とある黒猫の悲劇
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夏休み明けの教室は、毎年思い出話で盛り上がる。
細かい内容は違えども、だいたい話題に上がるテーマは似ているものだ。
家族で出掛けた旅行のこと。祖父母などの親戚に会った話。プールに何時間も居座り続けた苦学生事情。真夏日に鍵を忘れて、途方にくれた悲惨な事件。宿題を不眠不休の徹夜で完成させたという武勇伝……。
それでも必ず盛り上がるのは、微妙に変わる設定こそが、話の肝だからか。それとも、夏休みという夢の時間の残骸を少しでも味わいたいと願うからか。
そんなことを思いつつ、今年も教室でみんなの思い出話を聞き続けていた中で、思いっきりぶっ飛んだ思い出話を持ち込んだ強者がいた。彼の名は……西野と言った。
「うーん、一番印象に残ってるのは飼い猫の脱走劇かなあ」
「西野、猫飼ってるんだ?」
「そうなんだよ、黒猫でね。漆黒なの、もう夜中とか判別できないほど真っ黒なの。それで、その猫が脱走しちゃったんだよ。よりによって、河川敷沿いで夏祭りがあった日に」
「えー! 確か、西野の家は花火会場の近くじゃなかったか?」
「そうなんだよー。しかも、今年は花火の打ち上げ本数増加を大々的にローカルニュースで取り上げてたりして、例年以上に人が多くて、探すのに骨が折れたんだよ……」
ため息を吐き、つぶやいた西野からも、大勢の人たちに揉みくちゃにされつつ飼い猫を探す悲惨な状況が容易に想像できる。
「まあ、何というか……。西野、めっちゃ大変だったなあ……」
「んー、めっちゃ大変だったのは大変だったんだけど……。高野さ、どんな状況想像してる?」
「え? 大勢の人たちに揉みくちゃにされて、なかなか目的地にさえ辿り着けないような状況かな?」
西野から話を振られ、想像したとおりの状況を口にしてみる。
すると、西野は俺ににっこりと浮かべた笑みを向けて、スッパリと言い切る。
「ハッキリ言って、お前は……甘いっ!!」
「え? 甘い?」
「大勢の人たちに揉みくちゃにされて、なかなか目的地にさえ辿り着けないくらいは、むしろ想定内!!」
「えええ……、想定内なのか?」
「むしろ、それ以上に困ったことがあったんだ。というか、夏祭りだから起こった悲劇というか」
そう言って、西野が口を一旦つぐむ。
西野と黒猫ちゃんに生じた悲劇とは、一体なんなのか……。
俺のみならず、周りの連中たちも固唾をのんで、西野の答えを待つ。
「まさか、人が多いからバレないと思って、拐われたとかか?」
「ううん。結果として、夏祭りが終わる前に俺の元に無事に戻っては来たんだ。その点ではまあ、ハッピーエンドなんだけどね」
「じゃあ、あまりの人の多さに興奮して、他人に怪我をさせてしまったとか?」
「一応、爪とかも確認してみたけど、他害はしていないかと。それらしいクレームも来なかったしね」
「なら、いったい……」
俺がそう呟くと、西野は申し訳なさそうに声を出す。
「いや、ごめん。夏祭りだから起こった悲劇と言ってしまって、みんなに凄く心配掛けて申し訳ない。実のところ、割と平和なオチではある。ただ、本当に『夏祭りだから起こった悲劇』であることに違いはないんだ」
そう言って、西野は語り続ける。
「まだ、家の猫の名前を言ってなかったよね? 家の猫の名前は……タマって言うんだ」
「タマちゃんか……。可愛い名前だな」
「別に、猫なら良くある名前だろ?」
「そう、猫なら割とポピュラーな名前のはずのこの名前も、夏祭りになると途端に紛らわしい名前に変身する」
「ん?」
「どういうこと?」
「あー! なるほど、そういうことか! そりゃあ、確かに『夏祭りだから起こった悲劇』だな」
「え? 佐伯は分かったのか?」
「ああ、恐らく西野がタマと呼んで探そうにも、みんなが一斉に『タマヤ』と叫ぶからタマちゃんが違う声にも反応して見つけにくかったんだろ?」
「あー! なるほど!!」
「すごいな、佐伯」
佐伯の予想を聞き終えた西野が、苦笑しつつ肯定する。
「ご名答……。タマ自身も相当混乱していたみたいだよ」
「てか、酷い茶番というか、コントというか……。まあ、悪かったなあ」
としか、慰めようがないだろう。
そんな俺の声を聞き、西野はケロッとした顔で話を纏めてくる。
「というのが、俺の夏休みの一番の思い出かな。……で、高野は?」
「こんなインパクト絶大な話の後に、平凡な夏休みの思い出なんて話せないだろ!!」
「別に、インパクト勝負してる訳でもないでしょ? 相変わらず変なところで、高野は強情だよねえ」
そう言って、ワイワイとしつつスタートする新学期。
今日から俺の日常生活がまた始まっていく。
【Fin.】