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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

Fランクスキル【引く】の荷物持ち、Sレアアイテムを生み出す錬金術師になる

「がんばれ! もう少しです、シスターさん!!」


 俺は十代後半の少女を背中に崖を登りきった。

 シスターさんを地面に下ろす。

 まだ気を失ったままみたいだけど、息はしてる。


「良かった……」


 ほっとしたら力が抜けて、その場に大の字になる。

 青空が細長い。この迷宮が谷の底だからだ。


 ぬるりと横から顔が出てきた。モヒカン頭のイカツイ野郎である。

 俺は寝たまま彼にお願いする。


「コーザさん、シスターさんは気絶してます。水か薬を……」


 俺の言葉を遮って、


「トレック、お前はクビだ!!」


 コーザさんの馬鹿デカい声が峡谷にこだました。


「は?」


 意味がわからず、まぬけな声が出た。

 コーザさんは俺の胸ぐらを掴んで、無理やり立ち上がらせる。


「お前はクビだって言ったんだよ!」


「どうして!? 俺は崖の下で動けないシスターさんを助けただけじゃないですか!」


「なら崖の下を見てみろ」


 コーザさんに言われるまま覗くと、流れる砂に沈んでいくリュックが見えた。


「ま、まずい! 皆さんの荷物が! スキル【引く】!!」


 俺は崖の縁に腹ばいになって右手を突き出した。

 スキル【引く】は離れた物を引き寄せる。スキルは十歳になれば誰もが授かる天能だ。俺も十年前に授かった。

 だが、右手は淡く輝いただけで何も起こらない。


「ぶわっはっはっ! 何が『スキル【引く】』だよ! むしろドン引きだぜ。せいぜい1メルしか届かないなんてよぉ?」


「くっ……」


 コーザさんが横で俺を馬鹿にした。

 腹立たしくて言い返してやりたいが、言ってることは何も間違っちゃいない。


「お前は荷物持ちで、俺たちの荷物を全ロストした。しかも、この迷宮で最もクエストを達成する俺たちAランクパーティのな」


「だからクビだって言うんですか?」


 俺は立ち上がるために四つん這いになる。

 だが。


 ドスッ


「その通りだよ、この無能がっ!」


 俺の背中に硬い感触。四つん這いのままアゴを肩に付けて背後を見やる。

 コーザさんが足を乗せている、俺の背中に……!

 ここまで馬鹿にされて黙ってられるほど俺は大人じゃない。


「でもそれは誰も助けないから俺が!」


「馬鹿野郎!! Fランクスキルのお前は冒険者になれないんだよ。大それたことをするな、この無能がっ!」


 ゴスッ


 さらに背中を踏みつけにされる。

 俺は筋トレしてきたんだ。だからこの程度の重さでへこたれやしないのに。

 なんでだ、力がぜんぜん入らない。


「じゃあ命より金が大事なんですかっ? 目の前で女の子が倒れていても、それを無視して金になる素材を積んだ荷物を運ぶんですかっ!?」


「はぁ? 当然だろ。オレらは冒険者だぜ」


 平然とした返事だった。四つん這いのまま俺はコーザさんを睨みつける。それでもコーザさんは何食わぬ顔だ。


「そんなの冒険者じゃない! 俺は……」


 その続きが言えなかった。

 なんで俺はこんなに弱いんだろう……。

 なんで弱いと正しいと思ったことができないんだろう……。


 俺だってなれるなら冒険者になりたい。

 昔、俺を救ってくれた格好いい冒険者に。


「分かったか。お前は荷物持ちなんだよ。人助けなど余計なことをするな」


 コーザさんは俺の背中から足を離した。なのに俺の腕は完全に力が入らなくなる。やがて俺は背中を丸めてうずくまり、涙がこぼれそうになった。


「うううっ……」


 泣くな。泣くな。

 でも救いなんて無い。この世はスキルがすべてだから。冒険者は金で動く仕事だから。それが現実だから。


「じゃあオレらは先に行くからな」


 コーザさんの足音が遠のく。他の足音もそれに従って遠のいた。コーザさんを含めて三人の冒険者パーティだ。

 置いていかれる。それはまずいことだ。ここは迷宮。モンスターが出る。俺は対処できない。

 だからあわてて立ち上がった。立ち去るコーザさんの背中を見る。


「コーザさん」


 俺は俺を馬鹿にしたコーザさんにすがるしかない。だけど聞こえる声量じゃなかった。

 情けない。この期に及んで現実を受け入れられないのか、俺は。


「……」


 当然、コーザさんの返事はない。

 俺はバツが悪くて目をそらす。その時、横たわったままのシスターさんの姿が目に入った。


 そうだ。頭では分かってる。俺の力じゃ彼女を助けられないと。


 コーザさんは冒険者だ。彼ならシスターさんを助けられる。

 こんな奴に頭を下げるのは馬鹿のすることだ。

 でも。


「コーザさん! 俺は、弱い!! この子を助けられない!! お願いします、迷宮に置いていかれたら死んでしまいます!」


「じゃあ死ねよ」


 コーザさんは振り返らず、ただただ鬱陶しそうに答えた。


「え……」


 見捨てるのか? 傷ついた女の子を。モンスターを退けるスキルを持たない俺一人を置いて。

 コーザさんは足を止めて振り向く。


「もし運良く帰ってきたら100万ディル弁償してもらうからな」


 そう言ってコーザさんは去った。

 俺は絶句し、立ち尽くした。


 コーザさん、いや、コーザがあんな奴だとは思わなかった。

 コーザパーティの荷物持ちになったのが俺が十九の時だから、もう一年は経つ。俺が見てきたコーザは新人冒険者にクエストを回したり、余った素材を分け与えたり優しい奴だった。何より俺を雇ってくれた。

 正直、あの豹変ぶりに打ちのめされた。


 これからどうしよう。肩をすくめた時、背後から声がする。


「あの」


 か細い女の子の声だ。

 振り向くと、シスターさんが上体を起こしていた。


「無事でしたか!」


 良かった。

 さっきまでの最悪な気分が少しは紛れた。

 少女は俺の声にびくっと肩を震わせて、控えめに目を伏せる。


「は、はい……。あの……、あ、ありがとう……」


 ぽつぽつ、ボソボソとした話し方だ。それも谷に吹く風が彼女の声をかき消してしまいそうなくらい。


「大丈夫ですかっ!? そんなにボソボソ話すなんてどこか具合が悪いのでは……」


「こ、この話し方は、もっ、元からだからっ……」


 なんと!

 女の子は顔を赤くして俯き、三角座りになって顔を隠してしまった。


「そうでしたか! 申し訳ありません!!」


 俺は非礼を詫びるべく頭を下げた。

 正面でアワアワした空気を感じて頭を上げると、アワアワ戸惑うシスターさんが居た。


「わ、私が……、こ、コミュ障だからっ、いけなくて……」


 コミュ障とは何なのかピンと来ないが、まあそういう人ってことなのだろう。

 少なくとも頭を打ったか何かでたどたどしいわけじゃないらしい。


「ではひとまず安心です」


「う、うん……」


 困ったような顔をされた。

 とにかく無事だったのならそれで良い。

 俺は地面に座ったままの彼女に手を差し出す。


「立てますか?」


 彼女はおどおどしながら俺の手を掴んだ。

 か弱い女の子の手……ってわけじゃなかった。皮が固くてマメがある。この子も冒険者なんだ。

 彼女は立ち上がった。背が俺より低く、俺を見上げる形になる。


「あの、ありがとう……。私、セリエ、です。冒険者くんに助けられなかったらと思うと……」


 セリエ。爽やかな印象を受ける名だ。

 ところで俺のこと冒険者って言ったか?


「俺はトレックと言います。それと実はFランクスキルだから冒険者にはなれないんですよね」


 へへ、と笑って誤魔化しながら頭をかく。セリエの手を掴んでない方の手で。


「そっ、そうなんだ……。じ、実は私も冒険者向きじゃなくて……。って、あっ」


 セリエがあわてて手を離した。顔が赤い。シスターのケープで隠れているが、耳まで赤くなっていそうだ。

 そんなことより崖のそばでワタワタしてたら危ない。


「少しここを離れましょうか」


 俺たちは崖を離れる。

 セリエは問題なく歩けるようだが、改めて見るとその装いが気になった。

 鎧。どう見ても騎士の格好だ。でも、シスターのケープをしている。


「あっ、私、修道騎士だったから」


 だったという言い方に引っかかる。


「へえ。じゃあ他の仲間と一緒ではないんですか?」


「うん、今はソロで冒険者。崖で足を踏み外した時、終わった、と本気で思ったよ……」


 わかる。たぶん俺もそう思う。

 セリエは修道騎士だが、剣も盾も無い。荷物袋も無かった。


「じゃあ装備も道具もロストしちゃったんですね」


「ううん。実は荷物が多くて、キャンプに置いてるんだ。予備の武器もそこにあ……、あっ、なんで私ぺらぺらと大事な秘密を……」


 キャンプは迷宮で何日か過ごす時に作る一時的な拠点であり、隠れ場所でもある。迷宮では冒険者同士の盗みが無いわけではない。


「なるほど。あの……、俺、荷物持ちならできますよ」


 言い淀んだのは内心ビビッてたから。

 でも実際、俺にできることって言えば荷物持ちくらいだ。


「え?」


 首を傾げるセリエをじっと見つめる。

 それに直感だけど、良い子だ……と思う。だから。


「……良かったら俺を雇ってくれませんか?」


 裏切られて置いてかれるイメージが頭によぎる。

 さっきの今だ。断られたら俺は絶対に立ち直れない。

 たのむ……!


「良いの!? たすかる。……あっ、ぜひお願いします!!」


 セリエが足を止めて頭を垂れた。

 俺は天を仰いで、胸に手を当てた。天は俺を見放してない。


「こちらこそよろしくお願いします!」


 そうして俺はセリエの荷物持ちになった。



 ◆



 セリエのキャンプは岩の割れ目を上手く偽装して荷物が詰めてあった。


「これ見て……。依頼アイテムの『夜光石』5つ、レアアイテムの『紫水晶』の塊。二つとも持ち帰りたいんだけど……」


 夜光石はりんご大だ。薄暗いキャンプの中でほのかに光っている。

 紫水晶は枕ほどとデカい。黒い石に紫の水晶がフライの衣みたいにくっついている。


 まあ、普通は片方しか無理だろう。

 だが俺は違う。

 リュックの中に『夜光石』5つを入れ、上に『紫水晶』を乗せて紐で縛る。


「よっと」


 日々の筋トレで鍛えた体幹で立ち上がると、『紫水晶』の重さだけリュックがたわんだ。

 これじゃあ歩くのもやっと。普通なら。

 右の手のひらを大きく開き、ぎゅっと握り込む。


「スキル【引く】!」


 背中の紫水晶が少し浮く。

 天から授かった能力。天能。俺は周囲1メルにある物を一つだけ自分に引き寄せるスキル【引く】を持つ。

 俺の右手に触れるまで、それは重さを失う。


「えっ?! そんな軽々と二つとも持つなんて」


 セリエが目を丸くした。


「へへっ、そうでしょうか」


 新鮮な反応に思わず照れちまったじゃないか、まったく。

 よろけてしまいそうだ。『夜光石』5つは重たいんだ、気をつけなきゃ。


「そういえばどうしてこんな重たい物を運ぶクエストを受け……」


 そう質問しようとしたが、セリエが持ち上げたそれを見て愚問だと気付いた。


「ごめんね、『千寿丸』。先輩の『竹千代』を無くしてしまったの。これからよろしくね」


 にこり。かわいらしい笑顔を無骨な大剣に向けていた。

 というか大剣に名前を付けているなんて変わった人だな、と言いたい気持ちを押さえて、


「なるほど、大剣使いでしたか」


 重たい石を運ぶ任務にも納得した。

 俺たちはキャンプを出る。いざ街へゆかん!

 と思ったのだが。


「スライム!?」


 石を担いだ俺は素っ頓狂な声を出してしまった。この重装備じゃ逃げられないから。

 スライムは青色で液状をした生物で、代表的な迷宮のモンスターだ。取り込まれると骨以外を溶かされる危険な生物。


「……大丈夫。いくよ、『千寿丸』!」


 セリエが大剣を振り下ろした。


 ビチャッ!! シュウゥゥゥ


 スライムが一撃で飛び散り、煙となって消滅する。


「す、すごい。スライムを一撃で」


 Eランク冒険者がパーティを組んで倒すようなモンスターだぞ。

 何者なんだ、この子。

 そう思っていると、セリエは大剣を地に突き立て、指を組んで祈り始めた。


「我らの神よ、願わくば魔なる者へ生まれた命を赦し給え」


「は?」


 急にどうしたんだ!?

 そんな悠長にしてたら……、ああ! セリエの後ろにスライムが迫っていた。危ない!


「セリエ!!」


「え? きゃああああっ!」


 だが、祈りに集中していた彼女が気付いた時にはもう遅い。

 重装備で機動力の無い俺は、必死に手を伸ばした、無意識に。


 何やってんだ、俺は。


 ただの荷物持ちが触れただけで肉を溶かすようなスライムに勝てるわけがないだろ。

 ……違う。

 勝てなくて良い。


「くそ! 届けよ!! スキル【引く】! スライム!!」


 1メル離れた物を引き寄せるハズレスキル。

 俺は覚悟した。


 勝てなくても、身代わりくらいにはなれるから。


 だが、その瞬間、俺は全身が焼けるように熱くなる。


「うわあああっ」


 地面に腹を打ち付ける。

 おそるおそる顔を上げると、スライムが居た場所に緑色の果実が転がっていた。

 初めて飲んだ酒にこれが入っていたのを見たことがある。


「『ライム』? なんだ、これは!?」


 意味不明だが、『スライム』にスキル【引く】を使ったら『ライム』になった。


「わっ、また私……あれ? もう一体のスライムは……」


 硬直していたセリエが気が付いた。


「見てください。スライムがライムに変わってしまったんです。どうしてでしょう……」


 俺はセリエにライムを見せた。

 セリエは大剣の平たい剣先を地面に付け、キョトンと首をかしげる。


「えっと、トレックくんの、スキル?」


「いや、俺のスキルは……【引く】です。周囲1メルの物を引き寄せるだけの能力なので」


「ふむん……。モンスターが果物に変わったのは、おかしいね……」


 セリエは顎に手を当ててライムを穴が空くくらい見つめた。

 スキルとは教会で鑑定してもらう物だから、セリエなら何か知ってるかもしれない。

 セリエはそれからしばらく唸った後、小さい「あっ」と声が漏れた。


「何か気づいたんですか?」


「う、うん……。でも、そんなこと……。それじゃまるで神そのものの力だけど……」


 セリエは眉間にシワを寄せてぶつぶつとつぶやく。


「あ、あの、セリエ?」


 セリエは大剣の『千寿丸』を背中に仕舞うと、落ちていた手頃な棒を手に取って、砂地の地面に何かを描き始めた。

 文字はあいにく読めないけど、絵が付いているのでそれがスライムとライムのことだと分かった。

 それにしてもかわいい絵だ。


「……やっぱり」


 一人で納得するセリエについていけない俺は横から割り込む。


「これがスライムで、これがライムですか?」


 俺は顔が付いた丸を指さす。実際はこんなゆるい顔がスライムには付いてない。

 ライムの方はヘタに葉っぱがあるからすぐに分かった。

 セリエはスライムの下の文字を指さす。


「う、うん……。スキルの仕組み、分かったかもしれない……。ほら、『スライム』から『ス』を引くと『ライム』だけが残るから、スライムがライムになったんじゃないかな……って」


 そして、スライムの文字を一つ消した。すると、ライムの下の文字と同じ形になった。


「なるほど! 俺、文字が読めないんですけど、たしかにこの二つは同じ文字に見えます!」


「うんうん、でしょ? ……ん? トレックくんって……文字、読めないんだ。ごめん」


 セリエがシュンとうつむく。


「気にしないで下さいっ! 冒険者なんてそんなもんですよ! 迷宮は体力さえあれば大丈夫ですから!」


 俺はリュックの肩ひもを握り、マッスルポーズ。

 だが、セリエの表情は曇ったまま。いや、というより戸惑っているのか?


「す、すごいね……。でも、私は、ち、違うと思うな……」


 おっかなびっくりしながら、セリエは俺の上腕二頭筋と地面の文字を見比べた。

 なんだろう。少し嫌な気分だ。


「俺、何か間違ってますか?」


 それで少し強い口調になってしまった。

 セリエは肩を縮こませる。


「ご、ごめんね……」


 悪いことをした。それだけは理解できた。


「すいません! 脅かすつもりは無くて、その……。どうして違うと思ったんですか?」


「う、うん。じゃあ少し、テスト、して良いかな?」


 テスト?

 俺はピンと来なかった。

 だが、俺が返事するより先にセリエは自分の荷物袋からいくつか物を取り出し始める。


「これをどうするんですか?」


 俺の前には4つの物が並んでいた。


「えっとね、名前を答えてほしいの」


「なんだ。簡単じゃないですか! 左の二つが『肉』で右の二つは『剣』ですよね?」


「あ、えっと……、もっと細かく分類した名前って分かるかな?」


 はあ? 肉は肉だし、剣は剣だろ。

 と思ったけれど、そんな言い方したらまたセリエを怖がらせそうだ。

 素直に答えよう。


「左から順に捌いたままの肉。保存用に加工した肉。『千寿丸』。肉を捌く用の剣」


「うーん、間違い、かなぁ。それは名前じゃないから……」


「違うんですか?」


 少なくとも千寿丸は名前だと思うんだけど。


「じゃあ、一つずつ教えるね。左から順に、チキン、腸詰め、グレートソード、ナイフ」


 セリエは左から順に指さししながら答える。

 そう言われてさすがの俺も納得した。


「ああ、たしかに、そういう呼び方があるのは知ってます」


「うん、それが名前って言うの。万物はコトノハ神が名付けることで形を持ったと教会では教えてるんだ」


「へえ。で、今のテストをして、何か分かりましたか?」


 セリエの真剣な眼差しが俺を射抜く。

 思わず背筋がシャンとした。


「トレックくんのスキルを活かすには語彙を増やさないといけない、と思う」


「……ごい?」


「あぁ、えっと、言葉を覚える勉強しようってこと、かな」


「勉強ですか……」


 今まで勉強ってのは体で仕事を覚えることだと思ってたけど、セリエの言う勉強はそういう奴じゃない。

 都市に住んでる子が行く学校の勉強のことだ。

 正直、今さら感がある。面倒くさいし、今から勉強とか格好悪い。


「そもそも言葉を覚えるとか勉強の仕方とか何をすれば良いか分からないですよ。分からないものはやりようが無いじゃないですか」


「分からないなら人に聞けばいいよ」


「えぇ!? 分からないことを人に晒すなんて弱点をバラすようなものです! 付け入られますよ」


 さも当然みたいにセリエは言うが、少なくとも荷物持ちの経験から「知らない」ってのはカモにされるのは理解してるつもりだ。

 だが、セリエは驚いたような、傷ついたような顔をして、俺の前に、ぐい、と身を乗り出す。


「わ、私はそんなこと、しないよっ! コトノハ神に誓って!!」


 俺はまたやってしまったのか。

 あれは言葉にはしてないけど、セリエのこと信じてないって言い方だった。

 また俺が悪い。


「すいません! そういうつもりは無くて、ただ……勉強が嫌で」


 バッと頭を下げる。

 勉強とか格好悪いと思ってたけど、今の俺は格好悪い。

 良いのか? 今のままで。


「そ、そうだよね。でも、トレックくんのスキルは語彙を増やせば強くなると思うんだ……」


 スキルを強くする。セリエがぽつりとこぼしたのは俺が望んできたものだ。

 俺はスキルがFランクだと言われて冒険者になれなかった。


「……俺、このスキルで冒険者になれますか?」


「なれるよ。だってモンスターを言葉で倒しちゃうスキル、初めて見たから」


 教会でスキルを授かった時、ハズレスキルはたくさんあるって聞いた。このスキル【引く】もそうだ。でも、今は違うかもしれない。

 今まで閉じ込めていた思いが解き放たれる。


「セリエさん! 俺に、言葉を教えてくれませんかっ!?」


 セリエの手を握ってお願いする。

 セリエは目を丸くして、「うん」と微笑んだ。

 その後、手を握っていたことに気がついて俺たちは恥ずかしくなって二人して顔を伏せた。



 ◆



 谷の迷宮を出るために緩やかな坂を上る。

 坂の頂上が谷の終わりだからもうすぐ冒険者村だ。

 このままモンスターと出会わずに迷宮を出られそうだな。


「そうだ。セリエさんがスライムを倒した時、どうして祈りを捧げてたんですか?」


 あれは普通じゃない。

 迷宮でそんなことして生き残れるとは思えなかった。


「ふえっ?」


 ビクッと震えたから背中の大剣がガシャンと鳴った。

 イカつい武器を背負ってるが、彼女はしどろもどろだった。


「あ、もしかしてスキルですか?」


「んん?」


 セリエは急に立ち止まった。

 そんな立ち止まるほど、まずいことを聞いちゃったかな。

 いや、そうではない。これは……、モンスターだ!


「あれは、ゴブリン!!」


 浅い層にいる雑魚。人型をした飢えた子供みたいな外見だが、知能は動物並だ。

 それに一体だけなら昨日までの俺だって追い払えるレベル。

 でも、今日の俺は違う。スキルがある。俺はゴブリンに向けて右手を突き出す。


「う……」


 殺すのには抵抗があった。

 スライムの時とは比ではない。きっと人型だからだ。

 でも、冒険者になるならゴブリンだって殺せるようにならなきゃ!


「ええい! スキル【引く】! ゴブリンから『ゴ』を引いて、……ブリン!」


 何の変化も起きない。


「じゃあ、『ン』を引いて、……ゴブリ!」


 何の変化も起きない、2回目。


「くそ! 何を引けばいいんだよ!!」


 怒鳴った声が谷に反響する。

 やっぱり、『ブリン』も『ゴブリ』も俺が知らないからかもしれない。

 すごく強いスキルだと思ったんだけど、使いにくい。


「トレックくん!」


 うわ、やばい!

 ゴブリンが俺の方に攻撃しようとしてる!! 大声なんか出したからだ。


「うわああああ!」


 ビビッて腰を抜かしかけた俺の視界の端から、鉄の塊が振り落とされた。


「ギにょアッッ」


 ゴブリンの頭が鉄塊の輪郭に沿って変形する。

 もちろん、即死。灰となって消えていく。

 危ないところだった。ふぅー、と呼吸を整えてからセリエの方へ向く。


「ありがとう、セリエ、さん?」


 だが、そこではやはり祈りを捧げるセリエがいた。


「我らの神よ、願わくば魔なる者へ生まれた命を赦し給え」


 教会騎士の格好でこのセリフと言い、突き立てた大剣の『千寿丸』もカタカタ震えてるのと言い、俺は怖くて小便をちびりそうだった。あの大人しくて小動物みたいなセリエが一体どうしたと言うんだ?


「あ、あの! 大丈夫ですか、セリエさん!?」


「ふわぁッ!? ごごごご、ごめんなさいっ。また私っ」


 我に返ったセリエは大剣を構え直した。


「うわ、大丈夫もう敵はいないです!」


 一種の混乱状態だ。

 馬をなだめるように低い声で、どうどう、と落ち着かせる。

 近くにあった岩に座らせて彼女のボソボソした声に耳を傾けた。


「ごめんなさい。私、実は……」


 伏し目がちになると、落ち着いた大人の女性という感じだ。

 男所帯の冒険者稼業でこんな人は珍しいから、ドキドキしてしまう。

 大剣使いのギャップも込みでミステリアスだし、セリエって一体……。

 俺は今、幼心に妄想した大人のお姉さんの秘密を聞けるのか……。


「実は、罪深きモンスターを一撃で倒せるから大剣使いをしているんですっ」


 そう打ち明けたセリエは真っ赤だった。

 ちょっとそれは過激派すぎる……。

 とは言わず、セリエの前では絶対に罪は犯さないと俺は内心ひっそり誓うのだった。



 ◆



 俺たちは坂を上りきった。俺は立ち止まって坂を振り返る。

 コーザに置いてけぼりにされたり、スキル【引く】が覚醒して強くなれたりした。

 いま汗だくで坂を上っているセリエを助けて荷物持ちとして雇ってもらえた。


「はぁ、ふぅ。やっと着いたっ」


 セリエに爽快な笑顔が浮かぶ。綺麗な汗がきらめいている。

 彼女には言葉を教えてもらったり、まあ途中でしょうもない秘密を聞いたりもした。


「お疲れ様です、セリエさん。後ろを見て下さい。深いですね、この迷宮は」


 視界の両端までやわらかな草原が広がる。

 だが、目の前に連なるのは大地の裂け目だ。

 これが、迷宮。


「うん、深いね……。第一階層を教会で『巨人の足跡』と呼ぶのがわかるよ」


 へぇ、そういう呼び方もあるのか。俺は迷宮としか呼んだことがない。別の呼び方を知るのは面白い。


「じゃあ、あの北にある空高く伸びる豆の木はなんて呼ぶんですか?」


 俺は大地の割れ目の先に見える高い蔦を指さした。実際に空高く伸び、雲に隠れている。

 あれには嫌な思い出がある。すぐに目をそらす。


「あれは豆の木じゃないよ。教会だと『茨の塔』かな。世界最初の聖地」


「聖地ですか」


 あれを俺は聖地とは思えない。恨みならある。まあこれをセリエに言っても仕方ない。


「トレックくん、何してるの?」


 いつの間にかセリエが俺を追い越していた。

 とにかくギルドに戻ろう。なんて言ったって、この俺の後ろにサハルバートがあるのだから。


「すいません、いま行きます!」


 俺は迷宮に背を向けた。

 そして、目の前には軍の関所だ。

 関所は金属製の重苦しいアーチがあり、何か文字が刻まれている。


「トレックくん、おかえりなさい」


 セリエの微笑みが俺に言葉を教えた時のと同じだったのですぐに分かった。

 そうか、あの文字って『おかえりなさい』だったんだ。

 俺はじんわりと胸が熱くなった。


「ただいまです!」


 俺は一礼をしてアーチをくぐった。

 そして、いつものようにアーチの横に立つ門番が徴収に来る。


「やあやあ冒険者さんたち! 今日はたくさん収穫があったようで」


 俺の荷物を見るなり目の色を変えて、50歳くらいのオッサン門番が手揉みを始めた。だが、俺の横でガシャンと大剣の音を鳴らしてセリエが立つと、門番の顔が一瞬こわばる。その後あわてて作り笑いをした。


「こ、これは、修道騎士どのでございましたか。おつかれさまです。ささ! お好きにお通りくださいませ」


「あわわ、私、その……」


 セリエは門番に急に話しかけられて挙動不審になっていた。

 好きに通れって言われてラッキーなのにおかしな奴だ。


「行きますよ、セリエさん!」


 俺はセリエの手を握ってアーチを抜けた。


「うぅ……、また冒険者って言いそびれた……」


 後ろでボソボソ声が聞こえたが、今はそんなことどうでもいい。

 街に帰ってこれたんだ!

 この喧騒! この臭さ! 帰還した冒険者や他国の迷宮挑戦者が多くいる駐屯エリアを抜ける。

 希少鉱石や染料植物の露天商がただでさえ狭い道をより狭くする市場通りへ。


「わ、わ! トレックくん、待って」


 俺の後ろではセリエがすれ違う人ひとりひとりと、避ける方向が一緒になってオタオタしていた。


「もたもたしてるとスリに遭いますよ!」


 鑑定士や占い師のテントもあったり、冒険者向きじゃないスキルを活かせる場所はけっこうあるのだ。もちろんスリもそう。俺の元々のスキル【引く】は、離れた物を引き寄せる。盗みには最適。もちろんそんなことしないけど。


 そうして人混みを抜けると、ひときわデカい建物がある。

 二階建てで、入り口が二つある。片方は街の通りに向いた小綺麗にした入り口。もう片方は汚れて傷だらけの入り口。ああ、ギルドだ。


「はぁはぁ、やっと追いついた……」


 振り向くとセリエが息を切らして青い顔をしていた。


「セリエさん、迷宮より疲れてるじゃないですか。着きましたよ、ギルドです。行きましょう!」


 冒険者ギルドに入ると真っ先に目に入るのがこれ。床に描かれた大きな方位磁針のマークだ。十字の星を2つ重ねたようにも見える。ちなみに入ってきた方が北だ。この星の中心に立って右が西で市民向けの受付があり、左が東で殺伐とした気配がする。


「私、そ、外で待ってる……。す、少し苦手、かも……」


 セリエが怖気づくのも仕方ない。4人のスタンダードなパーティなら20組は入れそうな広い空間に、まばらな人がいる。彼らはみんな冒険者だ。牽制し合うかのように間合いを取って待機している。


「なんか強そうな人たちですね」


「あ、あんまり見ちゃだめだよ……! ランカーの人たち、こ、怖いんだからっ」


 ランカー。

 順位表に名前が載る人たち。つまり、Aランクより上の人たちだ。


 俺を助けてくれた冒険者もきっとランカーなのかもしれない。

 そう思って彼らの顔つきを見るが、一人も知ってる顔はなかった。


 早く俺も冒険者の仲間入りをしたいものだ。

 というか、セリエが居ない。見回すとこっそり後退りしていた。


「ああ! クエスト受けたのはセリエさんなんですよ。さあ、逃げないで行きましょう」


 あいにく冒険者じゃないとクエストは受けられないからな。

 俺はセリエのこわばった背中をヨイショと押していく。

 方位磁針の南にはギルドの受付嬢がいる。


「おかえりなさい、冒険者セリエ。おや、怖い目にでも遭いましたか?」


 受付嬢の眼鏡がキランと光った。

 セリエと比べたらもっと年上のお姉さんだ。


「ひぇ、えう……」


 言葉なのか鳴き声なのか分からない音を出した。

 まあ、彼女のメンツを守って俺は何も言わないでおく。

 しかし。


「ピリピリしても仕方ないです。もうじき迷宮が活性化しますからね。早めに戻られて正解でしたよ」


 ばれちゃったか。

 受付嬢はキビキビと続ける。


「で、あなたの受注クエストは『夜光石』2つでしょうか?」


 セリエはクエスト受注票をカウンターに置いた。

 俺もそれに合わせて後ろを向き、後ろ歩きでカウンターに石を積んだリュックを乗せる。


「えっ! 『紫水晶』の……塊ですか!? それにリュックの中に『夜光石』5つもあるし……、こんな重い素材を一体どうやって!」


 受付嬢の顔はあいにく見えないが、声の調子で驚きがよく伝わってくる。

 リュックを置いた時点で気付いても良さそうだけど、カウンター越しに座ってるから俺の顔が見えにくいんだろうね。

 種明かしといこう。


「どうも」


 リュックの横から顔を出す。


「うわっ、アンタねぇ……。はぁ、はいはい、納得したわ」


 露骨に嫌そうな顔をされた。しかも敬語じゃないし。

 受付嬢は何人か居るけど、この人は苦手なんだよなぁ。

 彼女はセリエの方を見て口を隠す。


「その荷物持ち、やめといた方が良いですよ。さっき荷物を全ロストしたって被害届が出たんですから」


 ぜんぶ聞こえてるぞ。いや、聞こえるように言ったんだ。

 それにコーザめ、被害届なんか出したのか。コーザのことを言ってやりたくなった。

 でも、受付嬢の俺を見る目はまったく信用してない感じだ。


「セリエさん、俺は……」


 セリエの方を向くのが怖かった。

 もしセリエも同じ目をしていたら、と思うと足がすくむ。


「トレックくん! もしかして私を助けた時に」


 セリエは心配そうに俺を見つめていた。

 俺は自分が裏切られるんじゃないかと怯えていた。なのに、セリエは自分のことより他人の心配をしたんだ。俺は自分が恥ずかしかった。


「はい、黙ってました。すいません!」


 正直に謝る。


「ううん。わ、私も、聞けなかったから。迷宮に一人、荷物持ちだけ居るなんて」


 知らないうちに気遣われていた。

 たしかにセリエの言う通りだ。

 何よりそれを聞かずに雇ってくれたのには感謝しなきゃならない。


「ありがとう、セリエさん」


「良いの。気にしないで」


 小さい子に笑いかけるような笑みがぽろりとこぼれた。

 こんなに良い人は見たことがない。

 俺の感動が冷めやらぬままに受付嬢が割って入る。


「じゃあ報酬ですけど、合計10万ディルですね」


 木製のトレーの上にジャラジャラとした袋が10個。

 10万ディルは大金だ。

 おもむろにセリエはそれを半分に分けた。


「じゃあ、トレックくんには5万ディルでいいかな?」


「えっ!?」


 ぽん、と俺の手に5袋が乗せられる。ズシッとする。うわ、5万ディルの重みだ。破格。いや、意味不明な金額だ。半額だぞ。いつもは報酬の一割で、さらに経費を天引きした金額が支払われてるのに。

 この異常な大盤振る舞いに受付嬢も介入してきた。


「ちょっとお待ちを。冒険者セリエ、あなたは、そこの、その荷物持ちに報酬の半分の5万ディルを渡そうとしていませんでしたかっ?」


 俺をゴミ扱いで指さして受付嬢は問いただした。

 セリエはキョトンと首をかしげる。

 さらに受付嬢は身を乗り出して、カウンターをバン! と叩いた。


「おかしい! あなたが初めて荷物持ちを雇ったのを見たから忠告しておきます。冒険者には山分けは当然でしょう。しかし荷物持ちへの報酬は別! 半分はやり過ぎです! 10万ディルなら、1万ディルでも充分っ」


 言い切って、受付嬢は息を切らした。

 そこへセリエがぽつりと疑問を呈す。


「なぜ?」


「知らないんですかっ? 荷物持ちは冒険者ギルドのお荷物なんですよ。冒険者にたかる虫みたいなもので――」


 バキッ!


 カウンターが割れた。

 一瞬、何が起きたか理解できなかった。

 でも、セリエの手に割れたカウンターの木片が握られていて、すべてを理解した。

 セリエは口角を上げてはいるが、目はまったく笑っていなかった。


「トレックくんは冒険者と同じ働きをした。だからそれに値する報酬を分けた。何か問題でも?」


「も、問題ありません……」


 血の気が失せた受付嬢はその場にへなへなと座り込んだ。

 それからセリエは辺りを見回して、もじもじと顔を伏せた。

 当然、この事態はランカーたちから注目の的だ。


「わっ、私、ギルドは苦手かもっ……」


 セリエはケープをなびかせながら足早にギルドを出ていく。

 俺は両手で銭袋を包むように握りしめた。嬉しさがこみ上げてくる。

 お金を多くもらえたことが嬉しいんじゃない。俺を冒険者と同じ扱いにしてくれたことが嬉しいんだ。



 ◆



 ギルドを出ると、目の前の市場通りには露天商たちの姿が無い。もう夜だ。

 先に出ていたセリエの背中を眺める。


 セリエとはここでお別れか。

 もう少し一緒に居たい。


「セリエさん、この後なんだけど……」


 そう切り出した時だった。


 ぐぅぅぅぅぅぅ


 セリエが肩を丸くして、ちらりとこちらを振り向いた。


「あはは……。あ、あの、トレックくん、ご飯……いかない?」


「俺もそう思ってたところです」



 ◆



 俺はセリエに連れられて酒場にやってきた。

 セリエはお店の前で立ち止まる。


「あ、あの……、助けてもらったお礼におごらせて?」


 マジメだ。

 もうお礼なら受け取ってる気分だ。

 迷宮で一人ぼっちの俺を雇ってくれて、最後は冒険者と同じ扱いをしてくれたんだから。


「いりませんよ、と言いたいところですが、酒場でおごりを無視するのは無粋ですね。わかりました、好きに食わせてもらいますよ!」


 冒険者同士ならこうするはずだ。

 セリエはにこりと笑った。


 外から見る限り店内はガヤガヤと賑わっている。冒険者が夜に行く店と言えばここだ。

 俺は荷物持ちだからあまり来ないけど、コーザに呼ばれて先月も来たことがある。


「そういえば、この店にちゃんと客として入るのは初めてです」


「そうなんだ。実は私も一人だと入りにくくて……。トレックくんも初めてなら、少し安心かなっ」


 にへら、と笑う。

 その台詞と相まって俺はドギマギしてしまった。


 だが、店に足を踏み入れたら、店内が一瞬だけ静かになった。

 ああそうか。セリエの見た目がシスターだからだ。普通のシスターは冒険者の酒場に来ない。

 注目の的になった俺はこちらを見るたくさんの顔の中から、嫌な顔を見つけてしまう。


「よぉ、トレック! 死に損なったか?」


「コーザさん……」


 イカツイ顔つきのモヒカン男。俺の元雇い主だ。

 酒の入ったジョッキを持ったまま、ずかずかと俺の方へ歩いてくる。


「よく帰ってきた。偉い偉い! はい」


 そうして片手の平を俺の前に出した。

 ハイタッチってわけじゃない。

 たとえば、何かを渡すように催促するような仕草。


「は、はは……」


 愛想笑いでごまかす。

 何を言いたいんだろう、この人は。


「オイオイオイ、とぼけるなよ。帰ってきたら払う約束だったよなぁ? 100万ディル」


 ニヤァと薄汚い笑みを浮かべた。

 俺は思い出した。コーザは別れ際にそんなことを言っていた。


「む、無理です。100万ディルなんて……」


 コーザはわざとらしく長い溜息を吐いた。

 そして、俺の目の前にあった椅子に片足を乗せて、俺を上から指差す。


「お前は人の荷物を全部パーにしたんだよ! その弁償をするのは当然だよなァ!?」


 汚いツバを撒き散らして糾弾する。

 その言葉に黙りこくっていた客たちもざわつきはじめた。


「どうして100万ディルなんですか! だって、あの中身は……」


 10万ディルも無かった。クエストの依頼品の薬草と予備の食料だけだ。


「お前は自分の罪を棚に上げて俺がおかしいって言うんだな? なあ、みんな、聞いたか? 荷物持ちが冒険者の大事な荷物を全部ロストして、弁償もしない。それに女まで連れ歩いてるたぁ、どういう了見だ。なあ、おかしいのは俺の方かぁ!?」


 コーザはセリエに指を指した。

 セリエがびくりと震えて目を閉じる。

 怖がって当然だ。酒場じゅうの視線がセリエに集まっている。


 チクショウ、俺のせいで。


「やめてください! セリエさんは関係ない!!」


 俺はセリエの前に立つ。

 後ろから俺の服の裾を引っ張る感触があった。

 ぼそぼそ声で何かつぶやいている。


「こ、今度は私が守る番だからっ……」


 何のことだろう?

 と思うやいなやセリエは俺の脇をすり抜ける。

 コーザはそんなのお構いなしに俺の悪評を広め始めた。


「野郎ども聞いてくれ! こいつが人の荷物を捨てる最低の荷物持ちのトレックだ! 気をつけろ、次はお前らの荷物が失われるぞ!!」


 こいつ……!

 俺が二度と仕事できないようにするつもりなんだ。

 でも俺は言い返せない。それは間違ってない。当然の報いなのかもしれない。


 しかし、俺の前に立ったセリエの背中がわなわなと震えているのが見えた。

 そうだよな。少しの間だけ分かる。彼女は人が苦手なんだ。震えても仕方ない。

 だが。


「や、やめて! トレックくんは私を助けるために命がけだったんだから!」


 セリエさん……?


 彼女の背中が今までで一番大きく見えた。


「弁償するなら私がする! だ、だから、そんなこと言いふらすのを、やっ、やめてよ!!」


 コーザがジロジロとセリエをねぶり見た。


「あんた、金はあんのか?」


「て、手持ちは5万ディルと……、せ、『千寿丸』を売れば、20万ディルはする、と思う」


「足りねえな。100万だ。引っ込んでな、と言いたいところだが、あんた……、へぇ、上玉じゃあねえか」


 コーザが後ろを振り向いた。


「金になりますね、ねえノトスさん?」


「っ」


 セリエが小さな悲鳴を飲み込んで、片腕で肩を抱いた。

 上玉、金になる。行き着く先は、人身売買だ。

 そんなことセリエにさせちゃいけない。


「体を売るなんてしちゃだめです! 奴隷になるなら俺が……っ!」


 セリエの前に踏み出したら、大男にぶつかった。

 屋内なのに真っ黒なコートに身を包んだその男は顔に火傷をしていた。


 誰だ、こいつは……。


 大男の頬の皮が不気味に引きつる。


「コーザ。修道騎士は私と同じ貴族だぞ」


 貴族がなんで酒場に?

 近くから「ノトスって言ったら、奴隷男爵だよな?」という声が聞こえた。

 そうか、奴隷商人なんだ。この男は。


「いえね、ノトスさん。こいつはここ最近ギルドに入った元修道騎士の冒険者でして」


 ノトスと呼ばれた大男はセリエの顎を掴んだ。

 顔をそらそうとするセリエの視線を無理やり固定する。


「私を見ろ、女。私は神を信じちゃいない。神は人を不平等にする。スキルはその最たるものだろう?」


 セリエの視線はずっと男を向いたままだった。


「ふむ。やはり修道士を辞めたのは本当のようだな。コーザ、受け取れ」


 ノトスはセリエから手を離し、懐から金貨を取り出してコーザに手渡した。

 あれ一枚で100万ディルになる。

 それからノトスはセリエの腕を掴む。


「痛っ」


「お、おい! セリエさんから手を離してください!」


 ノトスは俺を無視する。

 理不尽だ。こんな理不尽が許されて良いワケがない。


「悪いのは俺です! 連れていくなら俺にしてください!」


 ノトスはまた俺を無視する。

 どうして関係のないセリエがひどい目に遭うんだ。


「くそ! 少しは俺を見ろよ!」


 俺は思わず手を出していた。こぶしを振り上げる。

 だがそれをコーザが止める。手首を握られて。


「良いのか? ノトスさんは男爵。そんなことをすれば、分かるよな?」


 うるさい関係ない。

 セリエを助けるためならどんなことだってする。それにこれは俺が引き起こしたことなんだ。

 コーザの手首を振り払った。どうなったって良い。セリエが助かるならそれで。


「くそおおおお!」


 ノトスが振り返る。

 そして指を三本立てた。


「待て、300万ディルだ」


 振り下ろし始めたこぶしが止まる。


「は?」


「この女の値段は300万ディルだ」


「300万ディルなんて……」


 100万ディルすら払えない俺に300万ディルが払えるわけがない。絶対にだ。

 暴力に訴えようとしたのに、ノトスは俺に条件を与えた。

 それでも俺がこぶしを振るえば、それは道義に反するというものだ。


「もし『きん』でもあれば話は別だが、どうする?」


 ノトスの何気ない提案にコーザがクツクツと嗤う。


「こいつが金なんて持ってるわけねぇですよ、ノトスさん」


「黙ってろ。私は彼に尋ねているんだ」


 コーザはシュンと黙り込んだ。モヒカンヘアが心なしか元気をなくした。


「もう一度尋ねる。この女、300万ディルで買うか?」


 そういうことか。

 ノトスは俺に300万を出せるかどうかを訊いているんじゃない。

 俺の自由と引き換えにセリエの自由を買うか訊いているんだ。


「買います」


 悩むことなんかしなかった。

 セリエは俺に希望をくれたんだ。俺は強くなれるって希望を。


 ……スキル?


 俺の頭の中で何かが弾ける。


「あの、300万ディルは、『きん』で良いんですか?」


「ん? ああ……」


 首をかしげるノトスの横で顔を青くするセリエを俺はじっと見つめる。

 セリエがくれたのは希望だけじゃない。

 言葉もくれた。


「少し待っててください!」


 俺は酒場の奥に行く。厨房と裏口を繋げる通路だ。

 ここなら誰にも見られてない。


「スキル【引く】!」


 俺はある物から、言葉を引いた。

 そして酒場じゅうの好奇の目を掻き分けて、ノトスの前に戻る。


「これでどうですか! 『きん』を用意しましたよ!!」


 俺は酒場の真ん中で冒険者たちに見られる中、『きん』を取り出した。

 ちょうどレンガくらいの大きさだ。


 ロウソクの明かりでてらてらと光るそれは、紛れもなく金の輝きだ。

 だが、誰もが信じるわけじゃない。たとえばコーザとか。


「どこからそんな物を! インチキはやめろよ、偽物だったらただじゃおかねぇからな」


 疑うのは当然だ。

 俺だってまさか『金』が生み出せるとは思わなかった。


「……ふむ、これは金に見えるな。貸してみろ」


 ノトスが火傷でただれた肌をきしませていた。たぶん驚いたのだろう。

 俺は彼に金を手渡す。

 ノトスは重さを確かめて、おもむろにテーブルの角へ叩きつけた。


 ガンッ


 レンガ状だった金がぐにゃりと曲がった。


「ほう、純金か。……なら、この女は今からお前のものだ」


 ノトスはセリエから手を離す。

 その瞬間、彼女がよろめいたので俺はあわてて肩を支える。


「大丈夫ですか、セリエさん!」


「ト、トレックくん……」


 憔悴しきっている。極限状態だったんだろうな。売られる直前だったんだ。無理もない。

 でも良かった。俺のスキルがちゃんと役に立って。

 安堵する俺とは裏腹に苛立つ人物がいた。コーザだ。


「インチキだ! こいつに『きん』なんか用意できるわけがねぇ!」


 コーザは俺を指さした。


「スキルのおかげでもねえ! こいつのスキルは【引く】って言って、近くのものを引き寄せるだけのゴミスキルなんだよ!」


 周囲の客たちは互いに顔を見合わせた。

 どこかからFランクという声がぽつりと聞こえた。


「そうだ、Fランク! こいつは荷物持ちで、元から銭もねぇ! じゃあなんで『金』なんか出せた? なら、インチキだろ!?」


 だが、誰もそれに同意しない。

 だってそれは。


「私の目が狂っているとでも言いたいのか?」


 ノトスという男爵貴族さまの意見を否定するからだ。

 じろりとノトスはコーザをにらみつける。


「そ、それは……」


 それに気がついたらしく、コーザはモヒカンの付け根まで顔を赤くした。


「くそ! トレック! 覚えてやがれ!!」


 そう言い捨ててコーザは逃げるように酒場を出ていった。

 客たちもまた自分たちの席へ戻っていく。

 残ったのは俺と、気絶寸前のセリエさんと、ノトスだ。


「おいお前、名は何という?」


「……トレックです」


「お前が寄越したこの『きん』は300万ディル以上の価値がある。もし困ったことがあったら私の元を訪ねると良い」


 黒いコートをひるがえし、ノトスは酒場を後にした。

 奴隷商人に名前を覚えられてしまった。なんだか気が重いな。

 その時、背中にふわふわした感触がする。


「うわっ!? ……セリエさん?」


「トレックくん……、ありがとう……。二度も私を助けてくれて……」


 吐息が背中にあたってこそばゆい。

 いや、こそばゆいのはそれだけじゃないな。


「元はと言えば俺のせいです。気にしないでください」


「でも……」


 こうやって抱きしめられるのだって、俺からしたらご褒美みたいなものだしな。

 とは言わなかったのだけど。


「ああう、また私っ……」


 バッとセリエは俺から離れた。

 振り向くと肩をちぢこめたセリエが顔を赤くしていた。

 なんだかこっちまで照れてしまう。


「あ、あの、食べましょう! お腹すきましたし」


「そっ、そうだね……」


 俺たちは席に付いた。

 さっきまでの出来事があったから他の冒険者たちの目も気になる。

 人気の少ないカウンター席へ行く。


 注文を頼むとすぐに出た。

 酒、そして酒場じゃ定番の肉料理。


「ところでトレックくん、どうして急に『きん』なんか出せたの?」


 俺は誰も周囲に居ないか確かめてから、小声で耳打ちする。


「セリエさんが教えてくれたじゃないですか。これ」


 俺はフォークでテーブルの肉料理を突き刺す。

 それは鶏の肉を加工した揚げ物だ。


「もしかして……、『チキン』?」


「はい。『チ』を引いて、『キン』です」


「す、すごいよ、トレックくん!」


 セリエの顔がパァァと明るくなった。

 俺はフォークで突き刺したチキンフライを口に放り込む。

 スキル【引く】があれば俺はどこまでも強くなれる。

 そんな実感を噛み締めた。

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[良い点] 残念なスキルと、荷物を全てロストしま残念な主人公。でも、実は使えるスキルの持ち主。あらすじにもある通り、秒で借金返済は気持ち良かったです☆ おどおどしてるけど、実は強いシスターさんと主人公…
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