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第二王子は憂鬱~divine femto~ 学園都市ピオニール編  作者: 霜條
ゼノラエティティア暦35年10月1日 金曜日
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15.『再会』と『新来』⑩

 先ほどヴァイスが座っていた三人掛け用のソファに『友人』を座らせ、自分も迷ってからその隣に腰かけた。一気に増えた人口がまた一気に減ったせいか、暖炉から火の燃える音がよく響いた。

 ヴァイスが用意していたティーカップを使おうかと一瞬思ったが、やはり先ほど会った時よりも元気が少ない様子に、今はお茶を注ぐ時間すら惜しく感じた。

「――本名で、呼んでもいいだろうか」

「いや、――まぁ、いいだろう。他に人もいなさそうだしな。」

 うつむき加減だった頭を上げ、ようやくこちらに顔が向く。瑠璃色のガラスのように透き通った青い瞳が、熱を失ったかのようにただただ静かだった。

「クリス――」

 話しかけるために名を口にする。――心の中や、誰に向けられることなく名を言葉にしたことはあったものの、本人にその名を伝えるのは11年振りだ。変装で見た目も声も変えているものの、本人にそう伝えられることが思っていたよりも自分の中で大きな意味があったらしく、動揺から視線を逸らしてしまう。

「……先ほどは、庇ってくれてありがとう」

「あぁ、さっきの。大したことはしていない。何もないことを本人が証明することは難しいからな。むしろこちらもすまなかった。襲われたときのことを思い出させるような真似をした。――実行犯は捕まえたから、今夜は安心して休めるだろう。」

 彼女は背もたれに身体を預けるために重心をずらした。

「先ほどヴァイスからどういう経緯で身分を隠し、どういう仕事を受けたのか聞いた……。それに、何か落ち込んでいるとも――」

「そこも聞いたのか。はぁ……、普段ならこんなにひとつのことに思い悩まないんだが、思っていたよりも自信を無くしているようだ。」

「――貴方でも、自信をなくすことがあるのか……」

「まあな。――普段はそう見えないように振る舞っているから、意外に思われるのは光栄だ。」

 ふっと小さく笑った。ようやく少し表情が変ったことに安堵する。

「クリスが陛下に呼ばれた後、月曜から同じクラスになると説明された。一緒に来ていた二人とも」

「そうか……、学校なんて視察で見に行ったことがある程度だから、お前たちが普段何をするのか勝手がわからない。いろいろ教えてくれればありがたい。」

「俺にできることであれば。あと、――さっき、ヴァイスが言ってたけど友人がいないとかなんとか……。あれは俺の問題で、クリスは関係ないことだから、絶対本気にしないでくれ……」

 こちらに顔が向く気配がしたが、情けないことを言っている自覚があったので顔を背けたくなるが、どんな顔をしているのか好奇心が勝りその人を見た。

 話が急だったのか、きょとんとしていた。何かいい言葉が浮かんだのかひとつ笑うと、

「……少し思っていたが、叔父上はお前に遠慮がないんだな」

「あぁ、たまに疲れる……。クリスはだいぶヴァイスのことを慕っているんだな」

「そうだな、――こちらの生活が楽しいようで全然顔をお見せにならないから、会えるのは余計に嬉しいと思ってしまう」

 悪いな、と軽口を言うと、ローテーブルに置かれた未使用のティーカップに気付いたようだった。

「もしかして誰か来る予定だったのか?」

「ヴァイスが勝手に用意していて……、貴方を呼んでいたのかと思っていた」

 そういえばゾフィが引き止めていたことを思い出す。あの二人は何か結託していたのだろうか。

「今日は嫌な目にあった上に、思い出させるようなことをしたから謝罪しに来たんだ。叔父上がいたから、今日はやめておこうと思って辞退したんだが、結局帰してもらえなかったな」

 表情を緩め、小さく笑っている。帰してもらえなかったという言い方、――他意はないのだろうが、妙な背徳感があり落ち着かない。

「……ゾフィが引き止めようとしてたけど、彼とはなにかあったの?」

「なんだか巻き込んでしまって悪かったな……。ゾフィがお前の様子を見てくるよう女王に言われていてな。直接アイツが聞いてもお前が遠慮するかもしれないから、一緒にいて欲しがっていたんだ」

「祖母が……?」

「……思い出したらムカついてきたな。自分で聞けばいいのに。なにか女王に思うところがあるなら、言ってくれればあることないこと伝えておいてやるぞ。」

 涼しい顔に少し熱が戻ったように感じた。あることないこと伝える、というなんだかよくわからない力強さが可笑しかった。

 廃屋にいた時もなんの飾り気もなく接していてくれたが、今の状態も素なのだろう。会えない時間が勝手に神格化し、遠い存在だと思っていたことに気付く。

 記憶の中と変わらない、近くて気兼ねのない距離感が嬉しかった。

 ヴァイスが言っていた通り、『思っているより普通』とはこういうことなのかもしれない。

「思うことなんて……。その、先ほど庇ってくれた後で、何かあったのかと心配してた」

「気にかけてくれてありがとう。だが、本当に仕事の話とかスケジュールのことくらいしか話してない。そうだな、……なんとなく気分が滅入っただけだ。」

 もしかしたら触れられたくないのかもしれない、と他の話題を探す。

「……仕事の期間が二週間だけだと聞いたけれど、本当にそんなに短い時間で?」

 事件の調査というものにどの程度時間が必要なのか分からなかったが、短すぎる気がして尋ねる。

「時間はあればあるだけいいかもしれないが、限られた時間でもなんとかするさ。――当代の命ならばなおのことだ。」

「……当代というのは、クリスより上の立場なのか」

「そうだ。私にとっての抑制装置、みたいな存在だな。――なにかあるわけじゃないが、一緒に父たちと暮らせるよう取り計らってくれたのは今の当代だから、大抵のことは言うことを聞くようにしている。――本当に無理なものは頼まないから、そのあたりは信頼している。」

「そうなのか……」

 先ほど名前が出ていたなと思い返す。性格が悪いと言っていた気がしていたが、軽口を叩ける程度には信頼関係があるのかもしれない。

 使われなくなって久しい建物にいた時よりも、馬車の中で話せたときよりもずっと穏やかな時間が流れている。心配事がひとつ解消されたからだろうか。場をかき乱す者がいなくなったからかもしれない。

 遠いこの地で、ただ届かない安寧(あんねい)を願っていたのが昔に感じるほどだ。疲れているはずの身体に不思議と充足感が満ち、心中が温かくなるのを感じた。

 代り映えしない見慣れたこの場所で、こんなにも静かな時間が心地よいと思ったのは初めてだ。ずっとこの時間が続いてくれればいいのにと思い、静寂(せいじゃく)に身を任せたくなった。

「……長居してしまったな。だが、話しが出来てよかった。お前のおかげで少し気が楽になった。」

 落ち着いた声で柔らかな笑みを湛えてクリスが言った。――心地の良い静寂が終わってしまった。急に顔を見せてくる現実感を引き留めようとすると、馬車での話をふと思い出す。

 ――改めて友だちから始めるのはどうかな?

 ヴァイスからの提案だった。彼の提案に乗るのは少し(しゃく)だが、取り繕う暇はない。じゃないと、このまま帰ってしまうから。

「……クリス。その、責任とか、覚えていない事の申し訳なさとか、そういうものは全部いらないから――」

 青い双眸がまっすぐ自分を見つめた。

「――もう一度、俺と友人になってくれないだろうか……」

 飾り気のないまっさらな言葉しか出なかった。だがこれ以上今の自分の気持ちに適した言葉もないだろうと、気恥ずかしさと不安を何とか押しのける。

 静寂が一瞬訪れる。見つめてくる温度の低そうな瞳の色が、徐々に喜色へと変わっていくのが分かった。

「……丁寧に言葉にしてくれてありがとう。その、――仕切り直しの機会を作ってくれたことに感謝する。私からもよろしく頼む。」

 少し照れたように顔をほころばせた彼女の顔が、昔みた光景と重なる。――あの頃に戻ることができない今は、新しい関係を始めればいい。新しい予感に心が弾んだ。

「そうだ。――友人記念にハグしてやろう。」

 光芒一閃(こうぼういっせん)の申し出だ。一瞬止まる思考の隙間に、以前読んだ小説の一節が浮かんだ。急すぎる。

 ハグというのは、さっきヴァイスとしていたような――?

 親しい間柄の者とする行為だということは承知しているが、自分にとってはあまり馴染みのない行為のひとつだった。弟に抱き着かれることはあるが、身長差があるのでハグというよりも抱擁だ。――いや、ハグも抱擁も意味は同じではないか。

 距離の詰め方が電光石火(でんこうせっか)すぎる。――そうだ、彼女は武術にも長けている。間合いの詰め方がこうなのかもしれない。

 自分を納得させる言葉が出るまで思考が止まりそうになかった。

「会った時から気になっていたが、お前って普段あまり眠れてないんじゃないか?」

 先ほど見せた笑顔は鳴りを潜め、真剣な様子でこちらを伺っている。今自分がどのような顔を見せているのか分からない。ただただ硬直するばかりだ。

「質の悪い睡眠は心身に悪い。しかも今日はいろんなことがあっただろう。しっかり休んだ方がいい。」

 反応がないことからハグの話は終わったのか、身体を気遣われていることに気付く。――ない、となればそれはそれで残念な気持ちになる。

 正直に湧き出た己の気持ちに目を閉じため息をつくと、首に腕が回され暖かなぬくもりが急に届く。苦しくはない力加減と寄せられる重さが思いのほか心地よい。自分ではない人のにおいがする。

「おやすみディアス。また明日――」

 耳元でささやかれたその言葉を最後に、すっと意識が沈んでいく。

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