2.両片思いが動きだす⑵
思わずスキップしてしまいそうなほど足取りが軽い。
溝口先輩と別れてからも興奮は冷めず、ルンルン気分で廊下を進む。すれ違う生徒たちの二度見はスルーして、心の中でガッツポーズ。
よかった。
先輩も、認めてくれてるんだ。
その事実が何よりも嬉しい。こんなことならもっと早くに聞いておけばよかった。
顔がにやけそうになるのを堪えて教室へ戻る。
すると席に着くなり美奈子がやって来た。
「あんた、とうとう溝口先輩に告ったの?」
「……へ? や、ちがっ……、そんなわけないじゃないっ!」
開口一番に爆弾を落とされ慌てて否定する。
「うろたえっぷりがちょー怪しいんだけど……。まさかあんたが先輩から告られたり?」
「それこそあり得ないから! っていうかどうして先輩と会ったこと知ってるのっ!?」
「相変わらずツメが甘いわね。密会したいなら別館の渡り廊下なんて通るんじゃないわよ。あんたと先輩、廊下の窓から丸見えだったわよ」
……まじか。やらかした。
「——で、告白でもないってんなら、溝口先輩と何話してたのよ? ここらで言っておいたほうが自分のためよ」
こんなとこで言えるわけないじゃないの。
美奈子はともかく、話し声が聞こえる距離にクラスメイトがいる状況で家の事情なんて話せない。
「……ええっと、そう……落とし物を先輩が拾ってくれて、それを職員室に届けたってことを教えてくれたの」
しどろもどろになりながらも思いついた理由を口にするが、美奈子は納得してくれなかった。身をかがめた彼女の不服そうな顔が眼前に迫る。
「……今思いついたでしょ、それ?」
「…………うぅ」
ひそひそ声で指摘され、否定できずに視線を泳がせた。
「……あとでじゃ、ダメかな?」
小声で耳打ちしたら、察しのいい美奈子は理解を示してくれた。
「落とし物ね。……まぁ、そういうことなら納得だわ」
さらには上体を起こしてみんなに聞こえるようはっきりと言ってくれる。
こういう気遣いができるとこ、ホントにすごいと思う。
「西森ぃ〜、お前さっきあの溝口先輩と歩いてただろ!? まさか告ってフラれたのか〜?」
ホッとしたのも束の間。
クラスメイトの河原君が教室に入ってくるなり大声でのたまいやがった。
教室にいた生徒たちの注目を集めながら、河原君はずかずかと私の席まで歩いてくる。
ムードメーカーでお調子者の彼はいささかデリカシーがたりてない。つーかフラれたとか、そういうことを面白そうにニヤニヤ笑って言ってくるってどうなの。
「それで、2年の先輩となーに話してたんだよ?」
「え……特に大したことは……」
美奈子を押し退けるように私の席の前に立った彼に気圧され、不必要な後ろめたさを感じてしまう。彼のかもす、私は質問に答えて当然って空気が嫌だ。
ぐいぐいくる男性は苦手だ。
怯んで無意識に足に力が入った。座っている椅子ごと後ろに下がる。するとすかさず美奈子が机に手をつき、私と河原君のあいだに上半身を滑り込ませてくれた。
「それってあんたに話す必要ある? 不躾な男はモテないわよ〜」
美奈子のちゃかした口調に河原君がムッとする。
「なんだよ毎回、お前は西森の保護者か」
「保護者じゃなくて正真正銘のお友達よ。ただクラスが一緒なだけのあんたとは違ってね」
トゲのある言い方に河原君の不機嫌度が上がる。
ギスギスした空気に耐えられなくなり、私は慌てて口を開いた。
「あのっ、ホントに大したことじゃないの。溝口先輩が私の落とし物を拾ってくれて、それを職員室に届けたってことを教えてくれただけだから」
「は? そんなのその場で伝えればいいだけじゃねえの? つーか何落としたんだよ?」
おっしゃる通り。……私は何を落としたことにしたらいいのかな。
返答に困る私とは逆に、美奈子は河原君を鼻で笑った。
「バカねぇ。紛失物が他人の手に渡ったら危ない貴重品だったから、先輩は気を利かせてくれたんでしょ。昨今は学校内でも誰が聞き耳た立ててるかわらないもの。それぐらい想像力を働かせなさいよ」
……うぅ。助けてもらってるのに、私の心にもグサグサ刺さるよその言葉。
「それで、こっちはこれだけ言ったのだから、どうしてあんたが凛の個人的なことにしつこくこだわるのか、今度はそっちが教える番だと思わない?」
そして美奈子は追撃も忘れない。
不意打ちで話題を振られた河原君は目に見えてうろたえだした。
「べ、別にしつこくはしてねえだろ。たまたま見かけたのがあの溝口先輩とウチのクラスの西森って組み合わせで、珍しすぎて気になったってだけで……」
「へぇ〜、気にしちゃうんだそこ。なに、ひょっとしてあんた凛のこと意識してるとか? 溝口先輩にヤキモチやいちゃった?」
「んなわけねーだろ。つーかなんでもかんでもそういう方向に持っていくなよ。女子ってそんな話ばっかだよな」
「はいブーメラン。河原あんた、自分が凛に言ったこともう忘れたの? 凛が溝口先輩に告ったとかフラれたとか、最初にそういうからかい方してきたのはそっちよ。からかわれる立場になったからって逃げてんじゃないわよ。それにしても、焦るとこがますます怪しいわねぇ」
「だーから違うっつの馬鹿馬鹿しい。あーもうお前と話してると疲れるわ……」
ゴニョゴニョと口ごもりながら、河原君は撤退していった。
「まったく」
河原君の背中をひと睨みして、美奈子はそのきつい眼差しを私に移す。
「貸しひとつよ」
助けてやったんだから正直に喋りなさいと言外に釘を刺された。
「……うん。ありがとう」
美奈子のことは信用している。彼女は内緒話を他人に漏らすような人じゃない。
先輩の気持ちが知れた今なら、私が抱えるモヤモヤを打ち明けても大丈夫だろう……たぶん。
だけどどんなに期待をされたって、私と溝口先輩のあいだに特別な感情はない。
そりゃあ私は先輩のことを普通にカッコいい人だとは思うけど、言ってみればそれだけだ。
恋をしてるのはわたしじゃない。
これも今日、先輩と話したことではっきりした。
絶賛両片思い中なのは——私のママと、溝口先輩のお父さんだ。