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第二王子は憂鬱~divine femto~ 学園都市ピオニール編  作者: 霜條
ゼノラエティティア暦35年10月4日 月曜日
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63.路に迷えば①

 決闘の勝者によって(もたら)された静寂は、三ヶ月に一度行われる王侯貴族が一堂に会する重要な会議の緊張感に似ていた。

 末席で話を聞く機会がたまにあるが、あれは一日中各領地の者たちから前月提起された問題についての報告や新たな訴え、実情の調査報告など様々な話を聞かねばならず、適当に聞けないため非常に労を費やす。

 そのため休息の折々で、姉たちとよく愚痴をこぼして気を紛らわせたものだ。――その姉も今は驚きと戸惑いの表情を見せ、ただただ言葉を失っている。

 あの時のように、軽口を言えるような空気は微塵もなかった。

 時間にすればどれくらいだろうか。時が止まってしまったかのように皆が動かず静かになってしまったので、呼吸の仕方を忘れてしまったのではと心配になる。

 それくらい渦中に放り込まれただけのディアスの胸中と、周囲の人々の表情には差があった。

「こちらの要望はそれだけだ。理解したか?」

 話を聞く準備が誰も出来ていないのは火を見るよりも明らかなのに、フィフスは気にせず言葉を続けていた。

 当事者である自分でも全くついて行けてないが、果たしてこの中に高座で仁王立ちしているあの人の言葉を理解した者はいるのであろうか。

「……そ、そんなのダメ……、――絶対にダメ!!」

 静寂を破ったのは意外にもコレットだった。初めて聞いた大声と共に慌てて後ろへ下がる椅子の床を引っ掻く音が響き、高座上に佇むフィフスへ震える声で抗議した。――一気に従妹に注目が集まり、時が戻ったかのように沈黙していた周りの人間も徐々に動きを取り戻していく。

「そうか、――ならお前も共に来ればいい。歓迎しよう――。」

 温和な笑みを浮かべ、彼女に手を差し向けた。

 そのまま迎え入れられるなど、誰か予想していただろうか。背を見せている従妹がどう思っているのかは定かではないが、叔父は蒼白だ。

 先日『全員連れて行かれたらどうしよう』とぼやいていた話が急に現実味を帯びてくる。

 だが冷静に考えれば、この要求はそもそもがおかしい。

 だからだろうか、――動じるなと言われていても、名を使いたいと申し出があったことを抜かしても、突飛過ぎたせいで始終落ち着いた気持ちでいられた。

「――――そのような馬鹿げた話……、誰も許すわけがないだろう! ディアス様もコレット様も王族だ。王位継承権を持つお方の処遇について、我らに決定権があるはずもないことも分からないのかっ!!」

 言葉を失くしずっと口が開きっぱなしだったコルネウスが、毅然(きぜん)とした頼もしさを取り戻して叫んだ。

 肩を持つ気はないがコルネウスの言う通り、どうして彼らにそのようなことを言っているのかが分からなかった。

「あら、そんなの分からないわ。――ねぇ、フィフスはディアスとコレットを貰ったらどうするつもりなの?」

 いつの間にか席を立ったレティシアが、コレットの肩を抱いて優雅に問うた。――場を乱すつもりなのか、何かを期待している声色だ。

 彼女の期待に応えるかのようにフィフスが姉妹へ笑みを送り、空の手の平を見せた。

「そんなの決まっている。――仕事をしてもらう。」

「――仕事……?」

 また『仕事』か。――――あの人の『仕事』に巻き込まれるのかと、なんだか腑に落ちた。

 ついて行けてないコルネウスの表情がまた崩れている。

 周りを見ても戸惑いと忘我(ぼうが)、動揺に期待といった多種多様な色が見えた。十人十色というが、人によって言葉の受け取り方が全く違うのだと他人事(ひとごと)な感想が浮かんだ。

「そうだ。――もちろんお前たちの待遇について最高のものを用意しよう。衣食住はもちろん、働きの如何(いかん)によって報酬だって足るものを与えてやる。」

 なぜか従妹も巻き込みつつ話が進んでいるが、成果報酬制にブラック気質(仕事中毒)なあの人の思想が(にじ)んでいる気がしてならない。

 もしかして聖国ではそうなのかと、ガレリオの姿を探してみたがどこにも見当たらなかった。――代わりにリタが頭を抱えて椅子の上で(うずくま)り、エリーチェは呆気に取られてるのか随分と気の抜けた表情で、高座の下から渦中の人物を見上げていた。

「なーんで急に王子様たちをリクルートしてるんですか。と言うか、どこでなんの仕事をさせる気なのか、全然分からないんですけどー?」

 どこからともなくガレリオの声が届き、姿を探せば高座を挟んだ向かいの人混みから現れた。そのまま高座へと足を掛けフィフスの隣へ行けば、呆れた様子で腕を組んでその人を見下ろしている。

「そんなの、たくさんあるから好きなのを選べばいい。――同郷の者が多いのは聖都とシューシャだが、仕事なら外交から貿易、観光、統治、運営、防備に研究となんでもあるぞ。――いや、いるだけでも充分観光名所にでもなっていいんじゃないか?」

 選択肢が多い。観光名所にされるのが一番嫌だなと思いながら、高座上で和やかに話す二人を見た。

 一番側で話を聞いているコルネウスはまた言葉を失くしてしまったのか、口元を戦慄(わなな)かせている。

「なぁんだ……、全然面白くないわね」

 レティシアが大いに落胆しているようで、コレットが座っていた席に腰を下ろした。――座る場所をなくした従妹はオロオロと戸惑っており、リタが戸惑いながら席を譲っている。

「坊ちゃんが変なこと言うからみんな困ってるじゃないですかー。もう恥ずかしっ! ――それに王子様を貰うだなんて……、プロポーズみたいなセリフも言う相手も間違えてると思うんですけど? もしや、この方々が殿下のご両親にでも見えるんですか??」

 茶化すように軽い口調でフィフスへ伝えれば、方々から期待はずれと言わんばかりの深いため息と落胆が届く。――皆の表情と戸惑いの意味に今更気付き、ディアスは固まった。

「グライリヒ陛下を他の誰かと見間違えるような愚、冒す訳がないだろ。――彼らには数の理があり、熱心にディアスを崇敬している。そんなお前たちの許可が必要だと思ったから、要求を伝えたまでだ。」

「へぇ……? まだ俺にはよく分からないんですけど、皆さんは殿下の後見人か何かってことなんですか?」

「さぁ? だが同じ寮にいるし、六大貴族に名を連ねている者もいる。だからだろうか、別にディアスは望んでいないが、友人である私の排除や、あいつの行動や志向を阻害させるような言動を以前からしているそうだ。――――まるで、お前たちの所有物みたいに、第二王子でもあるディアスに干渉しているのだから、貴族とは随分と偉いのだろう。」

 停止していた思考が我に返り、友人の姿を視界に映した。フィフスは目を細め、正面からコルネウスたちを冷ややかな笑みを向けている。

「あぁ〜なるほど、だから皆さんの許可が欲しかったんですねー。確かに仕事を紹介するなら、()に筋は通さないといけないですもんね」

 天気の話でもしてるかのような気安さでガレリオが相槌をしているが、彼は分かっていたのだろう。フィフスの意図が皆に分かるよう伝えている。

「そのような思い上がり、我々はしたことなど――」

「ほう、お前はそう(・・)思っているんだな。……ディアスもアイベルもお前たちには困っていると言っていたが、私の聞き違えだっただろうか。」

 名を出すもこちらに目もくれずに、コルネウスたちを見据えている。

「――後ろの連中はどうだ? 異議があるならば今伝えた方がいい。これだけの人前で互いに誤解したままでは気分が悪いだろう?」

 漠然とした輪郭が徐々に見えてきた。

 人を集めたのは、ただの賑やかしのためではない。――学生たちが応援する相手が誰であっても、あの人には関係なかった。

 問う声は静かだが、決して背を向けることは許さない威圧感を伴い、『栄光の黒薔薇』を見ている。

「『言いたいことを言い合える仲の方がいい』と、昨日アイベルの前で伝えたのは覚えているか? お前は同意してくれたな。……だがもし言葉にできないと言うなら、もう一度剣を取るがいい。武を以て、お前たちの意思を尊重しよう。」

 もう一度衆目の前で、宣戦布告していた――。

 『閉じられた空間』で、幾度となく不躾に突き出される彼らの『好意』が息苦しかった。悪意がないのは分かっていたし、そういうものを受け入れて飲み込む度量が必要なことも理解している。

 だけど、――――嫌なものは嫌だった。

 自分の気持ちも、彼らのこともうまくあしらえず、ずっと行き詰まりを覚えていた。

 近くにいた兄もそれに気付いていたから、昔から彼らに煩いと悪態をつき注意してくれていた――。

 その行動がさらに両者の関係を拗らせてしまい、兄の立場をただ(おとし)める結果になっていることに気付くも遅かった。

 兄を庇えば『お優しい王子』と()(そや)し、やめてくれと伝えても『そういうつもりはない』『殿下のため』と(かわ)される。

 兄が自分の元を去った今、何をしても無駄だと諦めていた。

 なにも出来ない無力さしか、この手にはないのだと――。

「ひとりが無理ならば、全員で来てもいい。数の利はそちらにあるんだ。こちらの手の内は全て(さら)したし、算段をつける時間をくれてやってもいい。」

 鮮烈な白い灯りがこの場に満ちる中、燦然(さんぜん)と彼らの有利を宣下(せんげ)している。

「18時には学校を閉めなきゃいけなんで、もう一度勝負したいって言外に言ってもダメですからね。俺、ここの人達にきつーく言われてるんですから」

「心配するな、まだ半刻もある。」

「『まだ半刻もある』、じゃないですよ。いいですかっ! 何事にも段取りってもんがあって、『はい解散』『はい閉めます』で済まないんですよ。……それに、あっちはたくさん人がいるじゃないですか。全員相手になってもらったら、どうなるか」

「楽しみだ。」

「すみません、この人に余計な刺激を与えないでくれますか? この通り血の気が多いもんで」

 ガレリオがフィフスを止めるように前に出るが、実際止めたいのは貴族たちだろう。――友人の言葉に戦意を回復させた者たちが殺気立ち、彼らは騒々しく口々に何かを主張している。

 こういう機会を設けることをいつから考えていたのか分からないが、約束通り『ディアス』(自分)の名を(おとし)めることなくこの場を収めてしまうつもりなのだろう。

 容易(たやす)く剣を取り上げ、衆目の前でコルネウスたちの立ち位置を(つまび)らかにし、彼らに弁明の余地を与えながらもそこから逃げることを許さない。

 一連の流れはどれも鮮やかだ。

 寛容(かんよう)に全てを許容(きょよう)しているが、一挙手一投足のどれも見落とさない細やかさにただ感嘆するしかない。――何もかもがあの人の手中にあるような錯覚すら覚える。

 椅子から立ち上がる。――高座を見上げれば、こちらの動きに気付いた青い瞳が少しだけ見開き、自分を視界に入れていた。

 誰かが自分の名を口にしていたが、足を止め振り返る時間など今は惜しい。――少し離れたところにある数段しかない階段を上がり、高座の中央にいるその人の元へ行く。

「……フィフス、もういい」

 きっとこの人ならば、うまく立ち回ってくれるだろう。

 先が分からなくても、その確信だけはあった。

「コルネウスたちも、もうやめないか。最初からこの人はお前たちに手加減しているし、このまま何をどうしても負けるのはお前たちだ。……それくらいのことが分からないほど、愚かではないだろ」

 頭に血が昇っていた『栄光の黒薔薇』たちの言を(さえぎ)り、事実を伝えればそれぞれが悔しげに眉を歪めている。

 隣に並ぶその人を見れば、時間をくれるようだ。(またた)きした瞳に(うなが)され、彼らに、――いや、自分自身と向き合う。

「ですが、殿下――」

「好意を持ってくれるのは有難いが、勝手に、――望んでもいないことを押し付けるのはいい加減やめてくれないか」

 『頼りにすること』と『身を任せること』について、今の今まで混同していたことに気付く。――いつものように流れに身を任せ待ってしまったが、これでは兄の時と同じじゃないか。

「――我々は殿下のためを思って、」

「どれも頼んだ覚えはない。今までアイベルからも再三伝えていたはずだ。」

 対等でありたいと望んだのは自分なのに、このままこの人を頼り任せていてはずっと後を追うだけになってしまう。

 いつもの場所で、ただ先へ行く人の背を見るのはもういやだ――。

 コルネウスが(すが)るように自分の正当性を口にしようとするが、どれも耳に入れるに値しない。――今まで何度も聞かされてきたことだ、今更言葉にしなくたって手に取るように分かる。

 同時に、それだけの時間をここで無為(むい)に過ごしていたという証でもある。――自嘲するしかない。

「今後、勝手に俺の名を使いお前たちの望みを叶えようとするな。……自分のことは自分で決められるし、今回のように干渉されるのは好きじゃない」

 騒々しい花たちは黙った。自らが生み出した空気が全ての時を奪ったかのように、静けさだけがこの場に満ちた。――ひとりで過ごしている時と同じようなしじまだ。

 だからだろうか。心には不安も心許なさもなく、かと言って安堵も安らぎもない。全てを出し切ったような、空虚さだけが身体の中心にあった。

 そんな中、始めに動いたのはディートヘルムだった。静かに向かいに立つコルネウスの側へとやって来て、彼の肩を叩いた。

 叩かれた拍子にコルネウスにも時間が戻ったように動き出す。意気消沈と言った(たたず)まいだったが、彼は姿勢を正し、左膝を立て目線を下げ跪礼した。――彼の行動に『栄光の黒薔薇』は皆同じ姿勢を取りはじめた。

「……委細(いさい)承知致しました。殿下のお心を勝手に推し図ってきたこと、誠に申し訳ありませんでした」

 声に深く首を垂れ弱々しく伝わる声が耳に届く。だが、恭順の意を表されるほど彼らに寄り添ったつもりがないだけに、居心地の悪さが空っぽな心に入り込んだ。

 静かに背中に当たるものに気付けば、フィフスが笑みをひとつ向け、ディアスの前に一歩出た。――思っていた以上に強張っていたようで、短く当てられた手の暖かさに心底安堵した。

「――どうやら、私は思い違いをしていたようだ。詰まる所、お前たちは赤の他人だったんだな。」

 (あお)る気で言ってるのか、事実を述べただけなのか分かりにくい温度でコルネウスたちに声を掛けている。――もちろん後者だろう、事実を確認しているのだ。

 ぴくりと反応する者もあったが、コルネウスが立たないからか彼らは静かに姿勢を保っている。

「お前たちがディアスに固執(こしつ)するのも、友人という立場を得たから見えてきたものもある。……他人の権力を笠に着るというのはなかなか気分がいい、――そういうことか。」

 こちらに尋ねているのか振り返り神妙な顔をしている。聖国で最高権力を有している人が何を言っているんだと少々呆れた。

 それに他人の権力を笠に着るなど、こちらとしても経験はない。

「……別に、貴方はそういうものに興味がないだろ」

「まあな。だがこういう経験はしたことがないから、なかなか新鮮だった。」

 言ってから聖国最強と渾名(あだな)されている東方天クリス(この人)がここにいて、今も自分の味方についてくれていることは、ある意味同じことなのかもしれない。

 『気分がいい』――――、確かにそれ以外に適した言葉も浮かばず口元に笑みが溢れた。

 気を取り直して彼らに立つように声をかければ、覚束ない足取りでコルネウスが立ち上がり、周りの者が支えていた。――まだ周囲に人は多くいるが、彼らの目を気にする余裕もないようだ。

「こうなると先ほどの要求は無効だな。お前たちに突きつけるものがなくなってしまった。……さて、どうしよう?」

「王子様の代わりに聖国に就職してもらいます?」 

「………………騎士はラウルスにとって重要な役割を持っている。こちらで活躍してこそだろう、彼らから貴重な場を奪ってはいけない。」

 若干の間と重くなる声のトーンに、遠ざけたい意志が見えた。彼らを勧誘する気はないらしい。

「そうだ――、今持っている(えもの)以外にもお前たちは武器は所持しているのか? あるならぜひ見せてくれないか。」

「あ、さっきこの人が飛ばした剣先は回収しておきました。もっと質のいいものを使った方がいいですよー」

 ガレリオがディートヘルムへと声を掛ければ、困惑しつつも頷いていた。――そういえばいつぞやも同じことを尋ねられたことがあった。あの時は話題を変えるための方便かと思ったが、関心があるからこそ言っていたのだろうか。

「……フィフス、それが君が望む条件かね」

 ずっと静かに動向を見守っていた叔父が尋ねた。すぐ側にいる甥へ一瞥(いちべつ)を送るも、何か言う訳でもなく、この場を収めることに従事するつもりのようだ。

「えぇ、それが私の望みです。」

 欲のない言葉に、ようやく茶番に幕が降りた。

 周囲にいた人たちもただの内輪揉めを見せられ、随分な肩透かしを食らっているのではないだろうか。ざわめきが戻り、人々が散ろうとしていた。

「――良い機会だから伝えておくが、本当に私はお前たちをどうこうするつもりはない。あんな面倒なこと、出来るなら二度としたくはないし、今後同じ過ちが起きないことが一番望ましいと思っている。」

 高座を去ろうとするコルネウスたちにフィフスが声を掛けた。

「称する名が同じでも、ラウルス(ここ)にあるものと聖国にあるものでは成り立ちも歴史も、意義も存在もそのどれもが違う。――『貴院の神勅』とは聖国の汚点(・・)の排除を示す言葉であり、人々に(いまし)めとして語り継がねばならない事象だ。……安易に同じと考えないでくれ。」

 ため息混じりに要件を伝え終わるその人を見た。――さっき言葉を遮ってしまったが、もしかしてその件について彼らは不安を感じていたのだろうか。

 ため息をつき、そのままフィフスへ気になっていたことを尋ねた。

「……さっき彼らに突きつけた条件だけど、本気ではないだろ」

「そうか? 私は充分本気だったが。――なぁ、ガレリオ。」

「殿下……、冗談に聞こえたかも知れませんが、言葉以上に本気の時があるので気を付けてください。俺も似たようなこと言われたことがありますけど、街を取り潰された挙句、全員この人に引き抜かれましたからね」

 先ほど軽い調子でやり取りしていた時と違い、真剣にガレリオが言った。

「まだ街は残ってるし、全員じゃない。新しく街を管理するために人は入れたが、元から住んでいる者もまだ数多く残ってる。」

「俺を含め、300人くらい引き抜いてったじゃないですか。――あの時冗談だと思って、適当に返事したら本当に連れてかれて……。今なおこき使われてるのがこの俺です」

 己の不遇(ふぐう)を訴えるかのように、力を込めた眼差しで自分を指しながらガレリオが言葉を続けた。――隣の友人を見れば、否定する素振りも、嘘である様子もなさそうだった。

 本当にそんな事が……? ――――いや、やりかねない豪胆さをこの人は持っている。

「この人の場合、冗談だと思って流してるとマジで取り返しがつかなくなりますからね。絶対流しちゃダメですよ」

 ずいと前に出て強く主張するガレリオを、何か言いたげに横目で見ている。

 だが何も言うつもりはないようで、腕を組み静かにしていた。

 『フィフスは本気じゃなかった』ということを伝えたかっただけに、おかしな方向に話が進み収集がつかなくなってしまう。

「――――ただ、ハッキリきっぱり断ればこの人はさっさと諦めてくれます。さっきみたいに、キッパリはっきり伝えれば問題ないですから」

「断られてしまったら仕方がない。無理強いはできないからな。」

 二人して腕を腰に当てうんうんと頷いている。――帰着地点がちゃんと用意されていたようだ。

「では、大変長らくうちの坊ちゃんが皆様にご迷惑をおかけしました。早急に退散させてもらいますね」

 そうガレリオが言うなり、隣に立つでフィフスを片腕で腰から持ち上げこの場を後にした。――まるで物でも運ぶかのようにぞんざいで、あまりにも無造作に連れて行ってしまう。

「おい、自分で歩ける――!」

「はいはい、お構いなく。運んで差し上げるので、四の五の言わず行きますよ〜」

 暴れる訳ではないものの、問答無用で高座から降りていく。――高さは50センチ程度だが、降りた拍子にガレリオの姿がびくりと妙な動きと共にそのまま高座の下へと消え、フィフスが彼の腕から逃れてこともなげに立っていた。

 よく分からない状況に戸惑っていると、制服のジャケットを直しているフィフスの元へゾフィが歩み寄っていた――。

「……女王陛下が終わったらすぐ来いと仰っていてな。急ぎ連れて行こうとしたんだろう」

 叔父が側に来てそう教えてくれた。

 アイベルは少し離れたところでコルネウスと二、三言交わすとこちらへやってきた。

「正直、今回の決闘騒ぎがどうなるか分からなかったから、お前が納めてくれて助かった。……よく頑張ったな」

「大したことは……」

 叔父の大きな手が肩に乗せられ健闘を(たた)えられるも、素直に受け取れなかった。長年放置していただけの後始末をようやくつけただけに過ぎない。

「お前がそう思っていてもだ、――こういう場で人に意見するのは苦手だろ? 勇気を持って前に出ただけでも充分賞賛に値する。素直に受け取っておきなさい」

 侍従も誇らしげに賛辞(さんじ)するかのような笑みを浮かべている。それを避けるように友人の後を見れば、学生たちの間を通り抜けガレリオと宵闇(よいやみ)の先へ行ってしまった。

 まだ話したいことがあっただけに、急な断絶に心許なさが戻ってくる。

「そろそろ解散だ。皆も早く部屋へ帰りなさい」

 叔父が周囲の人々に声を掛ければ、この場を後にしようと人々の流れが外へと続いて出来た。

「殿下、今日はお疲れでしょう……。ひとまずお部屋に戻って、少し休みませんか」

 在るべき場所へ戻る。周りもそうだ、一時の熱狂が確かにここにあったが、それも既に熱をなくし、先ほどまでの出来事がもう終わったことを示している。

 壁にかかる時計を見れば18時が近いことを告げながらも、次の時を示すばかりだ。

 刻む秒針に押されるように侍従の提案を受け入れれば、席から立った姉弟たちが高座の下で待っていた。

 もう戻る時間だと、そう告げられているように思えた。




 ◆◆◆




「なんでお前は飲んでるんだ……」

「そりゃ、アフターファイブだもの。――仕事も終わって、楽しい余興が始まるならコレは必要でしょ〜?」

 すっかり人がはけ、最後の確認をしてもらっている間にヴァイスの元へと行けば、ゾフィがグラスを用意してくれた。

「ヨアヒム様もおひとついかがですか?」

 昔からされている、慈母(じぼ)のような笑みを向けられる。――断る理由もないことから近くのまだ片付けていない席に座り、歓待を用意してもらえば、ヴァイスが自分のグラスをこちらに傾けてきた。

「今日一日が無事に終わったことについて、――乾杯(ブロースト)

 グラスを傾け乾杯の形をとれば、鮮やかな赤色が強い液体がグラスの中でさらりと揺れた。香りに硬さがあるが、まだ熟していないからだろう。

 それを口にすれば見た目通りのあっさりとした口触りに、フレッシュな酸味と葡萄の甘さが口の中に広がる。

「新酒か? ……こういう場に持ってくるあたり、なんというかお前らしいな……」

「瑞々しい果実の余韻がよく分かるし、熟成せずとも美味しいものだって多い。――そういうものも僕は好きだからね」

 そう言いながらくるくるとグラスを回し、赤色の液体に空気を含ませている。

「こうすればまた味も香りも変わっていく。――――酒はいい。気分を上げてくれるだけでなく、祝いの場に華を添えてくれるんだからね。作る過程でも味が変わっていくけれど、密閉されたボトルから開けてすぐ飲むときと、こうして空気に触れる間にもどんどん味が変わる。この舌を幾重にも楽しませてくれる。――人が作り出した嗜好品の中で、最も面白いものだ。……そうは思わないかい?」

 グラスを傾け、こちらに見せてきた。

「……概ね同意だが、人を酒に例えるな」

「おや? 僕はそんなことを言ったつもりは無いんだけど。ヨアヒムは相変わらず詩的だねぇ」

 意地の悪い笑みを浮かべている奴が何を言っているんだ。自分のグラスにもうひとつ口をつければ、彼の言いたいことが分からないでもなかった。

「……まさか、あの子が場を納めるとは思ってもなかったな」

 甥たちが現れる前にゾフィがやって来て、真剣を使う許しを出していた。

 ――それ故に大事にならないかと気が気ではなかった。

 騎士見習いも武器の扱いにはそれなりに長けているが、聖国から来たフィフスのことは話でしか知らず、実践経験もあると言うことから、どうなるのか分からずただ困惑していた。

 一体どういうつもりなのか尋ねても、この鉄壁の笑みがそれを拒絶した。

 皆に伝えられた話としては、蒼家の当代が此度の話を聞き、フィフスがした騎士見習いたちへの無礼を詫びていたそうだ。


 これから騎士となる者たちの正当な怒りを、ただの謝罪の言葉だけで終わらせるつもりはない。――『栄光の黒薔薇(騎士)』の矜持(きょうじ)(けな)したことに対し、相応の代価を持って弟には償わせよう。


 そう蒼家の当代から女王に直接進言があり、先ほどのような勝負になった。

 ――――大事にしている弟と聞いていただけに、随分と厳しい処遇を学生たちのために課したと思っていた。

 だが、その心配は杞憂(きゆう)に終わる。このまま静かに試合も幕を閉じてくれると思い油断していれば、新たな展開をあのフィフス(少年)(ひっさ)げて来てしまった。

 何かあればガレリオがフィフスを、騎士見習いたちをヨアヒムが口を挟むと言う手筈になっていたが、手に余りすぎる事態にもう途方に暮れるしかなかった。

 と、一瞬遠くへ思いを馳せれば、何故だか娘まで巻き込まれる始末。

 彼が何をどうしたいのか分からず、口を挟んでもただ事が大きくなりそうな事態にヴァイスを見れば、アイツひとりが笑いのツボに入っており、(うつむ)いて肩を震わせているところがよく見えた。


 本当にヴィアスは、こういうときに限って頼りにならないな――――ッ!


 口に出そうになった文句の言葉が、心の中で何度も反響していた。

 喧騒(けんそう)に包まれる会場内で、やり場のない思いの預け先を探していれば、静かに現れたのは甥だった――。

「ほら、よく言うだろ。――『男子三日会わざれば』ってね。ディアスくんだって男の子だからねぇ、手を離れれば勝手に成長していくものさ」

 しれっと目付け役の顔をしており、腹立たしさが一瞬戻る。だが、今更蒸し返しても仕方のないことだ、なんとか憤りを飲み込んだ。

「……そういうものか」

「そうさ。――昔から頼りないからと(かば)われてばかりだったからね。自分の意見をいつまでも『()』の立場に置くのが当たり前になれば、そんなの周囲が望む形でしか収まらない人間になってしまうってものさ。――君だってそうでしょ?」

 『弟』という立ち位置で見れば、確かに同じだろう。

 それ故に甥のことは気にかけていたし、彼の気持ちが分からないでもなかったからだ。

「ま、君と違って、ディアスくんはポテンシャルがあると思ってたんだ〜。――どんどん面白く成長してくれることが、今一番の僕の楽しみなんだよね〜」

「人様の子をおもちゃにするんじゃない」

 こんな奴に気に入られている甥に心底同情する。――一体何がヴァイスの琴線に触れるのか分からないが、甥は慣れた態度で散らしているのが幸いか。

「理事としての責任が無い訳じゃないけど、無責任に(たのしく)人の子を教育できる環境にいるんだ。少しくらい享受したっていいじゃない」

 ひらひらと片手を振り、残りの葡萄酒を飲み干している。

「ごちそうさま。さて、僕も宿舎に顔でも出してこようかなー」

 席を立ち、着ていたジャケットを整えながらヴァイスが言った。

「あぁ、……フィフスに会いにいくのか?」

「おや、何かフィフスくんに用でも? 僕でよければ伝言でも預かろうか」

「いや、別にある訳ではないが……」

 なんとなく口にしただけで、特に意味のある問いではなかった。

 そこを見透かしたようにヴァイスがくすりと笑う。

「そうかい? ――――多分、何か用があるなら僕が代わりに行くより、君が会いに行った方があの子は喜ぶと思うよ」

「お前を慕っているように見えたが?」

「それは兄さんの弟だからそう慕ってくれているだけで、別に僕自身に興味がある訳じゃない。……あの子にとって、僕はただのオマケってやつさ」

 軽い笑顔でさらりと言いながら踵を返し、そのまま宵闇の中へ消えて行った。

「……もしかして、()ねているんでしょうか?」

 珍しくゾフィが今の言動について感想を口にしていた。ゾフィも子供の頃からヴァイスのことはよく知っている。

 だからこそ今の言葉が意外だったのだろう。

 二人で顔を見合わせた。

「そうは見えなかったが……。まさかアイツ、あんな子どもと張り合うつもりなのか?」

 昔からの付き合いだが、ブラコンながらも別にセーレが誰に慕われてもそれを(ねた)むような性格ではない。かといって誰かの中心にいたいと望むような性格でもないことから、今の話をしたヴァイスがよく分からなかった。

「……まぁ、気まぐれなアイツのことだ。あまり気にしなくていいだろ」

 最後の一口をあおり、赤色が残るグラスを机に置き、ここでの出来事を終わりにさせた。




 ◆◆◆

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