第6話 覚醒
暗い空間。私はそこに居た。何もなく、何も感じず、何も聞こえず、広いのか狭いのかも分からない。これが死の世界なんだろうか?
(寂しい所……。)
私は何もせず、ただそこに居続ける。しかし、何かが起きる訳でも、神様の使いが遣ってくる訳でもなく、ただただ意識だけがここに残り続け、終わりのない夢の様な時間が続く。
(寂しい。)
私が死んでから、どのくらい時間が経ったのだろう。イルズ達は、もう英雄になれているだろうか。きっと英雄になって、晴々しい活躍をしているだろう。村の皆も、そんなイルズを誇りに思っているに違いない。……私の最後は、イルズ達の役に立てただろうか。そうであれば私は満足だ。
『……』
何か声のような音が聞こえた気がした。私はその方向を見ると、遠くに白く光る物が見えた。それに少し近付てみると、十字架状の容器の中で一筋の糸が蠢き、容器には様々な場所に幾つもの白く光る鎖で縛られている。恐らく、光って見えたのはこの鎖だろう。
『■■■■■■』
確かにそこから、声なのか、音なのか、それすら分からない何かが私に伝わる。更に近付こうとすると突然、
「駄目だ。」
私の声が近付くのを止めた。何故自分で止めたのか分からない。無意識にそう言葉を発したのだろうか?けれど、私の身体は不思議と動いてしまい、徐々に近付いてしまう。
『■■■■■■』
そこから発せられる何かに惹かれてしまう。更に近付くと、容器の中のモノが鮮明に見えた。糸だと思ったモノは、白と黒を帯びた何かの液体の様だった。その液体は、言葉に言い表せない程、明らかに異様な存在をしている。液体は容器の中を絶え間なく、隅々まで動き続けている。
「離れろ。」
また、無意識に声を発していた。しかし、私はそれを無視し、手を容器へと伸ばした。容器に触れた瞬間、その容器が何なのかがハッキリ分かった。十字架の容器なんかではなく、それは『私の身体』を模した容器の様だった。それが磔の様に、全体に幾つもの鎖が巻き付かれて吊られていたのだった。
(これは何なの?)
私が疑問に思っていると、中の液体が私の手に近付き、手の前へ塊となって止まった。先程まで絶え間なく動いていた筈が、今は一切動かなくなっている。まるで、私に惹かれるかの様に。するとその時、
<ピシッ!>
突然、私が触れている部分からヒビが入る。私は咄嗟に離したが、ヒビは容器の全体へ一気に広がる。容器に絡み付いていた鎖も、朽ち果てる様にボロボロになって消えていく。そして、鎖が消えてなくなると同時に、私の身体を模した容器が砕け散った。その場に残ったのは、容器に入っていた塊となった液体だけで、不思議な事に宙に浮いている。
「逃げろ。」
また声が聞こえた。しかし、今度は私の声ではなく、聞いたこともない声だった。辺りを見渡してもただ暗い空間で、私以外誰も居ない。私はもう一度、前の液体を見た。液体は動かずに、そのまま宙に浮かび続けている。私は忠告を無視し、それに近付くことにした。もし何が起こったとしても、私は既に死んでいる。もしかしたら、アレはこの夢を覚ます為の何かかもしれない。私はその液体に手を伸ばす。
すると突然、液体が下へと流れ落ちた。慌てて掬い取ろうとするが、手をすり抜けて下へと落ちていく。液体が地面に落ちるとそこから波紋が広がり、地面が突如として辺り一面が鮮やかな赤色の液体になった。それが遥か遠くまで広がっている。綺麗な光景だと思えるが、私はそれを見ていると嫌悪感を感じた。まるで血の海の様に感じたから。
「一体、何が起こったの?」
周りを何度も見回していると、突然赤い海が荒れ始めた。赤い海が私を中心に渦を巻き始め、波が高く立ち上り、やがて私の周りを包んでしまった。逃げようにも何処にも逃げ場がない。渦巻く波から液体が滴り、私の身体を赤く染める。そして、波が私の上から襲った。咄嗟に目を瞑るが、瞼の上も赤く染まっている。最早、私の身体がどうなっているか、何処に流されているのか、何も分からない。
『■■統■開■』
何かの言葉が聞こえた途端、身体のあちこちから何かが入り込み、身体の中を流れてくる。同時に全身に激痛が走る。痛みで叫ぼうとしてしまい、口の中にまで液体が入ってくる。そして、身体の中からも痛みが起こり始める。
『■ノ■■■認 修■■■ ■■■去■始』
今までよりもとてつもなく、耐え難い強い痛みが走る。瞼を開けても真っ赤な景色が広がり、目の中にまで液体が入ってくる。身体は波に飲まれ続け、何が起きているのか分からず、ただ痛みで悶え苦しむ。早く、この痛みから解放して欲しい。ただそう願うしかなかった。しかし、いくら願ってもこの痛みから解放されることはなく、私は意識を失った。
『■■ノ排■■■始』
悶え苦しんでいると突然、頭に何かの光景が幾つも幾つも浮かび上がる。玉座、人々、王様、血、集団、儀式、血、戦争、死体の山、血の湖、一人の男、笑い声、王様の死、誕生……。見たこともない景色が、幾つも幾つも絶え間なく頭に流れる。まるで誰かの記憶、それも一人ではなく、何人もの人々の記憶が頭に流れ続けている。そこに何か嫌な感情の様なモノまで流れてくる。もう訳が分からず、頭がおかしくなりそうだった。
しかし、流れてくる光景の中に、とある光景に目を奪われた。雨の中、ローブを着た人に私が抱えられている。傍にはもう一人、同じローブを着ていた。そっと目を逸らすと、見覚えのある建物が見え、その前には見覚えのあるシスターが居た。これは『私の記憶』だと確信した。ローブを着た人が私をシスターに渡すと、シスターに何かを伝えて立ち去ろうとした。私はシスターの胸の中で二人の顔を見ようとした。しかし、それを見る事は出来ず、また別の景色が幾つも流れる。再び嫌な感情が心に広がり、もう見たくないと願った。それでも記憶が無数に流れ、私は必死にその記憶らから目を背けようとした。しかし、どう足掻いても記憶から目を背けれず、私の心が崩れる様な感覚に陥いる。やがて私の意識は遠くなって、ようやく襲い来る記憶がぼやけ始めた。私はそのまま消え、この感情から避けれる様に願った。
「……」
なんて言ったかは分からないが、また声が聞こえた気がした。その声が聞こえなくなった途端、嫌な感情が消え、私の意識がハッキリし、別の景色が見えた。それは、今まで見た景色とは何かが違った気がした。
誰かが私の傍に居てくれた。手を握ってくれて、一緒に笑ってくれて、共に歩いてくれた。それが誰かは分からない。顔も姿も朧げになって見えない。でも、どうしてかは分からないけど、ここで消える訳にはいかない気がした。
『■■■去■■敗 ■ノ■■合 完■ ■■■了』
何かの音が聞こえた途端、目が覚めた。意識がハッキリせず、視界が朦朧としている。先程まで何か変な夢を見ていた気がするが、何を見ていたのか分からない。目を擦って視界を元に戻すと、周りが岩に囲まれていた。私は岩を這い上がり、周りを見渡した。すると、そこには有り得ない光景が広がっていた。ゴブリンやコボルト、ウルフ、オークにジャイアントスパイダー、そしてサイクロプスがそこに倒れていた。寝ているだけなのか?と思い、物音を立てずに近付いてみる。魔物の様子を見ると、全部の魔物が何かで貫かれた様な傷を残して息絶えていた。何が起きたのか分からないが、この場にいる魔物達は全員死んだようだった。
「誰かが来たのかな。……もしかして、イルズ達?」
周りを見渡し、耳を澄ませたが何も聞こえない。先に進んだのだろうか?そう悠長に考えていたが、ようやく自分の身に起きたことを思い出した。私は自分の身体を見てみると、あれだけ傷だらけだった身体に傷一つ、それも古傷すらなくなっており、それはもう生まれたままの姿の様にになっていた。そう、生まれたままの姿に……。
「――ッ!」
私は咄嗟に身体を隠した。何故裸になっているのか分からない。自分の服を探そうと目覚めた所に戻るが、そこにあるのは服であったであろうボロボロの布切れと、原型を留めていない装備しかなかった。
「こんな姿を誰かに見られたら――ッ!」
私は慌ててもう一度岩を這い上がった。念のため周りを見渡し、誰も居ないことを確認した。しかし、着れそうな服を探すにしても、こんなところにそんな物がある訳がない。となると、
「魔物から剥ぐしかないか。」
私は身体を隠しながら、ゴブリンやコボルトの死体を探っていった。近くにある死体から探るが、穴が空いていたり、ボロボロで隠しきれない布切れしかない。それでも、何体も何体も死体を探っていった。その時、
「ギギッ!」
後ろからゴブリンの叫び声が聞こえた。私が振り向こうとした瞬間、後ろから突き刺された。痛みが走り、剣の刃が私の胸に貫いていた。私はそのまま膝を着き、血が剣を伝って胸から落ちるのが見える。折角生き抜いたのにまた死ぬなんて思っていなかった。私は諦めて目を瞑った。
……しかし、いつまで経っても痛みが消えない。目を開けると、血が流れて地面に血溜まりが出来ているのが見える。すると突然、胸に突き刺さった剣が抜ける。
「――アァッ!」
私は痛みで声を出してしまった。でも、まだ生きていた。
「ギッ?」
ゴブリンが不思議そうな声を出した。私は痛みに耐えながら立ち上がり、後ろを振り向いた。ゴブリンは驚き、剣を落として逃げていく。それを見送り、私は自分の身体を見る。胸から身体を伝い血が垂れ落ちている。こんな量の出血したら確実に死んでいる。そもそも、胸を刺されて死なない人なんて居るわけがない。状況に困惑していると、いつの間にか痛みが消えているのに気が付いた。私は慌てて刺された胸を触ると、出血もなくなっている上に刺された傷口もなくなっていた。
「どうして……!?」
私は確実に刺されていた。痛みだってあった。血も沢山流れていた。手にはベッタリと自分の血が付いているし、刺された剣もここに落ちている。それでも生きている。一体、私に何が起きたの?まだ夢の中に居るのだろうか。何が何だか分からず、頭が混乱してきた。……しかし、いつまでもこうしている訳にもいかない。落ちている布切れで手や身体の血を拭うが、綺麗に取れることはなかった。仕方がないので、そのまま再び着る物を探し始めた。
探し回ってようやく、着れそうな物を集められた。お腹が隠しきれていないが、胸とか下の方は隠せているから、取り敢えず問題はないだろう。それから、防具や剣も状態の良い物を見つけられた。
「これでよし。後は……。」
私は再び、目覚めた場所に戻った。散らばっている装備から、自分のポーチを手に取った。ポーチはボロボロになっている。ポーチの口を開けて中を探る。中身は殆ど使えそうな物はなかったが、中から1枚の硬い板を取り出した。
「ギルド証……。」
『ニーシェ・ウィル・ドゥール』と、自分の名前が書かれたギルド証だ。私が持った事で、ギルド証がほんのりと輝いている。
冒険者ギルドから依頼を受けるためには、必ず何処かのギルドで、複数のギルドを統括する組織に登録しなくてはならない。登録が完了したらこのギルド証が渡される。ギルド証は特別な材質で出来ており、登録した本人の魔力に反応してギルド証が輝く。別の人が触っても反応しない為、身分証にもなり、街に出入りする際に提示すればすんなり出入りが出来る。他にも使い道や機能があるが、私はあまり使ったことがない。
「……。」
私はポーチにギルド証を入れ、そのままポーチを元の場所に戻した。もし、これを持って何処かの街に行ったとしても、それがギルドに伝わり、やがてイルズ達にも伝わっていくかもしれない。きっと、イルズ達は私が死んだと思っている筈だ。私が生きていると、迷惑が掛かるかもしれない。それに私は少なくともここで死んでいた。死人が生者に戻ることなんてない。『ニーシェ・ウィル・ドゥール』はここで死んだ事にするべきだ。私は手を合わせて祈りを捧げた。自分に祈りを捧げるのは変だけど、今までの自分との別れを告げる為だ。
「さぁ、行こう。」
私は自分にそう言い、また岩を這い上がった。