間奏曲 ――女王――
10月4日月曜日。
騒々しい講堂を後ろに馬車が走り出した。向かいに馴染みの侍女が座り、くすりと笑む。
「なんだか懐かしい気分になりましたね」
「どこがだ。あんな傍若無人に振る舞う聖国の学生などいなかっただろう」
聖国から来た学生というのは26年前から数えて10人もいない。今回の三人を数に含めてもまだ数える指が余る。
以前までは夫のひとりがここ、フライハイト領の出身であり、停戦で時世が変わったため教育に力を入れるためこの地にいたことがある。
長子を学園へ入れる際、先代東方天であるハインハルトと親しかったことから、甥である双子を招いたのは彼の案であった。
その頃の聖国も大した教育機関がなかったこと、ハインハルトとフュート、その子どもたちの立場が聖国内で微妙だったことなどもあり、その案は実行されることとなったのだ。
双子も親に似て聡明で、勉強に興味がありながらも教えてくれる者がない環境に長らく退屈していた。――――だから双方にとって丁度良い話しだったのだ。
今なおラウルスのために貢献しているのだから、優秀な手駒を育てた甲斐があったというべきだろう。
「……聖国の学生でなくても、誰かによく似てお元気だなと思いましたが」
「そんな奴いたか」
この侍女との付き合いは50年は続く。激しさを増す大戦の最中、次期王として必ず君臨しラウルスに完全勝利をもたらすべく、学んでいる際に出会ったのがこのゾフィだ。
長き争いの中、疲弊し未来の見えないこの国をどうにしかしたい一心だった。
その志に心服しついてきたひとりだ。――よもやその頃の家臣も数を減らしている。二人の夫ともこの学園で出会い、戦場で誓いを交したものの、どちらも既に散った。
どちらもオクタヴィアの偉業を以て安泰な世を見てから死ねたのだから、きっと悔いはないだろう。
「陛下のお足元は、随分と高くなってしまいましたからね。ご記憶になくとも、このゾフィがしかと覚えておりますわ」
含みのある言い方を払いのけ、窓の外を見ればまだ街も目覚めの準備に入っているようで、散った枯れ葉を片付ける者たちの姿が目に入る。
ここは静かだ。
日が昇れば街も学園も徐々に活気づき、ここに自らの意志で来た若者たちへ、知識と刺激と経験を与えてくれる場へと変わる。――徐々に活気付くその変化は嫌いではなかった。
それだけに、例の不穏分子共が忌々しい――。この第269代目女王、オクタヴィア・フェリクス・アルブレヒトの座する地を踏み荒らそうとする輩には怒りが込み上げる。
「それにあの話、――どうにも似たようなことを言われるから、まるであの方がご入学でもされたのかと思ってしまいました」
侍女が上機嫌そうに言えば、なにひとつ面白くもないことから鼻で一蹴する。
集音器を使わずに話すのはあの小童がよくやる手だ。精霊を使い己の声を周囲へ届かせる。奴のわずかな意思ひとつで全てが従属する証だ。
ここへ来た時もわざわざ道具を使い仰々しく業を披露していたが、本来であればあの程度のこと、あの身ひとつでこなせるものだ。――周囲へ青龍商会を印象付ける為にやっている小細工にすぎない。
先ほどの演説もそうだ。聞き覚えのある話に、辟易して早々にあの場を後にした。
「所詮、ハインハルトをなぞることしか出来ない小童だ。――なんとも目障りだ」
今は亡き碧眼黒髪短髪のお人よし。
特徴が似ていることから、より腹立たしさが募る。
『聖国にも教育機関はありますが、人々のためというよりも神に殉ずるためのものです。……ここみたいに、『自分』のために学べる場があったらいいなって僕は思っています』
黒髪の眼鏡をかけた青い目の優男。――神の代行者などと仰々しく祀られているが、その実、中身は根性もないただの弱い男だった。
神から与えられた剣を取れば数多の人の命を奪い、ただ死に場所を求めるだけの腑抜けだ。首を刎ねてでもやればあいつの願いは叶っただろう。
『――すごいですね。そんな昔からこの学園があるんですか。オクタヴィアさんのようにしっかりした人がいたから、この国の人たちは自分たちの為に学び、好きに『生きる』ことが出来るんですね』
にこにこと、毎度あまりにもつまらない事を言うものだから、何度その身に蹴りを入れてやったか分からない。
何も持たぬ兄の懇願に免じ生かしてみれば、戦場で相対した時とは全く異なり、始終へらへらと緩んだ空気しか生まない奴だった。
しばらくユスティツィア城で兄弟を捕らえて話してみれば、聖国も度重なる戦で疲弊していることが分かった。――――考えてみれば当然だろう。戦は金も人も、資源も何もかもを無駄にし棄損させる。
互いに無駄に削り合うだけの徒労を何千年も続けていれば、似たような状況になるのは至極当たり前だ。
聖国は四方天の加護で飢える者は少ないが、ラウルスは違う。――武でもって圧制したが、それに着いて来れた者たちはずっとずっと限界に近かった。
『天啓』がなければおそらく同じ轍を踏み続け、緩やかにこの国を衰退させた王の名のひとつとして埋もれていただろう。
――――分水嶺が、確かにそこにあった。
目の前の神の代行者を殺したところで、また次の代行者が出るだけ。
本当に始末をつけなければならないと言うのなら、聖国自体を滅ぼし、民を一人残らず殲滅する他ない。
それこそ無駄な徒労だ。――そう、毛色の違う兄は云った。
少し過去を遡り兄弟のことを考えてから、現状を顧みる。
あの二人の『血』を引く237代目東方天、あの兄弟と似ても似つかぬ性分なのに、時折見せる『血』の色が癪に障る。
おまけに蒼家の当代も、あの似つかぬ兄弟を慕っていると言いながら、その手腕は奴らよりも容赦も遠慮もなく囲い込むように己の要望を突きつけてくる。
彼奴らをラウルスへ入れなければならないこともだが、次世代を担う孫たちに接触させねばならないことも、悩みの種でもある。
とはいえだ、――――ここにいる孫たちは随分と大人しい。
次男のヨアヒム共々少々揉んでやるのも良い機会と、思わなくもなかった。
学園で得るものも多いが、温室の中で育った花のままでは生きていけない。
満を持して外に出したところで、風雨に晒され枯れるのが目に見えている。
ここと違い『外』では多種多様の思惑や視線に晒され、確固たるものが内になければ己の力で立つことも叶わないだろう。
現にひとりがそうなっている。――頭の痛いことだ。
ただの出奔ならまだ良かった。時には自分の時間が必要なこともあるだろう。
だがよりによって王であるグライリヒと対立するハイデルベルク家の元におり、あまつさえその子息が『Avici』と名乗る反体制派と手を組んでいると聞けば――――、一刻も早く連れ戻してやらねばならない。
そのためにあの蒼家と東方天の手を借りねばならぬということが、唯一気に入らない。
だが、背に腹は変えられなかった――。
『ヒルトと話がついていると聞いたが、第一王子を誘拐すればいいのか?』
初日に呼び出し、今後の話をすれば第一声がこれだ。
目的しか言わないところに、問答無用で終わらせようとしている気配があった。――手段と題目を選べ。
『お前が呼んだ騎士見習いのせいで取り逃がしたんだ。――Aviciを残らず殲滅してから、第一王子を連れ出していいか』
先の件を根に持っているからか、やる気のなさが全身から出ている。――だが、今は力を失ったと言え『東方天』が殲滅すると言えば被害は甚大だ。
言葉の通り、周りへの影響もお構いなしに問答無用で全てを始末し、ゼルディウスを攫うだろう。
呪いをその身に受け神の権能が制限されていると聞いているが、こいつは手加減を知らない。やめろと言う他ない。
第一王子のゼルディウスを聖国へ連れて行く件も、性悪小僧の思惑に絡め取られてしまったにすぎない。
――――人質がラウルスにあるんだから、聖国にも平等に寄越せ。そういう話だった。
連れて行かれるのは本意ではないがあの子がここで過ごすことが苦であるなら、人質という名目で預かってもらうことは悪い話ではないだろう。――その身の安全が保証される、ということでもあるのだから。
そう、背に腹はかえられない――。
『出来ればゼルディウス様のことを大事にして頂けませんか? あの子も巻き込まれているだけです。ご姉弟たちも、急に連れて行かれれば悲しむと思います。……特に先ほど助けて頂いたディアス様は兄君を慕っておりますので、どうか手加減なさって下さいませ』
侍女が言えば思うところがあったのか、不承不承ながらも受け入れた。
侍女の話はまだ素直に聞くだけに、やはり腹立たしい小童だ。
だが、今は雌伏の時。――――青龍商会などと馬鹿げた名を掲げているが、精霊を使う情報収集能力は目を見張るものがあり、各個人が高い戦闘能力を有し、速戦即決で数多の問題を解決している。
聖国内だけではあるが、四方天が出るまでもない些事を中心に活動し、大事があれば東方天が出張る。――緊密に連携が取れ、すぐに対処することから聖国での信頼は厚く、ここでもその名を聞くようになってしまった。
実に腹立たしいことだが、今はこれを頼る他にない。
王族関係者がハイデルベルク家の子息に手を出せば、中央でもその均衡が崩れてしまう。
第三者の手が、どうしても必要だった。
それも、あの小僧は分かっていた。
「そのようにご機嫌斜めでばかりいらしては、陛下の麗しい顔がもったいのうございます」
侍女の揶揄が飛ぶ。くだらぬ世辞に辟易し、耽っていた思案を打ち切れば、ちょうど馬車が城の前に到着したところだった。
「ぬかせ。さっさと例の奴輩のことを報告しろ」
「はい、陛下」
侍女が弾むように返事をすれば、馬車から降りる。――道を作る執事共の間を通り、執務室へと向かう。
ハインハルト以外の蒼家の人間と、このように手を組む事になるなどと思わなかった。――彼らは他所者である我らを受け入れることを最後まで拒否していた一族だ。
度重なるフュートの説得を無視し、ハインハルトの話に首を振り続けた。他家からの要請と民意に押され、ようやく35年前に休戦調停を結ぶことと相なった。
頑迷固陋で、他者と交わることを良しとしない清泉のような奴らだ。何かと交われば毒になるとでも思ったのか。承服させてやればいい気味だ。
時代が変わり人が変われば、先に広がる道も変わる。
――その分水嶺がまた、目の前に現れている。
まだ己に神の『天啓』が続いているとは思わないが、締結式を目前に両国を割ろうとする者が現れた。――それをもう一度『東方天』と共闘し、納めなければならないとは誰が想像しただろう。
しかも先代とは違い、こちらに敵意剥き出しで隠す素振りもない。
取るに足らぬ小童とは云え、力だけはある。
――――厄介極まりないことだ。
扉が開かれ見慣れた場所に着くが、一歩踏み出せば思わず足が止まってしまった。
「………………これはなんだ」
背後に並ぶ侍女と執事に云う。
普段であればこのような不足をしない連中だ。
「まぁなんてこと――――。一体誰がこのようなイタズラを」
白々しい侍女の声が隣に来るので、そちらを見る。両の手で口を覆い驚きを表現しているが、ただの振りをしているだけだと分かる。
「なぜ片付けない」
もう一度執務室へ視線をやる。
中央の机に一体、部屋の隅に一体、本棚に、窓際に、執務机に、部屋の隅と床と暖炉にそれぞれ一体、色とりどりの奇怪なぬいぐるみが置かれている。
ここで流行っているものだったか、見覚えのある形に片眉が吊り上がる。
このような傲岸不遜かつ厚顔無恥な行いをするのは、ひとりしか思いつかない。――いや、この世にひとりしかない。
「たった今、皆でこの部屋に辿り着きましたので、このような事態に気付きませんでした。今すぐ片付けさせて頂きますね」
にこりと悪びれる様子もなく侍女が口にすれば、執事たちが一斉に目につくそれを回収していく。――危険がないことを知っている動きだ。
「……いつから主人を鞍替えしたんだ貴様」
「まさか。私がお仕えすべき人はオクタヴィア様、ただおひとりです」
何が楽しいのかにこにこと嬉しげに微笑む長身の侍女であるゾフィ。――己に忠誠を誓いながらも、たまに人をおちょくる厄介な一面がコイツにはある。
これは男だが、このメイド服を身に付けているのはコイツの趣味だ。――――出会った当初は男の姿だったが、気付いたらこうなっていた。
別に求めていないし注意するほどでもないと放っているうちに、気付けば『執事』まで引き連れてくる始末。
彼らは腕も立ち隠密も諜報も出来るため、使える駒ではあるが腑に落ちない。
格好についてもとやかく云うつもりはないのだが、気付けばゾフィの趣味に囲われており、どこで止めれば良かったか――。これだけは今考えても正直分からない事案だ。
だが、今は些事に囚われている場合じゃない。――気を取り直し、執務席に辿り着き深く座る。
体重を乗せ軽く音を立てるが、気にせず机上へ目を落とせば拙い字の手紙が残されていた。
見知ったものだが、堂々と侵入の痕跡を残す愚行に手を伸ばし、目を通す。
親愛なるオクタヴィア様
おはようございます。少しだけクリスとお邪魔させていただきました。
やっぱり女王様の執務室は立派なお部屋ですね! 感動しちゃいました。
この前はお孫さまもいらしたためゆっくり拝見できなかったので、今日はしっかり観察させて頂きました。
どこを見てもカッコよくて、オクタヴィア様らしいお部屋ですね! ここに来れて光栄です!
あと今日から授業が始まって楽しみな反面、私でも付いて行けるか心配です。
昔クールマの神学校に少しだけ通っていましたが、空気が合わなくてすぐに行かなくなってしまったからです。
女王様も学生の時はそういうことはありましたか?
今度、女王様が学生だった頃のお話しも聞かせて下さいね。
追伸
クリスはまだ許す気はないみたいですが、たぶん自分で思ってるほど怒っている訳じゃないと思います。
また電話を貸してあげてください。
フュート様とお話しさせてあげれば、少しは気が変わると思いますから。
あと電話を壊さないようにってことだけは、ちゃんと言い聞かせておきますね!
オクタヴィア様が大好きなエリーチェより
二人だった。ご丁寧に犯行を残す無邪気な犯人に、呆れを通り越し感情も無くなる。一体いつ来たんだ――――。
「……あの小娘、私の執務室に堂々と侵入しておきながら……、なんと厚かましい」
後ろに控える侍女に片手で渡す。受け取り小さくその愚行を笑えば、どこかへとその手紙を持って行った。
執事共がぬいぐるみを手に、列になり見せてくる。
異様な光景にただただ言葉を失う。――東方天が勝手にやったとはいえ、此奴らが手を出せない相手だ。確認しているのだろう。
手を振りさっさと処分しろと伝えた。――こんなバカな指示をしなければならないことに、ため息が出そうになる。
机の端にある電話を手に取り、とある人物へ電話をかけることにした。
彼奴からこの勝手をするなと伝えてもらうのが一番だろう。文句と恨み言を伝えつつ、小童を止められる唯一の人物だ。
「決闘が終わり次第、小童にここに来るよう伝えろ。――余計な仕事を増やさせるな」
ダイヤルを回す前に侍女たちに伝えれば、一同が了承し己が役目に戻っていく。
この悪戯も東方天に入れ知恵した者がいることは想像に難くない。使える駒だがどこれもこれもが癖も我も強く、非常に厄介だ。――だが、いちいちこんな些末なことで相手をしてやる程、こちらとて暇ではない。
ダイヤルに手を伸ばした。――何度も掛けている番号だ、確認せずとも指先が覚えている。
呼び出しのコールが鳴り、深く背もたれに身体を預けもう一度部屋見る。ようやく見慣れた空間に戻った。
ふと、目線を上げる。――天井のシャンデリアに、濃いピンク色のぬいぐるみがこちらを見下ろすように置かれており、なんだか目が合う。
あの位置は絶対に小童だ。
必ず小童自らに取らせてやると忌々しく睨みつけ、相手が出るまでコールを鳴らし続けた。
夜の帳が下り、寒さが窓から伝わる時刻になっても呼び出した相手は来なかった。
己が侵した蛮行を悔やんだか、と一刹那ほどのわずかな時間考えてみたものの、そんな可愛らしい性格の持ち主でないことを思い出す。
唯我独尊とでも思っているのだろう、力を持つだけに厄介な存在だ。
赤紫色の葡萄酒を今一度傾ければ、窓の外から雨が降る音だけが背景音楽のように部屋に響く。
雨が降らずともこちらの動向には気付いているはずだ。今日来ないつもりなら、一体どう始末をつけるかと考えていれば、予告もなく扉が開かれる。
「ご丁寧に待っていたのか。――暇人か?」
誰の許しも介添えもなく扉が開かれ、一拍遅れて該当の人物が現れる。――ハインハルトでさえこのような傲慢な登場はしなかった。思わず眉根を顰める。
ここでは身分違いも甚だしい学生服を身に纏い、一本の剣を下げ悠然とこの城の主人であるオクタヴィアの執務室へ入る。名を隠し、身分を偽っているが、此奴が在る場所は全て意のままに開かれる。
世界に満ちる精霊があれに従属しており、いくら堅牢な壁を作ろうとも精霊のある限りただの砂場と同じ。その意思を振れば、全てがただの無為に帰す存在だ。
「呼ばれたから来てやった。――何か用か」
開け放たれたままの扉が勝手に閉まり、堂々と部屋の中心を通る。――中央に机があるが、何もない宙を踏み、常識さえも踏み超えてくる。同じ地に立てば大したことはない小童だが、宙にいる分こちらの身長以上の高さから事もなく見下ろしてくる。
なぜ迂回して来ない。
小童の癖に、ひたすら無駄に偉そうで腹立たしさが募る。
だがその意味不明さが逆に、――本当にその身に呪いを受けているのか疑わしい程に、これは人から遠い存在だと分かる。
「決闘が終わり次第来いと伝えていたはずだ」
執務机の前まで来ると見えぬ階段でも降りるかのように、気安く地に降り立った。
「行けたら行くとゾフィには伝えていたはずだ。今は急ぐ用もないだろ。非常時以外は私の良いようにしていいと、約束したはずだ」
控えていた侍女が飲み物を小童へ差し出す。無造作に受け取り、中を確認してから口にしている。
一気に煽り侍女へとグラスを返せば、剣に手を添え無造作に立つ。――抜けもしない剣だが、威嚇のつもりだろう。隠そうともしない敵意だが、こちらとて臆することはない。
机の上で手を組み、小童を睨みつける。
「――今朝のあれはなんだ。入室の許可は出してない」
「今朝、エリーチェがお前の話をしていたから連れてきた。手紙を残していたはずだが」
「ここは遊び場でも聖国でもない。好き勝手この城を歩き回っていいと許可を出した覚えはない」
「ふむ、――なら聖国に来ては好き勝手にするのもやめてくれないか。聖国は私の『城』みたいなものだ。好き勝手やっていいと許可を出した覚えはない」
剣に乗せていた手で腕を組み、しばし互いに睨み合えば静寂に雨音だけが響く。
席を立てば、数段下の場所に立つ神の代行者を見下ろす。
「――それで? 決闘と例の女はどうした。報告しろ」
「入国申請を毎回取り消してもいいんだぞ。――――決闘はディアスが収めた。例の女はガレリオが接触したが、私に何かあったことを知っており、隠す素振りもなかったと聞いている。噂と共に良からぬことでも広めるつもりだろう」
「待て、――ディアスが、……なんだって?」
「決闘の場をお前の孫が収めた、そうだろ?」
「えぇ、ご立派にも皆の前で『栄光の黒薔薇』を窘め、混迷を来そうとしていた決闘の行方に終止符を打たれておりました」
ディアスが? ――――六人いる孫の中でも一番引っ込み思案で、大人しい子だ。繊細すぎて、正直どうしたものかと手を焼いていただけに二人の話が飲み込めない。
というか、小童に相槌を打ち、感銘に浸っているがそんな話は聞かされていない。――通じ合う二人に不快感が募る。己に仕えておきながら、何故そちら側に立っているのか。
「ディアスに何かした訳じゃないだろうな」
小僧の入れ知恵か、――はたまたうちの孫を他人と取り替えでもしたのかと、突飛な考えが浮かんだ。
「何もしてないが」
この涼しい顔で何事もなく言い放つ姿が、実の祖父でもあるフュートによく似ている。――あれもいつも涼しい顔をしながら、何も考えていない癖に確信を突く奴だった。
この小童はさらに無計画でありながら、さらりと突飛もないことする。本当に厄介だ――。
「それから、――――全然孫から人望がないぞ。身の振り方を改めた方がいいんじゃないか」
この場を後にしようと小童が踵を返す。
「そんなことある訳ないだろ。余計な世話だ」
「嘘だと思うなら確かめてみろ。特にディアスに嫌われてるぞ、お前」
肩越しに一言つけたし、扉を開いて出ていった。
「まぁ……、それは大変困りましたわね」
困った顔でこちらを見る侍女を一蹴し、席につく。
あれはまた適当なことを言ってるだけだ。
まだグラスにある葡萄酒を煽れば、忘れ物と目が合う。
「――おい貴様! あれを取っていけ!!」
グラスを乱暴に置き、勝手に閉じる扉に向かい声を張り上げたが、小童は戻ることなくこの場を後にした。
「あらあら、あんなところに……。困りましたわね」
こちらの声にシャンデリアの上にある物にようやく気付いたのか、侍女がもう一度そう口にした。