天満月
開いていただきありがとうございます。
またもや久方ぶりの投稿となってしまいました。
今作は『かぐや姫』から着想を得たお話です。
お楽しみいただければ幸いです。
評価・感想をお待ちしています。
空高く登りきった太陽が見える昼頃、その輝きを覆い隠す曇天を病院のベッドの上から眺める少女がいた。
美月というその少女は、もうかなりの期間入院生活を強いられていた。
本来なら高校生として青春を謳歌しているはずだったのだが、それは小学生も半ばに差し掛かった時期に患った病気によって叶わぬ未来となってしまった。
美月は読書の合間に空を眺めることを密かな楽しみとしていた。見る度に変わる空模様が、彼女には魅力的に映ったのだ。
「......?」
美月の視線の先、折り重なった雲に波紋を思わせる穴が空いた。それからまもなくして、その穴から何かが落ちてきた。
「え......?」
雲から落下してきた何かは地上に墜落するその直前でその速度を急激に落とし、ふわりと漂うように着地した。
落下してきたそれは、美月の目には人間に映った。
美月はそれが信じられず当惑する。
常識で考えうる限りでは、空から人が落ちてくることなどありえない。
仮にそれが人だったとしても、着地寸前で速度を落とすなど到底不可能だ。
「まさかこれは夢なの......?」
美月は病室と窓の外を見える限り見回し、いつもと様子の異なる箇所があるか確認した。
しかし、それらに何らおかしな部分はない。紛れもなく、美月が見慣れている景色だった。
普段と変わっているものといえば、先程落下してきた人だけなのだ。
美月はそれでも信じられず、自分の頬を軽く抓る。
それによって生じた痛みは、彼女にこれが確かに現実のものであると告げていた。
美月は尚も落下地点から動かないその人影を眺める。
「......!」
美月は人影と目が合ったような気がして、咄嗟にベッドの上で後ずさった。
数秒の後、美月が再び落下地点を覗いたときには、人影は既にその姿を消していた。
美月はそれからも暫く落下地点の付近を見回していたが、次第に興味を失い、中断していた読書に勤しんでいた。
「......?」
美月は外から呼び声が聞こえた気がして、外を確認した。
すると、窓の下に美月の少し上くらいの歳と思われる、薄い金髪の青年が立っているのが見えた。
傍から見て、その青年の服装は異様だった。灰色のタキシードとマントを身にまとったその姿は、美月に何かのアニメの登場人物を見ているかのように思わせた。
青年は美月が窓を開けたのを確認すると、にこやかに微笑んだ。
「やぁ、そこの美しいお嬢さん。ひとつ聞きたいことがあるんだけど、いいかい?」
「はい。」
美月は身体に負担をかけないよう、小さな声で答えた。
青年は少し考える素振りを見せた後、その場で跳び上がり病室の窓枠に腰掛けた。
美月の病室は2階にあるが、彼はそれをものともせずに美月のもとに来たのだ。
「......? え? え?」
「やぁ、驚かせてしまってすまない。今の距離で話すのは君が大変であるように見えてね。それで少々強引だけど、ここに来ることにしたんだ。」
「......? 今どうやって......?」
「まあまあ、ここは深呼吸をして落ち着いて欲しい。」
美月は状況が呑み込めないままに、青年に促されて二度、三度と深呼吸をする。
「落ち着いたかい?」
「......はい。」
「それは良かった。ところで、ひとつ聞かせてほしい。先程空に穴が空いて、そこから人が落ちたんだ。そして、それを見た者が一人だけいたみたいなんだ。......それは君かい?」
「......はい。」
「......そうか。やはり君だったんだね。では、君の記憶を消すことにするよ。」
「......え。記憶を、消す......?」
「あぁ。落ちるのを見られたのは、少々都合が悪くてね。だからその記憶を消さないといけないんだ。逃げることはできないよ。......君が今こうして僕と話していることは、他の誰にも気づかれないようになっているんだ。今外に人がいたとしても、ここにいる僕の姿は見えない。......その扉も、今は開かないよ。」
青年はそう言うと、美月の後ろの扉を指差す。
「......ひっ......。」
美月は声を漏らし、怯え、後ずさる。
一方、青年は困り顔を浮かべて慌てていた。
「すまない、怖がらせるつもりはなかったんだ。......確かに僕は君の記憶を消す術を持っている。でも、君が先程のことを他言しないと約束するならば、それを行使することはしないよ。記憶消去は手間がかかるからね。できれば僕も避けたいんだ。」
「......分かりました。あのことは、誰にも言いません......。」
「......ありがとう。......では、そうだね......。君を怖がらせたお詫びと約束をしてくれたお礼に、僕に何か2つ聞く権利をあげよう。さあ、好きに聞いてくれ。」
青年はにこやかな笑みを浮かべる。
「......じゃあ.....。貴方の名前を、教えてください。」
「そういえばまだ名乗っていなかったね。僕は月の皇子、エンデル。......名乗り忘れた僕の名を聞くだけで権利を消失しては勿体ない。今回は消失を無効としよう。何か他に聞きたいことはあるかい?」
「......えっと、さっきどうやってここに飛んで来たんですか?」
「あぁ、それはこの靴のおかげさ。」
エンデルはそう言うと足を上げ、美月に羽飾りが着いた靴を見せる。
「この靴は地面から高く跳び跳ねることができるんだ。それだけじゃなく、少しの間なら空中に浮かべるし、緩やかに落下することもできる。他の星に行くときは必須の装備だね。」
「そんな靴があるなんて、初めて聞きました。」
「そうだろうね。この靴だけじゃないよ。地球人は、月のあらゆる技術を知らない。まだ君達は、僕達月の住人を見つけることができていないからね。」
「......月の住人......。」
「......そうだね、君にはいっそ全て話してしまおうか。君が僕を見たのも何かの縁だろうしね。」
「......? どういうことですか?」
「端的に言えば、君に僕の友人となって欲しいんだ。......実は、地球に降りたのは今回が初めてでね。誰か友人が欲しいと思っていたんだ。どうだい? それとも、僕は友人としては不適格だったかな?」
エンデルの問いかけに、美月は首を横に振る。
「私も、友達が欲しかったので......。私で良ければ、よろしくお願いします......。」
「ありがとう。そうだね、折角友人となったんだ。今君と僕は対等なのだから、そう畏まらないでほしい。......そういえば、まだ君の名前を聞いていなかったね。きっと美しい君に似合う名なのだろう?」
「似合ってるかは分からないけど......。私は美月っていうの。美しい月と書いて美月。」
「すまないね、まだ地球の文字は分からないんだ。なるほど、ミツキというんだね。......それにしても、美しい月か。月の皇子の友人としては、これ以上なく相応しい名じゃないか。」
「そうなの?」
「あぁ!」
嬉しそうに頷くエンデルに、美月も釣られて笑顔を浮かべる。
「......ところで、さっき言ってた月の住人って?」
「そのまま月に住んでいる民のことだよ。まだ地球人にそれを知る術はないけどね。月の技術力は地球よりも遥かに高くてね。僕達はそれを使って、地球からその姿を隠しているんだよ。......そうだね、あと100年か200年か、それくらい経つ頃には僕達を見つけられるかもしれないね。」
「......どうして存在を隠しているの?」
「それは地球人と月の民が接触することに反対する者が少なくないからさ。かつてそれによって大きな争いが起きてね。度重なる論議の結果、『月の民は今後地球人には接触しない。ただし、地球の技術力が高まり、自力で我らを観測できるようになった際は、地球からの接触を許可する』ってことで話が纏まったんだ。だから僕は地球のあらゆる国の王や首相、大統領には接触できないんだ。ミツキのような地球に住む一個人と接触するのは黙認されるけどね。」
「へぇ......。そういえば、エンデルはあの空の穴から落ちてきたんだよね?あれはどうしてなの?」
「あぁ、それはね......。実は父上の機嫌を損ねてしまってね。勉強という名目で、地球に追放されたのさ。僕としてはすぐにでも戻りたいところだけど、生憎暫くは許されそうになくてね。ほとぼりが冷めるまでは、帰ることはできないかな。」
「そうだったんだ。......皇子様も大変なんだね。」
「ははは、そうだね、今回ばかりは流石の僕もお手上げさ。少ししたら父上の怒りも収まるだろうから、折を見て戻るつもりだよ。」
美月はあっけらかんとしたエンデルの様子に、笑みを浮かべた。
「......ミツキは本当に美しいね。僕はこれまでに幾つもの星を訪れたけど、君ほどに美しいと思える人はいなかったよ。君には多くの人を虜にできる魅力があるよ。」
美月はエンデルの言葉に眉をひそめた。
「そういうのは......ちょっと困るな。......別に私は、色んな人を虜にするとかじゃなくて......。普通に学校に通って、普通に友達ができて......遠足に行ったり、修学旅行に行ったり......。そういうことができれば、それだけで満足なの。」
「......? ならば、それをすればいいじゃないか。」
首を傾げるエンデルに対し、美月は力なく首を横に振り、俯く。
「......それができるなら、こんなところにいないよ......。小学生のときにこの病気になって、学校に行けることも減って、今はもうずっと病院にいないといけないの。 お父さんもお母さんも頑張ってこの病気を治す方法を見つけようとしたけど、今の医療じゃ完治は不可能だ、って。......エンデルにこの気持ちが分かる? 皆学校に行って、友達と遊んだり、休みの日には映画を見たり、ご飯食べたりしてるのに、私はそれができないの! ......もう出てって。」
エンデルは涙を浮かべながら自分を睨めつけた美月に戸惑う。
少しの後、美月の様子から会話の続行は不可能だと判断した彼は、軽く手を振るとその姿を消した。
その直後、窓から風が吹き込んだことで少し冷静さを取り戻した美月は、自分の発言に肩を落としたのだった。
夕刻、美月は本と窓の外を交互に眺めていた。
本を読もうとする度にエンデルが頭をよぎり、読書に集中できないのだ。
「折角友達ができたと思ったのに......。」
美月は寂しさと悲しさが織り交ざった呟きを零す。
エンデルは美月の長い入院生活が始まって以来、初めての友人だ。
しかし、エンデルの何気ない言葉が美月を傷付けてしまったのも事実なのだ。
「追い返したのはまずかったな......。でも、『それをすればいい』なんて、酷いよね......。できるならやってるもん......。......エンデル、もう来ないのかな。それは嫌だな......。」
美月はこの日、不安に苛まれながら眠りにつくことになるのだった。
翌朝、目が覚めた美月は不安を和らげるべく、枕元の古びた本を手に取り読み始めた。
その本は美月が生まれた頃に流行った恋愛小説だ。
入院中の少女が、同じ病室の女の子を見舞いに来た青年に恋をする。二人は少しずつ仲を深めていき、青年が少女を支えることを決意したことで結ばれた。そして最後は手術によって少女の病が除かれ、二人が幸せな未来へと共に歩み始めたところで話が終わる。
美月が病に伏せて間もない頃、父親が病院での暇つぶしにと買ってきたこの本を読んだ美月は、それ以来恋に憧れるようになった。
しかし、美月は恋をすることもなく、ただ時だけが過ぎ去ってしまった。
それでもこの本は、美月のお気に入りのひとつであり続けていた。
結局この日エンデルが顔を出すことはなく、美月は窓が風で揺れる度に外を見ては落胆することになるのだった。
明くる日、朝食を済ませた美月がまた別の本を読んでいたとき、窓の外から声が聞こえた気がした。
美月がまさか、と思いつつも窓を開けると、下には先日と同じようにエンデルが立っていたのだった。
エンデルは美月の顔に拒否の色がないことを確認するとすぐさま病室へ跳び上がり、窓枠に腰掛けた。
「やあ、ミツキ。今日は太陽の機嫌が良い素敵な日だね。......先日僕は、君を傷付けてしまった。すまなかったね。」
「......ううん。私の方こそ、ごめんなさい。エンデルは、私がどうしてここにいるのか知らなかったんだし、仕方ないよ。」
「いや、それでは僕の気が済まない。......これは僕のお詫びの印だ。受け取ってほしい。」
エンデルはそう言うと、懐から小さな箱を取り出した。中にあったのは、光沢のある灰色の石である。
「これは月の石を加工したものなんだ。月は本来太陽の光を受け、それを反射することで輝いている。これはその作用を少し変えたもので、太陽の光を吸収するんだ。月の出る時間になると、昼間に蓄えた光を放ち、美しく輝くんだ。今この地球上でただひとつしかない、僕のお気に入りの宝石さ。」
エンデルが笑顔で宝石を差し出す一方で、美月は浮かない顔をすると首を横に振った。
「......私もエンデルもお互い様、この話はこれで終わりなの。だから、そんな価値のあるものは受け取れないよ。」
「......ならば、お詫びではなく、親愛の証として君に渡したい。地球人で初めての友人に対しての、月の皇子からの贈り物だ。......それでもダメかい?」
「それは......。ずるいよ、そんなこと言われたら断れない......。でも、私は何もお返しできないよ......? それでもいいの?」
「あぁ。」
エンデルは強く頷くとそっと美月の手を取り、その比較的小さな手の平の上に箱を乗せた。
「......ありがとう。」
美月は満面の笑みを浮かべる。
「ははは、そんなに喜んで貰えるなら贈った甲斐があるよ。これからもよろしく頼むよ、ミツキ。......さて、無事に仲直りが済んだわけだけど、今日は何をしようか。」
やることの候補を出そうと頭を捻るエンデルに対し、美月は今しがた心に浮かんだ疑問をぶつけることにした。
「......あの、すごい今更なんだけど......。エンデルはどうやって私と話してるの? 昨日まだ地球の文字は分からない、って言ってたけど、話すことだけならできるの?」
「あぁ、君と僕が話せるのは、この翻訳機のおかげだよ。」
エンデルはそう言うと、指の先程度の大きさの首飾りを摘み、美月に見せる。
「これは現在までに月と交流のある殆どの星の言葉に対応している優れものなんだ。地球の主流な言語は最初期から入っているよ。昔はかなりの大きさだったんだけど、最近は小型化が進んでいるんだ。こうやって装飾品として身につけられる位にね。便利になったよ。」
「そうなんだ。やっぱり月の技術ってすごいんだね。」
「ははは、そうだね。月は他の星々と比べても高い部類さ。そうでないと、気軽に星間旅行にはいけないよ。」
「星間旅行?」
「地球だと宇宙旅行と言った方が通りがいいかな。」
「宇宙旅行かぁ......。一応お金持ちの人はできないことはないみたいだけど、それでも他の星には行けないらしいし、遠い話だね。」
「地球だとそうだね。未だに構想の域を出ていないはず......おや?」
「どうしたの?」
美月が問うよりも早くエンデルの姿が掻き消えた。
「え?」
美月はエンデルが突如消えたことに驚き、辺りを見回す。
そのうちに部屋の扉がノックされた。
「あ、はーい。」
「美月ちゃん、お昼ご飯の時間よ。」
「あ、はい。ありがとうございます。」
「えぇ。」
食事を運んできた看護師は昼食のお盆を美月に渡すと、扉を見て首を傾げた。
「どうかしたんですか?」
「うん。さっき扉を開けようとしたら全然開かなくて。この病棟まだ新しいし、いつもはこんなことないでしょ? 変ねぇ。」
「そ、そうだったんですね。」
「まあいっか。それじゃあ、また夕方に来るわね。」
「はい。ありがとうございます。」
美月は看護師に頭を下げる。
「終わったかい?」
「ひゃあ! え、エンデル?あれ? さっき消えて......。」
「あぁ、今の人がミツキに用事があるようだったから、姿を消したあと空間固定を解除したんだよ。」
「そういえば、声がこの部屋の外には漏れないみたいなこと言ってたっけ。扉が開かない、っていうのもそれのおかげなんだよね?」
「そうだね。一応空間に干渉する術があれば無理矢理壊すこともできるんだけど、地球ならその心配はまずないよ。」
エンデルはそこで言葉を切ると、先程運ばれてきた美月の昼食に目を向けた。
「うーん......。かなり少なくないかい? 美月の年齢は食べ盛りだったと思ったけど。」
「身体に負担がかかるから、あんまり食べられないんだ。普段ここから動くことが殆どないからそれでも大丈夫なんだけどね。」
「......食の楽しみがないのは辛くないのかい?」
「もう何年もここにいるから、慣れちゃった。だから辛いとか、そういうのはないかな。」
「......。」
「どうしたの?」
「ミツキは制限されていることが多いんだね......。何か僕が役に立てることはないかい? 可能な限り、君の願いを叶えるよ。」
「......本当に? 信じていいの?」
美月は潤んだ瞳でエンデルを見つめる。
「あぁ。」
「じゃあ、私の病気を治して。......実は私ね、お医者さんに、あと数年の命だって、そう言われてるんだ......。今の医療だと、進行を遅らせることしかできないらしいの。......私はまだ、やりたいことがたくさんあるのに......。何もできてないのに死んじゃうなんて嫌だよ......。」
美月はこれまでに希望を見出したことはなかった。治療は不可能だと告げられて以来、粛々と運命を受け入れ毎日を過ごしてきたのだ。
美月が抱いた多くの夢と憧れは、病に侵された美月では決して叶わないものとなってしまった。
それでも月の技術なら、どうにかできるかもしれない。美月は罹患して以来、初めて希望を抱いたのだ。
「ねぇ、エンデル、お願い。月の技術なら、私の病気も治せるんじゃないの......?」
「......あぁ。それは......そうだろうね。確かに今、月には死の病はないよ。これまでに確認された病気は全て治療法が確立されている。......でも、ミツキの願いは叶えられないかもしれない。......月の技術は月と交流のない異星人に使ってはいけないという決まりがあるんだ。」
「そんな......。」
美月は泣き崩れる。エンデルは決意を込め、そっと美月の肩を叩いた。
「......だからと言って、僕は大切な友人を見殺しにする気はないよ。......どうにかしてみせるさ。」
「エンデル......。」
「じゃあ、僕は行くよ。方法を考えないといけないからね。また来るよ」
「うん......。」
エンデルは軽く手を振ると窓枠から飛び降り、その姿を消した。
美月は祈りながら窓の外を見つめるのだった。
その日の夜、エンデルは病院の近くの森の木の上にいた。
そこから通信機を掲げ、月にいる父親と交信していた。
「......一体何の用だ?」
「......父上、お願いがあります。月の技術を、僕の友人に使わせてください。」
「それはならん。」
「地球で初めてできた、大切な友人なんです! お願いします!」
「ならんと言っている。月の技術を施せるのは、公式に月と星間交流のある星の者だけだと、そう決まっている。......言っておくが、友人など特例には該当しないぞ。」
「だったら、今すぐ地球との交流を始めてください!」
「......それができないことは、お前ならよく分かっているだろう。地球人は未だに我々を見つけられていない。地球に滅亡の危機が訪れない限りは、我ら月の民は地球に対して静観する。これは覆らない。」
「ぐっ......。」
「用事はそれだけか? ならば切るぞ。私は忙しいんだ。」
通信機からプツリと音がする。エンデルは頭を抱え、項垂れるのだった。
次の日、エンデルが美月のもとを訪れたのは、太陽が頂点を過ぎてからのことだった。
朝からちらちらと窓の外を確認していた美月は、エンデルが現れたことに気付き窓を開けた。
「やあ、美月......。」
いつも通り窓枠に腰掛けるエンデルだったが、その顔は暗い。
「エンデル? どうかしたの?」
「......昨日父上にミツキの治療を打診したんだけど、やはり断られてしまったんだ。ずっと他に手がないか考えているけど、何も思いつかなくてね......。本当にすまない......。」
「そっか......。でも、まだダメだと決まったわけじゃないし、大丈夫だよ。......ダメで元々なんだし......。」
「......今日は何を話そうか。昨日から考え通しだったから、何か気分転換がしたいんだ。」
「......それなら、エンデルが今までに行った星の話をして欲しいな。」
「分かったよ。......そうだね。じゃあまずはサリア星の話をしようかな。サリアは月から片道で2週間程のところにある星でね、元々は地球のように豊かだったんだけど、星間戦争によって星の大半が荒廃してしまったんだ。それでサリア星人はほぼ全てが他の星に移り住むことを余儀なくされた。その後の、人が関わらなくなった生態系が中々に興味深くてね。サリアは地球の虫のような生物が地上を支配するようになったんだけど、自分の頭を飛ばして攻撃する種類もいれば、他の虫と組んで狩りをする種類もいたね。確か片方が毒ガスを撒いて、もう片方が羽を震わせてそれを拡散するんだ。その毒は宇宙の中でもかなり強力なものだったな。荒れ果てたサリアでも生命を失わないように力強く足掻く姿には衝撃を受けたよ。」
「力強く足掻く......。」
「人間のような生物はどの星でも生態系から外れている部分があるからね。そんな例外のいないサリアは、実に興味深かったよ。......それでも何千万年、何億年もの未来では、今と様変わりした生態系から外れるような知的生命体が生まれるんだろうね。想像するだけで気の遠くなる話だけど、浪漫はあるね。」
「そうだね。きっと私たちが想像もできないような生き物も生まれてるんだよね......。」
「そうだろうね。宇宙は本当に広いから、何があっても、どんな生き物がいても不思議じゃないよ。だからこそ僕はそれを楽しみに星間旅行に繰り出したんだ。」
「うんうん。他には何があるの?」
上機嫌で話すエンデルに、美月も自然と笑顔で相槌を打っていた。
その後二人は時間を忘れて話し続けた。
「それにしても、ミツキは本当に楽しそうに僕の話を聞いてくれるね。......病気が治ったら、僕と星間旅行をしてみないかい? 君となら、きっと楽しい旅になると思うんだ。」
「それは......。うん、そのときはお願い。......楽しみに待ってていいんだよね?」
「あぁ、勿論さ。」
「ふふ、ありがとう。......そうだ。ちょっと小指出して。」
「......? 何をするんだい?」
「ちょっとしたおまじない、かな。」
美月は薄く笑うと、エンデルの小指に自らの小指を引っ掛ける。
「指切りげんまん嘘ついたら針千本のーます。指切った!」
エンデルは切られた右手の小指を庇うように左手で覆い、隠すように引っ込めると苦笑いを浮かべた。
「......随分と物騒な歌だね。」
「......言われてみたら確かにそうだね。私はちっちゃい頃からこのおまじないをしてたから、考えたことなかったなぁ。」
「......そうだね、それじゃあ僕もおまじないをしようか。右手を手のひらを下にして突き出して。」
「うん。」
美月は言われるがままに右手を差し出す。
エンデルは美月の手のひらに自らの左手を合わせると、右手を手の甲に重ねた。
「よし、これで終わりだよ。」
「......これだけ?」
「そうだね。ミツキのおまじないとは違って、特に呪文はないよ。」
「呪文って......。ねぇ、今のはどんなおまじないなの?」
「そうだね、地球風に喩えるなら......お姫様に誓いをする騎士、かな。『私は必ず貴女を守ります。』ってね。月で、異性に対して強い誓いをするときの儀式なんだ。ちなみに、女の子の方からするときは手が逆になるよ。相手の左手に自分の右手を合わせて、左手を重ねるんだ。......ミツキが使う機会はないかもしれないけど、ちょっとした豆知識として覚えておいてくれれば嬉しいな。」
「......うん。」
「さて、それじゃあそろそろ戻ろうかな。じゃあね、ミツキ。また明日。」
「うん。また明日。」
ひらひらと手を振るエンデルに、美月も手を振り返して見送る。
その口元は、昨日よりも綻んでいた。
エンデルが去ってから少しの後、眠りに落ちた美月は夢を見ていた。
それはエンデルが病気を治せず、美月は心臓発作によって死んでしまう光景が三人称視点で映し出された、今の美月にとっては最悪と言っていい夢だった。
「嫌な夢......。」
目が覚めた美月はそう呟くと時計を確認した。3時間ほど眠っていたことを知ると、夕食の時間まで暇を潰すべく枕元の本を手に取った。
しかし、時が経っても一向にページは変わらない。
先程の夢が頭を過ぎり、何も手につかなくなっているのだ。
「はぁ......。」
美月はため息をつくと読むのを諦めて本を置き、窓の外を眺めた。
もう空を彩っていた夕焼けも残り少なく、大空の支配者は宵闇に移り変わりつつあった。
美月は空を眺めているうちに、『本当にああなるかもしれない』という恐怖に呑まれ、涙を流す。
「......うっ、うっ......。」
時が経つごとに、美月の目から溢れる涙はどんどんと増えていった。
そんな折、美月の視界の端にエンデルから贈られた箱が映った。
彼女が蓋を開けると、それを待ち望んでいたかのような光が我先にと広がり、たちまち病室を包み込んだ。
「......綺麗......。」
美月は暫く宝石を眺めていた。
そのうちに心の闇は晴れていき、彼女に笑顔が戻った。
美月が落ち着きを取り戻し、夕食を摂ってから少しした頃、病室の扉がノックされた。
「はーい。」
「美月ちゃん、お母さんよ。」
「あ、はい。」
美月が返事をすると同時に、美月の母が病室に入る。
彼女は看護師に頭を下げると、美月に向き直り、言った。
「......何かあったの? 目が赤いわ。」
美月は母親から顔を逸らし、手元にある本を抱えるようにして答える。
「......ちょっとね。嫌な夢を見たの。」
「......そう。」
美月の母は、それきり口を閉ざした娘を追求せず、ただ優しく本を差し出した。
「......お母さん、その本は?」
「これね、最近美月くらいの歳の子達に流行っているみたいなの。美月も楽しめればいいんだけど......。」
「......ありがとう。......お父さんは、やっぱり忙しいの?」
「......うん、ごめんね......。」
「気にしないで。......忙しいんだから、仕方ないよ。」
「......うん。......お母さんもやることがあるから、もう行かなくちゃいけないの。ごめんね。」
「ううん。もう暗いから、気を付けてね。」
「うん。」
美月の母は病室を出ると、扉のそばに控えていた看護師に頭を下げ、そのまま病院を後にした。
「......お父さんともお母さんとも、もっと話したいな......。」
美月はそう呟くと、寂しさを紛らわせるべく、先程渡された本の裏表紙に綴られたあらすじを眺める。
どうやらそれは竜の血を浴び不老不死となった主人公が、世界各地の怪物退治に奔走する物語であるらしかった。
「不老不死かぁ......。月にはそういうのあるのかな。今度エンデルに聞いてみよう。」
美月はそう言うとベッドの横の壁に寄りかかり、本を読み始めた。
暫く読み進めたところで、美月は欠伸が出そうになり、手で抑える。
「もう寝ようかな......。でも、またあの夢を見るのは嫌だし......。」
美月は迷った末に、宝石の箱を抱えて眠ることにした。
この夜に美月が見た夢は、エンデルと楽しく話し続ける夢だった。
翌朝、美月は顔に日差しが当たったことで穏やかな目覚めを迎えた。
「楽しかったなぁ......。いつもこんな夢ならいいのに。」
美月は少し不満げに、しかしにこやかな顔で呟くと、窓を開けた。
「今日はいつ頃来るんだろ。」
美月はエンデルが来るまでの間、昨夜の続きを読むことにしたのだった。
昼も過ぎた頃、本を読んでいる美月のもとを訪れたエンデルは開いている窓の枠に音を立てぬよう腰掛けた。
「おはよう、ミツキ。今日もいい天気だね。」
「わ! びっくりした......。おはよう、エンデル。」
「あぁ。......おや? 新しい本かい?」
「うん。昨日お母さんが持ってきてくれたんだ。」
「どんな話なんだい?」
「これはね、不老不死になった主人公が......。」
「それだ! それだよミツキ! 僕はどうして今まで思い付かなかったんだ!」
「え? え? どういうこと?」
美月は、今までにない笑顔を見せるエンデルに戸惑う。
「不老不死だよ! ずっとミツキが月の治療を受ける方法を考えていたから、盲点だった。君に秘薬を使えばいいじゃないか。」
「秘薬って?」
「僕達の一族のみ使用を許された秘薬だよ。ミツキは、えぇと......そうだ、かぐや姫の物語を知っているかい?」
「かぐや姫? 勿論知ってるけど......。」
「かぐや姫の物語の最後はどう伝わっているんだい?」
「えっと......結局かぐや姫は月に帰ることになるんだけど、そのとき帝に不老不死の薬を渡して......。もしかして、これのこと?」
「あぁ。流石に不老不死とまではいかないけど、大量に飲めば近い状態にはなるだろうね。」
「そうなんだ......。でも、さっきエンデルの一族だけって......。私にそれを使ってもいいの?」
「本来は暗殺か何かで命が危うくなったときのためのものだから、僕に対して使うことは問題ないんだけど......。異星人に使うと、最悪皇位継承権を失うことになるかもしれないね。」
「継承権の剥奪って......。それってエンデルが月の皇子じゃなくなるってこと?」
「まぁ、似たようなことにはなってしまうね。今度こそ完全に月を追放される可能性もある。流石の僕もそうはなりたくないから、使用が許されるような何かしらの言い訳を考えなくてはいけないね。」
「言い訳......。言い訳かぁ......。」
頭を悩ませる美月にだったが、そのうちに先程まで読んでいた本のいちシーンが浮かんだ。
それは主人公によって怪物の魔の手から助けられた姫君が、彼に対して結婚を迫るというものだった。
それは即座に断られたものの、姫君は諦めることなく結婚を迫り続ける。
しかし、一向に靡くことのない彼に業を煮やした姫君は、既成事実を作ることを計画し始める。
「そっか......。既成事実。」
「うん? 何か言ったかい?」
「あ、えっとね、その......。」
美月は話そうとするが、その気恥しさに赤面する。
「この本に出てくるお姫様が、自分を助けてくれた男の人に求婚するんだけど......。えっとね、要するに、既成事実を作っちゃえば、大丈夫なんじゃないかなって......。」
「......既成事実か......。その発想はなかったな。でも確かにそれなら上も納得するだろうね。『月の皇子ともあろうものが、好意を寄せてくれた女性をみすみす失っては示しがつかない』ってね。でも、そうなると、ミツキは僕と婚姻を結ばなくてはならなくなる。......僕の方は問題ないよ。君は僕の話を、キラキラとした目で聞いてくれた。何より、君はとても居心地がいい。......でも、ミツキは大変じゃないかい? 折角病気が治ったのに、地球から離れることになってしまう。君のお父上、お母上とも会うことは難しくなるよ。......それに、皇子の妃となるのだから、いずれ政争に巻き込まれてしまうかもしれない。......それでも、僕の傍にいてくれるのかい?」
「うん。......さっきね、思ったの。私、エンデルが好き。......私ね、小学生のとき病気になってから、ずっとこの病院にいるんだ。最初は友達がお見舞いに来てくれたけど、今はもう誰も来なくなっちゃった。もうずっと、私はひとりぼっちだった。時々お母さんが来てくれるけど、それ以外は一日中本を読んでるだけ。私の世界にあるのは、本だけだったの。......でも、エンデルが私の世界を変えてくれた。出口をめいっぱい広げて、道を作ってくれた。まだ貴方と出会ってから、たったの数日しか経ってない。でも、今みたいに話してるだけでね、今までのどんなことよりも楽しかったんだ。......エンデルといると、生きたいって夢も、誰かと一緒に旅行に行きたいって夢も、みんな叶っちゃう。エンデル、本当にありがとう。エンデルは月の皇子かもしれないけど、私にとっては太陽なんだ。......私は、エンデルと一緒にいたい。」
「......そうか、太陽、か。最高の褒め言葉だよ。ありがとう、ミツキ。ずっと僕の傍にいてくれ。」
「うん......。」
エンデルは照れ笑いを浮かべると、両手を伸ばして美月を抱き寄せ、熱を帯びた頬に触れた。
「ミツキ、目を閉じて。」
「うん......。」
エンデルはそっと美月に口付ける。
「......ミツキ、顔が真っ赤だよ。」
「......エンデルも。」
「ははは、そうだろうね。こんなに照れたのは、生まれて初めてだからね。」
「......私も。」
エンデルは照れていることを誤魔化すように懐から小瓶を取り出し、美月に差し出した。
「さあ、これを飲めば、君の病気は治るよ。」
「うん......。」
美月は蓋を開けると、深呼吸し、薬を飲み干した。
不思議な甘みのある薬の効果は、すぐに現れた。
「......凄い!見て、身体がすっごく軽いの! 息も全然苦しくない......! 本当に治ったんだ......! エンデル、本当にありがとう!」
美月は感極まり、勢いのままにエンデルを抱き締める。
暫く抱き合っていた二人だったが、美月が平静を取り戻したことでそれは終わった。
エンデルは寂しそうに笑みを浮かべる。
「このままずっとミツキといたいくらいだけど、残念ながらもう戻らなくてはならないんだ。色々とやることができたからね。......また近いうちに来るよ。」
「......うん。......エンデル、本当にありがとう。」
「どういたしまして。じゃあまたね、僕のお姫様。」
エンデルは名残惜しそうに、しかし笑顔で手を振る。そして美月が振り返すと満足そうに頷き、その姿を消すのだった。
その日夜空に浮かぶ満月は、太陽の光を受け美しく輝くのだった。
最後までお読みくださりありがとうございます。
今作は前書きにもあるように、『かぐや姫』から着想を得たものになります。
元々は部で「恋」と「死」の2つのテーマが定められ、それに沿った話を考えていました。
ありきたりな物語ばかりが思い浮かぶ中、あるとき突然「かぐや姫の逆」という言葉が脳裏を過ぎりました。
私は漸く探し求めていたものを掴んだ気がしました。
それからかなりの時間がかかってしまいましたが、こうして無事に形にできました。
この物語を読んでくれた方が楽しめたのなら幸いに思います。