕はなかった。


溝口さんは夜間の訪問客に驚きつつ、わずかにその顔で無言ながら難色を示した。

そりゃそうだろう。反対の立場だったらアポ無し夜間訪問の客、私だって歓迎できないよ。



「こんばんは。夜遅くに突然すみません。——先日は、先輩……息子さんにご迷惑をお掛けして大変申し訳ございませんでした」



溝口さんが口を開く前に私から切り出した。

言いたいことは全然まとまっていない。予想外のことが起こったらすぐに頭が真っ白になって、言葉が続かない予感が常にあった。


怖気付いてしまう前に伝えたいことを伝えないと。

焦るばかりで声は震えて、すでに自分が何を話したいのかわからなくなりつつある。


唇を震わせてじっと見つめる私に、溝口さんは小さく苦笑して小さく首を横に振った。



「こんばんは。先日のことを言っているなら、もう気にしなくていい。あの時は私が悪かった。いると思ってなかったところに息子を見つけて、少々驚いてしまっただけだから、君が気を病む必要はないよ」


「ですが……」


「息子ももう子供というわけではないからね。自分の判断で行動し、自分で責任を取れる年齢になっている。息子のことで、君は私に謝罪なしなくていいんだよ」



溝口さんは穏やかに言い含めるように告げてきた。

優しい口調ではあるけれど、私に口を挟ませない。


わかったならもう帰りなさいと、早々に話を切り上げようとしているのはなんとなく察した。

雰囲気に流されそうになるのをぐっと堪える。



「でも、私が迂闊なことをしたせいで……」


「君が無事なら、私はそれでよかったと思っている。息子が君を助けたというなら、よくやったとも思う。先日の一件はそれで終わりでは?」



……溝口さん、絶対にわざとだ。



「——ママのことも、溝口さんにとってはもう終わった過去の人なんですか?」



あえて溝口さんが話題に乗せない存在を持ち出すと、彼は明らかな動揺を見せた。



「態度でバレてるかもしれないけど、私のママは、溝口さんのことが本当に大好きなんです。——夕方の鱈福屋さんに溝口さんが来てくれて、顔をが見れて、少し話せたらもうその日は幸せな一日だったって思えるぐらい。だからママは、鱈福屋さんに勤めてからずっと、毎日が楽しそうだった」



ぽかん、と。溝口さんは口を開いて固まった。その後ろでは京也先輩が複雑そうな、そしてどこか申し訳なさそうな顔で私と溝口さんに視線をさまよわせている。


口を挟まれないのをいいことに、私は勢いに任せて思いの丈をぶつけた。



「私は、毎日ママが仕事から帰って晩御飯の時にする、溝口さんの話を聞くのが好きでした。だってその時のママはすごく楽しそうで、今のママが幸せなんだって、一番よくわかるから。……でも、ここのところずっと、ママは落ち込んでて……」



溝口さんが自身の口元を手で覆い隠して私から顔を背ける。横顔に見えた廊下に立つ彼の耳は、玄関にいる私からでもわかるぐらいに赤くなっていた。



「もうこの際、そちらの事情も都合もお構いなしで言わせてください。私は、ママと溝口さんに、一緒に幸せになって欲しいんです! 子供が親の幸福を望んじゃダメですか!?」


「……いや、……しかし……」



もごもごと口ごもる声。溝口さんの煮え切らない態度に、理不尽だと自覚しながら苛立ちが抑えきれない。

夜に突然押しかけてきた小娘に怒鳴られて、飛んだ災難だと思うよ。でもここで気を使って私が引くわけにはいかないの。



「私の父親は、ドクズでした。子供が生まれてママの愛情が自分以外に向けられるのが許せなくなって、幼児に張り合って仕事を辞めて、家でママの帰りを待とうとした、そんな馬鹿です」


「…………は?」


「あの男の顔は覚えてません。私が父親のことで記憶に残ってるのは、大きな体に、威圧的な低い声と、大きな怒鳴り声——漠然とした印象ばかりが、今も頭から離れないんです」



私は父親とまともに話したことは、多分ない。

怒鳴られた記憶はあっても、何を言われたかはもう思い出せない。


私が父親のことで一番記憶に残っているのは——振動だった。


酒に酔った父親が、私に暴力を振るおうとした時。私を庇うようにママが、私の上に覆い被さった。

父親は喚きながらママを蹴り上げて、その衝撃が私にも伝わってきた。

体の痛みはこれっぽっちもない記憶。だけどあの時、断続的に感じた体の揺れと、ママの呻き声は、いつまでもリアルに残り続けてる。



「……ごめんなさい。私も勝手に、夢見てました。……ママが溝口さんの話をするたびに、それを聞いて、溝口さんみたいな人が、お父さんだったら、……いいな、って……」



下顎が震えて声が詰まった。これが恐怖心からなのか、先輩に対しての罪悪感からなのかは、もう判別がつきそうになかった。


泣くものかと、歯を食いしばる私は顔面に力が入って、さぞ不細工になっているんだろう。

溝口さんは困り顔で口をつぐみ、振り返って京也先輩をうかがった。



「こっち見るな……というか、俺を言い訳にするなよ。自分のことだろ」



息子に冷たく突き放されてさらに困ってるのはわかるけど、ごめんなさい。こっちは溝口さんが考える時間を待ってられない。



「迷惑だったらはっきりと言ってください。そうしたら、私も、もうこんなこと二度と言いませんし、付きまとったりなんて絶対しません。……ママも、溝口さんから直接本心が聞けたら、諦めがつくと思います」


「いや——」


「でもその前に!」



ハッとして慌てた溝口さんが発言しようとした声に被せる。

こちらの大声に親子共々同じ顔で固まってしまったけど、構うものか。



「おたくの社員! ほんっとにどうにかしてください!!」



言った。言えた。——言ってしまった。

もう後戻りはできない。



「……社員?」


「………………誰?」



時間帯への気配りもそっちのけで喚いた後の余韻に、溝口さんと京也先輩が頭にハテナを浮かべてこぼす。


脈絡もなく訴えられても何のことだかさっぱりなのだろう。きょとんとする溝口さんは悪くない。

悪くないけど、まったく事態を掴めていないのが丸わかりなその表情には苛立ちが込み上げる。



「溝口さんと同じ会社で働いてる、志士脇って人。4年前に、ママが仕事を辞めるきっかけになったヤツです!」


「……ああ……」



溝口さんの口からこぼれた気の抜けた声は、その時のことは覚えているが、その男がどうしたのかと、不思議がっているように私には聞こえた。

どうしたもこうしたもないのよ!



「なんで! あの時ママが付きまとってくるとか嘘ついて、それで迷惑して仕事に支障が出てるって言って、ママを辞職に追い込んだヤツが、4年越しでママに付きまとってんですか! ありもしないことでっち上げて正式な被害者になったんだから、金輪際加害者には近づかないのが筋でしょう! っていうか、なんでアイツがウチの場所知ってるんですか!?」



怒りに任せたら自分でも何を言ってるのかよくわからなくなってきた。

溝口さんからしたら完全にとばっちりだ。



「凛、ちょっと落ち着こうか」



見かねた京也先輩に待ったをかけられ、素直に従う。

感情の爆発は長く続かず、すぐに冷静になれた。



「……大声出してすみません」



もう、熱くなりすぎなのよわたし。穴があったら入りたいよ。



「うん、まあ……必死なのは伝わったから」



こんな時でも苦笑しつつフォローしてくれる先輩は聖人か。



「……つまるところ、4年前……、西森さんとトラブルになった、件の彼が最近になって、なぜか西森さんのお宅を訪ねて来た……ということであっているかな?」



こちらが感情任せに吐き捨てた言葉を一つ一つ噛み砕き、溝口さんは確認するように私に聞いた。



「……はい」



私がうなずくと溝口さんは難しい顔で考え込んだ。

ママと志士脇の関係については、彼にも思うところがあるようだった。



「……それは、いつのことか聞いても……?」



問いかけに、私は反射的に京也先輩を見上げてしまった。


親子揃って察しがいいのか。ふたりしてはっと息を呑む。おそらく、私が不審者がいると京也先輩に電話した夜——ママと溝口さんが外食にでたあの日だと気づいたのだろう。


でも、それもあるけど、そこじゃないの。



「……それと、今も……」



気まずくなってうつむき気味に小さく付けたした。


腹が立つし怒りをぶちまけたい相手だけど、本人と鉢合わせるのはやっぱり怖い。だから家に帰れない。

おそらくママも、ひとりで家の中に立てこもってる。


溝口さんの目が大きく見開かれた。



「——っ、どうしてそれを早く言わない!」



発せられた鋭い声に体がびくりと跳ねた。

頭が真っ白になって、返すべき言葉を見失う。


怒らせてしまった。謝らないと——。

ごめんなさいってするだけ。わかっているのに声が出ない。



「あっ、いや……」



萎縮した私に溝口さんがうろたえて、その困惑した表情で一気に思考が戻ってきた。



「すみません! なんかもう……勢いばっかりで」


「大丈夫。とりあえず落ち着こう。私も、いきなり怒鳴ってすまなかった」


「説明下手くそでごめんなさい」



優先順位も何もあったもんじゃない。

悠長に話してる場合じゃないって気持ちは焦っていても、なかなか本当に伝えたいことまで辿り着けなかった。



「いや、こちらが拒絶するような空気を出してしまったのが悪かったんだよ。ひとまず話はわかったから。——車をまわすから、家まで一緒に行こう」



ああもうこの人優しすぎる。

気がゆるんで泣きそうになるのを我慢して、頭を下げた。


溝口さんは奥の部屋に行って慌ただしく準備をする。

玄関でぽつんと待っていると、手前の部屋からジャケットを持って先輩が出てきた。



「邪魔しないから、俺も行っていい?」


「邪魔だなんて……すごく、ありがたいです」



よかった。京也先輩がいてくれたらすごく心強い。

車の中で溝口さんと二人きりは、必要以上に緊張してしまいそうだったからほっとした。







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