間奏曲 ――上位者――
10月3日日曜日。
絨毯の柔らかな感触を踏みしめ廊下を進み、階下へ続く道へと辿り着けば『歓迎』をしてくれる者たちの気配が色濃く伝わり心が震える。
――――このような場で高揚している場合ではない。
深く呼吸して冷静になる。
先ほどまでの安穏とした空気がまだ身に残っているのか、今夜は幾分気が緩むようだった。
片腕の中にあるコートが若干邪魔だが、この足取りを止めるようなものではない。
六階、五階と降りると先ほど見かけた人影は立ち消えており、そのフロアにいたであろう者たちの気配も数がだいぶ減っている。
楽しい『歓迎会』になりそうな予感に降りる足取りも軽くなる。一体どのような者たちなのだろう、この国の上位に位置する者たちというのは――――。
聖国では四家がそれにあたるだろう。皆家も血筋も違えども各々の神を信奉する同志であり、定められた理を共にする者たちだ。それだけでは足りない分は民から引き揚げて役目に従事してもらっている。
我らが行った『神勅』で方天や四家に仇成す者も、侮る者もいなくなったことは仕合わせだろう。特に長年不遇を強いられていた南方天を解放することが出来たのだから――――。
足音もなく軽快に階段を下りる。手すりに触れている手から伝わる感触は滑らかで、するすると足を止める必要もなく心地よいまま階下へと下っていく。
ラウルスでは『王』を頂き、国の運営を王家の他、六大貴族と呼ばれる者たちを中心に行っている。長い歴史の中で彼らの家の名を聞かないことはなかった。――今聖国に食客として来ているクローナハ家の者もそうだ。槍術に長けた一門らしく、長き研鑽の末辿り着いた境地を今の彼らは有している。
だが何度か手合わせしたが、我らを満足させるものではなかった。でもそれが満たす何かを有していないだけの話だ。
まだ他にもここには人がいる。きっと他の誰かが我らの望みを叶える何かを持っているはずだ。それと相見える時がただひたすらに待ち遠しい――。
三階、二階と通り過ぎようやく一階を望む位置にたどり着く。案の定そこには多くの者が静かに待ち受けていた。
期待に高ぶる気を落ち着かせるため、ゆっくりと階段を下りる。何もない顔をしてフロアを見渡せば、そちらも静かに異物である存在の到来を今か今かと待ち構えているようだった。
もちろん彼らを害する気はない。
ただ試してみたいのだ。
渇きにも似た期待感を満たす者がここにいるのかどうかを――。
一段、一段と降りる度そこにある人波がこちらに向かい、出口までの道のりを塞ぐ。
「――――何か用だろうか。」
段差がなくなり、一階へ降り立ちながら何食わぬ顔で尋ねてみる。
「連日随分と珍しいものが混じっているようでしたので、何事かと思いましてね――」
ディアス程の背丈はあるだろうか。鎖骨あたりまで伸ばしている滑らかな黒髪を肩でまとめ、ゆるりと垂らしている者が一歩前に出た。温和な口調だが、こちらを敵視しているのが分かる。
それもそうだろう、自分たちの領分に見知らぬ他人がしれっと紛れ込むこと程、不快なことはないのだから。
ピオニールについてから連日この寮に足を運んでいるため、彼らの目についていたようだ。初日はゾフィと、昨日は窓から部屋に入ったものの、帰りは普通に寮の中をアイベルと通り、先ほどはディアスに連れられて通った。――――王族関係者による特別待遇だ。彼らの癇に触れるのも頷けるだろう。
敵意を隠さない様子に満足し、静かに待ち構える。
「賑やかにこの場に入るものがいると思えば、あの方と一緒だったとは。……一体どのように取り入ったのか、ぜひ教えていただきたいものです」
こちらに話し掛ける男の横から、少し低い背丈の色黒で体格のいい男が彼の側に立ち並んだ。――こちらを値踏みするような視線だ。あの体躯からこちらの方が武闘派なのだろう。だがここにいる者は、自分以外で武器を所持しているものはいないようだった。
魔術を行使されるとなると少々分が悪いだろう。先程も見たが行使する気配が分からなかった。距離があれば避けることは出来るかもしれないが、これだけの魔術を使えるであろう人物たちに囲まれるのなら、先手を打つか、混戦へと持ち込み同士討ちを狙いながらひとりひとり片付けるのが得策か――。
頭の中でいくつかの対処法を考えながら相手の出方を待つ。――ハインハルトも、あの女王に捕らえられ祖父が助けに来る直前までは、このような感じだったのだろうか。
じっくりと周囲を見渡すが、それ以降誰かが何かを口にする様子はなかった。
「……危ないところを助けたから恩義に感じているだけだろう。それで気に入って貰えたのなら僥倖だ。」
片手を腰に当てゆるりと立ち、いつでも動ける準備を整えておく。
あぁ、ここにいる連中はどの程度の力量なのだろうか――――。
高揚を悟られないようにすべての感情を殺していき、精神を研ぎ澄ませていく。
「なるほど、話には聞いていましたが貴方でしたか。あの方の危ないところをお救い下さりありがとうございます。――ですが、貴方のような人物があの方のお傍にいるなど甚だ相応しくないかと。……親離れも出来ない自己陶酔者など、彼の方の傍にいるだけで品格を貶めるだけですので」
にこりと見下すような冷笑を浮かべ、周囲からも侮るような笑い声が起こる。
また、レティシアが言いふらしておくと言っていた通り、――彼女だけのお蔭ではないだろうが、無事にここまで噂が届いていいることを知る。やはり情報が伝わるのが早い。
彼女には八人の恋人がいるのだが、それは恋仲であるという意味だけではない。――彼女に愛を囁く傍ら、広く情報を持ち込む『ミツバチ』のような存在だという。
事前に知っていた情報から、この寮には少なくとも『恋人』は三人いるらしい。その誰かがこの場にいるかもしれないことを考えれば、荒事は避けるべきか。浮かんだ対処法を全て消し、悠然と立つ。
「たしか、青龍商会でしたか? ――わざわざ隣国の辺境から遠路はるばるご苦労様です。傭兵風情が騎士にでもなれると思っているのでしょうか」
「……キシ?」
思ってもなかった単語にふと考え込み、音を頼りに知っている単語を思い出す。岸、希死、起死、気死、棄市、愧死、旗幟、――が、ピンとくるものがなかった。
「――――俺たちを廃すつもりでやってきたのか?」
「王家に取り入り、貴族にとって代わるつもりか――――」
「蒼家の、異教徒がこのような場に軽率に入り込むなど、場をわきまえろ」
過去の神勅について知っているようで、それを懸念して集まっているのだろう。だが彼らの言葉とは別に、意図的に避けていた言葉が背筋を冷ややかに撫でながら、ある人物の記憶を呼び起こした。
「……キシって、ノルベルト・フォン・クローナハのような者のことか?」
ノルベルト・フォン・クローナハ。――クローナハ家は古くからアルブレヒト家に仕える武家であり、『騎士道』という矜持を誇りにしている一門でもある。
『騎士道』とは王族へ忠誠と奉仕を尽くし、勇気、礼節、名誉を貴び、愛に忠実に生きることを誇りにする生き方の事らしい。ラウルスには広く伝わる社会通念のひとつで、人々が貴ぶ規範でもあると耳にした。――我らにはない概念だ。
当の本人は『騎士見習い』という身分らしく、昨年末から聖国で武術の向上とクローナハ槍術の普及のために来ている。
その名を聞いた長髪の男がふっと小馬鹿にしたように鼻で笑う。
「彼を知っているのか。――なら彼のような高潔な人こそが『騎士』たる身分に相応しいと思いませんか? ……貴方のような粗野な田舎者は、身の程をわきまえてさっさと元の辺境にでもお帰り頂くのがよろしいかと」
「ならはっきり言おう。私は『騎士』などというストーカー紛いな連中に興味はないし、なるつもりもない。」
ビシっと目の前の人物たちへと指差しはっきりと伝える。
その言葉に一同の顔が歪むが、構うことなく差した手を下ろし言葉を続ける。
「ディアスとはただの友人だ。それ以上でも以下でもない。騎士などと……、そのような勘違いは迷惑だ。」
ノルベルトは善良な人間だろう。だがその騎士道とやらを振り翳されることに正直辟易していた。文化も歴史も宗教も国の成り立ちなどといった様々なことが違うため仕方がないのだが、自分とは心底相容れない概念だ。――思い出しただけで背筋に悪寒が走る。
「我らを……、騎士道を侮辱するつもりですか……?」
慌てて否定したため、選んだ言葉が悪かったようだ。でも取り繕う気はない。曖昧な言葉で否定するよりも、心の底から否定しているのだと分かってもらうためには、飾らぬ本音も必要だろう。
怒りに震えているのか騒めきが鎮まるにつれ、周囲の気配が怒気に変わる。どうやら彼らの間でも貴んでいる矜持のようだ。
「侮辱するつもりはない。私とは相容れないだけだ。」
怒りが徐々に大きくなると、ずっと静かにしていた色黒の男が低く笑い、獰猛な目つきでこちらを愉悦を浮かべ睨め付けた。
「アンタ、随分とはっきり言いなさんさ。――この状況を分かってるのか?」
数の力を言っているのだろう。色めく暴力的な笑みを浮かべ、淡々とした態度の変わらないこちらを伺っている。彼からは侮る気配はないが、この状況を楽しんでいるような印象を受ける。――同じ穴の狢だろう。
芳しい状況にふと笑みを浮かべる。
「勿論だ。――お前たちのような小物に私が負けるとでも?」
魔術を使われることになっても必ず勝ちを拾おう。相手がどのような力量だとしても引きはしない。――いかなる手を使ってもいいが、今はこの身一つで勝負がしたい。己の力がどこまで通用するのか、確かめたくて仕方がない。
こちらが引く様子もなく煽り返してきたことで、その人物が睨むのをやめ穏やかな顔になる。
「『欠落の五番』ってアンタだろ? シューシャに行ったときに話を聞いたことがある。……商会の看板のひとつになっている程だ、相当腕が立つんだろう」
腕を組み、改めて値踏みを始めたようだ。――どうやら見た目よりもずっと冷静な男らしい。
「さてどうかな。――試してみてもいいんだぞ? ただのハッタリかもしれないんだからな。」
彼の言葉に冷ややかに返す。――蒼家の家元があるシューシャでは近年観光事業にも力を入れており、ラウルスから避暑や海遊びで訪れる人が増えている。家の者たちがネーベンとの貿易にかこつけて人々を呼び込んでいるらしいが、彼もそのうちのひとりだったのだろう。
「青龍商会の右翼殿を見たが、あれが三番目なのだろ? 位が二つ落ちようと相当の実力を有していると、今の落ち着きからも察するがね」
楽しげに彼が言い返した。右翼とは親しい兄弟のひとりで、黒髪に青い眼を持つ。普段は本家におり、当代の側にいることがほとんどだ。――近年観光業に力を入れて以降、シューシャに人が増えてきたことからたまに警備や依頼を受けるために地上にいることも多いと聞く。
「それに好戦的なところが彼に似ているな。そういうのは正直嫌いじゃない。――俺の名はディートヘルム・フォン・ニュルンベルク。……コルネウス、気に入らないなら決闘で決めるべきじゃないか?」
隣の男にディートヘルムが声を掛けた。その言葉ににやりとその男も笑い、どうやら予定調和だったことを知る。――こちらとしても好都合な展開に口の端に自信がにじみ出る。
「確かにそうですね。――私たちを侮辱したことへの謝罪と、ディアス殿下の側に近寄らないことを賭けて勝負していただこう」
少々癖があるものの、どうやらディアスは随分と彼らに慕われているようだ。――ここにいる連中が彼の兄を貶めた存在なのだろうか。もしそうであるならより一層好都合だ。
「お前には『栄光の黒薔薇』の招待を受けてもらおう――」
その言葉にコルネウスと呼ばれた男が何かを受け取ろうと後ろの人物に向けて手を出すと、後ろにいた貴族のひとりが彼の手に一輪の黒薔薇を乗せた。
「我ら『栄光の黒薔薇』の誘いだ。断ることは許さない」
漆黒の薔薇を指先でつまみ、香りを確かめてこちらへと投げてくる。軽いそれは高く放物線を描き、落とさないように受け取った。確認すればただの薔薇のようだ。
全ての色をかき消すような漆黒に、明日エリーチェたちに見せてやろうと棘をよけながらつまんでみた。
「明日、17時に西棟にある屋内競技場で待つ。――逃げるなよ?」
「承知した。――あと、お前たちの要求がふたつなら、私もふたつお前たちに要求してもいいだろうか。」
コルネウスが嫌そうな顔を一瞬した。
「……いいでしょう。何を望むのですか」
騎士道の矜持からか、こちらの要求も受けてはくれるようだ。
「それは明日までに考えておこう。あと応援も呼んでいいだろうか? 知り合いもいない場でひとりで戦うのは寂しいものだ。――私の勝利を見せつけたい相手を呼ぶくらいはいいだろ?」
挑発的な言葉と共に彼らに微笑む。――ディートヘルムがその言葉に声をあげて笑った。
「いいねぇ、自信のあるやつは嫌いじゃない――。そしたらこちらも声援を呼ぼう。決闘はより盛大で華やかであるべきだ」
「あとこちらの決闘ってどんな感じなんだ? 聖国では相手が負けを認めるまで続行するものだ。こちらでも同じだろうか。」
決闘――、名誉のため、復讐のため、憎しみのため、力での解決を求めるために行わる行為だ。
いくら法を布き人倫を尊重しようとも、この解決法がなくなることはないのだろう。結局人は分かり合えることは出来ないという証左のひとつだ。
「基本は同じだな。一対一でのタイマン形式だ。――だが我々は蛮族ではない。剣から手を放す行為を負けと認めている。……あとは深手を負わせたり命を奪うような行為も、この学園では御法度だ」
「学生を傷つけるようなことはしない。しかし一対一か……。せっかくそんなに人がいるんだ、腕に覚えがあるもの全員が相手でも私は構わないが?」
腕を組み伺う。薔薇の花弁が顔に近付くためふわりと香りが鼻孔に届いた。ちらりとそれを見るが、やはり普通の薔薇だ。
「その言葉……、後悔しても遅いですよ」
「負けたらそれまでだろう。――己の足らぬ力量と、お前たちの実力を認めることになるだけだ。何か問題があるだろうか?」
すっとコルネウスの目が細まり、それをじっと見つめ返した。
負ける気など更々ないが、もし負けるようなことがあればそれは僥倖だ。更なる高みへと昇るための契機となるのだから、そんな相手がいるのであればぜひ手合わせしてみたいものだ。
「……何をしているのですか?」
上から声がし、見上げてみればアイベルが困惑した顔で階上から見下ろしていた。戸惑うその顔にふと笑みを送る。
「彼らに歓迎してもらっていたところだ。――お前こそ何しているんだ?」
彼の部屋は三階だ。気付かれなければいいと思ったが、どうやら無理だったようだ。足早に彼が駆け下り傍に来ると、手の中のそれに顔を顰めた。
「それは……。コルネウス様、どういうおつもりですか?」
一歩前に出て、フィフスを庇おうとした。
「アイベル、邪魔をしてくれるな。これは我々の間の問題で君には関係ない」
「そうはいきません。この方は殿下のご友人で、陛下から――」
「待て待て。そんなことを言ったって、私を気に食わない連中が納得するわけないだろ?」
アイベルの腕を掴み、それ以上の言葉を止めさせる。
王の招きで来たなんて、余計に彼らに入らぬ邪推を生むだけだ。いくつか密命を以て行動もしている以上、彼らが納得する言葉などそうそうないだろう。
「言いたいことを言い合える仲の方がいい。そのために彼らが私に声を掛けたんだ。――そうだろ?」
「……えぇ、そうですね」
そんな空気ではないことは分かっているのだろうが、双方が納得している様子に言葉をかけるのをためらっている。
「もう用は済んだだろう。――明日、集会で挨拶をする予定だ。そこで改めて私の名を聞くがいい。」
アイベルの前に踏み出し、片腕をゆっくりと広げ彼らに知らしめる。――――宣戦布告だ。
「ほう、それは楽しみにしておこう。――お客人がお帰りのようだ。お前たちも道を開けろ」
ディートヘルムがこちらの挑発的な宣下に獰猛な笑みを送り、周囲の人間に声を掛けた。ぞろぞろと人並みが動き、道が出来るとコルネウスと二人でこちらへと改めて向き合った。
「……明日の約束、ゆめゆめ忘れるな」
「もちろんだ。楽しみにしておこう。」
その言葉に皆が踵を返し、奥へと向かう。――もしかしたらそちらの方にも階段があるのだろうか。屋内を探索することは止められているので見に行けないのが少々残念だ。
「……一体何をしていたのですか」
人気がなくなると、不安げにアイベルが近付いた。
「特に何もしていない。本当に話をしただけだ。――そういえば、少し聞きたかったんだが、お前はディアスたちに昨日の話はしたのか?」
心配とも厄介とも言い難い顔をしたアイベルに尋ねた。ディアスたちと話した感じ違うのは分かっていたが、兄の件で急に彼らが相談してきたことが意外だった。
「……貴方が止めたいじめを見て、アストリッド様とディアス様が悩まれていたので相談してみてはと伝えただけです。――殿下がフィフスを信頼しているのを見て、アストリッド様もお心を決めたのだと思います」
面倒に巻き込まれているのに無頓着な様子に困惑しているのか、帰りしなに返り討ちにするなどと言ったのでこの状況に呆れているのか、アイベルはそんな苦い表情で教えてくれた。
「そうなのか。――ついでに尋ねたいんだが、アイツらがお前の言ってた連中なのか?」
腕を組み、彼らが去った奥の通路へと目を向ける。――手持無沙汰にくるくると花をつまんで回す。
「まぁ、そうですね……。あのように少々排他的なところがあるので、ゼルディウス様のことも……。ですがまさか貴方まで巻き込まれるとは思ってもいませんでしたが」
「連日何かとここを通っているからな。彼らの癇に障ったのだろう。――ところでなんで『栄光の黒薔薇』って言うんだ?」
つまんでいた薔薇をアイベルに見せた。何か特別なものなのか、魔術的ななにかがあるのかと気になっていた。
「それは彼らの活動の象徴です。――いずれ騎士となるために修行をしている方が所属してる部活動が『栄光の黒薔薇』という名なのです」
「……あれ、全員騎士見習いなのか。」
思ったより騎士見習いというものがこの街に多いのだと知り、気が遠くなりそうになる。――今ここにいたのはノルベルトのような騎士道を貴ぶ者たちだということか。
彼のような人物がたくさん――、と記憶を辿りながら考えていると寒気すらしてくる。
「えぇ……。とはいえ、中には騎士になるためというよりも、嗜みとして騎士道を身に着けるために所属している方もいらっしゃいます。――――その薔薇を渡すということは、決闘を申し込まれたということですが、……まさか受けるつもりですか?」
心配そうに尋ねるアイベルの声で現実に戻る。
「……あぁ。つまり暴力で話がしたいのだろう? ならこちらも暴力で黙らせるだけだ。」
剣呑な言葉に少し驚いていたが、こちらの冷ややかな様子に固唾を飲んでいるようだった。
「恐らくお前たちにもすぐ話が伝わるだろう。あぁいう派手なことを好む連中だ。――何かしらの形で姉弟に接触があるかもしれない。」
少なくともレティシアの耳には入るだろう。彼女の情報網は相当だと事前に調査している者から聞き及んでいる――。
「……殿下が『栄光の黒薔薇』に巻き込まれたとお知りになったら心配されるかもしれません」
「なら心配は無用だと伝えておくといい。――どのような立ち位置の連中か興味はないが、この私に足元を掬われ、不様に地に這う様でも見せてやろう。」
薄く笑い、彼らの末路を想像する。――この件が女王に伝わるのは時間の問題だろう。報告ついでに早めに伝えておく方が賢明か。
第三者に間に入ってもらう方が事が大きくなろうとも、問題が長引くことを避けることは出来るだろう。
「あと姉弟たちから、貴族連中になにか要望があるなら聞いておいてくれないか。――私が勝ったらふたつ望みを聞いてくれるそうだからな、その権利を譲ってもいい。」
「――――承知しました。明日皆様にお伝えしておきます」
今の話にアイベルは侍従の顔をした。長らく彼が胸に抱いていたであろう辛酸を雪ぐ機会が訪れることに期待し、慇懃に礼をした。
「あぁ。そちらは頼んだ。」
薔薇を持つ手を下ろし、構うことなく振って歩く。――エリーチェたちにも見せてやろうと思ったが、少々不吉な気配に女王にでも押し付けてやろうと決め寮を後にした。