間奏曲 ――従者・中――
10月6日水曜日。早朝の出来事です。
もう少しだけ続きます。
「フィフス様でしたらすぐにお会い出来ますが、……今はあまり機嫌がよろしくありません。それでもよければご案内いたします」
宿舎へ到着すると、真っ先に現れたのはリッツ・ダリミルだった。モカブラウンの短い髪に、淡い緑色の瞳を持ち、銀縁のメガネの奥から冷たさを感じる表情で一同を見回していた。
「構いません」
「ゾフィ様がよいのであれば……。どうぞこちらへ」
三日前に講堂で行われた朝礼で、いくつもの挨拶文を考案したのがこの人物だったはずだ。
今は帯剣しており、兵士らしく無骨な態度で案内する様からは想像がつかないが、姫様も殿下も関心を寄せるほどの文才も秘めているらしい。
「……もしかして昨夜の事が原因でしょうか?」
殿下の部屋を後にした時は、互いにわだかまるものもないといった様子だったが、機嫌が良くないという話に思わず確認してみた。
「――いえ、朝があまり得意でないだけです。昨夜は何かあったんですか?」
「フィフスが男子寮で伝統ある舞踏を汚し、殿下を椅子にするなどという無礼を働いたと聞いております」
ブランシェがリッツを睨みながら、知らないのかと皮肉を込めて言った。
「あの人が? 殿下を椅子にしたって……、――まさか、殿下を四つん這いでも跪かせでもして、上に座ったとでも言うんですか」
「そ、そこまでじゃありません」
「そうですよね。では膝に座ったとかですか」
とんでもない状況を深刻な表情で言うものだから慌てて否定したが、リッツはあっさりとした態度に戻る。変わり身の速さに戸惑ったが、わざと大袈裟なことを口にしただけかもしれない。
そばで佇むゾフィ様が一切動じない姿を見て、簡単に動揺すべきでないと自分に言い聞かせた。
「――聞いた話によると、そのようです」
「なるほど。それはすみませんでした。ですが舞踏会を汚すとかそんなややこしいこと、あの人は考えてはないと思いますよ。ただ、自覚ある戦鬪狂なもので、腕の立つ人がいるといろいろと試したくなる人なのです。……とは言えこれとは話が別ですね。皆様には大変ご迷惑をお掛けいたしました」
ゾフィ様が代わりに相槌を打つと、リッツは四人の従者たちに深々と謝意を示した。
「何か謝罪が必要ということでしょうか。必要があれば当家に連絡をし、国を通して正式に謝罪をいたしましょう。担当を変えて欲しいと言うことであれば、商会へ報告しすぐにでも対応することも可能かと思いますが」
次々に手際よく打診されるが、お決まりの定型文といった無感情な物言いに、慣れているのかもしれない。
「――ですがその場合、第一王子にお戻り頂くことは諦めてください。誰も蒼家の当代と女王陛下が取り交わした密約を、わざわざ反故にしようなどと思わないでしょうから。当初のお約束通り、第一王子を迅速に保護し聖国へとお連れいたします」
「ゼルディウス様を盾にするなどと、なんと卑怯な――!」
「それは女王陛下にこそおっしゃって下さい。フィフス様は殿下をこちらに残すよう、二人の取り決めを破り行動して下さっているのですから。お身内をどうするべきか本来ならばそちらが考えるべき問題で、よその他人が口出しすべきことではないでしょう」
熱くなるブランシェが噛み付かんばかりに声を荒げたが、リッツは至極冷静に指摘した。
冷たい物言いが心に刺さる。だが確かにそうだ。――誰もがゼルディウス殿下を想うばかりで、会いに行こうなどと提案した者はいない。ひび割れた関係にさらなる亀裂でも入ったらと、誰も薄氷を渡ろうとする勇気がなかったのだから。
それに、――女王陛下の命に背くなど、一体誰がしたいと考えるだろう。たとえ密かに交わされたものだとしても、オクタヴィア女王陛下はこの国の在り方を大きく変えた功労者であり、絶対的君主のひとりだ。既に王位を退いた身とは言え、その影響力はいまだ広大で、あの陛下の一声で迅速に物事は決められて行く。
フィフスは他国の人間だから、女王陛下に対しても平気で不遜な態度をし、おもねることのない性格だからと思っていたが、――そんな簡単な気持ちから行動している訳でもないだろう。何度か目にした姿を思い起こす――。
破天荒な振る舞いが目につき、そのことに目を奪われることが多いが、彼に対し寛大な心で接する主を思うと、何か別の物事を見抜いておられるのやもしれない。
「おや、ゼルディウス様の件とは、一体なんのことでしょうか」
「とぼける気ですか。フィフス様を唆したのはゾフィさん、あなたでしょう」
「ゾフィ様が……?」
呆れたようにリッツが指摘すると、変わらぬ微笑みを湛えるゾフィ様がそこにいた。――だとしたらフィフスもゾフィ様も主の命を背き、ご姉弟君たちのために行動してくれていたということなのか。
「ふふっ。そちらで預かって頂く以上、知っていることをお伝えしただけに過ぎません。――ですがどのような形であれご協力頂けるのであれば、私としてもこれほど喜ばしいことなどありませんわ」
「……どうするか決めるのはフィフス様です。あの方が貴国の問題を解決するためにご尽力下さっていることを、皆さんも頭の片隅に少しで良いので留めておいて下さらないでしょうか」
ヨアヒム殿下たちにも言うなと釘を刺していたが、この件が明るみになればゾフィ様のお立場も危うくなるだろう――。余計な混乱を増やさなぬよう、彼なりの心遣いにいまさら気付く。
簡単にしか聞かされていないが、ゼルディウス殿下の置かれている状況は決して芳しくない。――殿下たちには伏せているが、ブランシェやジゼル、キールには共有はしていた。
随分と、連日話題に事欠かないほど派手に立ち回っているが、あの振る舞いの影にさまざまな思惑と機微が込められているとは誰が思おうか。呆れるものもあるが、一言で表現しようがないほど、関われば関わるだけよく分からなくなる人だ。
振り返れば男子寮の空気も大きく変えてしまった。もし昨夜のような騒ぎがあったとしても、今までであれば殿下は関わることなどせず、気にも留めなかっただろう。
フィフスの予測不能な行動を気にかけているせいかもしれないが、他の学生にも言葉を交わされていた。――コルネウス様を筆頭に、高潔に振る舞っていた他の学生たちも、振り返ってみれば普段よりもずっと肩の力を抜いているようにも見えた。――呆れていただけかもしれないが。
ずっと交わることのなかった一衣帯水に別たれていた空気を、彼が撹拌させる。それは元の場所に戻ろうとしているが、曖昧になった境界に新しい流れを作ってくれているような気がしてくる。
目に余ることもあるけれど、ブランシェのように『変わらぬ正しさ』ばかりを振りかざすだけでなく、殿下のようにイレギュラーを受け入れながら許す気持ちも大事なのかもしれない。
剣呑な表情を浮かべていたブランシェも、険しい眼差しはすでに隠れ、今や胸の内の憤りをどこにぶつけるべきかと迷っているようだった。
「ブランシェ、どうしますか? フィフス様にお会いになりますか?」
「――えぇ、もちろんです」
「分かりました。ではどうぞ」
やや引っ込みがつかない気持ちを立て直し、ブランシェが前に揃えた手をきつく握りしめていた。
通されたのは昨日も案内された広間だった。木剣を手にした二十名ほどの兵士が各々身体を動かしている。こちらでは珍しい、色とりどりの髪を短くし、体付きの良い男性ばかりの中にひとり、黒髪をポニーテールに結い上げた、素振りをしている小柄の女性の姿が目に入った。
真剣な表情で型を確認しているのだろうか、木製の長物を手に華麗に扱っている。半年ほど槍術を習っていると聞いたが、その手つきも所作も洗練されている。
「――あっ、アイベルさん! 今日は来ないのかと思いました」
周囲が入り口に現れた我らに気付き、真剣な眼差しにパッと花が開くような笑顔をエリーチェが見せた。いまは学生服ではなく、動きやすそうな簡素な道着のようなものを着用している。ゆったりとしたパンツスタイルだが、のびのびとしたご令嬢としての姿はそこにはなかった。
「ゾフィ様まで! おはようございます、皆さんどうしたんですか〜」
「おはようございます、エリーチェ様。皆とフィフス様に会いに参った次第です」
「へ〜、そうなんだ。フィーならあそこにいるよ」
周囲の兵士たちも動きを止め、各々気安い態度で挨拶を投げかけてくれるものの、ブランシェだけは硬い表情で彼らに返す事はなかった。
こちらに駆け寄ったエリーチェが指差す方向は、ソファが壁際に並べられた場所だった。昨日ここへ訪れた際に殿下が案内された場所で、いつも腰に下げている剣を胸に載せ、横たわっているフィフスがいた。顔を背もたれに向けているため表情までは見えないが、毛布が掛けられているので寝ているのか――。
彼が横になっている隣のソファには、ブロンドの髪と白い面をつけた左翼がナイフを磨いており、彼の近くに置かれた小卓の上にいくつも並べられている。――見覚えがある。あれは全部フィフスのナイフか。
「あれ寝ちゃった? フィー、お客さんだよー」
いつもならすぐそばへ駆けつけそうなのに、大きな声で呼びかけるだけでエリーチェも誰も彼を起こしに側へ寄る気配はない。
呼ばれている本人は微動だにせず、緩やかに胸元が上下するだけだった。
「いつもここで寝ているんですか?」
「そんなことないよー。今は人がいて賑やかだから、安心して寝ちゃったのかもね」
賑やかな場でわざわざ寝る人がいるのかと思ったが、連日こちらの常識で測れない人だ。彼はそういう人物なのだと、記憶しておくことにした。
「左翼様、――皆さんがフィフス様に確認したいことがあるそうです」
リッツの声に手を止め、仮面越しにこちらを確認しているのか静かに左翼の頭が動いた。――つるりとした凹凸もないまっさらな白い仮面は、彼の全てを塗りつぶしているようにも見える。目元を隠すだけの機能のようだが、口元は横一直線に結ばれ、少しも歪むことはない。
なぜかその無骨さを、エミリオ殿下はお気に召しているらしい。
何も言わずその場を立つと、手にしていた大振りのナイフをくるりと手の中で弄び、隣で静かに休むフィフスの前へと立った。
逆手に持ったナイフを掲げ、一直線に振り下ろす。――切っ先にはフィフスがいるというのに。
唐突な出来事に思わず声よりも先に足が出た。――なぜこんなにも大勢の前で害そうとしているのか理解出来ないが、ブランシェも突然のことに何事かと身構えていた。
だがナイフを避けるように、一気に毛布がふわりと逃げ延び、ナイフはソファに突き刺さる直前で止まる。
「お前に客だ、――フィフス」
毛布は背もたれの上に立ち、見覚えのある剣が鞘ごと左翼の首元を示していた。
「……そうか。何の用だ。」
ツンのめりながら足を止めると、背もたれに毛布をまとうフィフスが立っているのだと遅れて理解した。呼んでも反応がなかったが、一瞬で凶刃を避けたようだ。――周りを見渡しても二人のやり取りを危ぶむものはないのか、エリーチェでさえ会った時から変わらぬ様子だ。ジゼルとキールも何事かと戸惑っているが、その隣に立つゾフィ様も動じる様子はなかった。
左翼に向けていた剣を下ろし腰に差しながら、背もたれから床へと降り立った。土足のままソファに足を乗せる行為にむず痒い気持ちが湧き上がるが、いまの――身内がナイフを向けたことに対し咎める気もないことに消化しきれない気持ちを持て余した。――そう思っているのは、自分だけなのだろうか。
今は真っ白な制服のシャツをひとつだけボタンを外し、黒のスラックスだけのラフな格好で、先ほど身体に掛けられていた毛布を両肩に掛けている。――普段はジャケットを着て、小卓に並ぶナイフの類を服の下に忍ばせているからか、何もないとより小さく、華奢な印象を強くした。
寝起きだからかだろうか。いつもの意思の強さを感じさせる青い双眸は、どことなくぼんやりとしていた。
「ご機嫌麗しゅうございます、フィフス様」
「こんな早くからご苦労なことだ、ゾフィ。単刀直入に用件を言え。」
「承知致しました。――まずはオクタヴィア様より、一点報告頂いている内容について確認したいことがあります」
筒状にまとめられた書類をゾフィ様が取り出すと、リッツがそれを受け取りフィフスの元へと持っていった。立ったまま書類に目を通しているフィフスに、こちらの到来で手を休めていた兵士たちは各々鍛錬を始めた。――場所を変える気がないのだろうか。こちらから提案するものも気が引けるが、それくらいは気遣いがあって然るべきではと、ブランシェの機嫌が損なわれていくのを隣から感じる。
「この学園都市を囲う大森林ですが、動物だけではなく、魔獣やドラゴン種も生息しています。調べるには万全を期するために人も準備も必要です。――しばしお時間をいただけないでしょうか」
「待っている間に機を失うぞ。お前の配下を使って周囲を捜索すればいい。」
「内部の守りが手薄になることは極力避けたいため、承服致しかねます」
「――誰か紙とペンを」
「ここに」
リッツが一本の羽ペンとインクを取り出すと、フィフスの声を聞いた他の兵士が気を利かせ、別の小卓を運んできた。――人数分の椅子も持ってきたので、ここで話しをしろということかもしれない。
フィフスは先ほど横になっていた場所に腰を下ろし、紙束が入った箱が蓋を開けた状態で渡されると同時に、一枚紙を取りだした。
ゾフィ様は座る気はないようで、静かに立ちフィフスの動向を見守っている。それに倣い、こちらも静かに待機した。
彼がペン先をインクに浸し、紙の上でペンを手放した。何を――、と思う間もなく羽ペンは紙の上を舞うようにひとりで動き出す。
「ここら一体の地形や生態系を記録したものはあるのか。」
「当然です。陛下の元に資料がありますので、必要とあればぜひ城にお越し下さい。専門家もおりますので話は早いかと」
「承知した。では手隙の際に伺おう。」
ペン先が細かく黒い筋を描き、白い羽がふわりふわりと不安定に揺れる。少しすると紙の上には緻密な形が現れ、ここの地図を描いているのだと分かった。
「それから――、午後には王都より衣装が届くと知らせがありました。ずいぶんとたくさん取り寄せたようですね」
「もとより何をどれだけ用意しているのか、全て人に任せているから私の預かり知らないことだ。――だが、お前たちにとっても悪い話ではないだろう、この国の仕立て屋が聖国に名を売る機会でもあるんだからな。」
「えぇ、もちろん。――ただ、以前より話には聞いておりましたが、改めて数を知り驚いたところです。とても景気の良い話になりそうで」
「フッ、それはいい――。お前たちの意表をつけたなら上々だ。良き知らせとして、あいつらには伝えておこう。」
あっと漏れ出る感嘆を飲み、不思議な光景に見とれていると、学園都市ピオニールが現れた。――だがその地図は紙の大きさに対してやや小さい。ふわりとペンが街から跳ねると、城壁の外に広がる空間に五つの点を描きその場で倒れた。
「調べるべきはこの五つの地点だ。――元の生態系は分かりかねるが、この辺りに魔獣とやらはいない。きっと皆がこの地を避けているのだろう。ここへ来る途中、獣が村に現れることもあったが、――ここから逃げているとしたら、何か事態が進んでいるのかもしれない。」
フィフスがペンを片付けるのに合わせ、まるで魔法のような一瞬の出来事に奪われていた心を取り戻していると、紙の上で黒だったインクが赤紫色に変わった。同時に鼻をつく妙な臭いに、これは下町で見かけたインクだったと気付く。――気に入って使っているのだろうか。
「街を囲う外壁には獣が近付かないよう、防衛魔術が施されております。そのせいで近くに外敵がいない、ということではないのでしょうか」
「いいや。この印した地点は不自然に精霊が少なく、今の私では詳細を見ることが出来ない。おそらく他のことが原因だろう。生き物がこの地を避け、それをエサにするものもいなくなっている。――しばらくこの辺りを見ているが、調べるなら懸念が少ないうちがいい。そう思わないか、ゾフィ?」
静かに地図を見ているゾフィ様に声をかけるも、小さくなるほど、と考え込んでいるご様子だ。
「確認するだけなら、代わりに私が行っても――」
「今の状態で行くつもりですか? 今あることだけでも手一杯でしょう。却下です」
隣に立つリッツが、フィフスを静かに止めていた。一瞬の間が出来たが、ゾフィ様は静かに紙の上を眺めていた。二人がなんのやり取りをしているのか分かりかねるが、あまり良い話ではないことだけはこの場の空気だけでもわかる。
「距離はどの程度でしょうか」
「精霊が描き起こした地図だ、この地のあるがままを描いている。学園を囲うように何かがあるが、それが私にも見えない以上お前たちの目も必要だ。一番近い場所はここから北へまっすぐにいけばぶつかるだろう。少数で先行し確認してこい。」
以前、半径二、三キロメートル範囲内のことは分かると教えてくれていたが、――学園内だけではなく、何故森の状況までわかるのだろう。ゾフィ様が手にしている地図をもう一度覗き見た。
壁で囲われたこの地は、縦横およそ11キロメートルほどの円形の街だ。森の中を示す点は、だいたい壁から数キロ程度か――。点のある地点までを含めると四方20キロメートルほどの地図を印したのだと思われる。――壁の近くまで行って気付いたということなのか、それにしては少々距離が離れているようにも思える。
それともここにいながら、その場所が『見えている』ということなのか――。
「大将、そちらは南です。南北が逆です」
「……そうだったか。はぁ……、ここはややこしいことが多いな」
指を差し示した方向は確かに南だ。リッツの指摘に力なく嘆息している。その様子にゾフィ様がくすりと笑われた。
いや、精霊術で地図を作ったからといって、別に彼が全てを見ているとは限らないだろう。
だがもし、初めに会った日にタイミング良く駆けつけてくれたが、あれが彼らがこの街に到着するよりも前に分かっていたとしたら――。
エリーチェが人数分のカップを持って来た。皆さんどうぞという声と共に、甘い香りが気分を変えてくれる。用意されたカップの中身はミルクティー色をしているが、香りにスパイスも混じっているようだ。手渡されるが、ゾフィ様が微笑まれたのでひとつだけ口をつけた。
「やっぱり森の中も見に行きたいんだ」
「直接確かめに行くのであれば、自分で見に行った方が早いというだけだ。魔術や召喚術といったラウルスにしかない技術に関して理解することは出来ないが、それ以外で見れば分かることもあるだろう。」
「――承知いたしました。では陛下に報告後、早急に対応いたしましょう。情報提供に感謝いたします」
「他はなんだ。四人それぞれが私に用か。」
傲岸な青い眼差しが一同に向けられると、彼の肩から毛布が落ちた。腕にかけ直しているが、――こうして見ると、隣で並ぶエリーチェ嬢の方が若干肉付きが良いように見える。先日、背丈を指摘されて落ち込んでいたが、これが理由なのだろうか。
華奢な男子はたまにいるが、あの細身で『栄光の黒薔薇』の手練れを倒したのだから分からないものだ。腕前を知らなければ、自分でも勝てるかもと驕っていたことだろう。
「……昨日少し酔ってたみたいだっただけど、大丈夫だったの?」
「あぁ、左翼がいるから問題ない。――もし昨夜の事であれば何か弁明する気はない。他の学生達も承知の上であの場にいたはずで、何かを無理強いしたつもりはない。アイベル、お前の従兄弟に聞いてみろ。ディアスも納得しているはずだ。」
「よろしいでしょうか。――昨夜何があったのでしょうか。もしかしたらなにか誤解もあるかもしれません。フィフス様は少々言葉が足りない時や、間違って使うことがあるので、こちらとしても確認させて頂けないでしょうか」
勇んだブランシェが口を挟むより先に、リッツが話を遮った。
「そうですね。私も断片的に知っているだけですので、是非お話を伺いたいのですがいかがでしょうか、フィフス様」
「……昨夜はディアスに用があったが、まだ戻っていないようだったから、その辺にいる学生たちに、この学園の行事について話を聞いていた。――学園については、ここに来る前にも話を聞いたことはあったが、あの時は話半分でしか聞いてなかったからな。」
ゾフィ様もリッツの提案に乗ると、フィフスは投げやりに言葉を吐き捨てながら、深くソファに座り飲み物を口にしていた。
「あとはここで騎士見習いたちが、日頃どのような活動をしているのか聞いていたはずだ。そうだな左翼。」
「俺に面倒を回すな」
隣のソファで静かにナイフの手入れをしていた兄弟子へ確認を取ると、彼は大きなため息をつき持っていたナイフを片付け始めた。
「――あの場にいた連中が舞踏が出来るというものだから、この馬鹿はセーレに教わったことを見せびらかしていた。だが途中で、馬鹿が前に戯れに思いついた足技を見せたら、ディートヘルム・フォン・ニュルンベルクが面白がり、そのまま興味を持った連中に教えてやっていた。音が欲しいとコルネウス・フォン・ノイエシュタインたちに演奏させたのも、奴だ」
十本のナイフを小卓に置き、大きさを揃え順番に並べていた。柄の位置も整えられ、どれも平行に並んでいることから、几帳面な性格なのかもしれない。
そして面倒を回すなと言いつつ状況を説明してくるところが、ゼルディウス殿下がご姉弟君に世話を焼いていた姿を思い起こさせた。
口では呆れた様子をお見せになるが、姫様たちの思い付きに付き合い、殿下たちが困っている時には手を差し伸べてくれる。そんなご姉弟の関係に近いものを感じた。
「その後、王子達が帰ってきたはいいが、動き回ったせいか想定よりもこの馬鹿の酔いが回り、王子の膝に乗るという目も当てられない馬鹿をやらかした。その件は周囲の人間の方が快く思っていないようだ。――その後、馬鹿が余計なことを言ったから王子がキレた」
「キレたって、……一体何を言ったんですか」
「方天の代替わりについて。ここで噂が広まっていたから心配するなと言いたかったようだ。――だが、俺たちにとっての常識は世間では通じない。超弩級の馬鹿が純粋に馬鹿な説明をしたせいで王子を怒らせていた。その後は知らない。和解はしたらしい」
「なるほど……、どうせ代替わりしても平気だ、問題ないとか言ったんでしょう」
「も〜、冷たい言い方するのはやめなよね」
想像がついたのか目頭を抑えたリッツと、フィフスの肩を揺さぶりエリーチェが彼に抗議をしていた。当の本人は特に何か言うわけでもなく、相変わらずされるがままだった。
彼だけが冷たい物言いをしているだけで、全員がそう思っているという訳ではないようだ。
「――左翼様でもフィフス様たちが、何をお話になったのかご存知ないのですか?」
「知らない。あとは本人に聞け」
「個人的な話をしただけだ。お前に明かすつもりはない。」
ふいと顔を背け、ゾフィ様に対してこれ以上踏み込ませないつもりがないようだった。
「キールから伺ったのですが――、もしかして殿下はお部屋の仕掛けを使ったのですか」
「あれがなにか、ゾフィ様はご存知なのですか?」
腕を組み思案顔でゾフィ様が、何かを確かめるようにフィフスへと尋ねていた。
「えぇ。寮の七階は王族専用のお部屋が並んでいますが、古くから王族にだけ分かる仕掛けが施されているそうです。気付かないでお過ごしになる方もいらっしゃるそうですが」
くすりと笑うと、左手を胸にあて目の前に座るフィフスたちをすっと見下ろした。
「外界を遮断し、部屋の主が許しが得られるまで誰も部屋を出ることは出来ず、攻撃を許さず――。相手を無力にさせるとか。絶対的優位を王位継承権を有する者だけが与えられた、理智も道理も通じない『王者の絶対領域』と呼ぶべき特別な場所です。――校舎の中にもその仕掛けがあるそうですが、優位を取れる場所でもありますので秘匿されているとか」
六年前に主と共にこの学園に来たが、そんな話は知らなかった――。横を確認するとブランシェやジゼル、キールも驚いた顔をしているので、自分を含め誰も知らなかったようだ。
ディアス様もいつ気付いたのだろう。少なくとも初めてあの部屋にやって来た時は何もなかったし、ゼルディウス殿下も特に何もおっしゃっていなかったはずだ――。
「拷問に使っていたんじゃないのか。」
「それは……。趣味が悪いですね、王族の方って」
「お部屋の持ち主次第かと。……懐かしいですわ。オクタヴィア様もよく学生の頃は、気に入らない相手をお部屋に招いては、二度と刃向かえないよう徹底的に思い知らせたり、懐柔し相手を取り込んでいらしたとか。それをディアス様も使われるとは――。やはり血は争えませんね」
徐々に懐かしさに上擦る声が、陶酔を含み嬉しそうに部屋に響いた。しれっと漏れた出ていたリッツの失礼な言動を訂正させる間も与えられず、もやっとするものが心に残った。
「へー! 女王様って昔からかっこいいんだ……!」
「最悪だな。あと、女王とディアスの間に一世代あるだろ。しれっと抜かすな。」
「パワハラじゃないですか。大丈夫だったんですか大将は」
「個人的な話をしただけだ。それ以外はなにもない。――しかしそんなに特殊な場所だったとはもったいないことをした……。本当になにも出来ないものなのか、試してみたいとは思わないか?」
交戦的な興味を覗かせるフィフスの様子に、リッツが絶対にやめろと注意している。――あの様子では、次そんな機会でも与えたら何をどうするつもりなのか……。興味本位で部屋を荒らされでもしたらとんでもない。殿下にも言い含めておこうと心に書き留めた。
突然エリーチェは勢いよく片手を上げたと思うと、跳ねるように席を立った。
「はいはいっ! 学生の頃の女王様ってお部屋でなにをしていたんですか? ゾフィ様もお部屋に呼ばれたことがあるんですか?」
「残念ながら私は呼ばれたこともありませんので、何をされていらしたのは……。それに私も男なので、女子寮に入るなどさすがに憚られますわ」
「そうなんだ〜。でもそんなすごい部屋があるなんて知らなかったな。女王様はどのお部屋を使われていたんですか? もしかして今は誰か使ってる?」
「今は誰も使っていない、一番奥のお部屋をご使用になられていたかと。お部屋から眺める景色を特に気に入っていらしたそうですよ。――いったいどのような眺めなのでしょうね」
「見てみたいな〜。空いてるなら、見せてもらうことは出来ないかな――」
ゾフィ様から女王陛下の話が聞けることが嬉しいのか、エリーチェはゾフィ様のすぐそばであれこれと質問を始めてしまった。――互いに敬愛するオクタヴィア様の話が出来るからか、弾むような声にこの場を楽しんでいる様子が伝わってくる。
「そうだ! 誰も使ってないなら、女王様も女子寮に来てくれないかなー。学生時代どんな感じでお部屋で過ごされていたのか興味ある〜」
「――なるほど、寮内の視察ですか」
「そそ! ゾフィ様も見たことがないんでしょ? 女王様の武勇伝が聞きた〜いっ!」
「あまりご自分で古い話をするのはお好きではないのですが、……そうですね――。フィフス様がいらしてくれれば、少しは乗り気になって下さるかもしれませんわ」
「ゾフィ様!? 何をおっしゃっているんですか!」
ブランシェの悲鳴にも似た驚きの声が、突拍子もない提案を止めようとしていた。
普段、忠臣としてのゾフィ様のお姿からは想像つかないほど、ユニークな会話をされるため、気持ちが置いていかれっぱなしだ。――これがゾフィ様の会話術なのだろうか。
そしてエリーチェは、何をどうしたら女王陛下に対しそんな気安い期待を持てるのだろう。聖国ではそれだけ親しまれるほどの人気がある、ということなのだろうか。
「確かに――。フィーが来てくれれば女王様もその、王族しか使えないワザを見せてくれるかも」
「二人してやめろ。私は絶対に女子寮なんて行かないからな。」
いや――、これは常識では縛りきれ合い御仁に対する会話術なのかもしれない。楽しげに振る舞いこの場の空気を支配しながら、女王陛下も絶対了承するはずのないユニークすぎる話で相手の意表を突き優位を取る――。現に、交戦的なフィフスの心を遠ざけているように見えた。
あまりにも自然に振る舞われているため、意識しなければ気付かなかっただろう。老獪ながらも決して古い考えに留まらず、長年オクタヴィア様のお側で仕えてきた方の手腕がこれなのか――。
「女学生の制服が必要でしたら、いつでも私どもがご用意致しますわ。フィフス様が女子寮にいらっしゃるのであれば、私も女子寮へ行きやすいですし」
「いっそ女子にでもなって、ゾフィ様みたいなお淑やかさを少しは学んだらどうですか。良識ある立ち振る舞いくらいは体得できるかもしれません」
「リッツ、お前まで――。はぁ……、こんな場所、一刻も早く帰りたい」
彼らの揶揄が思ったよりダメージを与えたのか、覇気のなくなった声と共に目元に影を落とした。
「あ、ごめんごめん。その、本気じゃないから、……本当にごめんね?」
「申し訳ありません。ただの冗談のつもりでした」
「本気だっただろ、お前たちは」
呆れたように息を吐き顔を上げたが、鋭さのある青色の瞳は憂いが混じっているようだった。
「申し訳ありません、フィフス様。――お元気になって頂こうと思ったのですが」
「お前はもっと自分の欲望を隠せ。誰が喜ぶんだそんな話」
ゾフィ様の隣で自分を指すエリーチェが、何かをアピールしていた。
眉を険しくさせるとフィフスはため息をつき、毛布を剥ぎ取り席を立った。左翼のそばに近くに足らない学生服のパーツがあるようで、リッツもエリーチェのことも無視してそちらへ向かっていた。
真っ先に手にしたのは細身のホルスターだった。ナイフをそれに次々にしまっている。事情を知らないブランシェの表情が崩れながら、こちらを見ていた。あれを知っているのかとでも言いたいようで、――彼女が動揺すると、こんな顔をするのかと初めて知った。
「あれ。今日またずいぶん人が多いですね。……っはようさんです」
「これはこれは、師団長殿。今日は非番だと聞いておりましたが、ずいぶん早起きなのですね」
あくびまじりに現れたガレリオがゾフィ様と言葉を交わすと、にこりと人の良い笑顔をこちらにも向けていた。
「国を出てから朝が早いことが多かったもんで、ついこの時間に目が覚めてしまいましてね。でもゾフィ様がいるならちょうど良かった――」
頭に片手をあて、うんざりした表情に変わるガレリオがゾフィ様のそばへと足を運んだ。
「聞いてくださいよ~。この街の西のとある場所に酒場があるって聞いたんすけど、一見はお断りだって酒の一杯も頼ませてくれなかったんすよー。せっかく昨日は飲みたい気分だったのに、ひっどい話だと思いませんかー!」
絶対に、ゾフィ様にわざわざ聞いていただく内容でないと思うのだが、ガレリオの話を興味深そうにゾフィ様が耳を傾けていらっしゃった。
「ほう――、そんな店があるのですか。災難でしたね」
「えぇえぇ、そーなんすよ。下町と上町の間にある場所なんですけど、昼はカフェ、夜は酒場をやってるとか。大通りからいくらか入った場所にある、知る人ぞ知る店といった感じだったんすよね。――ただ以前、店を学生が訪れた際、店員に追い払われたそうなんですよ」
「客を選ぶ店はよくありますが、この学園都市で学生を拒否するとは――。酒類を提供しているからでしょうか」
「どうなんすかね。俺も追い返された口なんで、なんでダメだったかは分からないんすけど。それから噂になってるみたいですよ。ガラの悪い店員のいる店だって――」
腕を組み、不満げにゾフィ様に訴えていたガレリオだったが、指をひとつ鳴らしパッと明るい表情に変わった。
「まったく、面白そうな店だと思いませんか? 人通りが少ない場所だし周囲は廃屋ばかり、態度の悪い店員もいるっていうのにそれでも商いが出来ているんですから、――余程うまい酒かあてがあると思うんすよね」
「ふふっ、面白いお話ですね。――いったいどのような人がお店を利用しているのでしょうか」
「昨日は見た感じお客はいなそうでしたね。雨だからかもしれませんけど、――粘れば俺ならイケると思うんですよね〜。もし攻略出来たらどんな名物があるか、ゾフィ様にも教えてあげますね!」
「えぇ、良い知らせを期待していますわ」
考えたことはなかったが、ゾフィ様も誰かと酒場に行ったりするのだろうか。ピオニール城にご自身のお部屋はあるそうだが、私的な時間を過ごしているところなど見たことがない。
ガレリオのフランクすぎる態度に目くじらを立てるどころか、対等に接していらっしゃる姿に、年齢性別出身に関わらず、どこの誰とでも気さくに交友を深められているようだ。――オクタヴィア様に仕えるゾフィ様はもちろんのこと、グライリヒ陛下の側近たるセーレ卿もどのような相手でも対等に接し公平な応対をされる。自分たちに欠けていたものが垣間見えた気がした。
「って、そこ――! なんでもう一回寝ようとしてるんですか!」
驚くガレリオの視線の先には、毛布を被りソファに改めて横になるフィフスだった。
「今制服着てましたよね? そのまま横になったらシワだらけになっちゃうでしょうが。誰がアイロンしてると思ってるんですか」
彼を起こそうとガレリオだけでなく、周囲の兵やゾフィ様と楽しく会話していたエリーチェまでそばに駆けつけている。――だが、そんなことよりも、この東方軍第三師団をまとめている彼がアイロンなんて雑用を、彼のためにしているのかという方に驚きがあった。
「別に頼んでないし、手入れもしてくれなくていい。――学校はエリーチェとリタがいるんだ。私がわざわざ行かなくたっていいだろ」
「どうして不貞腐れてるんですか――。もう、そんなんじゃ学校なんて卒業出来ませんよ!」
「一日は行ったんだ。これ以上行ったところで、私には関係ないことだ」
「本気で言ってるんですか? 学校に行きたくても、行けなかった人がここにいるって言うのに?」
「聖国にも学校増やすために参考にしたいねって話してたじゃん! 一緒に学校生活しようよ〜」
「ヴァイス様も、大将が学校に来なくなったら寂しがりますよきっと」
「だいたい一日行っただけで何がわかるって言うんですか。帰ったらシャナ太子たちにこちらの学校のこととか教えてあげたいって言ってたじゃないですか」
「ソルさんも大将がこんなんなっちゃったって聞いたら、めちゃくちゃ心配しますって」
もぞりと毛布の塊が動き、フィフスの顔が心配を向ける周囲へと向けられた。
「……問題が起きたら行くから、それまでお前たちが好きにすればいい。いつもそうしてるだろ」
もう一度毛布を頭から被り、横になったようだった。この過剰に心配される中、彼は寝ようとしているのか周囲の言葉に取り合わないつもりのようだ。
「うちの子が不登校になるなんて、――お母さん、悲しいっ!」
「――――――――――はぁ……」
ガレリオの渾身の演技小さなため息を最後に部屋が静まり返った。
「……俺の母親面に嫌がりもしないなんて、重症じゃないか――――ッ!」
周囲から息を飲む音が重なった。
「え? ガチのやつじゃないですか。もしかしてさっきの気にしてるんですか――」
「ほら、本当に元気出してくれませんか? もうすぐ学食が開く時間ですし、今日はリタとも待ち合わせしているんでしょ?」
「そうだよ! どれが一番美味しかったかカナタに教えてやらなきゃ! フィーまでこうなっちゃったら、ますます来るの嫌がっちゃう……!」
「ちゃんと学校行かなかったら、大将なんてただの不登校の不良学生じゃないですか。国に戻ったらお笑い草ですよ」
周りの人間が必死にとも大袈裟とも言えない雰囲気で宥すかしている様子が、完全に拗ねてしまった子どもを必死にあやしているようにしか見えず、室内の空気に困惑するしかなかった。
「誰か……、誰かこの中にお医者さまはいらっしゃいませんかーッ!」
「お医者さまごっこが得意な方ならひとり思いつきますが、お呼びいたしましょうか」
「その人を頼るのは最後の手段にしておきましょう。物事には順序ってものがありますから」
大袈裟に医者を呼んだガレリオが、ゾフィ様の返事を冷静に断っている。取り乱しているのかと思ったが、そうでもないようだ。
「……フィフスもヴァイス卿には懐いているようですし、お話しされてはいかがでしょうか」
二人のやり取りにヴァイス卿を指している気がし、ゾフィ様が提案される通り悪い話には思えなかった。少々性格に難はあるが、どんな相手でもお気持ちを持ち直させることがお上手な方だ。自分も身に覚えはあるし、気落ちされた主も何度も励まされているのをそばで見てきた。
「……もしかしてどこかお加減が優れないのでしょうか。エミリオ殿下も、体調が優れない時はこんな感じなので……」
キールも彼を案じているようで、おずおずと声を掛けた。
「今ヴァイス卿を連れてくるのは逆効果なのでなんとも――。多分あれは懐郷病なんで」
「――ホームシック、ですか」
出会ってからつい先ほどまで見せていた大人びた態度や交戦的な様子から、そんな彼でも弱る時があるのかと面食らった。
いや、両親を大切にしているようだし、国を跨ぐほど遠方まで離れてしまえば、懐郷の念が沸くのも仕方のないことなのかもしれない。
「えぇ。朝からちょっと危うい感じはあったんですけどね。ただ、ここまで明け透けに態度で出してるのは……。左翼様、どうしたらいいと思います?」
「放っておけ」
「うんまぁ……、結局のところ、解決するには時間が必要なんでしょうけど……」
冷たい提言に深くため息を吐くガレリオは、さらに表情を曇らせた。
彼を案じる兵士たちが、なんとか気を持ち直す話題を見つけようとあれこれ話しかけており、心配や気遣いだけでなく、彼の有り様に心を痛めているようだった。
「お可哀想に……」
「何言ってるの、ジゼル。――男児たる者、あのような姿を他人に軽率に見せるべきではないでしょう。たるんでいるわ」
「そうは言っても、コレット様やディアス様と変わらない年頃なのよ? どのような方でも落ち込んでいらしたら、痛ましいと思ってしまうわ……」
ジゼルの同情の言葉にブランシェが言葉を飲んでいた。素直な態度もそうだが、周囲の人間に深く慕われているところを見てしまえば、彼という人物がどういうものか嫌でも伝わる。
「――お下がりなさい」
低い声が響いた。――聞き覚えがあるような初めて聞くような冷たい声だが、咎められているようで身をすくめさせた。
「あなた方は若く経験も浅い。平民上がりで、礼儀作法も弁えぬが、ただの愚鈍の衆ではないでしょう。そのように赤子をあやすような見苦しい真似はおよしなさい。それはそのように扱うものではないのが分からないのですか」
声の主はゾフィ様だった――。彼の声に東方軍の兵士たちが顔を上げ、硬い表情を向けている。
「己の勝手な尺度で物事を見、理解できる範疇に堕とし込め、既知の知識だけでなんとかしようとするのは、傍から見れば見苦しいことこの上ないというものです」
静かに前に進みながら、周囲の兵士たちの前をゆっくりと通り過ぎていく。
「あなた方が普段と違う役割を与えられているため勝手が違うことも、普段頼りにしている者もいない以上仕方なのないことかもしれませんが、――もう少し今の自分たちの身を振り返りなさい。それがあなた方の正しい姿なのですか?」
普段の穏やかな声色と話し方とは違い、厳しい叱責を含む低い声色は、動揺していた兵士たちそれぞれに注がれ、道を開けさせる。
「そして、――彼らになんて醜態を晒させているのですか。それで貴方は満足なのですか? 彼らは兵士であって、下男でもなければ傅役でもない。――そのようなことも分からぬほど、理非曲直もわきまえぬ暗愚となってしまったのでしょうか」
一際低くなる声に、横になっていたフィフスが起き姿を見せた。
「――貴方は彼らの御旗でしょう。旗印が倒れては、それを印にする者たちが惑うのは自明のこと。いかなる理由があろうと、勝手に降ろすなど貴方自身が許してはならないのではないですか。――違いますか?」
「……確かにそうだな」
暗く漏らされるため息と共に、フィフスが顔を上げた。
「――貴方には役割がありましょう。たとえ今はその印をお持ちでなくても、個人的な理由から役目を手放すことなどすべきではないと――。誠に僭越ではありますがこのゾフィ、申し上げさせて頂きました」
いつもの声色に戻ると膝をつき、恭しくフィフスに謝意を表していた。――このような振る舞い、ゾフィ様がなさるのはオクタヴィア様に対してしか見たことがない。他国の御曹司ともなればやはり扱いは違うのか――。
「立て、ゾフィ。……お前の忠告には感謝しよう。」
小さくため息をついたフィフスがゾフィ様を立たせると、先ほどの憂いを帯びていた瞳に、厳しいものが戻っていた。
「だが、うちの者を『平民上がり』などと軽々しく口にするな。いかなる生まれを持とうとも、彼らは等しく戦士であり、神命によって選ばれた兵士たちだ。」
「そうですね――。皆様、失礼なことを口にし、大変申し訳ございませんでした」
「いえー、事実その通りなんで謝っていただくことのほどでは。――むしろ俺たち共々、喝を入れて下さりありがとうございました」
ゾフィ様が立ち上がると、周りの兵士たちに軽く一礼をした。




