第2話
ゴブリン集団から逃げること数分、こんなんでも陸上部所属である俺は意外と差をつけれていた。
しかし問題がひとつ。
「はぁ、はぁ……! 俺っ、スプリン──うっぷ……」
俺の体力の限界が近い。そりゃそうだもん俺が得意なのは100mとかの短距離だよ? 持久走は管轄外だ。
このままではどんどん減速して追いつかれる。スプリンターは速さが命、追い抜かれた瞬間死ぬと思え。
「シシャアア!!」
とか言ってる場合じゃねぇ! やばいやばいもうすぐそこ!! すぐそこまで来てる!
振り向くとデフォルメとか一切されてないグロテスクな緑肌の小人がこん棒片手に追いかけてきている。わあ綺麗な緑色、光合成できそうとか現実逃避してると転んで死ぬ。
今朝のウォーミングアップが済んでいるとはいえ、ここまでで大体2キロメートルくらいは走っている。速い分体力に難ありの俺にはかなりキツイ。
振り向いて正面方向に向き直す。すると、目の前には大きめの泉があった。
「水っ……! …………一か、八か!」
どっかで隠れてあの泉の中でやり過ごす! どうにかなるとか思ってないが、こうなりゃもう生き残れるリスクのありそうなものはどんどん使っていくしかない。
そうと決まればまず、横の草むらの影に潜む。そっから脚を止めず、木を盾にしながらジグザグに走る。
一旦木に隠れてゴブリン共の様子を見ると、こっち側に来て探している。いくらジグザグといえど流石に進行方向が真っ直ぐ過ぎたか。でも泉から注意を引けたのは好都合。このまま泉まで直行だ!
森林を抜け泉の中に勢いよく飛び込む。着込んでいるジャージは後で自然乾燥を待つ。
とはいえここにも長くは居られない。人間が息を止められる限界は人によるが大体1分前後だから、息継ぎのために顔を出さなければならない。
というか、この泉結構浅い。見えないことを祈るしかない。
不味い、そろそろ限界だ。でもこんぐらい待ったなら撒けただろうし、1度上がろう。
「…………ぶはっ」
泉の中から顔を出し、1分間吸えなかった分の酸素を思いっきり吸い込み、二酸化炭素となったそれを勢いよく吐き出す。
そして目の前には、緑色の顔面がこちらを見ていた。
「はは、ですよね」
ちっくしょうやっぱこうなるじゃねーか!! クソがァ!!
振り被られたこん棒をすんでで避け、一気に距離をとる。浅い分動きやすくて助かった…………いや、もっと深ければそもそも見つからなかったかもなんだけど。
「死ぬ死ぬ死ぬヤバイヤバイヤバイ!」
「シシシシシシ……!」
「そのセミみたいなのやめろ!」
群れの内中々上物の剣を持った方がこっち目掛けて斬りかかってくる。縦に振られたものは横に避けたが、そこからもう一撃、横からの斬撃に左前腕が当たってしまった。
「ぐッ…………!?」
当たったのが先端だったから傷は浅い。それは良かったが、やはり傷口から赤い血が溢れ出てくるのは来るものがある。
「ハァ、ハァ、ハァ…………!!」
斬られた事への恐怖、避けられなかった悔しさ、理不尽な状況への怒り、色んな感情が渦巻き、俺の呼吸を荒くしていく。そんな恐怖に怯える俺を見るゴブリン達は見るからに口角を上げていて、惨めな姿を楽しんでいる。屈辱だ。だが、その屈辱すら死ねば払拭出来ない。死ねば家には帰れない。ここから1歩も動けない。永遠に覚めない眠りにつき、この泉を時間をかけて腐らせていく。
「こんなところで死ねるか……!!」
絶対に生き残る。
そんな決意を固めても、状況は一向に変わらない。俺は後退りした。
「ん……?」
ふと、踵に何かが当たったような感覚がした。
ゴブリンはその感覚に気づいた俺を警戒して、動こうとしない。なら…………!
俺は姿勢を低くし、素早く足元にある何かを取り出した。あの感覚、細長く、確かな硬度と重量のあるそれは、俺の生まれ故郷で永く使われる両手剣だった。
「日本刀……!?」
スキル使用、アイテム鑑定。
この刀は『風斬刀・鎌威太刀』。俺の脳はコイツのステータスを、斬撃A・重量B・速度Aとした。そして、この刀にはスキル『ウィンドカッター』が備わっており、使い手の意思を反映して最大3発の鋭い衝撃波を飛ばすことが出来る。
見るからにお宝武器だ。しかし、この情報は俺の脳内に一気に流れ込んできた。それ故に俺の脳はその情報量を前に激しい頭痛を起こし、それに伴って視界が鈍る。
「シャアアアアッ!!!」
「ぐっ……!?」
武器を取り出した俺をいち早く殺そうとさっき俺の腕を斬った個体のゴブリンが突っ込んでくる。随分判断が早い。
だが、この刀に比べたらそんな獲物、なまくらと同義だ。
「ハァァ……、『ウィンドカッター』!!」
刀の持つ確かな重量に敗れた鈍い一閃。だがそれは、ゴブリンを倒すには充分であった。
俺が刃を通した先のゴブリンは横から一刀両断されており、ついでに後ろに構えていたゴブリン2匹も発動させたスキル、ウィンドカッターで真っ二つに斬られていた。
今この瞬間俺は実感した、俺は確実に、3つの命を終わらせた。
「やった…………。いや、殺したのか…………?」
生き物を殺すこと。それがこんなに竦む行為だとは、なんとなくでしか理解していなかった。自分を殺そうとした獰猛な生物でも殺せばこれほどの罪悪感が全身を襲うのに、丹精込めて育てた家畜を屠殺するのは一体、どれ程精神的にキツい事なんだろうか。それこそ、人を殺すことだって……。
「グググググ…………!!」
「グジャジャジャアッ!!」
「な、なんだよ……! 仲間殺されてお怒りかよ!」
そっちがその気なら、やってやるよ。罪悪感に飲まれる前に、俺は殺意に飲まれてやる。
1発だけなら誤射かもしれない、誰かが言い出した言葉だ。確かにさっきのクリーンヒットした2発は半ば事故のようなものかもしれない。
だがこれだけはハッキリ言える。その2発は誤射という不幸じゃない、俺にとっての、最大の幸福だ。
「殺そうとしたんだ、殺されても文句ねぇだろ…………! そこでうずくまって死ぬのを待ってろカス共ォッ!!」
今度は俺から距離を詰める。さっきみたいに偶々当たるなんてことはそうそうないからだ。
俺が突っ込んでくるのを見計らい、ゴブリンは盾とこん棒を構えて待ち伏せる。だが即興で作ったような木の盾じゃあこいつの斬撃を受け止められる訳が無い。
「ウィンドカッター!!」
「グィヤアアッ!?」
「もう一撃、ウィンドカッター!!」
「ギュッ──!!」
刀の一振りスキルを発動させ、で空気と共にゴブリンを斬る。念じれば使えるといえど、相当強く念じなければ使えない。だからスキル発動前に予備動作を作ることで念じやすくするのだと神様が言っていた。この鎌威太刀の場合、振ることがその予備動作だ。目視で大体0.7秒ぐらいのラグがあるが、小数点単位の誤差なんて現実じゃあまり尾を引かない。ましてや唸ることぐらいしか出来ないゴブリンには尚更。
「お前で最後だ……!」
「ガッ!? ガガガガ!!」
「ふぅ…………、ウィンドカッター!!」
「ギャアアアッ!!」
これで俺を殺しに来た分のゴブリンは全員一刀両断。辺りを見渡せば、見事に二分割された死体がそこらに転がっていて、下手なホラーよりグロい。やはり実物があると違うものだ。
「はぁ…………疲れた」
「わーお、スプラッシュー」
俺の後ろから神様が歩いて出てきた。
うわ出た。神様だ。こんなクソ難易度の宝探しやらせた神様だ。
「イカれてんだろあんた……」
「人間基準じゃどうもね」
「どうももこうもねぇよ…………」
どうやらこの難易度、人間を基準に作られてなかったらしい。ゲームマスター降りろこの無能。
「まーいいじゃん。逃走先でその剣見つけられたわけだし、棚ぼたラッキー」
「棚からぼた餅と一緒にネズミが降ってきたみたいな気分だよ……」
「それは随分ショッキングな例えだ」
やっぱこの神様俗っぽすぎる。いや、俗なのも神聖なのも全部知ってるってことか。気味悪いな。
「にしてもすごいねー。言われたままにやって、そのまま使いこなして五体満足で勝ち切るとは」
「その言い方、下手すりゃ俺死ぬってことじゃねーか」
「まぁまぁ細かいことは気にせずに。まさかアイテム鑑定から鎌威太刀のステータス全部見切ってスキルまで使いこなすとは思わなかったよ」
「なんでアイテムにスキルがあるかわかんねぇんだけど」
「そりゃあ人間が作ったものだからね。暴走してない限り単体じゃ無害だから」
「……フラグっぽいんだがその言い方」
「立ってても回収しなければ立ってないも同義。ラブコメの負けヒロインだってそうじゃん?」
…………そうか? そうかな……そうかも……。
流されんな俺、こいつのペースに飲まれたら多分信徒にされる。多分。
「よしじゃあそんな凄いキミを讃え、キミに神の恵みをあげよう。題して生活費1週間分!」
「1週間分…………」
「あ、少ないとか思ったな? そんな正直者には予定通り授けよう」
「いや、相場知らないんだけど」
「大体ここから1番近くの街の宿に泊まるのに5000円かかるって言えばわかりやすいかな」
「泊まるのに5000って結構安くね……?」
「金なんてあっても侵略されれば意味無いからね」
「はあ…………」
まぁ確かに魔物に金銭感覚とかわかるわけないだろうしな。いやいやだとしてもそれが相場と何の関係があるんだ。
…………まぁ、いいか。数学苦手大王の俺が考えても時間の無駄だ。
「わかったよ。野宿は俺も困るし」
「だよねぇ。じゃあ健闘を祈るよ、有村レイくん」
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ということで、街を探しに森を抜けようというところなんですが。
「ひっっっろ…………!!」
この森、俺の想像よりずっと広かった。もう全然草原とか高原とかそんな感じの場所が見えない。辺り一面樹木と草が生い茂る自然のテーマパークだ。現代人には少々楽しめない。
さてそんな俺だが、道中に色々出くわしたゴブリンやらスケルトンやらの魔物連中とやり合って戦い方をどんどん学んでいっている。この刀の使い方も段々わかってきて、思い通りの場所に斬撃を飛ばせるようになったし。
「でも、腹がなぁ……」
恐らく、この森にいたタンパク源もとい動物は全員魔物に狩られたのだろう。全然いねぇ。よってこの俺は今、猛烈に空腹に悩まされている。何しろ今日は朝飯以外なんも食ってない。その朝飯ですらパンにチーズとベーコンとケチャップをかけたピザトースト1枚。割と豪勢に思われるかもしれないがたった1枚ではたかが知れてる。
グルル…………考え事をしていても腹は鳴る。むしろさっきより主張が強く、「早く飯よこせ」と胃袋が言っているかのようだ。
「はぁ…………あのクソ神、この世界救ったらただじゃおかねぇからな……!」
そんな恨みを募らせながら、俺は重い足を動かした。
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さて、どこの誰かも知らんお前に質問だ。
お前は、喉カラカラで胃袋にはなんも詰まってなくてもう死にそうだって時に、目の前に突然オアシスと沢山の食料が現れたらどうする?
俺なら喜びのあまり走り出すね。そう、今のように。
端的に言えば、ついに見つけたのだ。街と呼べるかも怪しい集落を。
一応設備はある。中世ヨーロッパぐらいの石造りの建造物が並んでいて、その中にはランタンと思しき光が揺らめいている。
「ん……お前、どうした? 森に人が入ったなんて知らせは聞いてないぞ」
「あ、えと…………」
門の前に飛び出したかと思えば、そこに立っていた鎧を着込んだ門番と思える人に阻まれた。
「随分酷い状態じゃないか……それにあの森は魔物が多い場所だ、迂闊に近付くなよ」
よかった、話は通じるみたいだ。そこは多分神様補正みたいなものだろう。
でも、とりあえず…………。
「み、水…………」
「お、おい、大丈夫か!? 衛兵を呼べ! 森から出てきた人間が重体だ!」
一言だけ発して限界を迎えた俺は、その場で倒れ伏せ、眠りについた。