第31話 決別の時
日が昇り、窓から射す朝日で僕は目覚めた。ベットから起き上がって身体を伸ばし、開ききらない目を擦る。そして、窓の外をボーっと眺めた。
(あぁ、そうだ。王都に戻ってきたんだ……。)
僕はベットから立ち上がり、眠気を払いながら服を着替え始めた。着替えている間、今日中にやらなくてはいけない事を頭でまとめていた。それらを終えなければ、ヴィオさんとの旅に出るのに支障が出るかもしれない。やらなくても、きっと皆は僕の事を忘れるだろうけど。それでも、終わらせなくては僕自身の気持ちが落ち着かない。
「……!」
緊張からか、僕の両手が小刻みに震え始めた。覚悟を決めているとはいえ、実際にやるのとは違う。どうなるか予想をしてみても、どうにも嫌な予感が頭を過っていく。そのせいで余計に身体が震えていく。
「(決めたんだ。僕は……。)」
小さな声で、自分に言い聞かせる様に言った。それでもこの震えは止まる事がなく、少しずつ大きくなり始めた。更に心臓の鼓動も大きく聞こえてくる。僕は落ち着こうと、ベットに座って身体を丸めて両肩を抱き締めた。そして自分を励ます様に、肩をさすりながら小さな声で自分に語り掛けた。
「(大丈夫……大丈夫……。きっと、やれる。)」
何度も、何度も、同じ言葉を自分に語り掛ける。深呼吸をして呼吸を整え、目を閉じて更に落ち着かせようとした。しかし、今まで一人きりだった頃の出来事が頭を過る。何も聞こえないほど静かな筈なのに、耳元から大きな声が聞こえてきた。大勢の人達から蔑まれ、罵倒される声が頭に響く。手の震えはやがて全身にまで広がり、心臓の鼓動は破裂しそうな位大きくなる。それでも落ち着こうと何度も、荒く、深呼吸を続けた。
ふとそんな頭の中に、ヴィオさんの顔が浮かぶ。そして、僕を旅に誘ってくれた時の事を思い出した。ヴィオさんは唯一、僕に優しくしてくれて、あの日々から救い出してくれた。その事を思い出すと次第に震えはなくなり、心臓の鼓動も落ち着きを取り戻した。僕は目を開けて、窓のから射す日を見た。
「……決めたんだ、僕は。ここで震えている場合じゃない。」
僕はそう独り言を言って立ち上がり、ポーチを肩に背負って部屋から出ていった。
王都の街中を歩き、一つ目の目的の場所へと向かった。その道中は色んな人達が行き交っていたが、目的の場所に近付くにつれて同じ服を着た人達で溢れていった。その人達とすれ違うと、僕の顔を見て笑って通り過ぎていく。その光景は、久しぶりながら変わらない光景だった。僕はそれを気にせずに歩いていく。
そうして歩き続けていると、高い塀に囲まれた場所に突き当たった。そこから塀に沿って歩いていくと、大きな門がそびえ立つ場所に着く。開いている門の正面に立って見上げると、その先には大きな建物が建っていた。ここは『英雄の為の学園』と呼ばれている、『エルヴィア英雄学園』だ。多くの英雄になろうとする人達が集い、数多くの英雄達が生まれた由緒正しい学園だ。僕もここに通っている。というよりも、通わさせられていると言った方がいい。今は学園が長期休みであるのだが、それでも自主的に通っている生徒も多く居る。ここまで来る時にすれ違った人達もそうだし、まだ学園内にも大勢いるだろう。
(あまり同級生達に会いたくはないけど、今は我慢すればいい。)
そう思いながら学園へと足を踏み入れた。
廊下を進み、通り過ぎていく生徒や教師の視線を感じながら、学園のある人に会いに歩いていく。その人は特別な事がない限り、休み中でもこの学園に居る。今日もきっと居る筈だろう。本当はその人に直接行くなんてありえないだろうが、他の人に会いに行ったら余計な面倒事が起きるだろう。それに一応、僕はその人と関わり合いが多い。少なくとも、他の人達よりも話を聞いてくれる。そう思って、僕はその人に会いに行こうとしている。
そうして学園を歩き続けると、目的の場所の部屋へと着いた。僕は大きく深呼吸をして、扉をノックしようとする。すると、
「お入りなさい。」
そう中から女性の声が聞こえた。僕は少し驚きつつも、
「……失礼します。」
そう言って、扉を開けて中へと入っていった。
中に入ると、一人の女性が大きな丸窓から外を眺めていた。僕はその後ろ姿に緊張しながら、前へと歩いていく。そして、
「ディアヌス・エルヴィア・アルバレスです。突然のご訪問をお許しください、『学園長』。」
そう言って頭を下げて戻す。すると、学園長は僕の方へ身体を向け、自分の椅子へと座った。
「何の用でしょうか?ディアヌスさん。……以前お話しした学費の免除についてでしたら、此方の考えは変わりません。それとも、用意が出来たのでしょうか?」
学園長はそう淡々と話していく。僕は直ぐに、
「いえ、その件ではありません。」
そう言ってポーチの中から一枚の封筒を取り出し、それを学園長へと渡した。
「これは?」
学園長は不思議そうにそれを取り、中に入っている畳まれた紙を取り出した。そして、紙を開いて見始めた。……学園長が中身を読み終えた頃、学園長の表情が少し変わった。紙を机に広げて置き、僕の方へと顔を向けた。そして、
「これは、一体どういうつもりでしょうか?」
少し低くなった声で聞いてきた。
「書いてある通りです。――僕は今日をもって、この学園を退学させて頂きます。今までお世話になりました、学園長。」
僕はそう言って、学園長に軽く頭を下げた。すると、
「アルバレス様は、この事をご存知なのですか?」
学園長は椅子にもたれ掛かって聞いてきた。その様子は、どことなく僕に呆れている様な雰囲気を出している。
「いえ。父様にはこの後にお伝え致します。」
「……そうですか。」
学園長は何かを考える様に、額に指を添えた。そして、椅子を回転させて窓側へと向いた。
「良いのですか?少なくとも、この学園から卒業さえしていれば、今の貴方の状況は多少は良くなる筈ですよ。貴方の成績は先ず先ず良いですから、卒業は出来るでしょう。後数年、この学園に居続けるつもりはないのですか?」
「はい。もう決めましたから。」
僕は即座に返答した。学園長はそれを聞き、「フゥー……」と小さな溜息をついた。
「貴方には期待していた事がありましたが、その決意が固いのなら仕方がありません。……後悔はありませんね?」
「はい。」
僕が返事をすると、学園長は再び机の方へと向いた。そして、筆を執って僕が出した退学届にサインをしていく。最後に判子を強く押して立ち上がった。
「ディアヌス・エルヴィア・アルバレスを本日を以て、本学園から退学とさせて頂きます。」
僕はそれを聞き、学園長にお辞儀をした。そして、静かに部屋から出ようとした。すると、
「一つ、聞かせてください。何故、この様な選択をしたのですか?」
学園長はそう聞いてきた。僕は立ち止まり、学園長の方へ振り返った。
英雄の家系で生まれ、期待外れの実力でヌーバスとして認定され、ずっと周りから蔑まれていた。ずっと辛く、苦しい日々だった。けど、あの人に逢えて僕の世界は変わった。
「今まで見てきた世界は、本当に小さな世界だったんじゃないかなって。ある人に出逢えて、そう思えたんです。」
僕はそう答え、再び頭を下げて部屋から出ていった。そのまま学園の外へ向かって、止まる事無く歩き続けた。
学園から出て、もう一つの場所に向けて歩いていった。そこは僕にとって一番行きたくない場所であり、旅に出る為に行かなければいけない場所だ。まだまだ遠い筈なのだが、その場所に近付いていくにつれて心臓の鼓動が高鳴り始めてきた。
「(フゥー……フゥー……。)」
ゆっくりと、大きく深呼吸をしながら歩いていく。これ程に緊張するのは初めてかもしれない。それでも僕は、足を止める事無く歩き続けた。
そうして、目的の屋敷に通じる門へと辿り着いた。僕は門の先の大きな屋敷を眺めていた。
(ここに来るのも久しぶりだ。)
そう思っていると、
「そこの者、何者だ?」
門の向こうから声を掛けられた。僕はゆっくりと、その声の方向へ顔を向けた。その人はじっくりと僕の顔を見て、ようやく気付いた様だった。
「これはディアヌス様ではありませんか。一体どうかされましたか?」
門番は門越しに聞いてきた。
「父様は屋敷に居られますか?」
「え、ええ。本日はいらっしゃいますが、旦那様のご用件であれば私が承りますよ。」
「いえ、父様と直接話したい。」
僕は強く返事をすると、門番は困惑した表情を浮かべて考え始めた。そして、
「少々お待ちください。執事長とお話をしてまいります。」
門番はお辞儀をして、駆け足で屋敷の方へ向かって行った。僕は静かに、門番が戻ってくるまで待っていた。そして少し経ち、門番が屋敷から戻ってきた。
「屋敷の中までお越しください。執事長がお話を伺いますので。」
門番はそう言って、門を開けてくれた。僕は門番に軽く頭を下げて、屋敷へ向かって歩いていった。
屋敷に着き、大きな扉を開けた。すると、執事長が直ぐ目の前で待っていた。
「お久しぶりです、ディアヌス様。」
そう言って、執事長は僕に軽く頭を下げた。僕は直ぐに、
「父様に話をしに来た。」
そう言った。しかし、
「旦那様は今、執務中で御座います。お話なら私めがお伺い致します。」
表情を変えずにそう言われた。仕事中なら仕方ないが、それでも僕は直接に話を付けたかった。
「直接父様と話をしたい。だから、執務が終わるまでここで待っている。ほんの少しだけ話せればそれでいい。」
「……どうしてでも、でしょうか。」
僕は真っ直ぐ執事長の顔を見て頷いた。執事長はそれを見て、少し考え始めた。そして、
「ふぅ……。お話を聞いていただけるかは分かりませんが、聞いてみましょう。しかし、旦那様は忙しいのです。お手を煩わせないで下さい。……では、執務室の方へ。」
執事長は溜息をつきながら言い、執務室の方向へ歩いていった。僕は執事長の後を追っていた。
執務室の前に着き、執事長が一人で扉を開けて入っていった。僕は静かに、扉の前で待っていた。すると、
「旦那様、お仕事中に失礼致します。ディアヌス様が旦那様にご面会をされたいとの事です。如何なさいますか?」
扉越しに執事長の声が聞こえる。僕は聞き耳を立てて、中の会話を聞き始めた。
「何の用だ?」
「それが、直接に旦那様とお話をされたい様で御座います。それも、話すまでは居続けるかもしれません。」
「チッ。出来損ないごときが。そんな奴に時間を割く理由はない。」
「では、追い出しましょうか?」
「……まあ良いだろう。少し、休憩がてらに話を聞いてやる。ただし、長話をする気はない。」
「かしこまりました。」
その声の後、執事長が扉を開けて出てきた。そして扉を大きく開けて、中に入るように手を部屋の方へ差し出した。僕はそれを見て、部屋の中へと入っていった。部屋に入ると、父が机に肘を置いて頬杖をついていた。僕は部屋の中心まで歩き、
「お久しぶりです、父様。」
そう言って頭を下げた。
「下らん挨拶の為に来たのか?貴様の為に時間を割いてやっているんだ。さっさと要件を言え。」
父は高圧な口調で言った。相変わらずこの人は変わっていない様で、僕に興味や関心などなさそうだった。する気はないが変に世間話をしても、大切な事を話す前に帰されてしまいそうだ。僕は早々に要件を話した。
「先程、学園の方へ退学届けを出させて頂きました。」
「――何だと?」
父は少し驚いた表情をしていた。それは僕にとって意外だった。家の名誉なんかの為に学園には入れさせられていたが、学費は一切払って貰えずに自分で稼いでいた。学費を納められてなければ、僕はどこかしらで退学はしていた。退学なんて想定は出来るだろう?しかし、そう思ったが、
「貴様はまだ私に恥をかかせたいのか?出来損ないの分際で。……せめて、その学園に居る間に死ねば良かったものの。そうすれば、多少は名誉ある死として記録はされただろうに。」
……この人はこういう人だ。常に自らの利益とこの家の名誉の事しか考えていない。あの学園に入れさせたのも、そこで死んで貰いたかったんだ。確かに、あの学園で亡くなる人は居る事には居る。しかし、あの学園は英雄を目指す人達が集う場所だ。死と隣り合わせでも英雄になれるのなら、それぐらいは殆どの人達が許容範囲だとして許されている。僕が死んだとしてもある意味、家の名誉の為の死だとされたのだろう。だとしても、これ程の扱いをされていたとしても、実の親に死んで欲しかったなど言われたくはなかった。……父のその一言が、僕に決意を固めさせた。
「なので今日、この時を以て、僕はこの家の名を捨てて旅に出ていきます。」
「……何?」
「僕は二度と、貴方方とも会うつもりも、関わるつもりもございません。――ただ、このディアヌスという名前だけは頂きます。それとヌーバスの称号も。」
僕は早口で話していった。父はずっと僕の顔を見ていた。呆気に取られている訳ではなさそうだけど、静かにしている事に不気味さを感じる。早くこの場を去ろう、そう思っていると、
「お前がどこに行こうとも、どこで死んだとしても、この家の名を汚さなければどうでも良い。だが、一つだけ言っておこう。出来損ないは何をしようとも、出来損ないである事に変わりはない。精々、どこかでの野垂れ死んでいるといい。」
父はそう言い、手を払って窓の方へ向いた。執事長は静かに、僕に退出するように仕草を見せた。僕は最後に父へ頭を下げ、部屋から出ていった。そして、一刻も早くこの家から去ろうと、足早に玄関へと向かっていった。




