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第二王子は憂鬱~divine femto~ 学園都市ピオニール編  作者: 霜條
ゼノラエティティア暦35年10月7日 木曜日
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97.醒める夢に届く『秋波』は冷たくて⑥

 目の前のことに集中すれば、余計なことを考えずに済んだ。

 同時に、余計なことを考えなくて済む時間はあっさりと終わる。

「今日はここまで。来週の授業のあと、二週間は授業がなくなる。来月に入ったら簡単な復習をするから、一同くれぐれも気を抜かないように。見学生にも口頭試問を行うから心得ておくように」

 教師の声に合わせ、終わりの鐘が鳴った。

 連日雨が降っていたとは思えないような空から降る日差しが暑い。風の冷たさや転がる枯れ葉も深まる秋のそれなのに、今だけ違う季節に来たようだ。

 ふと、花壇の外に小さな雑草が生えているのが視界の端に入った。秋色の大地に花をつける、小さな白。

 ――あれが咲くにはまだ早い。他の花たちが枯れる、何もない時期に咲くものだからだ。

 派手さはなく、大きさもない。小さくてどこにでも咲く平弁の白い花――――。父が好むため王城の庭でも見かける、場違いな花。

 憂う色と反する白。その名を久し振りに耳にしたから、目についてしまい心が搔き乱される。

「お疲れ様です、殿下。……何かございましたか?」

 余計なことを考えていると、侍従と『友人』が傍にやって来た。

 心配そうな二人に、頭を振る。

「……何でもない。つまらない事を考えていた」

「そうか。体調が優れないのであれば無理はしない方がいいと声を掛けに来たんだが、無用か?」

 端的で分かりやすい心配に苦笑する。雑然とした今の心には丁度良い明瞭さだ。

「あぁ、平気だ。……さっき、皆の前で何の話をしようとしてたんだ」

「さっき……? あぁ、蛇龍の話か。あれが倒れたのは壁を挟んだここ、ピオニールから聖国に広がる大森林だと言われている。そのため聖国でもラウルスでも竜が多く住むのだろう。彼らは長命で強大な力を持つ故に、他種族から離れた暮らしを好む。同時に自分たちの領域を強く持つ存在だから、容易に踏み入れられない地が安心するそうだ。」

 ぐるりとこの街を囲う木々を指し、そのまま北へと指を指し示した。小気味よく回る姿は軽やかで、歌うように語る口はなんだか楽し気だ。

「それに、わざわざこんな場所に研究できる施設があるんだ。もしかして我々と似たようなことを考えていた者が、ここにもいたんじゃないかと思ったんだ。」

 好戦的にも見える青色の瞳が細められ、校舎を仰ぎ見ていた。大きな建物は影を作り、窓越しに映る学生たちが各々の時間を過ごしているのが見えた。

 カレイドスコープのように刻一刻とその目に映す景色を変え、華やかな輝きを宿す『友人』を見ているだけで、雑念が何処かへ立ち去ってくれるようだった。

「昔話に出て来る、九つある心臓の残り二つをどうしたのかが今なお不明だ。使えず捨てられたのかもしれないし、何か別のものになったのかもしれない。それが大森林のどこかにあるのではと昔から言われていてな。まるで宝探しみたいだろう。」

「あなたでも、そういうことに興味があるのか」

 動きがピタリと止まった。

 今の立場から最も遠そうな話に思えて出た言葉だったが、動きを止めるほど真剣に考え始めたようだった。

「興味があるかないかで言えば、確かにあるな。ふむ……、考えたことなかった。」

「……わざわざ確かめなくてもいいのに」

「数年前、大森林を調査するため調査隊を組んだんだ。大戦の最中でも定期的に行っていたが、世の中が安泰している今、調査を再開した。何か有意義なものがひとつでも見つかれば良いと、私も期待していると気付いてな。」

「君もその調査に関わっているのかね?」

 後ろから急に声を掛けたのは、ロイツェンゲ教師だった。後ろ手に組み、片付けられつつあるグラウンドをバックに側に来た。

「お話ししているところ申し訳ない。興味ある話が聞こえたもので、つい口を挟んでしまった」

「構わない。たまに調査隊と共に現地を訪れることがあるが、基本報告を受けることが多くまだこれと言った発見は特にない。ロイツェンゲ教師もこちらで研究を?」

「今でこそここは学びの場となったが、君の言う通りこの街の始まりは未知の探求と研究から始まった。似たようなことはいつでも誰かが思いつくものだ。……聖国でも調査をしていると、聞いたことがあったので興味があったんだ。まさかこんな近くでその機会が得られようとは、私は運がいいらしい」

「ならば、私が答えられることは多いだろう。代わりに私も質問をしても良いだろうか。」

「構わないとも。だが、その話しはまたの機会に。次の授業に遅れてしまっては、殿下にも理事長に申し訳が立たない」

 思わずため息が出た。次はヴァイスの授業だ。彼の趣味と実益を兼ね備えた、特殊な授業については意識外に追いやっていた。

「私は蒼家の人間に聞いてみたいことがある。殿下もご存知でしょうか。先代東方天……、ハインハルト氏がこの街に何度か訪れたことがあるということを」

 唐突に出された所縁(ゆかり)ある名に、『友人』の目が見開かれた。

「――――――そうなのか……。知っているかと問われれば、今初めて聞いた……。ソリュードの人間がいるから、こことは無縁ではないと思ってはいたが……」

「あの方が今、君の家でどのような扱いなのか分からないが、我々にとって彼は良き隣人だった。……この国でドラゴンの狩猟を禁じたが、同時に安全を約束してくれた。いくつか研究をやめざるを得なくなったが、それ以上に防備に割く人員だけでなく、無駄に負傷する者もいなくなった。血の気の多い連中にとっては(ほぞ)を噛むほど憎まれたがね」

 フンと皮肉めいた声で一笑すると、教師はハインハルトの後継を見た――――。

 華奢な見た目に反し剣を()く、学生姿の少年。見た目は違うけど、中身は本物だ。

「ドラゴンは天災で、厄災だ。いくら備えをしたところで防ぐことは難しく甚大な被害を必ず生む。……それはこの学園に限らず、ラウルス全土で生じていた問題だった。街ひとつなくなることは、以前はよくあることだった」

 今、どんな気持ちでこの場にいるのだろう。

 誰より親しんだ相手だ。ここでも何度か負い目も憧憬も見せていた。

「一体どうやったのか分からないが、龍神の加護を持つ彼でなければきっと叶わなかっただろう。たった二十年前のことだが、この国が大きく落ち着いた要因のひとつだ。彼なくてはこの学園も、もっと違う形をしていただろう。あの方に感謝している者がいることをどうか、君たちに知って置いて欲しい」

 優しい青い目を持つ、笑顔ばかり見せてくれたあの人はもういない。だけど小さい頃の約束通り、ずっと守ってくれていた――。そんな古い記憶に、重い記憶で塗りつぶされた心の奥で暖かいものが灯る。

「承知した。私がここに来た意義として、必ずハインハルトの偉業を故郷に知らしめよう」

 在りのままいることは出来なくとも、不満ひとつ(こぼ)さず前を向く強さが『友人』に宿っていた。眩しくて息もできないほど、頼もしい横顔だ。

 凛とした返事に、満足そうにロイツェンゲ教師は頷いた。

「殿下と親しくされ、この学園に好意的であるのを見込んで教えて欲しい。君たちはドラゴン……、竜種と親しく交流する術を持っていると聞いた。……なんでも聖都でドラゴンが交易をしているとか」

「あぁ、大森林で暮らす彼らには独自の文化がある。薬の精製や精霊石の加工といった技術や手慰めに生み出す工芸品を欲する者は多い。他にも彼らの皮膚や角の一部などは薬になるから分けて貰ったりしているな。彼らも都での買い物を楽しみにやってくる」

「ドラゴンが街に……? 一体どうやって」

 唸る教師の言葉に、以前見た黒猫を思い出した。猫の姿をしたドラゴンだったとか――。猫が店を開く光景を想像してみたが、少々メルヘンが過ぎるか。

「人と同じ姿に変じている。身体が大きいから街に適応できないためと、その方が彼らも不便がないからだ。」

「……人かドラゴンかすぐに分かるのだろうか」

「我々からすれば分かるが、――――ロイツェンゲ教師、人であろうと竜であろうと我々は区別せず等しく接する。差異を図ろうとするのは何か別の意図があると取られかねない。ご注意されよ。」

 徐々に冷たく鋭利になる声に、暖かだった空気が張り詰めた。

「……失礼。つい興味本位で尋ねてしまった」

「学者故の好奇と理解はするが、ラウルスから訪れる者の多くは同じ質問をする。区別が付いたところで、聖国の竜は魔力を持たない。彼らの分けてくれる品に、多く者が肩を落としているのも知っている。」

 淡々と並べる事実の羅列に、呆れが混じっているようだった。

「お前たちは同じことを求めているのだろう。……約束は出来ないが、機会があれば聞いてみよう。」

 (きびす)を返し、こちらに『友人』が向いた。

「……聞いてみようとは? 誰に――」

「この地に住まう竜たちだ。研究を中断したのだろう? そして魔術具の多くは彼らの協力なしでは成り立たないものもあると。互いに踏み越えぬ境界が必要だが、新たな発展のためには互いに譲歩し続けるしかない。」

 厳格さが刻まれていたロイツェンゲ教師の表情が、緩んでいく。

「まさか、交渉してくれるのか……」

「ただの話し合いで、相手に聞く耳を持たねば手を引き終わる話しだ。向こうが拒否すれば、それ以上私に出来ることはない。ちょっとした打診だ。」

「ドラゴンと話せるのか――――? 詳しく聞きたいのだが」

 冷静に誰かを教える立場から熱を持つひとりの研究者として、好奇と興味に支配されたひとりの人物に変わる。

「必要なのは言葉ではない。踏み入れてはならない境界を把握し、互いに理解しようと歩み寄ることだ。ハインハルトも、きっとそれくらいの事しかしていない。……だが、交渉する材料が他にあったはずだ。ディアスは何か知っているか?」

「……思い当たることは特に」

 ここで教わる以上の事は知らない。二人の話に入れない、小さい自分に嫌気が差す。

「ふむ。ちょうどここに女王もいるしあとで聞いてみよう。ヤツなら知っているだろう。」

「……オクタヴィア様に対しても、軽率に失礼が過ぎますよフィフス」

 祖母を苦手にしているようなのに、すぐに頼るところが意外だ。祖母まで都合よく使おうとする姿にアイベルも呆れていた。

「ところで私からもいいだろうか。先ほど話していたソリュード兄弟についてだが、あの二人に仇成した存在は――――」

「失礼。そろそろ行かねばなりません」

 『友人』の口を塞ぎ引き寄せた。予測がついただけにスムーズに捕獲出来、本人も大人しくしている。

「……理事長からも言われていたが、相手から情報を得るのに少々直接的すぎないか。もっと相手の意表を突かねば欲しい情報は得られないぞ」

「そういうご教授は結構です、先生……」

 セーレもそうだが、知らない内に多くの学生を味方につけている人だ。どちらも手を回すのが早いだけに、敵を作らせてしまえば厄介だ。

 先の話しのように混沌とした学園の中で、祖母の勧めがあったと言えど二人が選んだ道が平坦だったとは思わない。だが険しい道を自分たちの力で超えたからこそ、周囲から認められ今がある。御せるだけの均衡があるのに、余計な圧力を加えればどうなるか――。

「フッ――。悪知恵を働かせることも必要な時がありましょう。それに彼を止めてくれるのは殿下だと理事長が仰っておりましたよ。今ので納得いたしました」

 『友人』の関係者も口にしていたが、まさか同じようなことを教師からも言われると思わなかった。

 気が抜けると塞いだ手を退かされた。

「意味のない騙し討ちは趣味ではない。正統に頼んで返してもらえないなら、それ以上のことを私は望まない。」

(いさぎよ)いことで。……では私はこれで失礼します」

 この場を去ろうと、ロイツェンゲ教師が歩み出した。

「……殿下の母君は私にとっても良い生徒でした。出来たらあの五人でまた、この学園に戻って来て欲しかったものです」

 横を通り過ぎる際、ぽつりと呟かれた小さな声。――――それに振り返ることも返事も出来なかった。

 グラウンドは元通り何もなくなり、校舎から授業を終えた生徒たちの声が遠く響く。今日の特別授業は一部の学年だけだ。教師たちもこの場か立ち去り、捕らえた『友人』を解放すると顔を上げた。

「次の授業はどこでやるんだ。遅れては事だ。」

 口を塞いだことも話を邪魔したことも気にした風はなく、何のしがらみを感じさせない軽い調子だ。

 捕まえたとしても、簡単にこの手を離れどこまでも行ける人だ。何も気にしないのだろう。良く晴れた、この天穹(てんきゅう)を捕まえるようなものだ。

 細い肩を支えに、『友人』に寄りかかった。

「……少し、調子が悪いかもしれない」

「なに――――っ? それはまずい!」

 弾ける声に腕から逃げられ、勢いよく離れていく。

「もし風邪なら早く休むといい。風邪は引き始めが肝心と聞くし早急に対応すべきだ。そうだろアイベル!」

 数メートルは距離を取られ、近付くなと片手で牽制される。

 何が起こったか、理解が追いつかない。

「……風邪だとは言ってない」

「なんだ……。調子が悪いと言うから警戒してしまったじゃないか。アイベルもお前を休ませた方がいいかもと言うから、体調不良かなにかかと」

 隣で困った顔をしていた侍従が、申し訳なさそうに目を伏せていた。

 はっはっはっと笑いながら、離れた分悪びれもせず戻ってくる。全てを台無しにしてくれる乾いた対応が、嫌な記憶も全部どうでも良いものにしてくれる。

「私は風邪を引いたことがなくてな。皆にも体調の変化に注意するよう言われているんだ。」

「……もし俺が風邪を引いたら、見舞いに来てくれないのか」

「許可が貰えたら行こう。でも感染してしまうようなことがあれば、今は困るから行かない。」

 体調不良になれば軽率に会えなくなる宣告に、名状しがたいものが湧く。だが、非常に分かりやすい行動原理だ。――残された期間を(かんが)みれば、倒れている暇はないのも当然か。

「休息が必要であればアイベルと戻るがいい。寮まで送ろう。」

「待ってくれ」

 先導しようと横を通る友人の手を掴んだ。

 この先は考えていない。咄嗟(とっさ)に出ただけの行動だ。

「どうかしたか?」

 続きを促すよう、こちらを見上げる瞳は柔らかい。


 ディアス(じぶん)が寮に戻れば、ひとりでヴァイスの授業へ行くのだろう。

 それを直接確かめてたところで、一緒に授業へ行くとは言いたくない。

 もしくは、ひとりになれば自分の役目を果たしにどかへ行くかもしれない。


 ――――自分の知らないところで。


 今、『友人』に与えられた役割を、取り上げたい衝動に駆られた。

「……少し、気晴らしに付き合ってくれないか」

 ヴァイスの元へ行かせることも、『フィフス』に戻すこともしたくない。

「この後の授業は出ないで、外の空気を吸いに行きたいんだ……」

 学生としての本分も、仕事で来た名目も全部取り上げたい。

「前に……、初めて会った日の夜に、ひとりになりたいときは手伝ってくれるとそう言ってくれただろ?」

 自分勝手な言い分を好き勝手並べ、不安から手を離す。


 ――――拒否されたら、これで仕舞にしよう。

 友人としての境界はここまでだと、気持ちに区切りがつく。


「何処か行きたい場所があるのか?」

「……特には」

「なら今すぐ行きたい場所があるのだが、一緒に来てくれないか?」

 弱まる気持ちに、力強い返答が返された。

「今ならまだ間に合う。すぐに向かうから付いてきてくれ。アイベルお前もだぞ。」

 ジャラリと内ポケットから金色の懐中時計を取り出し、中を確かめると軽快に蓋を占めた。

「ディアス、お前が捕まえられて僥倖(ぎょうこう)だ。――――悪いが急ぐぞ!」

 今度はこちらの手を取られ、引っ張られる。――大足でどこへ向かう気なのか、思わぬ展開に引っ張られるがまま鐘の音を後ろに学園を突き抜けた。

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