間奏曲 ――王弟――
10月2日土曜日。
兄の子供たちと別れた後、夕食を済ませ自由時間になったかと思えば突然の呼び出しだ。
何かあったようだが、詳細は教えて貰えなかった。――会ってからでないと伝えられないことなのか。
「また仕事とは、君もついてないねぇ」
グラスを傾けるヴァイスが憐みの目でこちらを見ていた。ここは学園内にある王弟の執務室――。
彼は既に今日の用事を全て終わらせ、自由時間を謳歌している。少し雑談しようとボトルを開けたばかりだというのに――。
「全くだ、ついてない……」
軽率に愚痴ってしまう。短い指示でここに在籍する兵士たちの情報を持ってくるよう連絡があり、すぐに側仕え達に命じ、なんとか用意は済んだところだ。
いつも悪い方向に考えがちなので、嫌な予感に包まれてばかりだが、――こればかりは性分なので仕方がない。
「早く終わるよう祈ってるよ。いってらっしゃ~い」
気楽な彼はふらふらと手を振り、ひとりの時間をこれから堪能するようだった。ご機嫌そうな彼が羨ましい。
当てつけに大きくため息をつき、この場を後にした。
母の執務室へ着くと、思ったより活気のある様子に面食らう。――というのも、中央の大きなテーブルの上にここの地図が敷かれ、その周りによく知る近衛兵六名と東方軍の兵士が三名、そしてフィフスと女王が囲って話し合っていたのだ。
彼らが地図を中心に、手元に何かの書類を持ちながら真剣な面持ちで何かを協議しているようで、言い知れぬ熱気に包まれていた。
時計を見るともう21時近い。――15時頃に別れたが、まさかずっとここで会議でもしていたのだろうか。
また、甥が先ほど彼が後で来ると言っていたが、――今なおここに姿があるということは、行けていないということなのだろう。
「遅い! 早く書類を出せヨアヒム」
短くも威圧的な母の声が奥から聞こえる。そんなに強く言わなくてわかるのに……、と心の中で反論する。共に書類を持ってきてくれた側仕えに指示し、女王の元へ運ばせた。
「……一体何があったので?」
「近衛の詰め所で死者が出た。――どうやら内部の人間が関わっている」
「それは、本当に――?」
「阿呆ぬかせ。でなければこんなに急がせない。――誰か説明してやれ」
近衛のひとりに説明を受けるも、悪い予感が当たってしまったことに気持ちが重くなる。
視界の端でフィフスと、東方軍の兵士たちが持ってきた書類に手を付けているようだった。彼は失踪した学生を探すために来たはずだが、それ以外のこともやらされているのだろうか。
本当に母が馬車馬のように、あの子を使っているのかもしれない。
今朝も早くから挨拶に来ており、日中観光していたとはいえ、超過勤務もいいところだろう。明らかにこの場で一番幼い彼がいることが気になって仕方がない。――あまり人付き合いをしないあの甥が彼を待っているのだ。
「――もう遅い時間だ、後は我々に任せて少し休んだらどうだ」
近くを通る際、肩に手をかけ止めさせる。
「なにか、他に用事もあると聞いた。――陛下もよろしいでしょう? 私が来たのだから、後のことは任せなさい」
急に声を掛けられ驚いているのか、年相応の表情をしていた。
「え? 大将なんか用事があったんで? ――もう駄目じゃないすか! 大事なことは早く言えっていつもお母さん言ってるでしょ!?」
彼の側にいたガレリオが、真面目なのか、茶化しているのか大仰に彼に伝えている。
「お前のような母を持った覚えなはい。」
ひどく冷たい声だ。――彼を睨んでいるようで、様子が急に変わったことに驚き思わず肩から手を放す。剣呑とした様子だが、この部屋でそれを気にしている者は近衛と。後から来た自分たちだけのようだった。
「ま、そういうことですみませんが陛下、この人退出しまーす」
母であり、偉大な女王オクタヴィアに、これほどフランクに話しかける者が今までいただろうか。――今は亡き父や兄弟たちでさえ、これほど不敬な態度を取った者は見たことがなかった。
近衛たちもさすがにこの状況についていけず、緊張していた。
壁際で控えるゾフィに目をやるも、彼は特に動じた様子はなく、いつも通り温和な笑みで立つのみだった。
「ならとっとと失せろ。――もう用はない」
思わぬ返事に耳を疑う。彼の言動にお咎めなしとは――。届けた書類に次々と目をやるのみで、それ以外に興味がないようだった。
「ヨアヒム殿下、ご忠言ありがとうございました。我々も時間に気付かなかったので助かりました」
ガレリオは満足そうにこちらに丁寧に接し、陛下の言葉を聞いた他の東方軍の二人が彼の腕を両脇から抱え、問答無用で外に連れ出して行く。
別に抵抗する様子もなく、思いのほか大人しくされるがままに扉の外に置かれ締め出される。――彼はいつもこんな扱いを受けているのだろうか? ちらりと今朝のヴァイスに遊ばれていたのを思い出す。
なんだか彼のことがより一層分からなくなった。
フィフスがいなくなり、ガレリオがこれからの話しを始めたため、なんとか気持ちを切り替えることにした。
日付が変わる近くまで会議が続き、これからの事が粗方定まると女王陛下から王城へ行くよう指示された。
先ほど起きた事件以外でも、聖都から持ち込まれた邪術についての資料が入手できたので、王都で調べてもらうことになったのだ。
学園でも研究はできるが、こちらの方が質の高い人材や膨大な知識が揃っている。足りないものがあれば学園よりも迅速に用意することも可能だし、学園よりもこちらの方が危険が少ないだろう。
大事な資料故、自分が王へ直々に届けに行くところだった。――今朝電話でやり取りはしたが、顔を合わせるのは久しぶりだ。
護衛と共にユスティツィア城を歩く。
慣れ親しんだこの場が懐かしい――。夜ということもあり周囲は守衛以外の人影はなく、どこまでも静かだ。真夜中でも城内の明かりは煌々と、我らが王家の権威を照らすかの如く、24時を少し過ぎた今でも廊下は明るい。
目的の場所は王の書斎。――今日の仕事を終え、今はそこで休んでいるそうだ。
延々と見覚えのある場所を歩き続け、ようやく書斎の前に到着した。
「――このような時間まで仕事とは、精が出るな」
扉を開けると、部屋の中心から少し外れたところに置かれた場所に、その人たちはいた。
「遅くなってしまってすまない。いろいろあったんだ……」
ディアスに似たその人はこの国の王であり、兄でもあるグライリヒだ。長い黒髪をゆるやかに縛り、肩から前に流している。母とは違い苛烈な威厳はないものの、静かで落ち着いた物腰で、広く人々に安寧をもたらしている。
母に王位を押し付けられたと言っているが、今の時世この人が王で良かったと正直思う。――母が勝利の象徴であれば、兄は平和の象徴だ。
「本当にお疲れ。――よかったら少し飲まないか?」
王の隣にいる、よく見慣れた金髪の人物が声を掛けてくれた。王の右腕であり、親友であり、ひとつ上の先輩でもあるセーレだ。
自分の執務室で寛いでいたヴァイスと同じ容姿をしているが、享楽主義の緩い雰囲気がある弟とは違い、セーレは節制を重んじ真面目で誠実な雰囲気から、やはり別の人間なのだとよくわかる。
「ちょうど一杯やり損ねたからありがたい。頂こう――」
書類を彼らの近くに置き、勧められた席に腰を掛ける。――滅多にこのような残業はしないため、さすがに疲れた。
「――で、どうなんだ? さぞかし楽しいことが起きているのではないのか?」
面白を欲する兄がこんな時間だというのに元気だ。セーレがグラスに琥珀色の蒸留酒を注ぐ。――色や香りから二人が強めの酒を飲んでいることに気付く。今夜、無事に帰れるだろうか――。
「事件が起きたんだ。楽しいことなんてあるか……」
「そうだが……。今朝楽しそうな話をしていたじゃないか。例の彼はどうなんだ?」
「全然分からない……。頼もしい雰囲気はあるし、甥たちがだいぶ心を開いていたが、急に剣呑な空気にするし、……さっきは母たちに付き合って遅くまで会議に参加していたようだが、帰らせよう声をかけたら東方軍の人に両脇を抱えられて部屋を追い出されていた。あの子のことが全然分からんのだが……?」
最後の様子を想像したのか兄は笑っており、反対にセーレが目頭を押さえ、眉間に皺をよせていた。
「セーレは会ったことがあるのか? ヴァイスを慕っていると聞いたが」
「………………まぁ、そうだな。――今来ている東方軍の人たちは気さくで面倒見がいいが、怖いもの知らずだから驚いただろう? ――仕事はできる人たちだから、女王陛下も多少の無礼は気にしないはずだ。存外あのタイプは嫌いでないからな」
どう説明すべきか言葉を選んでいるようだ。そんなに説明が難しい人物なのかと、酒に口をつける。
思ったよりも口当たりがよいそれは、鼻腔を豊かな香りが突き抜けていく。強い酒ではあるが飲みやすく、勢いついてしまいそうな危うさがあった。
セーレの話から、先ほどのガレリオたちの様子を思い出す。確かに気にしていなかったが、嫌いなタイプでないというのは知らなった。自分より恐らく10近くは下であろう若さから、ただの恐れ知らずかと思ったが、それだけでないことをなんとなく察する。
酔っているのか素なのか分からないが、悩まし気な親友の様子を楽しそうに兄は見ていた。
「あの子は、……真面目が過ぎて思い詰めるからガレリオたちが面倒を見ているんだ。さっきも余計に仕事をしようとしてたから追い出したんだろう。あまり気にしなくていい。――切り上げさせてくれてありがとな」
弱々しく告げられる感謝の言葉に、疲労が滲んでいた。以前から彼のことを気にかけていることは知っているが、この様子からただの知り合いではないように思えた。蒼家とは娘のこともあり何かと関わることが多いのだろう――。
「それで、――いつ授業参観をやる?」
こんな時間だというのに、兄のボルテージは上がっているようだ。もしかして自分が来るまで飲んでいたのか。
「……やる予定なんてないが? ――むしろ来るな。早く寝ろ」
「ヴァイスから面白いことを聞いた。うちの子が同級生になるんだろ? あの人のためでもあるが、息子もあちこち連れて回して顔を売ってもらわねば。――今回こそ面白いものを見せてもらうからな」
そうなのだ。――先ほどもヴァイスからも聞こうと思ったのだが、大人しく静かなあの甥を、フィフスについてもらうことで学園中に顔を売り、来るべき誕生日に行われる舞踏会を迎えようと算段しているらしい。
昨年二回あった子どもたちの舞踏会は、兄的にどちらも肩透かしだったようで今度こそはと思っているようだ。
「……本当にそういうの嫌われるからやめた方がいいと思うぞ」
「何を言う。俺の子だぞ。――自慢したいに決まっている」
自信満々に言い、手にしたグラスを開け、ドンと机に置く。
「それにだ、――中旬には追加で聖国から人が来るし、締結式に合わせて人がより集まり、いつもより盛況になるはずだ。――王子としての務めだと思って果たしてもらおうじゃないか」
この時期に誕生日が被るとは、王家に属する人間の役目とはいえ、甥の不幸を憐れむ。
「また面白いことがあったら教えろ。じゃなきゃ直接見に行くからな」
嫌な脅し文句と共に、酒の追加を親友に頼み、こちらにも飲め飲めと勧めてくる。
「頼むから早く寝てくれ……」
セーレも疲れている様子だが、もしかしたら兄も疲れてハイになっているのかもしれない。ため息とともに、この一杯だけにしようと心に決めた。




