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第二王子は憂鬱~divine femto~ 学園都市ピオニール編  作者: 霜條
ゼノラエティティア暦35年10月2日 土曜日
33/146

28.『策士』は雨上がりと共に⑬

 閉館までは時間があるものの、戻らねばならない時間が迫っていたため途中で観覧(かんらん)を切り上げ足早(あしばや)に馬車に戻った。走り出す馬車の揺れが心地よく、少しすると眠くなってしまったのか兄にもたれかかる様にエミリオが寝てしまった。

 朝から新しい体験尽くしだったのだ。全力で楽しんでいた様子に、こうなることは少し予想していた。

「……一日で見終わらないほどだと聞いていたが、まさかエントランスから動けずに終わるとは思わなったな。」

 少し呆れたように笑っている顔に、窓から西日が当たった。

 14時になる前だった。入口を入ってすぐにドラゴンの骨格標本があり、三人で足を止めて見ていた。――それは本物ではないのだが、弟の説明を聞いている最中に『フィフス』を知る者がいて、声を掛けられたのだ。

「ラウルスから海洋研究の研究員が来ていたのは覚えていたが……、ちょうどその展示をやっていたんだな。」

 二年前、この国の海洋研究学者たちが、研究のために青龍商会に協力を求めたそうだ。水を操る精霊術に長けているからこそ、助力してもらえないかという相談だった。――その話を聞き、蒼家の当代が強く関心を持ったため北方天と東方天を招き、聖国の極東に位置するシューシャという街の一角に研究所を作り、そこを拠点に海と海洋生物について研究をしているらしい。

 たまたまピオニールで研究の一部を特別に展示していたようだった。これもきっと締結式にあやかって、聖国での活動を周知するものなのかもしれない。

 向こうで活動しているとき、蒼家の人間や地元の人たちとの交流の中で、蒼の当代のお気に入りの十人がいると話を聞いたそうだ。その人物たちは青龍商会に名前と写真が飾ってあり、看板のひとつになっているらしい。有能な人物ということで、普段はお目にかかることも難しく、依頼が通ることも稀だとか。――そこに左翼も載っているそうだ。

 だが五人目の額縁が空のため、この謎の人物を『欠落の五番』と人々は呼んでいた。――誰に聞いてもなにも教えて貰えなかったそうだが、五番(フィフス)と呼ばれ青い眼を持つ異郷(いきょう)風体(ふうてい)ということで、その噂を知っていた者に声をかけられたという次第だ。名前の由来がそのままだとは、執着心のない本人を表すのにも適しているようにも思えた。

 会えて光栄だ、という話からそのままシューシャでの話になり、いつの間にかエントランス横にある特別展示室を案内され、気付けば戻らねばならない時間が迫っていた。

 研究員の話を止め本来の目的を果たすべきだったのだが、エミリオも熱心に聞いていたため水を差すことが出来なかった。おまけに展示の中にクリスの写真が飾られていたのが目についてしまった。教会の時とは違い、展示の写真のため小さい姿であったが、もう一度目に掛かれると思わず、熱心な説明もよそに足が止まってしまった。

 教会の立派な垂れ幕とは異なり、作業をしている姿や誰かと話している姿など、今一緒にいるときと変わらない様子に目が離せなかった。――普段もこうなのかと。

 エミリオと一緒に研究員の話を聞いたり、東方天という立場は隠してその時のことを補足したりとエミリオにもわかる様に伝えたせいか、より一層研究員の話が熱くなってしまった気もした。

「せっかく案内してくれるはずだったのにすまなかったな。また次があるといいんだが。」

 エミリオが寝ているからかもしれない。――きっと弟が起きていたら『行こう』と言ってくれた気がする弱めの語気に、もう一度博物館を見る時間がないことを察する。

「――この後も、予定が決まっているの?」

「本格的に『仕事』に取り掛かるのは月曜からだ。――細かく決まっているわけではないが、やらねばならない事ややりたい事も多い。……どこまでできるかが鍵になるだろう。」

 自信のある笑みを見せた。――どれくらい時間があるか分からないが、ヴァイスは自由時間は結構あると言っていた。彼の言を信じるなら、きっとあるはずだ。

「時間が出来たら、また一緒に来よう。――他にも、学園のことをいろいろと案内したいし、いろんなことを教えて欲しい」

 ここに六年いるがそこまで外の事に関心を持っていなかったので、彼に満足できるものを提供できるかわからなかった。それでも、今日のように何か形にならなくても残るものが手に入れられるのではないかと淡い期待があった。

 友人として共に過ごせる時間を少しでも多く得たい。そのために何ができるか考えるのは、少し楽しくもあった。

「私も同じくお願いしたい。ひとまず明日は学園内の案内をしてもらうことになっている。明日も頼めるか?」

「もちろん――。そういえば、本屋へ行ったとき新聞を探していたけど、もしかして聖都の新聞が欲しかったのか?」

「あぁ。ネーベル港ではあったんだが、それ以降は見かけなくてな。――この辺りは聖都から遠いから仕方ないんだが。」

「……ネーベルって、海路でこちらへ――?」

「そうだ。シューシャとネーベルは唯一関所以外で行き来できる場所だし、交易も盛んだ。――関所を通過するより時間はかかることもあるが、なにより量を運べるし、シューシャの船は沈まないし早いと人気でな。……技術を提供しているのは知っていたが、今回現場を見る機会に恵まれた。」

 両国間を行き来できる場所は二つしかない。それが関所と、ネーベル港から繋がっている海路である。

 それ以外は遠くから見ることはできないが、近付くと分かる。――天まで伸びる巨大な壁があるのだ。遠くからは空と大地が続いて見えるだけで、傍に寄らねば分からない。――神の遺物のひとつだ。

 創世の時代、ラウルス国と聖国シンはひとつの大陸で(つな)がっていた。まだ神がこの世界に顕現(けんげん)していた頃、大きな災いがおき、世界が二分されかけた。その世界を繋ぎとめるため聖国の創生神シンディアが壁を設け、ラウルス国の創生神アクロウェルが行き来できるよう穴をあけたのが、関所と呼ばれる中央の巨大な穴だと言われている。

 本来はそれ以外は(へだ)たりがあったのだが、大戦が終結した後、調べたら海に穴が開いていることが分かり、そこを航路として開通したのがつい最近の話だった。探せば他にも穴があるかもしれないと、両国で調査隊が作られるなど比較的新しい話題であった。

「……もしかして、その穴を見つけたのクリスなの?」

「――そうだ、東方天が修行中に見つけたものだ。」

 少し壁のある返事に、しばし車内に石畳を走る馬車の音と、弟の穏やかな寝息の音だけになる。向かいに座るその人は、身を乗り出し、真剣なまなざしを向けた。

「――ディアス、悪いが私をその名で呼ぶのはしばらく禁止だ。いつどこで誰が聞いているか分からない。……私の素性を知る者はいるが、彼らと今の()について話すのも極力避けてくれ。」

「……なぜ」

「その疑問は最もだ。……結論から言うと、私は『欠落の五番(フィフス)』として振る舞わねばならない。――青龍商会とはこちらでは無名だろうが、後ろ暗い者にとっては警戒される存在だ。……まだ二日目だが、分かる者には既に到来を知られているだろう。特に()は彼らに情報がない存在だ。警戒されたとしても、情報がないうちは誰も軽率に手出ししてこない。――時間稼ぎであると同時に、こちらもどのような相手がいるのか調べるのに都合がいいんだ。……だから極力何者であるかは誰にも知られたくない。……お前には多大な面倒を強いてしまって申し訳ないが、どうか理解して欲しい。」

 走る車内に入る西日がまっすぐにディアスに向けられる深い青に当たり、昼と夜が同時に見えるようだった。(たしな)められているにもかかわらず、その瞳から目を反らすことはできず、でも迷惑はかけたくない気持ちがないまぜになる。

「……わかった。軽率な真似をしてすまなかった」

「この警戒がただの杞憂(きゆう)で終わることが一番望ましい。……昼間貰ったメモもそうだ。いくら真面目に取り組んでも肩透(かたす)かしになることなんてよくあるし、さっき仕訳(しわ)けて貰ったものも、恐らく九割は徒労(とろう)に終わるだろう。――でもその一割で足元を(すく)われたくない。」

 どこまでも真面目なのは、こういう警戒心から生じるものなのだろうか。

「迷惑をかける分、お前には何かしらの礼をしたいと考えている。――必要があれば私を使うといい。何かあれば呼べ。」

 どこまでも真面目に、だが危うい言い方に息をのむ。――他意はないはずだ。昨日も今日もずっとそうだった。今日見た女子たちから電話番号をもらうシーンを思い出し、あれと同じことをしているのだと自分に言い聞かせる。

「……その言い方は、誤解を生むからやめた方がいいと思う」

 左翼がいてくれれば、きっと軌道修正してくれたはずだ。――彼が不在になったことを早速(さっそく)()しむことになるとは思わなかった。

「なるほど……。盾に使うとか、パシリにつかうとかそういうものを想定していたんだが、――後学のためにその誤解の例を教えてくれないだろうか。」

 この人をパシリに使う人がどんな人物なのか少し気になった。

「……逆に聞くけど、普段も周りに対してそういう言い方なの?」

「そうだ。向こうでは問題なく通じるんだが、……こちらでは普段通りだとまずい、ということか。」

 真剣に検討しているらしく、なるほどと自分の行いを振り返っているのか考えているようだった。真面目が過ぎるその仕草が、飾らない性格そのもので苦笑が出る。

「……悪いが、こちらに早く馴染むためにいろいろと教えてくれないだろうか。お前の忠告は必ず聞こう。――お前たちの迷惑になるような真似はしたくないし、大事にしたい。」

 思いがけない嬉しい言葉に心が跳ね、急降下からの急上昇に気持ちがついていけず意図せずため息が出た。

「面倒だったら放っておいてくれて構わない――。全てに付き合うことはないし、気が向かなければそれでいい。」

「大丈夫だ……。頼られるのは嬉しいし、俺も協力できることがあればしたいと思っている」

 平静を保とうとなんとか気を張る。自分にとっても大切な機会だ。信頼を損ねるようなことはしたくなかった。

「――それで、さっきの話に戻るけど、もし新聞が読みたいのなら、聖都の新聞をひとつ取っているし、他にもあるから読みに来るといい」

「本当か! それはありがたい。もしかして、どこからか取り寄せているのか?」

「アイベルに頼んでいるから、どうやって取っているかは……」

 もしかしたら後で彼に相談しておく必要があるかもしれないなどと、小さな自分が余計なことを考える。

「まぁ、軽く目を通せればなんでもいい。後で伺ってもいいだろうか。――昨日と同じ時間とか?」

「21時以降であればだいたい部屋にいるから、都合のいい時に来てくれて構わない」

 新しい約束が交わされ、浮き立つ心にくすぐったくなる。

「実はこの後話し合いがあるんだ。――立て込まなければ21時までには行けるだろうが、もし遅くなるようだったら先に休んでいてくれ。」

「話し合い――?」

「あぁ。これからの『仕事』についてだな。人数が多いから、朝までかからないといいんだが。」

 今日集まっていた東方軍の兵士も4、50人はいたはずだ。あの人数で会議でもするのだろうか。

 どこかの道を曲がったのか、窓から差し込むオレンジ色の陽光が眩しく顔に当たる。反対側の窓を見ると、徐々に見知った場所に近付いていることが分かる。――目的地が近いようだ。

 寄りかかる弟は深く眠っているようで、まだ起きる気配はない。その様子をフィフスは一瞥すると、視線は窓の外に向けられた。

 流れる街並みに何を思っているのか分からなかったが、その穏やかな横顔が今までどれだけ望んでいたものであったか。

「先ほども思ったが、お前たちは仲がいいんだな。いとこたちとも仲が良さそうだった。」

 外に向いていた視線が改めて向けられる。心の内まで覗くような鋭さのある視線にも見えた。

「すまない、深く気にしないでくれ。――うちのは面倒なのが多くてな……。穏やかな人たちで羨ましいと思ったんだ。」

「それは、蒼家の――?」

「あぁ。……でも悪いやつじゃないから。困ったものだ。」

 蒼家の話はヴァイスやセーレからも聞いたことがない。蒼家に属している彼は伏し目がちに、小さく微笑んでいた。

 馬車が止まり、到着を知らせた。

「よし。ではまた後でな。――お前の侍従のことも忘れずにな。」

 扉が開き、アイベルとキールが外に立っており、その向こうにヴァイスに叔父、いとこたちに姉と玄家のリタとエリーチェが待っているようだった。

「――ヴァイスの案内は聞いていかないのか」

「聞きたいが、迎えが待っているようだからな。――代わりに聞いておいてくれ。」

 迎えと聞いてもう一度外を見ると、馬車の影からその人が現れた。

「お帰りなさいませ。――エミリオ様はお休みでしょうか。キール、殿下をお願いします。」

 彼らより少し背の高いメイドのゾフィだ。眠っているエミリオをキールが抱えて外に運ぶ。体勢が変わったからか、キールに抱えられながら末弟が目を覚ましているようだった。

 ゾフィに(うなが)され、先に降りる。ちょうど池の上を歩ける水上橋の近くに馬車は止まっており、すぐ近くに皆がいた。

「お帰り~。博物館に行ったって言ってたけど、目的の物は見れたのかな?」

「いや、――結局何も見れなかった」

「え、そうなの? まぁ、あそこも見どころが多いから、計画立ててもうまくいかないよねぇ。――また今後改めて行けばいいじゃない」

「あぁ……」

 いつもならもう一言くらい軽口が出そうだったが、大人しい気配にほっとした。彼の近くにコレットがおり、大きな帽子をかぶって顔が見えない。到着してもこちらを向く素振りがないことから、まだ怒っているのかもしれない。

 馬車を振り返ると既にフィフスは降りており、リタとエリーチェと何か話しているようだった。ゾフィが彼に用事があるのだろうが、話しているためか近くで静かに待機しているようだった。

「お帰り。一体なにに皆で釘付けになっていたのかしら」

 背後から姉のアストリッドが声を掛けて来た。

「――特別展示を見ることになってしまって、案内付きだったので話を聞いていました。……そしたら時間になってしまいました」

「そうだったの。なにか面白いことでもあった?」

「……積もる話は屋内でしよう。だんだん日も暮れて、風が冷たくなってきた――」

 叔父が声を掛けるや否や、ひときわ強い風が西から吹いてきた。

「あっ――」

 誰かの声が小さく聞こえた。――水辺が近いからかもしれないが、ひときわ冷たい風に身をすくめる。風が落ち着いてから周囲をみると、ちょうどコレットの帽子が水面に落ちるのが見えた。

「帽子が……」

「コレット、大丈夫か? ――誰かボートを用意してくれ」

 叔父が慌てた様子で、コレットに近付く。帽子は池の真ん中まで飛んでしまい、簡単に近付けそうにいない。

「……」

 じわじわと水面に侵食される帽子を呆然(ぼうぜん)と見ており、従妹の様子が痛々しかった。

「ちょっと、なにを……!」

 すぐ横にいた姉から驚いた声が上がり、彼女の目線の先を見る。

 夕日に照らされた水面の上を軽い足取りで駆けていき、沈みかけた帽子を手に取っている人物がいた。現実離れした光景に呆気(あっけ)にとられるしかなかった。雨にも水にも濡れないのは見たが、水の上も歩けるのか――。

 水上庭園の周りにはそれなりに人がいたようで、あちこちからかすかなどよめきが届く。ざわめく周囲など一切気にした様子もなく(きびす)を返し、帽子の無事を確かめながら、こちらにまっすぐ歩いてくる。

 歩くたびに水面に輪が広がり、広がる輪に夕日が当たる。こちらへ近付くたびに水面の光が細かくなっていき、徐々に水面全体が輝くようであった。その(まぶし)さに引き寄せられてか、校舎の窓からも人が顔を出しているようで、ざわめきが大きくなる。

 神秘という言葉がこれほど似合う場面がいるだろうか。夕日で染まる天空と赤色の影を落とす雲に、東の大地から(のぞ)宵闇(よいやみ)が彼の背景を黒く染めていく。沈む夕日が生む空のグラデーションに(いろど)られながら、自信に満ちた青い瞳だけが際立って見える。――悠然と水面に立つ姿が一枚の絵画のようでもあった。まっすぐと向けられた瞳から目が離せない。

 すぐ近くまでくると、水面から橋の上は高さがあるが、小さく踏み込み、橋の欄干(らんかん)さえ飛び越えて目の前に到達する。

 彼女に風に奪われた帽子を差し出す。

「沈む前に取りに行けてよかった。無事かどうか確かめてくれ。」

 差し出された帽子と、持ってきた人物に傍にいた叔父もコレットも呆然としている。おずおずと手が伸ばされ、帽子を受け取り、伏し目がちに、

「あ、ありがとう……」

 小さく礼を伝えていた。

「できることをしたまでだ。無事ならそれでいい。」

「……妹の帽子を取ってくれてありがとう。私からも礼を言うわ」

「問題ない。ここは冷えるだろう。――早く中へ行くといい。」

 穏やかに小さく微笑むと、すぐにその場をあとにし、少し離れた場所で待っているゾフィの元へ向かっていった。

「今のは手品とかじゃないよな……?」

 呆然としていた叔父がなんとか絞り出した声がそれだった。

「残念ながら手品なんかじゃないさ。蒼家の人間は全員あれができるそうだよ。――なんだか人間離れしているよね~」

 彼我(ひが)の差を見せつけられたからか、静かに笑ってヴァイスが言う。

「コレット嬢の帽子も無事だったし、いったん向こうへ行こうか。――久しぶりにこの時間にきたけど、こんなに冷えるとは……。人気のデートスポットになる訳だ」

 寒さに身を縮めるヴァイスが周りを見ながらくすりと笑って言う。

 ゾフィと遠ざかる姿に目をやる。先ほどの水面を歩く姿を、しばらく忘れられそうになかった。

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