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第二王子は憂鬱~divine femto~ 学園都市ピオニール編  作者: 霜條
ゼノラエティティア暦35年10月4日 月曜日
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61.開幕は蒼穹の『剣舞』より⑪

 15時10分、――――今日一日に受けるべき授業が全て終わり、クラス内にも自由を謳歌(おうか)しようと、緩んだ空気が広がる。

「エリーチェ、しばらくこれを貸してくれないか。」

 はーい、と間延びした返事と共に、今授業で使った教科書を熱心にフィフスが読んでいる。

 鐘の音が鳴るまで生物学の授業を受けており、ラウルスに生息する生き物や魔獣についての講義が中心となって行われていた。無害なものから危険なもの、人々の暮らしに密接に関わるものからそうでないもの、生き物と魔獣の違いなど基礎的な事に軽く触れながら、いつもの授業に入っていった。

 今日初めて授業を受ける三人にも理解できるよう、教師の計らいだったのだろう。丁寧な話に興味を引かれたのか、授業が終わったというのに移動する気がないようだ。

「ディアス様とコレット様はこの後いつもどうされているんですか? 朝からずっと一緒にいてお疲れだと思うので、お好きになさってくださいね」

「……三人はどうするつもりなんだ?」

 リタが気遣うように言ってくれたが、時計を見ればコルネウスたちとの約束の時間まで約二時間弱ある。――――普段であれば部屋に戻って雑事をこなすか、姉弟たちに付き合って話をすることが多い。公務で(たずさ)わらねばならないものがあるときは、準備に関わることもあるが、今はそういった話もない。

「私は一度寮に帰ろうかと。……二人はどうせ学食にでも行くつもりでしょ?」

「よく分かったねぇ。ここはデザートが美味しいって聞いて気になってて。全制覇したいよね、フィー?」

「……そうだな。」

 話は聞いているようだが、注意は手元の教科書に釘付けのようで返事が若干上の空だ。――――エリーチェがその人の両肩を掴み、後ろから顔を(のぞ)いている。

「さっき見たけど朝とランチと午後で三回メニューが変わるそうなの。――つまり、一日三回食べに来ないと全制覇できないってわけ……。読むなら学食にしよっ」

 エリーチェの圧に気付いていないのか、気にした様子もなくぱらりとページをめくり静かに教科書を読んでいる。

「――そんなに生物学が気に入ったなら図書室でも案内しようか」

 校舎の南棟の一、二階にまたがり図書室がある。知りたいことがあればそこで調べればおおよそ事足りるだろう。歴史にも興味があったようだし、これだけの知識欲があるなら教科書だけでなく、気になるものを自分の手で探した方が良いこともあるだろう。その手助けなら自分にも出来るはずだ。

 教科書から顔を上げ、こちらに顔を向けているがどうしようか逡巡(しゅんじゅん)する姿を見せた。

 だがすぐに教科書を閉じ、席を立つ。

「……興味はあるが今日はやめておこう。学食に行く。」

「あれでは足りなかったということか……」

 用意された昼食はひとり分だ。連日よく食べているところを見ただけに、少々足りないのではと懸念(けねん)はしていた。

「そうだな。用意してくれてありがたいが、学食を全制覇しなければならないし、明日からは姉弟たちでゆっくり昼食をとるといい。」

「……しなければ?」

 気を遣ってくれているのかもしれないが、義務感のある言葉の方が気になった。エリーチェも先ほどそんなことを口にしていたが――。

「別に深い意味はない。ただ興味があるというだけだ。」

「……特上ランチ・A定食。月に一度しか現れないそれは、普段庶民が口に出来ない高級食材を惜しみなく使用し、学生の中でも特待生以上の待遇の者しか食べられないという伝説のメニュー……」

 エリーチェが急に語り出した。深い顔で両手を合わせ、明後日の方向を見ている。

 聞きなれない名前に理解が及ばないが、『定食』という単語からどうやら学食の話をしているらしい。――――7年ここにいるが、初耳だ。

 カバンから学生証を取り出し、こちらに突きつけてきた。

「この学生証なら頼めるって聞いたから、ぜーったい食べてみたいのっ!」

「……ランチの時間は終わっているけれど?」

 コレットのもっともな指摘に、リタが頭を押さえている。

「だからね、情報収集してくる。何度も顔を出してればきっと教えて貰えると思うんだよね~。そのためにフィーも学食に行くよ。協力してよねっ!」

 期待感で浮つく心が止められないといった様子のエリーチェが、カバンに学生証を仕舞いながらフィフスの腕を絡めて引っ張っていく。

「俺も行こう――。何度も通わなくても、俺が尋ねれば教えてくれるだろう」

 授業が終わってすぐのこの時間、食堂は比較的空いていたはずだ。――学生食堂など通り過ぎるばかりで勝手は分からないが、恐らく自分が聞いた方があの二人も無駄足を踏むこともないだろう。

「殿下が直接お尋ねにならなくとも、私が聞いて参ります」

「あぁ。それに西棟に行くなら案内も必要だろう。特に急ぎの用もないし、構わないだろうか」

「ほんと!? 嬉しい~、仲間が増えたよっ!」

 こちらの言葉が余程嬉しいのか、跳ねるように喜びを表している。――いや、実際に跳ねている。彼女の元気で無邪気な様子にくすくすと周囲から笑い声が聞こえたが、その気持ちが分からないでもなかった。

「コレットはこの後どうするつもりだ?」

 後ろにいるいとこへと声をかけた。――同じタイミングで授業が終わるが、たまに授業で分からないことを聞かれることがあったからだ。

 だが友人や姉たちとの約束があったり、出かける用があったりと忙しくしていることもあり、毎回予定が分からない。

「……私もリタと一度寮へ戻るわ」

 今日一日慣れない環境で気を張っていたためか、少々疲れているようにも見えた。だがなぜかリタの制服を小さく(つか)んでおり、掴まれた拍子に一瞬リタが驚いていた。

「……大丈夫か?」

「大丈夫。――少しリタとお話ししたいと思って」

 視線を泳がせながらリタを連れて教室を後にした。もしかしたら最後の余計な一言が、(わずら)わしく思わせてしまったのかも知れない――。

「さぁ、学食へレッツゴー!」

 既に出入口に移動しているエリーチェが、駆け足でもするかのようなポーズと共に腕を上げて注目を浴びていた。――そんなに主張するほど、彼女もお腹を空かせているのだろうか。

 彼女の横で解放されたその人は、どれにも関与する気はないといった態度だ。静かに片手で教科書を読み(ふけ)っている。――食堂へ行きたがる女学生と、教科書を手にした帯剣の学生というなんとも不思議な組み合わせだ。

「――あぁ、行こう」

 何がそんなにこの人を惹きつけるのか分からないが、ひと段落した頃に聞いてみよう。そう思いながら、二人について教室を後にした。


 急いで移動する必要がないのはいいが、相変わらず教科書から目を離す気がないようで読むことに集中している。たまに本を読みながら歩く学生を見かけたことがあるが――――、すぐ隣で実物を観察できる機会もそうそうないだろう。

 行儀が悪いとアイベルが一度注意していたが、耳に入らなかったようで気のない返事が返されていた。

 文字を追うのはそれなりに早く、めくってはじっと教本を追っているようだ。

「ねぇねぇ、ディアス様。ヴァイス様の授業って他にもあるんですか?」

 本の虫になってしまったフィフスをよそに、隣に来たエリーチェがこちらに質問の対象を移した。

「……以前はあったらしいが、今は学園の運営に携わっていることもあって教壇に立つことは少ないな」

 昔は文学や歴史を中心に教えていたらしい。教師として人前に立たせておくよりも、教師や学生の機微(きび)を細かく察するところを買われ、運営や事業企画に(たずさ)わらせている。

 元々、権威主義的なラウルスにおいて、聖国出身者の双子の存在は大きい。――――大戦の終結を(もたら)したフュート・ソリュード様の子息でもあることから、セーレとヴァイスの存在は比較的好意的に受け取られているのも大きいだろう。

 王の側近としてセーレが、ピオニールの教師としてヴァイスが就任したのは、ラウルスでひとつの転機だったと言われている。

「じゃあ特別なんだ~。ロマンス学って普段はどんなことをやるんですか?」

 言葉に(きゅう)した。――エリーチェの隣にいるフィフスは聞いているのか分からないが、伝えておくべきだろう。ただ用意もなく問題に直面してしまい、説明のための言葉を探す。

 アイベルが主の苦慮(くりょ)を察したようで、エリーチェと主の間から声を掛けた。

「いわゆる恋愛学です。――――古来よりラウルスでは神の教えに『愛の追求』というものがあります。ただ各個人が心にした価値観で行動したことで、家同士で損害を(こうむ)ったり、没落したり、敵対するなど数多(あまた)の悲劇がありました。……創世の時代より王族として名を馳せてきたアルブレヒト家でも、何度か存続の危機に瀕したことがあったと記録が残っています」

「れんあいがく……?」

「はい。歴史にも記録として残っておりますが、当時その実情を目の当たりにした者が数多くの作品を残しました。文学、建築、芸術、音楽、演劇や歌劇など、良い意味でも広く人々に影響を与え、多種多様な形で語り継がれています。……そういった過去の事象を学び、出来るだけ互いの家が損なうことのないよう、良好な関係を結ぶために生徒たちへ教えているのです」

 ページをめくるのがアイベルにも見えたようでそちらへ視線を向けるが、言葉が届いていないような気がする。

 諦めて目の前にいるエリーチェへと説明を続けた。

「ただそれは基礎的な話です。6学年以上からは具体的(・・・)かつ実践的(・・・)な話も入ってきます。――いわゆるセクシュアリティ教育です」

「せ、せくしありてぃ――――」

 神妙な顔で、単語が言えていない。

 巫女職と言っていたが、もしかして『友人』と同じような立場なのだろうか。――聖国では神に仕える者は純潔であることが求められるそうだ。

 その生涯を神と国に捧げるというのは、どのようなものなのだろうか。

 王である父も普段は公人として振る舞うことも多いが、それでも個人としての時間を尊重され羽を伸ばしているときもある。

 祖母もきっと同じだと思うが、今でも気を緩めているところなど見たことがないので、生粋の君王(くんのう)というべきか――だ。

 それにしても、外に感心なくページをめくっているが――――、同じ説明を後でしなければいけないのかと思うと気が重い。

 おまけにヴァイスのことも(から)めて伝えるべきだろう――。

 何度か彼の授業を受けたことがあるが、ヴァイスの話は生々しすぎて聞くに()えない――――。

 『合歓(ねむ)の帝王』というあだ名も、合歓(ねむ)の木が眠りを表し、『合歓(ごうかん)』が歓楽と共にすることを表すことから、『誰とでも共寝をする節操なし』という意味だ。本人の享楽主義も相まって講義の中でもマニアックというかアブノーマルと言うべきか、余計な話を知らされて辟易(へきえき)していた。

 『知る権利』に、彼個人の趣味を含めないで欲しい。

 博愛主義などとのたまっているが、あの節操のなさは『博愛主義』という言葉に謝罪すべきだろう。……大仰(おおぎょう)に告知していたが、まさか『自分の姪(クリス)』にまで、そのような話を聞かせるのではないかと正直疑っている。

 『クリス(フィフス)』は残念がるかもしれないが、あのような講義を耳に入れさせるのは耐えかねるものがある。

 エリーチェの反応があまり良くないことから、アイベルも若干心許なくなっているようだ。

「……聖国ではどういった教えを受けているのか分かりませんが、皆さんは性教育を受けたりしないのでしょうか? 特に生殖については知るべきことだと思うのですが……」

 しばし沈黙が続き、エリーチェの反応がないことから知識がないのだと悟る。――アイベルに伝えようと口を開けば、エリーチェが顔を赤くし勢いよく後退した。

 すぐ後ろにいたフィフスは教科書から目を離さずにエリーチェを避け、彼女はそのまま壁にぶつかってしまった。

 突然の動きに驚いたが、どうやらエリーチェには知識があったらしい。ひどく驚かせてしまったことに侍従が慌てている。

「大丈夫ですか?」

「……だ、だいじょうぶです」

 アイベルがエリーチェに駆け寄れば、顔に動揺が残るエリーチェが照れたように笑っていた。

「……やはりそうか。」

 もう読み終わったのか教科書を閉じて、フィフスが独り()ちていた。――周囲をいまさら確かめ、エリーチェとアイベルが手を取り合っている現場を目にしている。

「どうかしたのか?」

「『どうかしたのか』じゃないよ〜。……もしかしてなんも聞いてなかったの?」

 二人を見たあと横に立つディアスを見るが、話の流れが分かっていないことがその表情からよく伝わる。

「ふむ……、どうやらそのようだ。確認しようか。」

「いい、いい! あとで教えるから確認しなくていいよ! ――そ、それより何が気になってたの?」

 ジャケットから何かを取り出そうとする仕草に、エリーチェが慌てて傍に寄って止めていた。

 精霊を使って、今していた話のやり取りを聞こうとしたのだろうか。

 話が耳に入らずとも後から自分で確認してくれるとは、利便性の高い術だ。――――魔術では時間操作に含まれるだろうか、再現するのは容易ではないだろう。

 時間と空間に関わる術は高等魔術と呼ばれ、学園では基礎を伝えるのみとなっている。――魔力は自身の内にあれど(じゅつ)を行使するためには『神の叡智(えいち)』を読み解き、理解し、術式を構築するという一連の流れが必要だ。

 その一連の流れが出来るまでは口上を用いたり、術式が書かれたものを媒介にするが、慣れれば頭の中で理論を組み立てれば発動できる。あとは発動のタイミングを用意するだけで良い。――指を鳴らすのが簡単ゆえに一般的になっている。

 広く使われる魔術は『創生神アクロウェルの叡智』を借りたものだが、高等魔術は眷属である時空神カプラの力を借りて使用する。

 根本が違うためにそのような差異があるのだ。

 個人で『時空神カプラの叡智』を扱えた者が、1500年程前に祖先にいたらしい――。今では伝説として語られるが、今なおどうやって個人で扱っていたのかは明らかにされていない。魔石や装置、陣など補助媒体を用いることで、ようやく人々が使えるのが実情だ。

 安全に運用できる(すべ)が他にあるため、転移魔術などは特に、個人で使うのはリスクに見合わない気がして使おうと思ったことはない。

「二点確認したいのだが、魔獣とは『魔力器官を持ち魔術を行使することが出来る肉体を持つ生き物』と言う認識で合っているか?」

「そうですね。先ほどの授業でもそのように説明が合ったかと思いますが……?」

 魔力器官、――『アクロウェル()の恩寵』とも呼ばれるそれは、ラウルスで生を授かると同時に与えられるものだ。

 だが当然魔力器官を持たない存在もある。――神の眼差しは(あまね)く全てに注がれる訳ではなく、主に人々に広く優劣をつけてきた。そのため名のある一門ほど力を求めるために能力を向上させる(すべ)を編み出したり、研究や婚姻によって力を取り込もうとしてきた歴史がある。

 だが大戦終結後からその認識は徐々に改められている。それもソリュード家の功績のひとつだろう。――力があろうがなかろうが、人の価値は変わらないという象徴になっているからだ。

齟齬(そご)がないかの確認だ。――――魔力を持っているお前たちは魔力の有無について一目見れば分かるものなのだろうか?」

「そうだな、()以外であれば目視で分かる――」

 魔力を扱う内に相手の力量が分かってくる。だからこそ魔力の大小や有無が判別できるのだが、人の場合は力量を悟られることで不利を被ることもあり、能力を隠す習慣が古くからあった。

 隠すためにも魔力が使われるため、隠した状態では扱える魔力が減少する。――左腕に()めているブレスレットはそういった意味も含まれる品だ。

 そのため学園で皆が使用する魔術と言うのは、簡易的かつ普遍的なものが中心だ。実力行使する場など減った今の時勢では、ちょうど良いのかもしれない。個人によって魔力の総量も違うため、比べることが難しいので基礎や応用が出来ているかが評価の基準となっている。

「なるほど。ならば結論から言おう――、以前街中で見かけた黒猫だが、あれは『この学問上で扱われる存在ではない』と言うことが分かった。」

「……随分な話だな」

 話しの意図がよく分からないが、教科書を熱心に読んでいた理由だけが明らかになった。だが生物学で扱われない存在となると、少々話が飛躍しすぎではないだろうか――。

「まぁ、歩きながら話そう。以前街中で見たよな。――あの時全員が『猫』だと言ったが、私にはそう見えなかった。もちろん誤解があったからというのもあるが、それ以外にもいくつか理由がある。」

 三日前の話か、印象的な出来事だったからあの時の事はよく覚えている。裏路地にいた黒猫のことだろう。――――幸運を招く存在としてそのモチーフが巷ではよく好まれており、愛玩動物として手元で飼う者も多い。

 寮では飼えないため、街に拠点を移したなんて話も耳にしたことがあるくらいには、人気がある。

「そういえば今朝も講堂にいたとか話していたか……?」

 貴族街の方へ、屋根伝いに姿を消していった小さな存在を思い出す。

 あの猫の事だろうか。

「そうだ、あれだ。――お前たちを助けに行った際、召喚獣と人が魔術を使い狼に転じているのを見たが、ここに到着する前にも道中で魔獣と呼ばれる存在を蹴散らしたことがある。」

「あーあったねぇ。フィーがさっさと先陣切って片付けに行くから、使者の人たち恐縮がってたよね」

「道中の危険を退けるのも私の仕事だ。――先程の授業とこちらの教本でおよそ存在の区別は理解したが、そのどれにも当てはまらないのがあの『猫』だ。生き物としてあまりにもうるさすぎる(・・・・・・)。霊力を帯びたものなら私にも分かるがどうにも違う。魔力を持っているかと思ったが、お前たちも気付かなかった。……となれば何か別の存在だろう。」

 エリーチェだけが驚いている。

 想像していなかった話題に、侍従共々まだ理解が追いついていけない。

 生物学とはラウルスに現存する動植物や魔獣について扱っているが、それ以外となると禁術となっている死霊術や、意図的に生み出された研究生物、あとは――――。

「……えっと、うるさすぎるというのはどういうことでしょうか? 猫を形容するには似つかわしくない言葉かと思いますが……?」

「『鼓動が多すぎる』ということだ。――あれはきっと心臓が複数あるからだろう。それにエミリオが言っていただろ? 猫は長生きしないと。……ならなぜ心臓を複数持つ必要がある?」

「うそっ! ……心臓がたくさんあるって、もしかして高等竜なの?」

 一瞬大きな声を上げるもすぐに声のトーンを落とし、秘密を告白するかのように恐る恐る口にした。

 心臓が複数あるというのは、確かに(ドラゴン)の持つ特徴のひとつだ。――――ドラゴンは生物学ではなく術学で触れるべき対象だ。

 希少な存在でありながら、強大な魔力を持つため過去研究対象となっていた。今でこそドラゴンを狩ることなどしないが、過去彼らの存在の全てを使うことで数多の魔術が生み出され、様々な兵器や道具が作られてきた。今のラウルスが出来たのは彼らのおかげと言っても過言ではないだろう。

 一頭を狩るために数百から数千名の兵士が必要だと言われている。強大な力を得るために数多くの犠牲もあったと聞くだけに、今では忌避(きひ)される存在でもあった。

 だからエリーチェの言葉に戸惑いの方が大きい。――存在していることは知っていても、街中にあのような姿(・・・・・・)で存在するなどと思ったことがなかったからだ。

「他の可能性もあるから何とも言えないがな。――ただなんとなく彼らの動きに人の意志が介在しているように見えないし、視認すれば存在ごと消える。不自然だからずっと気になっていたんだ。」

「空間転移でも使っているということか――」

「知覚できる範囲内から、『消える』ということだ。だが、移動すれば気配を追うことも出来るが、そのまま隠れてしばらくすると別の場所に現れるから、きっと隠密行動を取っているということだろうか」

 精霊から様々な情報を得ると昨日言っていたが、――――鼓動まで感知できる、というのは想像もしなかった。――告げられた情報が多すぎる上に、滔々(とうとう)とした語り口からだんだんと縁遠い話のような錯覚を覚えていく。

「ま、待ってください、我々が知っているドラゴンと姿形が違いすぎます。流石に違うのではないでしょうか……?」

 知識として伝えられているのは、博物館に飾られていたような骨格を持つ姿だろう。『強大な魔力を持つ』と伝え聞いているだけに、近付けば気付けるものだと思っていたが――――、まさか自分たちと同じように魔力を隠匿(いんとく)する(すべ)を持ち合わせているというのか。

「こちらではそうなのか? ……聖国では長命の竜は姿形を変えることくらい普通だから、こちらでもそうなのかと。」

「よく人の姿になって聖都に、交易しに来たりお買い物したりしてるよね。ラウルスの竜は転変(てんぺん)しないのかな」

 さらりと知らない常識が新たに出されて困惑するしかない。ドラゴンを狩ることが禁止されてから数十年、衝突(しょうとつ)することもなくなったことから、ドラゴンにまつわる話というのは『老君(ろうくん)の戯言』みたいな扱いだ。

 父も実物を見たことはないのではないだろうか――――。それくらいラウルス(ここ)では縁遠い存在だ。

「博物館に骨格標本があったが、もしかしてあのような姿でいつもいるのか? 効率が悪そうだな……。でもまぁ、違う可能性もあるし、もし昔からこの学園都市に住んでいるなら放っておいてもいいんじゃないか。」

「……もしかして楽しみにしているのか?」

 可能性のひとつと言いながらも、何か二人の目には期待に満ちた(きざ)しのようなものが見える。――聖国では友好的な存在なのかもしれないがこの国では危険生物だ。最悪の事態を想像したのか侍従は青い顔をしている。

「会えたら嬉しいと思っていたからな。もし問題が起きたら私は関われないから、悪いがそちらの対処は任せるぞ。」

「えぇ! 手伝ってあげないの?」

「手伝うってどちらをだ? 私は竜に手は出さないし、かといって竜を(かば)えばこの国と敵対してしまう。流石にそこまで責任は負えないぞ。」

 全くもってその通りだろう。聖国の貴賓(きひん)に予定外の重い責任を負わせるわけにはいかないと思うのだが、突き放すような言葉とは裏腹に隠しきれない期待感が表情の端々に漏れている。――そんな表情(かお)もするのか。

「だがそうだな……、もし衝突することでもあれば、回復要員くらいの働きはしよう。……小さく姿を変えることは難しいとと聞くから、相当強大な竜なのだろうなぁ。」

「それ、両方とも回復するやつでしょ。近くで竜だけじゃく、ドンパチも見たいって気持ちが見えてますよー」

「……そんなことになってしまったら殿下達だけでなく、この街や学園も無事ではいられません。恐ろしいことを安易に口にしないで頂きたい」

 冷静な態度はいつも通りなのに、(にじ)み出ている楽しみだという感情が皆に伝わる。据えかねたアイベルが、その人に言い聞かせるように念押ししていた。

「この学園では魔術を使う者も多いだろ? 何か建物を保護するような(じゅつ)がかかってたりしないのか?」

「ありますが、耐久性を高めるための保護術というだけで万能ではありません。校内での魔術の使用は基本禁止されているのも、修復に時間がかかるためです。……あまり危ういことは想像しないで欲しいですね」

 侍従の言葉に、満悦を見せていた表情が消える。

「……まさか(もろ)いのか?」

「えっと、……『普通』だと思いますよ。この学園やオクタヴィア様がお住まいになられているピオニール城は石造りですし、すぐに損なわれるような造りをしている訳ではありません。ただ、それ以外は木造の建物も多いので簡単に毀損(きそん)されてしまうかと……」

 アイベルの話が余程衝撃的だったのか、フィフスが唖然(あぜん)としている。そのまま足が止まってしまった。端正で隙の無い振る舞いが多い中、これだけ気の抜けた態度をすることもあるのだと逆にこちらも気が抜けてしまう。

 侍従も当たり前の事しか言ってないため、この反応にだいぶ呆れ果ててしまった。

 エリーチェがポンとフィフスの肩を叩いた。

「……すっごく立派なところだから私もすっかり忘れてたけど、ここって『普通の街(・・・・)』だったね。聖都の神殿とか(ぐう)と違ってさ、建物に自動修復機能とかないんじゃないかな」

 宮とは、神から下賜(かし)されたクリシス神殿や四方天が住まう居城のことだろう。流石神の被造物だ。そんな便利な機能があるらしい。

「たしかに……。……だからこの()を渡されたのか――」

「そうかもね。……いつもさ、すぐ直るから所構わず剣を抜くし、その辺傷付けちゃうじゃん。ヒルトさんも心配してそれを渡したんじゃない?」

「……そういう理由なのか」

 二人のやり取りに思わず感想が漏れ、腰に()いた剣へ視線を落とす。――何故制約のある剣をと思っていたが理由がなんというかお粗末で、らしいと言えばらしすぎた。最強と名を()せているだけあって、日々の振る舞いから違うのだと思い知る。

「それが理由なんですか……?」

「そうかもしれない。……てっきり『気を緩めるな』と(いさ)めるためだと思っていた。――なら竜が街にいるのは危ないじゃないか。」

 大分遠回りをしたが、こちらの懸念がようやく伝わったらしい。アイベルが何とも言えない表情をしつつも、同じ立ち位置に立ったことに小さく嘆息していた。

 腕を組み思案にふけるように目を閉じたが、空腹を告げる音がどこからともなく聞こえてきた。

「……まぁ、いいか。とりあえず食堂へ行こう。」

「――――そうだな」

 今の音はもしかしたらフィフスかもしれない。アイベルもエリーチェも動じてないことから、消去法で答えを導く。ただそんな野暮なことは横に置き、もう少し先にある食堂へと四人で足を運んだ。

 いつからそんな危険な存在が街にいるのか分からないが、誰か気付いているのだろうか。

 叔父に直接聞いてもいいが、もし知らない事であればいたずらに動揺させてしまうだけになるかもしれない。――――アイベルが恐らく然るべき人に報告を上げるだろう。懸念を一度脇に置いた。

 竜の扱いに慣れた存在が傍にいることは心強い反面、先ほどの話からも頼りにするのは難しいだろう。――ただ、不敬ながらも先ほどの様子が愛らしいと思ってしまった。隠しきれない好奇心を見せていたのがドラゴン相手というのが(いささ)か気になるが、聖国でも普段からあんな感じなのだろうか――。

 危険なことに関わって欲しくない気持ちもあるが、この人の関心を惹くものがまたないだろうかと、賑やかに話しているその人を見ながらぼんやり考えた。

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