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1.両片思いが動きだす⑴





私、西森(にしもり) (りん)にはちょっと気になる人がいる。


その人の名前は溝口(みぞぐち) 京也(きょうや)。癖のない艶のある黒髪をした、同じ高校に通うひとつ上の先輩だ。

整った顔立ちをしている彼に憧れている女子生徒は多い。感情をあまり表に出さない物静かな人だけど、そのミステリアスな雰囲気と穏やかな空気に癒されるのだとか。





朝のホームルーム前。

教室の窓枠に肘をつき、ぼんやりと校庭を眺める。

私の視線の先には溝口先輩と、彼のお友達である鳥元(とりもと)先輩が校舎に向かって歩いていた。


在校生のなかでもずば抜けて容姿が整っている彼らは、校内でアイドルじみた扱いをされている。とはいえさすがに二人を見て甲高い奇声をあげる人はいない。

それでも近くを歩く女子生徒たちが先輩たちへと明るく挨拶する声は、ひっきりなしに私のいる2階の教室まで届いた。


鳥元先輩がそんな女子たちに笑顔で返し、溝口先輩は真顔のままぺこりと軽く頭を下げる。

反応は薄いが決して無視はしない。溝口先輩のそんな律儀なところが、学校中の女子からの好感度を上げているのだ。


かくいう私も、溝口先輩を人並み以上に意識する女の子たちの気持ちは十分すぎるほど理解できた。

普段は無愛想な人が時々見せる優しさは、ぐっとくるものがある。



——でも、私から話しかけるのは、やっぱり迷惑よね……。



一度でいいから溝口先輩と話しをしたい。

この高校に入学して、彼を見つけて以来ずっと思っていたことだ。


しかし私と溝口先輩は出会う機会がまったくと言っていいくらいにない。

学年は違うし、私も先輩も、部活動に所属していない。


もしも偶然にも委員会が一緒になったら……年度の始めに願ったりもしたが、1年2年と幸運の女神は私に微笑んでくれなかった。



こちらの視線に気づいたのか、ふと溝口先輩が顔を上げた。



「あっ……」



数秒間。

先輩と目が合ったような気がして、思考が止まる。呼吸を忘れて固まった。



「凛、おっはよー!」



そんなさなかに至近距離で名前を呼ばれ、肩がびくりと跳ねる。



「——っ! びっくりしたー……」



振り返るとクラスメイトであり友人の唯塚(ゆいづか) 美奈子(みなこ)が私の背後に立っていた。

気の強そうな猫目の美人は、今日も背中にかかる髪の毛先をゆるく巻いて、化粧もバッチリ。朝というのに隙がない。


意図せず私の朝の眠気を吹っ飛ばした美奈子はふたえの大きな目をさらに大きく開き、きょとんと首をかしげた。



「そんなに驚く? ……ああ、あんたまた溝口先輩見てたのね」



スクールバッグを肩にかけたままの美奈子が私の隣に並ぶ。二人で校庭を見下ろしたときにはもう、校庭に溝口先輩と鳥元先輩の姿はなかった。校舎の中へ入ってしまったようだ。



「相変わらず一途よねえ。そんなに好きなら思い切って告白してみればいいのに」


「や……、そういうのじゃないんだって」



私が彼に抱いているのは、恋愛感情とはまったく別の種類の感情だ。この心の内に秘めた気持ちは、一言で説明できそうにない。


自分だけの問題であれば、迷わず美奈子に相談していたと思う。

だけど私には溝口先輩に寄せるこの思いを美奈子にすら打ち明けられない、複雑な事情があった。



もう一度校庭を見下ろす。溝口先輩はいないけど、さっきそこを歩いていた彼の顔は鮮明に思い出せた。

先輩の容姿に、今となっては朧げな記憶になりつつある、とある男性が重なった。



「……先輩も大人になったら、物腰穏やかな渋めのおじさまになるのかな」


「なに、あんたイケオジがタイプなの?」


「だから違うって」



どうしても美奈子は私の憂いを恋バナに繋げたいらしい。まったくの見当違いだ。


そもそも私は、初恋だってしたことがない。






    *






溝口先輩と話すきっかけがほしい。

それは高校に入学して以来、ずっと願ってきたことだ。


今年の春、溝口先輩は3年生になった。

タイムリミットはあと1年。これを逃したら、私はこれからの人生で先輩と顔を合わせる機会がなくなる。


……いや、万が一にもあっちが進展したらそういう日(・・・・・)は来るのかもしれないけど……、いつになるかもわからないその日を待ち続けるのは、正直キツい。


できれば……叶うことなら……、今のうちに先輩の気持ちが知りたかった。



——でもなぁ、実際はどういう聞き方をしたらいいかも、考えられてないのよね。



もし奇跡が起こって溝口先輩と仲良くなれたとしても、なにぶんデリケートな話題なだけに自分から切り出せる気がしない。


話術を駆使してさりげなく本題を探っていくなんて高等テクニックが私にできるはずがないし、機会に恵まれたとしても結局空振りで終わりそう。


これまで何度も溝口先輩と会話する自分を想像してきたけど、たとえ妄想であっても綺麗な会話のキャッチボールができた試しがない。

私の支離滅裂で失礼極まりない言葉に妄想上の先輩は優しく応えてくれる——が、現実がそう甘くないのはちゃんとわかっているつもりだ。


だったらキッパリ諦めるべきか。

……やっぱり……それもいやだ。



「……——西森さん?」



いつものごとく溝口先輩のことで頭がいっぱいになっていた昼休み。


お手洗いから教室へ戻る途中、階段の前を通ったタイミングで呼び止められた。

声量は小さく、声音にはそこにいるのが本当に西森という人物なのか自信なさげな、それでいて確認するようなニュアンスが含まれていた。それでも私にとって「西森」は慣れた呼ばれ方なので、名前に反応して視線を向ける。


そして上の階から小走りに階段を降りてくる溝口先輩をみとめて、はっと息を飲み込んだ。



「少しだけ、いいかな? あまり時間は取らせないから」


「……あっ、えと……はいっ」



人目を気にして早口で告げられた言葉に、緊張しながら小さく了承をの返事をした。





別館校舎は滅多に使用されない特別教室と文化部の部室があるだけなので、昼休みはほとんど人が来ない。

本館校舎とは各階が渡り廊下で繋がっていて、私と先輩は3階の別館の玄関に移動した。


本物だ。本物の溝口先輩が目の前にいる。


向かい合う私たちのあいだには、大股で二歩分ぐらいの隙間があった。

内緒話をするには距離がやや遠いかもしれないけど、これ以上近づけそうにない。


緊張しているのは先輩も同じようだった。

声をかけたはいいが、なんて話したらいいのかわからない。気まずそうな表情からは、彼の困惑がありありと伝わってきた。——というか、その心情は私も同じだ。


このまま時間がすぎて昼休みが終わるのはもったいなさすぎる。

しっかりしなさい、私! 先輩が作ってくれた機会、無駄にしたらダメでしょ!



「……え……と、その……、いつも……お世話になっております」



頭の中のテンションは高いのに、口から出る声は震えてしまった。

自分のバカ。テンパってる場合じゃないってのに。



「あ、いや……、むしろ世話になってるのはウチのほうだよ」



あ……ハイ。それは主観の問題で……。


でも、その言い方をするってことは、溝口先輩は私のことを知ってるんだよね。


ええと……これどうしよう。このまま勢いで聞いちゃうべきか。



「あのっ——」


「あ……」



勇気を出したら先輩と被った。

そして両者ともに引いてしまい、気まずい沈黙が流れる。


様子からして先輩は「待ち」に入ったので、意を決して口を開いた。



「あの……」



今度は私だけの声が別館の玄関に響く。

これはこれで困った。先に話し出してしまったからには、私から話題を振らないといけないってことで……。


どうしよう。なんて言えばいいのだろう。



「……その……、好き……なんです。たぶん、とかじゃなくて……」



思ったままの言葉を口に出してすぐに後悔が押し寄せる。パニックになったらオブラートにも包めなかった。

もっと気の利いた言い回しとかあったはずなのに、どうしてこんなに頭が回らないのだろう。


内心冷や汗をかきまくる私は、それでもどうにか平静を取り繕って踏ん張る。

逃げるな。ここで逃げたら、全部がダメになる。


怖々と相手の出方を観察していると、先輩はうつむくようにして私の視線を逸らした。



「……俺のとこも」



ぽつりとひとこと。

呟かれた言葉に、ああやっぱりかと納得する。


溝口先輩も知ってるんだ。

当然か。私を呼び出すってことは、そういうことだよね。


……でも、どうしよう。その先が怖くて聞けない。


このことついて、彼はどう思っているのか。


聞いてしまうと、今の均衡を壊してしまいそうで。

自分のせいで、大切な人の幸せを台無しにしてしまいそうで……。


怖気付く私へと、溝口先輩が静かに口を開いた。



「……俺はもう、親に何から何まで頼らないといけないほど、子どもじゃないから。金銭面では頼りっぱなしだけど……」


「それっ……私も、です。掃除とか洗濯とか、ご飯の用意とか——、家事は一通りできますし……。……その、独り立ちにはまだまだですが、ちゃんと、自分のことは自分でできるって思ってます」



なんのアプローチだ。

互いに顔色をうかがいながら少しずつ、意見をすり合わせていく。


先輩の言った内容を頭の中で繰り返しているうちに、表情筋がゆるみかけた。

ダメダメ。早とちりかもしれないのに、自分の解釈だけで喜んじゃいけない。


期待と不安が入り混じり、落ち着きなく視線をさまよわせる。

焦ったさに痺れを切らし、本題を切り出したのは溝口先輩だった。



「俺は、この先何かがあっても反対はしない。それを伝えたかったんだ」



その言葉に弾かれたように顔を上げた。



「私も……、私もです! ずっと陰ながら応援しています!」



言いたいことが言えた!

嬉しくなってはしゃぎ気味に何度も大きくうなずく私とは対照的に、溝口先輩はとても落ち着いていた。


それでも心境は私に通じるものがあるようで、彼もかすかにだがうなずき返してくれた。



「——うん。それが聞けてよかった」



さすがイケメン。

不意打ちで見せられた先輩の微笑みは破壊力抜群だった。


さっきまでの緊張とは別のドキドキで心臓が鼓動を大きくする。




——ああ、きっとママも、こんな感じの笑顔にやられたんだろうな。








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