10.二人の距離を縮めるには⑵
私と美奈子と、そして河原君は高校1年の時も同じクラスだった。
そして美奈子と河原君のあいだには現在にも爪痕を残すほどの、決して小さくははない因縁があった。
1年のとき、河原君が「いじり」のターゲットにしていたのは、私ではなく美奈子だったのだ。
高校に入学したばかりの美奈子はそこまでオシャレに目覚めておらず、今より体型がふくよかだった。そんな彼女を河原君は体型のことでからかって楽しみ、一年時のクラスメイトにも同意を求め美奈子をいじるのに周囲を巻き込んだ。
美奈子は姉御肌で気が強い。誰に何を言われても平然としているから、自分たちが何を言っても問題ないと彼らは判断したのだろう。
度がすぎる悪ふざけに白ける生徒が出始めても、河原君の暴言ともとれる美奈子へのキツい当たりは止まらず、日に日に悪化していった。
そこで同級生のオモチャにされて終わらないところが美奈子のすごいところだ。
ブチギレた美奈子は一念発起してダイエットに励み、半年かけて彼女は現在のスタイルを手に入れ、最後は河原君たちを黙らせた。
美奈子がどんどん綺麗になっていくにつれて、味方も増えた。スクールカーストの最上位に立った彼女をからかえるような空気は、教室から完全になくなったのだ。
そうなったところで河原君は、いじりのターゲットを私に変えた。
たぶん、彼が美奈子をからかっていたとき、毎回近くにいた私に「お前もそう思うよな?」と聞いてきた彼に、一度も同意しなかったのが気に食わなかったのだと思う。こっちからしたら友達を豚だブスだと言われて、たとえ空気を読んだとしても頷けるわけがない。
そういうことがあって、2年に進級してまた彼と同じクラスになったと知った時の気の沈みは酷かった。
美奈子も一緒じゃなかったら、私はちゃんと毎日学校に登校できていたかもわからない。
美奈子も河原君もクラス内では人気者だ。しかし多くの生徒が1年時の軋轢を知っているため、ふたりをクラスのまとめ役として同じ壇上に立たせるようなことはしない。
派閥というほどはっきりとした囲いはできていないけど、基本的にうちのクラスは男子は河原君、女子は美奈子が中心になって動いているところがあった。
私としてはたとえクラスメイトであっても河原君にできるだけ話したくない。
美奈子にしたことを彼が謝り、美奈子が謝罪を受け入れたとしてもあの時のことを許す気にはなれない。ならばもう関わらないのが一番だと思って距離を置いている。
それなのに彼のほうがやたらと突っかかってくる。
私の気弱な態度に味を占めているのか、彼は美奈子がいくら絞めてもしつこく絡んできた。
私は美奈子の時のように暴言は受けていない。もしかしたら私が過剰になっているだけで、河原君からしたら他の人と同じように接しているつもりかもしれない。
あの距離感とテンションの高さがどうも苦手で、私がそのノリに付いていけないから、苦痛に感じてしまうってことは自覚しているけど……。
本当にもう、どうすればいい加減に興味をなくしてくれるのかなぁ。
*
「私の経験からして、世の中の男はクズかそれ以外かに分けられるのだけど」
「うんうん、いきなりどうしたの?」
「河原君は絶対にクズの分類に入ると思う。人の作った料理にケチつけて、お金を渡さなかったら『お前って卑しい奴だな』とか抜かして、あからさまに不機嫌な態度を示すことで相手に自分の機嫌を取らせてコントロールしようとしてくる、そんな奴」
「あー……、あんたが河原をどっかの誰かと重ねているのだけはわかったわ」
そうだよ過去にママが付き合った彼氏たちだよ。
「……大っ嫌い。汚い言葉はダメってママに言われてるけど、やっぱりウザいの、腹立つの——っ」
「はいはい。それは過去に会ってきたクズ男たちが? それとも河原が?」
「どっちも!」
「でしょうねえ。……そろそろその卵焼き、食べてあげたら?」
苛立ちに任せてお箸で分割に分割を重ねて破片にしてしまった卵焼きを指摘された。作ってくれたママの顔を思い出し、途端に申し訳なくなってちびちびと破片を口に入れていく。自分でやらかしたこととはいえ、惨めさが増した。
昼休み、教室を出て美奈子と一緒にお弁当を食べる私の箸の進みは遅い。せっかくのお弁当もむしゃくしゃしていてゆっくり味わえなかった。
美奈子は私の愚痴を聞いてはくれるが、一緒になって相手を責めるようなまねはしない。
サバサバした性格の彼女はもう過去に河原君に言われたことを何とも思ってないようで、私がいつまでも根に持っているような状態なのだ。
許せなくて、大嫌いなのに、当の本人には直接それを強く言えない。
自分の嫌な部分が浮き彫りになり、気分がずんと沈む。河原君が関わるといつもこうだ。
「ま、あいつがウザいってとこだけは私も同意しとくわ」
暴走する私を止める役回りになっていた美奈子も、そこだけはうなずく。ただし彼女は怒っているというより、どこか困ったような呆れたような、複雑な顔をしていた。
「あいつもねぇ、もっと攻め方を工夫すれば良かったのに……初動を間違えてリカバリーに失敗してんだから、救いようがないのよ」
「……河原君と和解する気があったの?」
「あいつがちゃんと心から謝罪してくればね。でももう遅いわ。結論、あいつは人の心に疎い自分勝手でわがままなお子ちゃまなのよ。そんな奴いつまでも相手にしてらんないわ」
美奈子がニヤリと人の悪そうな笑みを向けてきた。
「凛は空気の読めないお子ちゃまじゃなくて、溝口先輩みたいに紳士的で優しい人がタイプだものね」
言葉が耳に入ってから、意味を理解するまでに少々時差があった。
「……や、そ、そりゃあ河原君か京也先輩のどちらかを選ぶなら、間違いなく京也先輩一択だけど。っていうか無理矢理そういう方向に話を持っていこうとしないでよっ」
自分で言っておいてはたと気づく。
そうか。これまでママが付き合ってきた彼氏たちと溝口さんは、真逆のタイプなんだ。うん、それは間違いない……と思う。
「卵が先か、鶏が先かって、よく言うよね?」
「よくは言わないけどそういう言葉はあるわね。今度はどうしたの」
「……うん、なんかちょっと嫌なこと考えちゃって……。ママがこれまで付き合ってきた男は元からクズだったのか、……ママと付き合ったから、かつての彼氏たちはクズになってしまったのか……」
うちのママには世話焼きで尽くしたがりな一面がある。そこに甘えてわがままが増長した彼氏は、おそらくゼロじゃない。
「私からしたらどっちでもいいことだけど。……ただ、もしかしたら……自分と付き合ったら溝口さんがダメになるとか、ママは思ってたりするのかなぁ……って」
「ダメ男とあんたのママの因果関係なんて考えたくもないわ。ママが弱気な理由だって、そんなもの本人に聞いてみないとわからないでしょ。勝手にうじうじ悩んでもしょうがないし、それであんたのママに対する見方が変わるわけ?」
「それはない」
そこははっきり断言できた。私はママが大好きだし、マザコン上等で尊敬してる。
迷いなく否定した私に美奈子は食べ終えたお弁当をしまう手を止めて怪訝な顔をした。
「っていうか私は河原の愚痴を聞いてるつもりだったのだけど。いつの間にあんたのママの恋愛事情のお悩み相談になってるのよ」
そうだった。さっきの出来事なのに、河原君のことはすっかり意識から消えてしまっていた。
「それは……優先順位の問題、かな?」
苦し紛れに笑ってごまかす。
私にとってはクラスメイトよりもママの幸せの方が大事なのは言わずもがな。
3年に進級するか、長くても高校卒業までのはっきりと期限が定められた面倒な人間関係に、ママの4年越しのじれじれもだもだが敵うはずがない。
「ぶっちゃけ、河原君で悩むよりもママのことで悩むほうが有意義だと思うし、ママのことは美奈子にしか話せないから……」
「そう。あんたのそういう割り切ったとこ、わりと好きよ」
呆れられるかと思ったら、まさかの肯定。
「……いや……なんか……、……話聞いてくれて、ありがとう」
調子が狂うと一気に熱が冷めた。
ウザがられてもおかしくないぐらいにママのことばかり喋っている自分を客観視して、今さら恥ずかしさが込み上げる。
顔を赤くしてしおらしくなった私に美奈子が吹き出した。
「あーもうおかしいっ。急に我に返って不意打ち食らわせてこないでよっ」
「ええっ!? なにそれどういうこと」
「はいはい、あんたがいい奴だってことを言ってんのよ」
「わけわかんない。はぐらかさないでよ」
いい奴ってのは、むしろ美奈子のほうでしょ。
からかってくる美奈子に反論して、ふたりでバカみたいに騒いで——。
そんなことをしていたら昼休みが終わるころにはもう、私の頭の中から河原君についての悩みは綺麗さっぱりなくなっていた。