間奏曲 ――賓客――
10月1日金曜日。
拒まれていた扉がひとつ開き、中から待ちかねていた人物が出てきた。
「後を頼む。」
「……お手数をおかけしました、フィフス様」
廊下には下がるよう命じられていたゾフィと執事たちがいた。――ここは第二王子の部屋の前。天井は高く、広々とした廊下はとても静かだ。
このフロアには全部で六部屋あるが、今は使っている者が二人しかいないため静寂もひときわ大きい。
執事たちに指示を出し、ゾフィはこの賓客を外まで見送るために歩き出した。
清楚なメイド服の腰回りには、純白のエプロンを飾り立てるようにこぶし大の金細工の装身具がいくつか連なっている。
これはひとつひとつ役割が異なるが、今はゾフィの側にいれば密談ができるよう遮音する魔術が込められている。中に魔力が込められた宝石が入っているのだが、使用すると光るため使用を悟られないよう光が漏れ出ない作りになっている。
「先ほどより随分とスッキリされたお顔になられましたね」
王子の部屋に案内したときよりも幾分変化のあった様子に、ゾフィは小さく安堵した。
黒髪に青色の双眸を持つこちらの御方は当家がお招きした人物だ。――本来ならばもっとも格式高く、重厚かつ丁重にお迎えせねばならない相手でもあった。
今はご自身の身分と名を隠し、蒼家のひとりとして接してる。このような扱い、本来であれば不敬として刃を向けられることになっても仕方ないことだ。――でもそのようなことは決してない。短絡的で愚かな御仁ではないからだ。
「一体誰のせいだと……。とはいえ、少し彼と話しをしたおかげで幾分か気が紛れた。」
呆れたように、だが咎めるようなことは決してせずこの賓客はため息をついた。――人が好い、というのもあるが王家に敵対|出来ないため、多少の無礼には目を瞑ってくれている。
敵対出来ないと言っても、ゆめゆめ侮ってはいけない。第237代目東方天として神に認められ、その代行者としての権能を持つからだ。
それだけならまだ良い。王家はかつて方天と戦い、潰えることなくここまで来ているのだから。自分も女王に付き従うものとして、間近で方天との攻防を目にしたことだってある。
この御仁は五つのときに蒼家に引き取られ、七年の歳月を経たのち、東方天として新たに聖都テトラドテオスへ戻られた。その時に人々は思い知ることとなる。――神の権能を持つ相手だとしても王家が負けることなどなかったのは、この御仁が現れるまでの話だったと。――もしかしたら今までの方天たちは手加減していたのではないかと疑うレベルで、この御方は特異で異質な存在だった。
知る者であれば心底今世に戦争がなくてよかったと思うだろう。だからこの御方の動向には誰もが注目している。一切の慈悲も容赦もなくすようなことがあれば、この御方を止められる人間なんて存在しないのだから――。
「さすがにあのような状態の貴方様にお帰り頂くのは申し訳なく……」
「……その私の相手を同意なくやらせるのはどうなんだ。」
「ディアス様もアルブレヒト家の人間ですもの。お客様を蔑ろにはしないと信じていましたわ」
「ここでは誰もがヤツに振り回される運命なのか、哀れだな。――ヴァイス卿は?」
「お仕事が残っているそうで、ご自身のお部屋にお戻りになられました。……全てではないですが、一応貴方様との経緯を軽くお伝えしておきました」
「そうか。ならいい。」
だが、この客人の抑止力を偶然か必然か当家が所持している。――それがセーレとヴァイスだ。
過去3000年に及ぶ大戦を止めるきっかけになったのは、三人の人物が出会ったことにある。我が主オクタヴィア女王陛下、今は亡き東方天ハインハルト、――そしてハインハルトの実兄フュート・ソリュードだ。
東方天の実兄でありながら、幼い頃蒼家から追放された人物でもある。理由は蒼家の人間でありながら精霊術も使えず、同じ血が通っているのに瞳の色が異なっていたのを忌避した為だと聞いている。
追放後は只人として、世上で蒼家とは関わりを持つこともなく生きていたそうだが、ハインハルトが戦場で女王に囚われた際、どこからともなく現れ死が迫る弟の元へと駆け付けた。――武器も何も一切を持たず、一直線に戦場を駆け抜けてきたあの姿は、目にした者であれば決して忘れることなどない光景だろう。
双国の頂点の間に割り入ったのがなにも持たない人間だということ、東方天もただの人の子であることがそこで初めて知られることとなる。そこから紆余曲折はあったものの、和平条約を締結する契機は確実にここだった。
セーレとヴァイスはそのフュートの実子であり、ハインハルトの甥でもある。この双子も精霊術は一切使えず、父と同じ目の色をしているため、その頃も相変わらず蒼家からはないものとして扱われていた。袂を分けたので関わることはないが、彼らの叔父であるハインハルトが一族よりも大事にしていたため、蒼家はかなりソリュード家を忌避してもいたと聞く。
そんな事情もあり、双子は子供の時分からラウルスへ渡ることになった。取り計らいもあったものの、現在この国で務めを果たしているのはそれぞれ個人の意思だ。
それだけで済めばよかったのだが、ハインハルトが事故で亡くなった。
突然の別れを惜しむ時間も貰えず、彼の代わりに選ばれたのがセーレの娘だった。――今まで二代に渡って関係がなかったのに、娘だけが突然蒼家に引き取られることになったのはそういう事情だった。
なにも持たない人間のもとに、いきなり神の力を与えたところでソリュード家には御する術も知識もなかった。御すことのできない力など災厄と同じだ。手元に置くことはできない。
――いずれ聖都に戻ることは確定している。聖都が方天の居場所なのだからと、二度と会えなくなる訳ではないと言い聞かせ、泣く泣く幼い娘を両親は手放した。
方天は国の物であり、使命ある一族の物だ。ひとりの人間ではあるが、私人でいることはもうできない。――不自由な存在だと勝手ながら思う。
そんなこちらの心中を知る由もない当人は、始終気安い様子だ。先も見通せないほど、深い暗闇が広がり雨の音が止まない窓の向こうを眺めながら歩いている。
聖都に着任したらまた家族で過ごせることを望んだ結果、今の蒼家の当代がその望みを叶えた。今の当代は和平を成したソリュード家を高く買っており、双国の均衡のためセーレとヴァイスに引き続きラウルスに人質として預けておくことを申し出た。
預けるといっても双子の生活は変わらない。ただそういう『体』にしているだけだ。特にセーレも娘のことは離れていても、身分が変わっても変わらず大切に思っていた。これ以上引き離すのはあまりにも酷というものだろう。
そういう経緯があるから、この賓客はラウルスに手を出さない。王家とも関わり深いソリュード家の出ということもあり、我らも蔑ろにはしない。――そういう関係だ。
そして此度、この賓客を招いたのにはまた別の理由がある。
「フィフス様、ひとつお尋ねしてもよろしいでしょうか」
何気なく外に向けていた視線を、少し前にいる大柄の侍女に向けた。
「……只人になる、というのはどのような気分なのでしょうか?」
周りに人もなく、誰かに会話を聞かれる心配もない今、互いに他人行儀をする間柄でもないので好奇心から尋ねてみる。
「不自由はあるが、まぁ、普通だ。」
軽い口調で言い放った。
「結構あっさりしていらっしゃるのですね」
「神から借りている力を、自分の物だと驕ったことはない。少しの驕りが秩序を乱し、調和を失わせるからな。」
ある理由から、現在方天の力を失っている。――その理由がここ『学園都市ピオニール』にあるため、取り返すために国境を越えてやってきた。
そして、残念ながら原因の一端を当家が負ってもいた。
「――ご立派なお心掛けです。さすが、としか言いようがありませんね」
只人相手であれば、ゾフィたちも遅れは取らないだろう。――だがこの人物がいるからこそ、王家、ないし四家に仇成す不穏分子を抑える役割も果たしている。
一刻も早く元に戻ってもらうことは両国にとっても望ましい。
「こちらでもできる限りのサポートは致します。何卒、御身をお大事になさってくださいませ」
無事にことが解決するよう、祈るように言葉を紡いだ。
ただの廊下だというのに、どこにを切り取っても絢爛豪華と形容するのが似合うこの場所を、照明の薄明りが照らしている。こんなに煌びやかだというのに不思議と落ち着く。
この男子寮は七階建てで、最上階を王族関係者が、以下を上流階級者たちが利用しているそうだ。
階下へ続く階段の手すりも細かな装飾が施され、いかに贅を凝らしているかが一目でわかる。王家とは何かを表すのに十分その役を務めているだろう。――聖国とは全然違う様相に、ただただ圧巻するばかりだ。全て人の手で行われているということがさらに驚嘆に値する。手を添えなくても良いのだが、艶やかな見た目につい触り心地が気になった。
「それで、先ほどは殿下からどのようなお話が……」
手を伸ばそうとしたが、侍女からの問に先ほどの不機嫌を思い出しやめることにした。
「個人的な話だ。教える義理はない。」
素気無く断られ、侍女は苦笑した。
「やはり貴方様自らが殿下たちと交流された方がよいかと思いまして」
「別に今日中でなくてもよかっただろう。」
「この後、様子を見に行かれるのですよね? ――なら少しでも早めに殿下のことをお知りになった方が良いかと思いまして。――貴方様が使える時間も短いですしね」
思うところがあるようで、侍女の声から憂いがにじみ出ていた。侍女の様子に賓客も気付いてはいるが、あえて取り合うことはしない。――侍女が懸念している事項について、どうするか決めかねているからだ。
階下に進むにつれ仲間たちと楽しんでいるのであろう人の声が届く。夜が深くなる前の時間であれ、彼らは元気なのだろう。明日が休日だからかもしれないが、活気があることが伝わってくる。
「……生前、ハルトはピオニールを随分気に入っていたそうだな。」
懐かしい名前が出てゾフィは目を細めた。
「そうですね、何かと陛下によく呼び出されておりましたわ。その折に甥御さまのご様子をご覧になったり、学内を散策されていましたね。――お時間の許す限り、フィフス様もこの学園をぜひご高覧くださいませ」
「そうさせてもらおう。――そういえば、捕まえたやつらのこと、何か分かったら知らせろ。……例の関係者かもしれないからな。」
淡々とした調子だが、言葉の奥には炎が揺らめくような不穏な熱を帯びた。
「えぇ、必ず」
「わざわざ王家の人間を狙うなんて、ただの遊びではないだろう。――何者であれ、明確な害意を持っていることは明らかだ。締結式を妨害する者であるならばなおのこと。」
熱などではない。冷気だ。心の臓をも刺すかのような、慈悲のない凍てつく闘志を静かに湛えている。慣れているのか案内役のゾフィは動じることなく、どこまでも温和な笑みを浮かべているだけだった。
「味方であれば貴方様以上に頼もしい存在はありませんね。――なにとぞよろしくお願いいたします」
「あぁ。――お前たちもやるべきことをやれよ。」
外界へと繋がる扉の前に到着した。一階はエントランスの他に談話スペースなどもあるようで、人の気配が方々にあり、活気が満ちていた。
扉を開け、この地に参じてくれた客人を雨がまだ降る闇夜へとゾフィは見送った。