35.『饒舌』な休日①
今朝も軽い目覚めだった。離れたところにある窓から差し込む日差しから、今日も天気がいいということが分かる。
身体を起こし、周囲を見るとこの部屋にアイベルの姿はなかった。だが部屋の片隅にあるクローゼットを見れば今日の服が準備されていることから、一度ここへ来たことは明らかだった。
ならば今は近くで別のことをしているのだろう。
天蓋を押しのけベッドを離れ、窓へと近付いた。窓に触れたのは昨日が初めてだった。――高所恐怖症という訳ではない。嫌なことを想像してしまうため、学園に来てから窓に近付こうと思ったことは一度もなかっただけだった。
「おはようございます、殿下――」
窓に掛かるレースに手を伸ばそうとすると、声を掛けられた。既に己の主が起きていることに、彼の向かう足が速くなる。
「おはよう、アイベル」
「お加減はいかがでしょうか……」
傍に来ると心配そうな顔に変わる。いつもと違う行動に戸惑っているのだろう。
「大丈夫だ。……天気が良いから、少し見てみたいと思っただけだ」
良い変化と受け取ったのか、侍従の顔はすぐに緩んだ。
「空気の入れ替えをいたしますか? 外の空気はまだ冷たいですが、良い気分転換にはなるかと思います」
もう一度窓を見る。――なぜ今まで気付かなかったのだろう。ずっと近付き難いと思っていたが、自分の中で思っているよりも実際の『窓』はそこまで恐れるものではないと分かった。
「あぁ、頼む」
「承知致しました」
アイベルに場所を渡し、窓を開けてもらうと冷たい空気が微かな秋風と共に入ってきた。――窓の外には学園の庭、美麗な建物群の奥に、下町の家々が見えた。昨日歩いた場所は随分遠い場所にあったのだと思い知る。
そして、昨日教えて貰った宿舎に目をやると――朝だから灯りがある訳ではないが――、入口には二人の兵士と小さく見える窓には幾人かの人影が見えた。
――――もう起きているのだろうか。
あまり朝は強くないと話を聞いたことがあったので、この時間何をしているのかとと考えた。
しばし見ているとそっと肩に重さが加わった。どうやらアイベルがガウンをかけてくれたようで、微笑ましげな眼差しとぶつかった。
「お着替えなさいませんか? ずっと冷たい空気に当たるのは御身に障ります」
朝の空気を、起きて早々感じたことなど久しくなかったので、身体を通るしんと冷えた呼吸も肌に感じる風も心地よかった。
だが、確かに外の空気触れすぎたからか、指先が冷えてきてることに気付く。
「――そうしよう」
窓から離れ、今日の始まりの準備をすることにした。
支度を済ませると、閉じられた部屋に暖かさが戻っていた。部屋を移動し、いつものソファに向かおうとするると、部屋の中央にあるローテーブルの上に覚えのない大きな包みがあった。
「いくつかお話したいことがあるのですが、――まず、グライリヒ陛下が昨日フィフスに世話になった件を知り、きちんと礼を尽くせと仰せです。――それでこちらの菓子を渡されました」
「……菓子、なのか?」
40、50センチ四方ほどの大きさがある立方体が、深い紫味のある青い正絹の布に包まれている。金糸でなにか紋章が記されているが、どこのものかは思い当たるものがすぐに出なかった。――気になって近付き、包みを持ち上げてみれば結構な重量感がある。
返礼品ということだが、一体何が入っているのか甚だ疑問だ。
「中身はチョコレートだそうです。――それから、昨日フィフスが帰る際、着ていたコートをお返しするのを失念してしまいまして……。今日また取りに来るとは仰っていたのですが、殿下のご友人に重ねて大変失礼なことをしてしまいました。……申し訳ありません」
重ねた失態について悔やんでいる様子が伝わるが――、それよりも気になることがある。
「……何かあったのか?」
少し離れたところにいるアイベルを見る。普段通りと言えばそうなのだが、フィフスに対して敬称が消えているのはなぜなのか――。
「……彼と話をしながらここを後にしたのですが、いささか夢中になってしまいました。――寮の外に着くまでコートを預かっていたことを思い出せず、取りに戻ろうとはしたのですが、もういいと仰いましてそのまま……」
「何の話を?」
「――怪我のことや、殿下から離れた後のこと、護身用にたくさん武器を所持していらしたのでどのように使っているのか、他にもフィフスが使う武術についてなどを伺っておりました」
まっすぐとこちらに目線を向けられ、欲しい回答とは少し違う返答にもどかしくなり眉を顰めた。別の言葉を探そうとしていると、
「それから、本日のご予定ですが――、ヨアヒム様もご同行される予定でしたが、ご気分が優れず、午後からにしようとお話がありました。そのため午前は今のところは予定がありません」
「叔父上が……? どうかされたのか」
友人からも叔父の名が出ていたが、なにか他にもイレギュラーがあったのかと心配する。
「昨夜、王都へ戻られていたそうなのですが、なにやら宴会があったようで深酒をしてしまったとのことです。――午後にはご気分も落ち着かれるだろうということで、予定が変更になりました」
「そうか……」
大事がないと分かり胸を撫でおろし、ソファへ腰かける。――予定が変更ということは、時間までやることがなくなってしまったということだ。もやもやとした気持ちのまま、目の前に入る包みを視界に入れる。
「それでキールと相談したのですが、後程寄宿へ伺いませんか? お返しするものもありますし、こちらの返礼品もエミリオ様とご一緒にお渡しされては如何かと……」
侍従の話に思わず彼を見ると、些か緊張した面持ちをしている。
王からも礼を尽くせと言われているのだ――。むしろ、隣国から招いた賓客の好意に、全面的に甘えたのは良くなかったかもしれない――。
「確かに……、そうしよう」
「畏まりました。――ではエミリオ殿下に伝えて参ります」
アイベルの声に硬さがなくなり、こちらの返答にほっとしたようだった。――何があったかは友人に尋ねればよいだろう。侍従はいつものように、新聞と紅茶を用意し自分の前に持ってくると、一礼と共にすぐに部屋を後にした。
時間を見れば8時になる。
出された紅茶に手を伸ばすも、口をつけるには熱すぎる。――少し思い立ち、カップとソーサーを手に背後にある窓へ寄ってみた。――窓ガラスからひんやりと外の冷気が伝わる。紅茶を冷ますのにちょうどいいかもと思い、外を見てみた。
あまり変わり映えはしなかったが、平日と違い人の往来は少なく静かだ。
――学園内ですれ違う学生たちは、週末をどう過ごしているのだろうか。昨日見た下町のように、どこかに集う場所が他にもあるのだろうか。
そんな小さなことを考えていると、見知った姿が下にあった。
「……姉上?」
ここから見える庭園の中を通っており、玄家の女子二人と侍女を伴い、なにか話しながら楽しげにしていた。三人とも同じ制服を身に着けているので、少し気付くのが遅れる。
同様に予定がなくなったと考えていたが、一足先に彼女たちに案内しているのだろうか。――だが、案内しているというよりも、二人に連れられてどこかへ向かっているようにも見えた。
彼女たちの動向を見ていると、軽くたたかれるノックの音と共に扉が開いた。
「――戻りました」
「おはようございます、兄さま! ――今アイベルから聞きましたが、フィフスのところへ行くんですよね」
窓辺にいる自分の元へ、パタパタと弟が駆け寄ってきた。
「おはよう。……表に姉上がいるんだが、誰か知っているか?」
「姉さまが?」
小さな弟は背伸びをし、窓の外を見ようとしている。――背丈が少し足りずキールが弟の側にしゃがんで、弟の足場となった。
アイベルが傍に来たので、手中にあったティセーットを渡した。元気な弟とぶつからないよう、やんわりと受け取りすぐに離れていく。
膝の上に足を乗せ、高さが出たことで弟も窓の外が良く見えるようになり、すぐに姉の姿を見つけたようだった。
「特に何も伺っておりませんが……。朝の散策でもされているのでしょうか」
侍従たちも知らない話のようだった。――姉が朝に散歩をしているという話はあまり聞いたことがなかったので、やはり二人に付き合って外に出て来たということだろうか。
目的地がはっきりしているようで庭園を通り過ぎ、男子寮の近くまで来ようとしているのが分かる。――エミリオが窓を開けたそうにしているので、代わりに開けてみた。
「姉さまー!」
開くと同時に大きな声と一緒に手を振り、外にいる姉たちに場所をアピールした。彼女たちの視線が上を向き、手を振って応えてくれる。
一瞬弟と同じように姉が声を出そうとするも、侍女たちに窘められたのか動きが止まる。塀で仕切りがあるとはいえ、男子寮の前だ。誰かに元気な様子が見られてしまうのは、姉の評価に差し支えてしまうだろう。
「――下で話そう。姉上が困ってしまう」
もう一言大声を出しそうな弟の肩に手を置き止めさせると、今から下に行くと小声とジェスチャーで弟が姉に伝えていた。――小声に関しては何も届いていないだろうが、姉には意図が伝わったようで、にっこりと微笑みながら手招きしている様子が見えた。こちらも弟と一緒にひとつ手を振り、返事をした。
満足そうな弟が窓から離れ、キールが窓の戸締りをし、アイベルは届けるべき荷物を既に持ってくれていた。
「兄さま、早く行きましょう!」
返事をする前に小さな手に引っ張られ、慌ただしく四人で部屋を後にした。