32.隣の部屋③
お騒がせしたことを方々へ謝り、殿下と共に部屋に戻ることになった。既に夕食も済ませており、あとはお休みの支度をするだけなのだが、――お客人が来るとのことで少し落ち着かれない様子だった。
珍しいご様子を微笑ましく思う。
ピオニールに来る少し前に、侍従としてお傍にいることを許された。
この方を支えるお役目を与えられた日のことは、一生忘れないだろう。生涯を心に決めた方に尽くせるというのは、身に余る光栄であり、栄誉だ。そのような人物に出会うことなく生涯を終える者もいる中、自分は出会えたのだから――。
今朝ゾフィ様に掛けられた『己の使命を全うなさい』という言葉をかみしめる。――ただ、フィフス殿とはどのように話をすべきかまだ答えを得られずにいる。殿下がずいぶん心を許しているご様子から、首にかけた鍵が重くのしかかる。
「……少し、相談がある」
「私でよければどのようなことでも」
いつも座っているソファから立ち上がり、お傍にやってきた。――よほど落ち着かれないようで、少し心配になる。
お傍に来ても何か悩んでいるようで、ためらいがちに言葉を選んでいた。
「……いつも用意してくれる新聞はどのようにきているんだ?」
「新聞、ですか? ――ここで用意できない物は王都から直接運んでもらっています」
オクタヴィア様がお住まいになっているすぐ近くのピオニール城と、グライリヒ陛下がお住まいになっているユスティツィア城には直接移動するための転移装置があり、許しのある者だけが使える。人物の移動だけでなく、ピオニールで手に入らないものを運ぶために使うことが多い。
「フィフス殿に別途用意する、ということであればすぐに」
新聞を読みたがっていると聞いた。一部増やすことも、要望があれば他に頼むこともすぐできる。朝の話や今日の様子から、まだどういう態度で臨むか迷っているが、自分の恩人でもある。ある程度の要望は飲もうと思っていた。
「……」
額に手を当て深くため息をついていた。思った反応でなく困惑する。
「……すまない、その逆だ。――ここに来て欲しいから、頼まれても用意しないで欲しいと、思ったんだ」
「左様でしたか……。――承知いたしました。そのように取り計らいますね」
思わぬ企みを知り、くすぐったい気持ちになる。このようなご様子はずいぶん長いこと見かけていなかったので、気に病むものが減ったという証拠だろう。――それと同時に、彼が鍵に関係する者であることは間違いないような気がした。
馬車の中でどのようなやり取りをしていたのかは分からないが、早い段階で言葉遣いが普段より気楽なものになっており、心を許していることは明らかだった。エミリオ殿下も随分と懐いているようだったので、危険な人物ではないのだろうと思う。
――もしこれが彼らを欺く行為であれば、命の恩人であれ許すことはできない。その際は言いつけ通りゾフィ様に報告すべきだろう。
返事に満足されたようで、ほっとした顔をされる。
「他に何か用意するものなどありますか? 何時頃いらっしゃるのでしょうか」
「21時以降ならいつでもと伝えている。なにか会議があるようで、遅くなるかもとは言っていた。……先に休んでていいとも」
今はちょうど21時前。来れない可能性に、心許ないご様子だ。――せめて待っている間に何か、気を紛らわすものが必要に思えた。
「――そういえば、お借りしていたストールと外套が戻ってきましたので、何か返礼品をお付けいたしましょうか」
「確かに……。こういう場合は何がいいだろうか……?」
すぐに殿下のご友人が来るとしても、彼の気安さからそれほど畏まって出迎える必要はないと判断する。殿下もそれを望んでいるように思えなかったからだ。相談しながら準備をし、到来を気長に待つのが良いと思い、あれこれとアイディアを出していく。
着々と用意が整い、徐々に手持無沙汰になるもまだご友人は姿を現さなかった。読書を勧めてみるも集中できないのかページは進まず、普段のように勉強を勧めるも、こちらも手が進まないようだった。
これほど時間が経つのが遅いのかと二人で感じていると、ようやく22時を回る。普段もまだ起きていることが多いので、休むように勧めるのも早く、万策尽きたと思った頃、ふと今朝ヴァイス卿が持ってきた封筒を思い出す。
殿下は普段から彼からの頂き物の扱いに困っておられるが、なんだかんだその時の気分を紛らわしてくれるので正直悪いものに思えなかった。――まさにこういう場合の話のタネになるのではと思いつく。
心ここにあらずな主人の気を散らさないよう、静かに隣の部屋に取りに行く。灯りをつけていない寝室にある執務机に置いたそれを手にし、殿下の側へ戻る。
「――今朝ヴァイス卿がお持ちしたこちらの封筒、中身を確認いたしませんか? 無用のものであればいつも通りいたしますので」