第11話 勝敗
奥に前のめりになってマスターが倒れている。動いてはいないが、まだ倒し切れていないだろう。私も斬られた傷が治りきっておらず、激痛で前へ四つん這いの姿勢で倒れる。
「ハァ……ハァ……。」
傷がいくら癒えようとも、疲労は傷と一緒には癒えない。身体全体が疲労感に襲われ、身体が小刻みに震える。今まで、これ程の疲労に襲われた事はなかった。もうこれ以上は戦える気がしない。
<ガタッ……>
何かが落ちた音が聞こえた。目の前を見ると、マスターが立ち上がっていた。そして、剣を肩に乗せて、此方へゆっくり歩いてくる。私は脚に力を入れ、なんとか立ち上がる。しかし、立ち上がるのがやっとで、脚がガクガクと震えていた。もう一度血の剣を作ろうとするも、血を思う様に動かせない。
(もう……限界だ。)
遂には立っていることも出来ず、その場に座り込んでしまった。顔を上げるのも辛いが、マスターの方へ向き続けた。
やがて、マスターがゆっくりと私の前へ辿り着いた。その表情は、まるで獲物に止めを刺す様な表情をしていた。身体から血を流しているが、まだ戦えそうに見える。もう駄目だと、そう思った時、
「その疲労は、戦技を使った事による反動だ。」
マスターはそう言うと、腰から鞘を抜いて剣をその鞘へ納め、その場に胡座をかいて座った。
「その様子を見ると、今の今まで戦技を使わず、隠していた様には見えん。一体、何をしたんだ。」
マスターは笑いながら、問い掛けてきた。私は呆気に取られていた。
「どうして、剣を納めたの?」
私はそう質問した。
「ならば逆に聞こう。何故、止めを刺せた筈なのに、止めを刺さなかった?返答次第では、直ぐにでも続きを始めてやろう。」
マスターはそう質問を返してきた。下手な返しはしない方がいいが、私の中では戦いが始まった時からこの事しか頭になかった。
「私は……、私は此処から出られればそれで良かった。もし死んだとしてもそれで良い。……だって、貴方を倒すのは私じゃないから。」
私はそう言い返した。話が出来ないマスターなら、あのまま倒さざるを得なかった。けど、このマスターは話が通じている。すると、マスターは真剣な眼差しを向け、剣を鞘に納めたまま私の肩の上に当てる。
「なら、誰が俺を殺すんだ?」
私は力強くマスターを見た。
「――イルズ、イルズ・ワーカー。そして、ここに一緒にきた仲間達。彼らが貴方を倒しにくる。」
そう答えた後、私達の間に静けさが覆う。私の手は自然と握り締めており、手汗が滲み出てきた。
「フッ……フッハハハハハハハハ!」
静寂を破って、マスターが大笑いをした。
「あの小僧共が俺を倒すだと?単眼の巨人にすら勝てなかった小僧共がか?笑わせる。」
「勝つ!皆なら必ず!」
私は真剣な眼差しを向け続けた。マスターは次第に笑うのを止め、剣を肩へと戻して私の顔を見た。
「何故、そこまで信じている?お前を見捨てた仲間共。あれだけ打ち負かされ、戻ってくるとは思えん。それにイルズという少年は、お前を殺そうとした男だぞ。それなのに何故?」
私は身体の力を抜いて答えた。
「イルズは……、彼は英雄になる子だよ。その為に必ずここに戻って、そして貴方を倒す。――絶対に。」
そう答えると、再び静寂が訪れた。私はその間、ずっとマスターの顔を見ていた。すると、マスターは大きく息を吸い込んで吐いた。
「もし、お前の言う通りその仲間達がここに来たとしても、俺は一切手加減はしない。殺してしまっても文句を言うなよ。」
「大丈夫。そんなことはないから。」
そう言うと、マスターが突然立ち上がった。流石に怒らせてしまっただろうか。しかし、マスターは大声で笑い出した。
「フッハハハハ!俺の負けだ負け!いつかのように、負けた上に生かされてしまった。だが、久しぶりに満足したぞ。」
そう笑いながら、広間の奥へ歩いて行った。私は『満足』という言葉を聞いて、ふと疑問を持ってしまった。
「私がした戦いはあんな卑怯な戦いなのに、どうして満足するの?」
このマスターは生き死にを賭けた戦いを望んでいた筈なのに何故、卑怯な方法で勝った私の戦いに満足するのだろうか。
「卑怯?確かにそうかもしれん。だが、戦いとは生き残った者が勝者、死んだものは敗者。そこにどんな卑怯な戦いでも、卑劣な手段を用いろうとも、最後は生き残れば良い。俺が望んでいる戦いとは、そんな戦いの中を生き残り続ける事だ。……生かされたのは恥ではあるが、次の楽しみは出来た。後はそれを気長に待つだけよ。」
マスターはそう言って座った。私にはその考えが分からないが、マスターが良いと言うなら気にしない事にしよう。
「さて、一つ問い掛けを返して貰っていない。何故、突然戦技を使える様になった?」
笑いながらそう問い掛けてきた。私はその時の事を、包み隠さず話した。
「流れた血を身体に戻した時、貴方が流した血が私の血と混ざって、私の中に入っていった。そしたら、突然見覚えのない記憶が頭に流れたの。幾つもの戦場で迫りくる敵を、その剣と戦技で薙ぎ倒していく記憶を。それで自分でも分かっていないけど、何故だかその技を使える様な気がして、賭けてみたの。」
「そして使えたと。ふむ……。よく分からん力だ。まあ、俺の真似事をしてその無様では、まだまだ未熟者だな。」
実際にそうだから否定は出来ない。しかし、使い方が分かれば、後は鍛練して鍛えれば良い。ただ、必要になるかは分からないけど……。
そんな事を話していると、ようやく身体に力が入る様になった。私はふらつきながらも立ち上がる。そして、マスターの方へ歩いていった。
「それじゃあ、私をここから出して貰える?」
「ああ良いだろう。ただ、少し待て……。」
マスターは何かを考える様に上を見上げた。私は黙って様子を見ていた。気が変わって帰そうとしないつもりだろうか。すると、マスターがこちらへ向いた。
「名はなんと申す?」
「……ニーシェ、ニーシェ・ウィル・ドゥール。けど、私は一度死んだし、この名前はもう使わないつもりだけど。」
「フッハハハハ!……確かにお互いに一度死んだ身であったな。私は、名は『弦慈』、姓は『魅羅雲』、『魅羅雲 弦慈』だ。西方の国で戦いに飢えていた一人の武士よ。」
そう言って、マスターは自分が持っていた剣を前に出した。
「これを死した戦士へやろう。勝者への餞別だ。」
しかし、その剣は私が扱うには巨大すぎる様に見える。貰った所でまともに扱うことが出来ない。受け取る事を躊躇していると、
「いいから受け取ってみろ。手に取れば分かる。」
そう言われ私はマスターの前へと進み、両腕を前に出してマスターはその腕の上に剣を落とした。両腕に落ちた瞬間、ずっしりと重みが掛かる。やはり、私が扱うには巨大すぎる上、重すぎてまともに振る事も出来ないだろう。そう思っていると突然、剣がカタカタと震え始めて少しずつ小さくなり始めた。そのまま持っているとやがて動きが止まり、剣先を地面に付けて垂直に立たせた。剣の全長が私の身長より長い長さになり、柄は私の肩あたりから頭の上までと普通の剣よりも長く、両手で持っても余るぐらいの長さだ。剣を倒して鞘を見ると、一種類の花が鞘に満遍なく描かれている。鞘から少しだけ抜いてみると、刀身の表面は傷一つなくとても綺麗で、分厚く鋭い片刃になっている。重さはまだ重いが、両手に持つなら扱えない重さではない。とはいえ、少々扱うのには慣れが必要になる。
「我が家の家宝、妖刀『斬竜鬼政』だ。持ち主の力を感じ、それに合わせて刀も適合する。最初に持ったかつての所有者が、その刀で竜の首を一刀両断した事でその名が付いたそうだ。」
私はそれを聞いて驚いた。
「家宝って、そんな大切な物を私なんかに渡しても良いの!?」
「ああ。元々、我が家の家督の候補だった俺に渡された物だ。ま、その面倒臭い家督争いに巻き込まれる前に、あの国から出ていったがな。それに……」
マスターは何かを言おうとしていたが、途中で私から目を逸らして黙ってしまった。昔に何かあったのだろうか?そう思ったのと同時に、
(それって結局、これを盗んだ事なのでは……?)
そう考えてしまい、少し戸惑ってしまった。私はもう一度剣……ではなく、刀と呼ぶ武器を見た。今までこの手の武器は扱ったことがないが、きっとどうにかなるだろう、そう不思議と思った。綺麗な刀身を見つめると、刀身に顔が映る。そこには、青みが掛かった青紫色の髪をした女の姿が映っていた。私は片手で刀を支え、もう片方の手でそっと自分の髪を触った。刀身に映る女も、同じ様に動いた。私の元々の青い髪が、青紫色に変わってしまっていた。
(この力を得た影響なのかな。)
私は刀を両手を握り締め、鞘へと戻した。
「それともう一つ……。」
私は再びマスターの方へと向いた。すると、マスターの表情がどこか呆れた様な表情をしていた。そして、後ろの部屋に向けて指を指した。
「ここから出る前に、その服をどうにかせんとな。奥の部屋に着れる物がある筈だ。ついでに、そこにある物も持っていくと良い。」
そう言われ、私は慌てて自分の身体を見る。そこには、ボロボロになった防具や服が、素肌を隠せずに晒していた。
「――ッ!」
私は直ぐに刀を抱き抱えて身体を隠し、奥の部屋へと走っていった。
「フッハハハハ、若い若い。」
心なしか、馬鹿にされたような笑いが後ろから聞こえた。




