間奏曲 ――憧憬の行先・上――
僕には、憧れる方が二人います。
それは七つ上のゼルディウス兄さまと、六つ上のディアス兄さまです。
もちろん、姉さまのことは敬愛しています。
ですが、大きくなったらどんな人になりたいかと聞かれたら、お二人の兄さまのことが思い浮かびます。
お二人ともカッコよくて優しい、僕の自慢の兄さまなのですから。
ピオニールに入学するよりも前、兄さまたちのお帰りはいつも待ち遠しいものでした。
ユスティツィアに残っているのは、――僕だけでしたので。
お三方がお帰りになる日はキールとよく、ユスティツィア城の転移装置のある部屋の前で待っていました。
危険な場所でもあるからと城のみんなに心配されながら、いつお戻りになるのかと待つのが楽しみでもありました。
一緒に居られないことは寂しいものでしたが、学園では学ばなければならないことも多く、お忙しいところだと聞かされてもいました。
それに、もうすぐで僕も学園ピオニールに入学できる歳になる――。
憧れの兄さまたちと、ようやく一緒に居られると思うと、この寂しさも我慢できました。
扉の向こうから姉さまと兄さまたちが現れると、今までの寂しかった気持ちも、我慢していた気持ちもどこかへ行ってしまい、嬉しい気持ちでいっぱいになります。
扉から先に現れたのは短い髪の大兄さまと、長い髪の小兄さま――。いつどこでお会いしても、兄さまたちを見つけることは得意でもありました。
きりりとした眼差しに、堂々とした立ち居振る舞い。目が合うと、柔らかなお顔にすぐ変わる、ゼルディウス兄さま。
「ただいま、エミリオ」
そしてお帰りの時はいつも一番最初に、僕の名前を呼んでくれます。
だから嬉しい気持ちと一緒に、まっすぐに大兄さまの元へ駆けつけるのが好きでした。
「お帰りなさい――!」
喜びに押される身体ごと、大兄さまの腕に飛び込みます。――大兄さまもこれは僕にしかされないので、とても嬉しい特別です。
「エミリオってば、またこんなところで待っていたの。寒くはなかった?」
「元気にしてたか? しばらく会わない内に、また大きくなったんじゃないか」
久し振りに会えたくすぐったさに顔を見合わせると、大兄さまに抱えてもらい、小兄さまと姉さまとも距離が近くなります。――物静かでお顔立ちが父さまに似たディアス兄さまと、明るくお元気なアストリッド姉さま。
なかなか会えない、見上げてばかりの兄姉の輪に入れてもらえた気がして、嬉しい瞬間でもありました。
「小兄さま――、もしかして大兄さまより背が高くなられたんですか?」
抱えられ、同じ高さになる小兄さまに気付きました。以前お会いした時は大兄さまと同じ背丈だったのに。――僕もいつか、小兄さまくらい大きくなれるでしょうか。
「そうなんだよ。……ったく、追いつかれたと思ったらすぐこれだ。そのうち俺が、ディアスにお下がりでも貰うことになるかもしれないな」
「…………お戯れを」
「ふふっ、そんな事をしたら、どっちが弟か分からなくなってしまうわね。ディアスと兄の座を交代してみるのも面白いかもしれないけど」
大兄さまと小兄さまが交代される――。姉さまも大兄さまも笑っていらっしゃいましたが、小兄さまは静かにされていました。
第一王子がゼルディウス兄さま、第二王子がディアス兄さまなので、その順番が変わっても、どちらも大好きな兄さまであることに変わりありません。姉さまたちが笑っている理由が、僕にはよく分かりませんでした。
目が合うと、困ったようなお顔をされていたので、きっとディアス兄さまと同じ気持ちな気がします。
「ゼルの代わりが、俺に務められるはずもありません」
「その図体で、俺の後ろに隠れるのもそろそろ無理があるだろ……。俺に頼らなくたって、もう自分のことは自分で決められる。――そうだろ、ディアス」
「えぇ、貴方だってエミリオのお兄様でしょ? いつまでも私たちの弟気分でいるのもいいけど、次エミリオが入学したら貴方だってお手本になってあげなくちゃ、――ね」
姉さまが僕にウインクすると、大兄さまと小兄さまの肩を叩かれました。
「ほら、お父様たちのところに行きましょ。――顔をお見せするのが遅れると、後が大変だわ。仕事中でお忙しい今のうちに、サクッと報告しに行くのが吉ね」
「あぁ――、ようやく何もないんだ。父さんのところに行ったら、少し部屋で休みたい」
「……まさかお昼はひとりで食べるつもりなの? せっかくエミリオもいるのに」
「今朝も早かっただろ? 最近は遅くまで勉強してたから、少し疲れたんだ」
二人がお話ししながら歩き出されると、――小兄さまもあまり元気がないご様子で、アイベルとお話しされているのが後ろに見えました。
やはり学園での生活はお忙しいのでしょうか。
いつもなら、みんなで一緒にお昼を頂くのに。――バラバラのタイミングが、寂しく感じました。
「エミリオ、あとで私と遊びましょうか。学校で流行っているカードゲームがあるの。あなたにも教えてあげるわ」
「……兄さまは?」
「――少し休んだら俺も行く。ディアスも誘って先に三人で遊んでてくれないか。アイツにも気晴らしが必要だと思うから」
「分かりました。ゼル兄さまともご一緒出来るのを、楽しみにしていますね」
「あぁ、――悪いがまた後で」
今日はお二人とたくさんお話しすることは我慢しようと思いました。
お休みの間、ずっと兄さまも姉さまもユスティツィアにいられます。
きっとこれからたくさんお話しできる時間もあるから、今日は我慢です。
今年の春、学園都市ピオニールに入学し大兄さま、小兄さまと同じ寮で暮らすことになりました。
憧れだったお二人と一緒に暮らせること、学園での勉強だけでなく、兄さまたちが日々こちらでどんな暮らしをしているのか、教えてもらうことがとても楽しみでした。
クラスで毎日顔を合わせる内に、話せるクラスメイトも出来ました。
そんな、ある授業が終わったあとの休み時間――。ドンと大きな音が聞こえ、窓の外に何かが落ちてくるのが見えました。
キラキラとしたものが庭に落ちていったので、初めは誰かが魔術をお使いになったのかと考えていました。この学園に来る前、基礎的な制御方法は習っていたものの、授業ではまだ使うことは禁止されていたため、どのようなものを学園で教わるのか興味がありました。
窓に駆け寄るクラスメイトたちを、キールが止め、僕の腕を強く掴んでいたのを思い出します。
すごく痛くて、――でも見たこともないキールの強い言葉から、窓に近付いてはいけないと、クラスメイトたちも言うことを聞いていました。
なんだかそこから、色んなことが一気に変わってしまったように思います。
しばらく教室の隅でキールに庇われながら、クラスメイトたちと座っていました。
廊下から先生や兵士たちがやってきて、外に出ないようにと呼びかけられ、クラスメイトの数を確認し、怪我人はいないか、気分が優れない人はいないかなど確かめたあと、寮へ戻るよう指示がありました。
なにか――、変なことが起きてるんだと、クラスのみんなも気付きました。
クラスの男子たちと兵士たちに寮まで送り届けられ、部屋で待機するよう指示がありました。
階段を上がり、クラスメイトたちと別れると、――それ以上、僕は進めなくなりました。
「――――エミリオ様、私めがお側におります」
「……姉さまも兄さまも、大丈夫でしょうか……」
階段の途中、がらんとした寮に、兄さまたちの姿もないことが僕は不安でした。
「……何があったのかはまだ分かりませんが、事故であればヨアヒム様が迅速にご対応されるでしょう。ここには王都から遣わされた近衛兵に、この地で研鑽を積む警護隊もおります。――学生たちの中にはクライゼル警邏隊という警備組織に属する者や、騎士見習いとして騎士道を学ぶ者など、多くの方がいらっしゃいます」
不安で冷たくなった手を温めるように、キールが両手で僕の手をそっと包んでくれました。
「いかなる有事に対して堅牢な備えがここ、学園都市ピオニールにはあります。――オクタヴィア様は現在ご不在ではありますが、大きな問題があればグライリヒ陛下も、殿下たちだけでなく皆様のために王都から指揮されることでしょう。――だから今はご心配には及びません」
キールの言葉に、顔を上げました。
いつも傍に居てくれる僕の侍従は、小兄さまに似て静かでたくさん話す人ではありませんが、大事なことをまっすぐに伝えてくれるところもよく似ていると思っています。
「お二人のお戻りを、まずはお部屋で待ちましょう。――ゼルディウス様もディアス様もお戻りになられましたら、改めて伺いに参りましょう」
優しく言い聞かせるキールの声に頷き、僕は七階の自室まで戻りました。
ですが、その日からゼルディウス兄さまは寮にお戻りにならず、ディアス兄さまはいつも悲しげに沈んでいらっしゃいました。
誰かが兄さまたちは仲が悪いと、話しているのを聞くようになりました。
絶対そんな事ないのに――。
いつもお二人が一緒にいるのも、よくお二人で話していたのも僕は知っています。
お二人に混ぜてもらいたくて、僕に気付くと間に座らせてもらい、三人で話したことだって何度もあります。
姉さまもその事は知ってるし、レティシアやコレット姉さまだって知っています。
だから、ディアス兄さまがずっと寂しがっていらっしゃることだって、僕は知っています。
◇◇◇
もし、今までで一番おかしな日があったかと聞かれたら、僕は『今日』の出来事を真っ先に誰かに伝えるでしょう。
朝はおばあ様のメイドであるゾフィが、兄さまのお部屋に来て聖国のお話をされました。
放課後はおばあ様のお部屋にイタズラを仕掛けただけでなく、おばあ様のお目覚めの手伝いをしていると言う、エリーチェの話を聞きました。――おばあ様とはあまりお話しする機会もなく、お側に寄り難く、大きなお声が怖いところがあります。
でも、ココとモモに名前を付ける時に、僕が思いつた名をそのままつけて下さったので、おばあ様にもお優しいところもあるんだとエリーチェの話を聞いて思い出しました。
だから、もう少し話を聞いてみたかったのですが、――エリーチェが隠し子かもしれないなんて叔父上が仰いました。
でも、どうやら誤解だったようです。
みんなが知らない家族が居たのかと少し驚きましたが、違うとなると少し残念です。兄さまたちともエリーチェは気が合うようだし、一緒にいて楽しい方なので、僕は家族だったらいいなと少し思ってしまいました。
でも兄さまは違ったようで、少しお元気がなくなってしまいました。
そんな時に父さまとお話ししていたら、今度は姉さまが現れました。ドアの叩き方が乱暴で、少し怖かったです……。あんな風に姉さまが誰かを呼んだことなんてないし、男子寮に現れるなんて一度も想像したことがなかったので、とても驚きました。あの時、兄さまと一緒に居られて本当に良かったです……。
びっくりしたのも束の間、姉さまは泣いてしまいました。――僕はそんな姉さまを一度も見たことが無かったので、泣いてる姉さまに悲しくなってしまいました。
気付けば僕も涙が出てきてしまいました。――泣くのはカッコ悪いし、僕も兄さまたちと同じ王子だから、誰が見ても手本となるべき人であるべきだと教わってきたのに……、どうしても止まらなくなってしまいました。
小兄さまの手が肩を優しく撫でてくれた時、大兄さまのことを思い出し、もう一度泣いてしまいました。
大兄さまのことで、姉さまがおばあ様とケンカなさったと聞きましたが、こんなに変なことが次々起こるなんて、やはり今日はおかしな日です。
今もどうしてか兄さまのお部屋で、前に下町で食べたルンデボーネを姉さまと一緒に食べ、今度は夜の学校へ忍び込むことになりました。
一日でこんなに忙しかったのも、学園に来てから初めてな気がします。
だからでしょうか、――姉さまも兄さまも、いつもよりなんだかお元気そうに見えました。
姉さまはご冗談もよく言われ、お淑やさがなくなっています。まるでユスティツィアで姉弟だけでいる時みたいです。
フィフスが焦げたマシュマロの中身を、先ほどキールに味見をさせようとしたら兄さまが止めていました。
ルンデボーネにマシュマロをつけ、渡そうとしただけだったのですが、両手の塞がったキールに有無を言わせぬ迫り方が目についたようです。
そのルンデボーネは結局、フィフスが自分で口にしていました。毒がないことを証明したかったようですが、――僕もあの迫り方ではキールが少し可哀そうだったので、兄さまが止めてくれてよかったです。
「そんな、無理に食べさせようとしなくても。あなたが毒を持ち込むなんて誰も思ってない」
「私が持ち込まなくても、仕込まれていたら事だろう。従者として、そんな現場に遭遇でもしたら自信を無くしてしまうかと思ったんだ。」
「どの目線での心配なんだ――」
――この頃、兄さまといて気付いたことがあります。
家の者以外の人といるときは言葉少めになるのに、フィフスといる時は小さなことでも目につくのか、あのように注意したり言葉をかけるとこをよく見かけます。
それが少しだけ、羨ましいと思うときがあります。
「フィフスはその恰好で外へ行くつもりなの? コートは持ってきてないのかしら」
「外で左翼が私のコートを持って待っている。合流がてらあとで受け取るつもりだ。」
「待たせているって……。それは、セーレも彼の事を心配する訳ね……」
だけど、他に親しい人をお作りにならないことも知っているので、親しむべき他人がいることは良い変化ではないかと、キールが言っていました。
僕もここに来てから同い年の知り合いが増えました。兄さまも姉さまも知らない話題や、姉弟でいる時とは違う話が出来ること、同じような気持ちを持った子や、違う考え方を持つ子と話すのは、姉弟でいる時とは違う楽しさがあります。
僕も兄姉のことは大好きですが、――兄さまは僕とは違う人であり、僕が独り占めし続けて良い訳でもありません。
友だちといる時間、姉弟といる時間、家族といる時間――。いろんな時間や経験を積むことが何よりも大切だと、ヴァイスもよく学生たちに言っています。
「――――セーレ様と話をしたのか。」
姉さまがフィフスに呆れていると、アイベルも戻ってきました。小さなサンドイッチが載ったお皿を手に、机に置き、僕にも勧めてくれました。
兄さまにも声を掛けていましたが、まだ食べる気が起きないのか、見向きもしていませんでした。少し心配です。
「えぇ。だけどフィフスには特にないって言ってたわ。……あなたがとんでもない人だから、セーレも言うべき言葉を持っていなかったのね。慕っている割にあなた、一方通行ね」
サンドイッチをつまむ姉さまがソファに座りながら、後ろに立つフィフスに指を突き立てて言うと、彼は笑っていました。
「あぁ、そうかもしれないな。今何か貰うべき言葉はないし、私も貰ったところで困っただけだ。何もいらなかったからちょうど良い。」
「……変なの。どんな言葉でも、尊敬している人なら嬉しいと思うものじゃないの?」
「お前たちと話しをしていたという事実だけで、私は満足だ。もし今後もセーレ様と話す機会があれば、私の事は伝えなくていい。他の話をしてあげてくれ。――貴重な時間を、余計なことで浪費させたくない。」
「……余計なことだなんて、セーレはそんな風には思わないんじゃないのか」
「良い知らせだけ届けられれば充分だ。私たちが仕事でここに来たことも、これから何をするかもご存知だ。早く終わらせ、憂いを減らす方がずっと良い。――お前だってそうは思わないか?」
フィフスと兄さまが、お互いに譲らず話している。――昨日怒っていらした雰囲気に近いものを感じ、思わず姉さまにくっつきました。
「フィフスってば、セーレに嫌われてたりするの? 何か余計なことをしてそうだものね、あなたって。」
「――――この話はやめにしましょう。外で左翼が待っているのなら、早く校舎へ行った方がいい。雨の中待たせるのは可哀そうだ」
不機嫌そうに兄さまが話を切り上げると、アイベルと一緒に衣装ダンスのある隣の部屋へと姿を消されました。
ソファの背もたれの方を向いて座る姉さまは、静かに兄さまを見送ると、
「……あなたってケンカを売る天才ね。もう少し折れるとか、穏便に済まそうとか思わないの?」
「譲歩したところで話が長引くだけだ。自分を簡単に譲るときは、相手を罠に嵌める時くらいしかしない。」
「そう……。なら気を付けておくわ」
「是非そうしてくれ。」
顔を見合わせて二人が笑っておられました。
意外と姉さまとフィフスも気が合うのでしょうか。
少しだけ、分かり合っているお二人を羨ましく思いました。




