64.路に迷えば②
夕食を済ませれば弟は話し足りないようで、元気がまだ減らない様子から部屋へ招いた。いつもの席に座り、斜め向かいに座る弟を見る。
先ほどの勝負が余程面白かったのか、何度もフィフスの話をしている。ひとつ話せば別の事を思い出し、それについて話せばまた他に気が移りと、気の赴くままに身の内の興奮を外に出しているようだった。
「――コルネウスとの勝負もすごかったですね。歌劇や演劇の殺陣でも、あんなに激しいものは見たことがありませんでした」
弟の楽しげな話とは裏腹に、重いコートが肩に掛けられたかのような疲労感がじわりじわりと圧し掛かる。朝からいろんなことがあったからだろう。身体が重い。
楽しげな弟に水を差すことは出来ず、相槌を打ち話を聞く。
エミリオの話も、先程目の前で繰り広げられていた決闘もなんだか遠いものに思えて、本当にあった出来事だったのか、そういう舞台を見ただけだったのか夢うつつな心地だった。
「エミリオ様、――」
アイベルが声を掛けようとすれば、タイミング良く部屋の電話が鳴った。何か言おうとしたものの、それを中断し部屋の扉近くに設置されている電話を取れば小さな声で用件を聞いている。
「……もしかして、お休みになる時間でしたか?」
時計を見れば、いつも休む時間よりは早い。
けれどこの身にあるけだるさを自覚すれば、眠気に似ていることに気付く。
それを元気な弟に見透かされ、思わず苦笑した。
「そうだな……、今日はイレギュラーも多かったから少し疲れたかもしれない」
紅茶に手を伸ばし、ソファに深く座り直した。――湯気はなく、ほのかな温かさだけが残るそれを口に入れる。
「……殿下、どうやらフィフスが下に来ているそうですが、今日は帰るよう伝えましょうか」
突然の話に腕を止める。ガレリオに連れて行かれそのままになっていた人物だ。その後についても特に約束してなかっただけに戸惑うものがあったが、――――もしかして昨日のアレかと気付く。
「フィフスが来るんですか?」
弟の声がワントーン上がった。先ほどの高揚が戻ってきたようで、アイベルの方を見るエミリオの背からも期待感が見える。
弟の前であの練習は出来かねる――。
だが、話せるなら話したいと思う気持ちもあり、返事に窮すれば、
「あの、――もしよければ僕もフィフスと話がしたいので、兄さまの代わりに応対しましょうか」
気遣うようにエミリオがこちらに振り返った。
「――大丈夫だ、通してもらうよう伝えてくれ」
手中のカップを置き、アイベルに伝える。弟に心配されるのも情けないが、何か他に用があるのかもしれない。
仮に先の『練習』についてなら、弟に席を外して貰えばいいだろう。少し口止めもしたいしと、誰に言うわけでもない理由がいくつも浮かんだ。
アイベルもこちらの様子に気付き、戸惑いながらも了承していた。
「エミリオ、フィフスに話があるならここですればいい。俺のことは気にしなくていいから」
「ありがとうございます! でも兄さまもお疲れでしたら、無理はしないで下さいね。その時は自分の部屋に戻りますので」
「――あぁ、ありがとう」
小さな弟の優しさに頷き、キールとアイベルが新たな訪問者の準備に取り掛かった。
まさかここから半刻も音沙汰がないなどとは、この時誰も想像していなかった――。
「……もしかして道に迷っているのでしょうか?」
「そんなはずは……」
手持ち無沙汰に弟が疑問を口にした。昨日も共に歩いて10分もかからなかったはずだ。階段を苦手そうにしていたものの、最後まで登る足取りは軽かった。――だからどうして現れないのかが謎だった。
部屋の場所も階段を上がり二つ目で、迷うようなものでもないだろう。昨日は共に歩いて来たし、一度窓の外から来ていただけに場所は分かっているような気がする。
何度目にしたか分からないが、刻々と時間が経つのを時計が教えてくれる。変化といえばそれだけだ。
「――コルネウス様たちと、何かあったのでしょうか……」
不安げにアイベルが口にすれば、背筋に寒気が走る――――。
終わらせたと思っていたが、彼らからすればまだ飲み込めない溜飲があるかもしれない。――ひとつ下の階に彼らの部屋はある。
ソファから立ち上がり、扉に向かう。――もしかしてあの伝え方が悪かったのだろうか。ルールや人の目がある場所でコルネウスたちも無理はしないだろうが、誰もが終わったことと思っている。
目につかぬ場所でもし何かあればと、悪い想像が背後に付きまとった。
「――探しに行ってくる」
「僕も行きます!」
ぱたぱたと後をついてくる元気な弟と共に、部屋を出る。階段に差し掛かればいつもよりも静かな気がして、不安が少しずつ大きくなっていく。
どこにいるんだ――――。
視界に入る限り、人の影すら見当たらない。足早に階段を降れば、六階の廊下中央に人が集まっていることに気付く。――あの辺りはソファがいくつか置いてあり、彼らが歓談しているのをよく見かける場所だ。
ソファを囲むように集まる人波の中、幾人かがこちらの到来に気付き殿下と口にする声がこちらの到着を知らせていた。
「――お尋ねする、フィフスがこちらに来ていないでしょうか」
アイベルが代わりに前に出て彼らに用を伝えれば、道が開き誰かが座るビリジアン色のソファがよく見えた。
「――で、殿下……? どうしてこちらに……?」
こちらの到来に気付いたコルネウスとディートヘルム、先ほど勝負していたであろう騎士見習い達がソファから立ち上がる。コルネウスが何かを両手で持ちながら、戸惑っていた。
見覚えのある剣だ――。
冷たいものが心臓まで駆けた。
「――殿下? 二人ともどうかしたのか?」
左側の人波に隠されたソファが見えれば、そこに抜き身の剣を手にした人がいた。――コルネウスたちと同じ色の長ソファに座り、鞘と剣を手に青い瞳が不思議そうにこちらを見上げているのが視界に入った。
「フィフス! どうしてここにいるんですか?」
弟が大きく名を呼び、その人の側に行く。――見れば特に変わりなく、周囲の人間も戸惑いの方が大きいようで何か秘め事があった訳ではなさそうだった。
「どうしてって……、あぁ、すまない。ちょっと寄り道をしていた」
「……まさか、殿下たちと約束が……? ――貴様ッ! どうしてそれを先に言わないんだッ!!」
跳ねるようにコルネウスが怒声を上げ、両手にしていた剣をフィフスへ突き返した。
「申し訳ありません、殿下……。せ、先約があったなどと露知らず、彼と少し話をしておりました」
ディートヘルムが申し訳なさそうに謝意を伝えれば、周りの様子も先ほどとは違って大人しい。
「……何をしていたんだ」
その人が座るソファの背もたれに手をつけば、安堵からどっと疲労感が身体を重くした。
「ここを通ったら、コイツが――」
コルネウスがフィフスの顔の前に剣の柄を突き出し、言葉を止めさせた。
「……なんでもありません」
「えっと、……プランドゥーシーと言うんだったか? つまり、それだ。」
ひどく真面目な顔で説明をしてくれているが、誰も理解できていないようで周りも戸惑っている。計画・実行・評価――?
既視感のある様子に、ふと気付く。
「……もしかして『プライバシー』?」
「あぁ、多分それだ。」
横文字が苦手なのだろうか。何をどう混同すればそうなるのか不思議だ。
「殿下にお聞かせ出来るような話ではありません。どうかご容赦下さい……」
ついさっき干渉するなと伝えたからだろう。コルネウスは目を合わせず、居心地が悪そうにしていた。
「どうかご友人殿もお引き取りを――。この続きはまた今度にしてくれないか」
「分かった。こちらも有意義な時間を与えてくれたことに感謝する。……さっきの件はどうか内密にしてくれ。」
フィフスが立ち上がれば、手中の剣を鞘へと戻しコルネウスへと返していた。
「分かっている」
両者が剣を取り換えれば、何か通じるものがあるようであまり良い気分ではなかった。
「……なんの話をしていたんだ」
「そうです、フィフス。僕も兄さまもずっと待ってたのに全然来ないし、心配していたんですよ。――密談をしていたなんて、あんまりじゃないですか」
わざとらしく怒りを表現している弟に言われれば、フィフスもコルネウスも目を合わせた。――周りの者は両者の話を知っているのだろうか、それであれば尚のことどうして隠されるのか分からず嫌な気分になる。
「確かにその通りだな。……まず、ここを通ったらコイツが心底落ち込んでいたから声を掛けたんだ。」
コルネウスを指差せば、話されると思ってなかったようで大いに取り乱した。フィフスを止めようとするも、その隙が見つからず諦めて片手で顔を覆いながら後ろのソファへ沈み込む。
「――頼むから、それ以上は口にしないでくれるか……」
弱々しい呟きにディートヘルムが庇うようにコルネウスを隠せば、小さく苦笑しながらこちらに謝った。
「……その後、少し気になったことがあって私も尋ねたんだ。……それがどうやら大きな誤解だったことが分かってな。……彼らの沽券に関わることでもあるし、こちらの体面もあって、……これも少々言いにくい。」
「――俺にも話せないことなのか」
こちらの問いにすぐに答えられないようで、弱々しくディートヘルムに視線を送っており、彼がため息をついた。
「代わりにお伝えしましょう。少し言葉を濁すことをお許し下さい。――聖国で騎士道を広める者が少々暴走していたようで、それでフィフス殿が意義や矜持を誤解をしていた、という話です。……どうやら立場ある方々にもご迷惑をお掛けしているようで、……我々としても頭の痛い話です」
ディートヘルムの説明に渋い顔をしており、彼の説明に出てきた『立場ある方々』のひとりなのではとその人を見た。
「……悪いがそいつらの名前は伏せさせてくれ。出来ることなら穏便に闇に葬ってやりたいと思ってる。」
「……今の話は聞かなかったことにしておこう」
不穏な言葉の受け取りを拒否し、ディートヘルムが手で振り払う仕草をしていた。
「話してたのはそれだけなんですか?」
「あとはアイツの女の趣味が悪い、と言う話をしていた。」
エミリオの質問にディートヘルムを指差しフィフスが言えば、被弾すると思ってなかったのだろう、意表を突かれた彼が苦笑いを浮かべていた。
「……それは言わなくて良くないか?」
「別に隠す話でもないだろ。ディアスとエミリオに変な趣味を教えてやるなよ。」
今度はこちらを庇うようにフィフスが立てば、コルネウスも立ち上がりディートヘルムの肩を引いた。
「えぇ、――人の趣味をとやかく言いたくないが、君は殿下たちに近づくべきではない」
「……なんだか二人は仲良くなったんですね」
似たような行動を取る二人を見て、エミリオがくすりと笑った。――ディートヘルムもコルネウスのことも長く知っているが、こんな気安いところは見たことがなかった。
誰の心の中にも軽く入り、春の雪解けのように人を変えてしまうのだろう。――――だというのに、解けずにこの心の中にあるものはなんだ。
「殿下たちがいらっしゃる直前は、彼の玲器というものを見せてもらってました。……ここであったことはそれだけです」
気を取り直したコルネウスが最後に説明をすれば、話は以上だと言わんばかりに目を瞑った。
「アイベル、この御仁が君の忠告を聞かないのであれば、我々が言い聞かせておこう。……それくらいのお許しは頂けないでしょうか」
「必要ない。この人にはしかと俺から伝えておく」
こちらに振り返り見上げる顔が驚きに満ちていた。若干揺らぐ青い瞳が大きくなるが、気まずげに逸らされる。
「待ちぼうけした分、僕も言いたいことがありますからね。――ね、アイベル、キール」
今度は眼下の弟に言われ、もう一度驚いたように弟とアイベル、キールのことを見ている。――この人の意表を突けたようで、少しだけ気が晴れた。
「分かりました。――もし何か、……我々でもお役に立てることがあれば、いつでもお声がけ下さい」
「覚えておこう――」
控えめに伝えられる言葉に踵を返し、この場を後にする。
大事がなくて良かったが燻るものが出来てしまい、先ほどまであった疲労感もどこかへ行ってしまった。
――心が狭いなと自覚するも、ここに来たのは自分のところへ来たからではなかったのか。
それに、――あのようにコルネウスもディートヘルムも普段よりも気安く、誰にもおもねる様子も見せず打ち解け合うところを見てしまえば、何故という気持ちが湧くのを止められない。
弟と話している声が後ろからすれば、ひとりで歩かせればふらりとまたどこかへ行ってしまうのではと余計な心配が浮かぶ。
――――本当に余計な心配だ。
徐々に独善的すぎる考えが胸中を占めていることを自覚すれば、ため息が出た。
部屋に戻るまでに、胸の内の黒いものをどうにかせねばと、階段を上りながら燻る心をなぞる様に考えた。




