9.『再会』と『新来』④
-回想中-
見慣れた廊下を歩いているはずなのに、同じ場所に帰ってこれたのか確信が持てなかった。同じ作りの建物で別の場所にいるのではないかという不安すら覚える。
前をヴァイスが先導し、ディアスに並ぶ形でフィフスと左翼が一歩後ろを歩いている。きっとこのメンツで歩いているから、現実感がないのかもしれない。
「たぶん今頃お互いの自己紹介とかが終わってるんじゃないかなぁ。君たちの紹介ができるのが楽しみだよ」
先頭を行くヴァイスが肩越しに話しかける。楽し気な様子だが、さすがに疲労もあって返事ができなかった。
「殿下、もし疲れたなら少し顔出したあと下がってもいいからね。そんな疲れた顔してたらさすがにみんなもとやかく言わないと思うよ」
「……そうだな」
「今日は今までで一番ハードだったろうしね」
この後どんな顔で挨拶に加わればいいのかわからなかった。いつも通りの対応ができるか自信がなく、心許ない気持ちが足元に絡んでくる。それでもこの列を抜ける手筈もなかったので、流れるまま歩を進めた。
賑々しい声が徐々に近付き、目的地がすぐそこだとわかる。一瞬足が重くなるも、こちらの到来に気付いた弟の顔がぱっと破顔するのが見え、思わず背筋を伸ばした。
「兄さま!」
自分を呼ぶ声と共にこちらに駆け出してくる。その声に引き寄せられ会場内の視線がドア先に集まった。部屋に入ると同時に弟が傍に到着した。胸の高さに届くか届かないかくらいの身長を持つ小柄な弟は、抱き着き甘えてきた。
「おかえりなさい! お出かけされていたと聞きましたが、どこまで行ってたんですか?」
「……すまない、心配をかけたなエミリオ」
「雨の中で足止めされていると聞きましたよ。ふふ、傘をお持ちにならないでお出かけとは、兄さまでもうっかりするときがあるんですね」
ヴァイスを見ると、既にそばを離れており姿を見失った。エミリオも満足したのか腕を離した。
「いや、……そうだな」
雨で帰れなくなったと説明されていたのかと知り、余計な心配をかけずに済んだことに安堵する。
「どこに行っていたディアス」
ぴしゃりと冷たい声が響く。声の主は広間の奥の方から聞こえた。
「隣国の客人を迎えるよりも大事な用があるとは思えないが、一体何をしていた」
威圧的な声に人々は次々に下がってしまい、声の主と一直線に対面することになった。
退いた人波から現れたのは長いウェーブがかった豊かな黒髪を巻き上げ、飾った頭頂部に頂く鋭くも美しい曲線を描く双角が良く見える。――痩身にぴったりとあった黒のイブニングドレスに身を包んだ祖母のオクタヴィア女王だ。身が竦むような鋭い眼光と共にゆっくりとこちらに近付いており、安堵していた気持ちが消え失せた。動くたびに祖母が身に着けている金の装飾品や宝石のきらめきが反射する。
「母上、客人の前で諫めずとも……」
慌てた様子で祖母の近くから叔父が現れ、道をふさごうとするも、その様を一瞥して鼻で笑う。
「事前に今日は聖国から客が来ると伝えていたんだ。――客人がすでに到着しているのに、出迎えに遅れた理由が言えないなど、かの国に本意在りと思われても仕方なかろう」
ただならぬ様子に会場の様子がざわめく。取り付く島もない祖母の様子に、道を阻めなくなった叔父も言葉を紡ぐことができず下がるしかなかった。
すでに王位を退いて20年近くになるというのに、その威光はいまだ衰えることなくここでも燦然と照らす。この会場にいる者すべてが畏敬の念が沸きあがっているのだろう。ざわめきも凪いでしまい、会場が静まり返ってしまった。隣にいるエミリオが恐る恐る手を握り、言葉なくとも味方でいると言ってくれているのだろう。心許ない気持ちの中から、何か説明しなければと言葉を探していると、視界の端から誰かが前に進み出た。
「――遠路はるばるやって来たというのに、こんな茶番を見せられなければならないのか。」
心底退屈だと言わんばかりの低い声が静寂の中に響く。静まり返った舞台の上で進み出る者がいれば誰だって注目をするだろう。彼がこの場に集う聴衆の視線を独占した。
「帰るつもりだった者をただ無暗に糾弾することほど、興ざめなこともない。――王子が遅れた理由が聞きたいのであれば、他に適切な者に尋ねるべきだ。」
女王の威圧的な物言いに怖じる様子もなく、世間話でもするかのような気軽さでフィフスが口をはさんだ。あまりにも場違いな様子に少し会場にささやきが漏れる。
「――き、貴様! 遅れてきたうえに女王陛下になんて口の利き方……ッ! ――異論があるならまずは名を名乗れ!」
怒気を強くはらんだ金切り声が転がるように割り込み、同時に小太りで小柄な男が登場する。
「名前なんて今はそんなことどうでもいいだろ。私が何者かであることを明らかにする前に、まず王子がなぜ遅れてしまったのかその原因を明らかにするべきだ。――延いては我らに対して他意がないこと、また王家に対し邪心のある者も同時に炙り出せるだろう。」
彼の忠告を正面から振り払い、変わらずフランクで礼を欠いた物言いと、思ってもない問題提起に周囲がどよめいた。
「ど、どういうことだディアス。何があったんだ――」
控えていた叔父のヨアヒムが心配そうな顔を見せた。がっしりとした体躯からは想像しにくいが、気の弱いところもあるがとても優しい人だ。
「それを最初に王子にそれを尋ねることが間違っている。被害者に尋ねたところで、何を理由に襲われたなんてわかるわけがないだろ。加害を企んだ者に尋ねるべきだ。――それに、我々は早々に救援を求めたがそちらが応じなかった。王子の帰還が遅れた原因はそちらにあると、少なくとも私はそう考えている。」
「えっ――、まさか襲われてたのって王子さまだったんすか?」
どよめきの中でもひときわ大きくぎょっとした声がすぐ近くから上がった。つられてそちらを見ると見たことのない人物だった。暗い黄赤色の髪色に鮮やかな水色の双眸が驚きから大きく開かれている。ディアスと目が合うと近付いてきた。
「王子さまが襲われてるってわかってたら、我々もちゃんと『王子さまが襲われてます』って報告しましたよー。何を言っても全然助けに行ってもらえなくて困っていました。――坊っちゃんがちゃんとどこの誰が襲われているって教えてくれないから!」
「そんなのいちいち気にして現場に行くか。後で分かったんだから責められても困る。」
随分と大きな声だが、気安いしゃべりのその男が語り掛けていたのはフィフスのようだった。始終状況に置いて行かれた頭で彼をぼうっと見ていると、にっと人懐っこい笑みをディアスに向け、胸に手を添え礼儀よく慇懃に礼をした。
「お初にお目にかかります、東方軍第三師団長を務めているガレリオ・ブランディと申します。先ほど聖国シンより到着し、来る和平条約締結式のために全力を尽くす所存です。どうぞ、以後お見知りおきを」
先ほどのフランクな物言いから一転、丁寧な物言いに変化して驚く。こちらも名乗るべきなのだろうが、あっという間に変わる態度にまごついてしまい、空返事で返すことしかできなかった。だが彼は特に気にした様子もなく、姿勢を正すとフィフスの横に並んだ。
「救援だと? 誰か聞いている者はいるか」
一層どよめきが増す会場の中から、よく見知った姿が女王の側に歩み出た。
「――確かに、ここに到着されてからブランディ様が、『誰か襲われている者がいるから早急に向かってほしい』と仰っていました。そうですよねレティシア」
「そうね。私も聞いたわ。……まさかディアスが大変な目に合ってるなんて思ってもみなかったけど。ジュールにも伝えているのを多くの者が見ておりましたわ、おばあ様」
姉のアストリッドと従姉のレティシアだった。姉は女王たる祖母に奏上するとくるりと身をひるがえし、一等背の高い弟の顔を見て安堵の表情を浮かべていた。思わずこみ上げるものがあったが、今はなんとか飲み込んだ。
「王子の帰還が遅れたことが、そちらの怠慢だと分かったところで、そろそろ本題に入ろうか。」
「た、怠慢だとッ!? あのような申し出、突拍子もなく、信じるに値しないと思ったからで……」
「その件は後程確認しよう。小童、――そこまで言うんだ。もちろんその本題とやら、すぐに用意できるんだろうな」
「当然。場所と人さえ貸してもらえれば、今すぐお目にかけて見せよう。」
決して驕りのない、泰然自若とした佇まいに再び彼に注目が集まり、会場が徐々に静まり返っていった。
「ならいますぐ見せてみよ。――言葉だけで実のないものなら、今までの無礼と合わせて心しておくがいい」
女王の傲慢な笑顔の端に嗜虐心が覗く。恐ろしさから周囲にまで緊張が走るのが見えるようだった。
「準備が整うまでパーティの続きでもどうぞ。――王子、お前も休むといい。」
会場の雰囲気もどこ吹く風と言わんばかりで、調子の変わらないフィフスが振り返りようやく顔が見えた。
「茶でもしばいて待っていろ。お前を襲った不届き者を炙り出してやるからな。」
先ほどのように淡々とした声は変わらないものの、そこには自信に満ちた笑みを湛えており、置いてけぼりだった心が戻ってきたように感じた。安心感というのはこのようなものなのだろうか。不安で竦んでいた身体が楽になる。
「……すんません、この人偉そうで。身長がない代わりに態度ばかりでかくて困ってるんですよ」
そっと謝るガレリオから「あたっ」とくぐもった声がしたが、特に気にせず前に躍り出る。
ぞんざいに彼らの様子を伺っていた女王も侍女を呼び寄せ、葡萄色の酒が入ったグラスを受け取り、椅子に腰かけて高みの見物を始めていた。パーティの続きなんてとてもできるような空気ではないが、ぎこちないながらも人々もそれらしいポージングをし始めた。
「さて、ちょうどいいスペースもあるし始めるとするか。」
「りょーかい、坊ちゃん」
準備運動でも始めるような軽さで、二人が声を掛け合っていた。




