魔王ちゃんと幼さを残す異形
「うぉっと、なんだ?」
「リョカお姉ちゃん……」
突然の轟音と、さっきからあり得ないくらい濃い戦闘圧。どう考えても僕の幼馴染の仕業で、様子を見に行ってくると瞑想を始めてしまったルナちゃんを待っている間、僕は怖がっているエレノーラちゃんを抱きしめていた。
「ミーシャ、一体何してんだ?」
あっちにいる面々がこれだけの力を出さざるを得ないということは、そのゲンジ=アキサメという老人は相当に強いのだろう。
とはいえ、ここから支援が出来るはずもなく、そもそもこの音と気配、多分向こうは片が付いたはず。
僕はエレノーラちゃんをなでなでし、もう大丈夫だと声を掛けた。
「ねえお姉ちゃん、なんだかね、変な感じなの」
「変? どこか痛い?」
「ううん、なんだろう。エレも、お父様も、これをずっと待っていたのかなって」
どうにも要領の得ないエレノーラちゃんの発言に首を傾げるのだけれど、エレノーラちゃんが遠くを見つめ始めた。
その瞳は何も映っていないかのように空っぽで、しかし確かに彼女は何かを見ている。
「頭、痛い」
「大丈夫? 少し横になる?」
「……ううん、多分エレには、もう、必要ないから」
そう言ったエレノーラちゃんが力なくだけれど、可憐な笑顔を向けてくれる。
「エレノーラちゃん、僕は――」
「ねえお姉ちゃん、お外のお話を聞かせてよ。エレね、この世界がどんなものか知りたいの」
「……ああ、いいよ。ああそうだ、ついでにエレノーラちゃんにはとっておきの秘密も話しちゃう。知っているのは僕とそこのルナちゃんだけなんだよ」
「本当? ありがとうお姉ちゃん」
「じゃあそうだね、まずは、うん、嫌われ者のおっさん、世界に立つ。なんて題名はどうかな?」
「おっさんぅ?」
「そう、昔から勉強ばかりやっていて遊びなんて言語道断、人なんて消耗品程度にしか思っていなかった少年がそのまま捻じり曲がった大人になって、大人になってからも他人を見下して、道具あつかいして、気が付けば周りに誰もいなくなって、気が付いたら可愛いものに憑りつかれたおじさんが、憐れにも死んでしまい、気が付いたら求めていた姿になって世界に立つって言うお話」
「悲しいお話なのか、嬉しいお話なのかわからないね」
「うん、そうかも。でもきっと嬉しいお話なんじゃないかな? 少なくとも、そのおっさんは今までの人生を後悔してはいない。1人になったのも自業自得だし、今さら善人面しようとも思わない。でも、それでも、私は憎んでいたんだと思う」
「お姉ちゃん?」
魔王になる条件は、世界への怨みだ。世界が憎くて憎くてたまらない。だから壊してしまおう。それが魔王の原動力。
でも僕は――私は、この世界を恨んでいない。しかし魔王になった。恨んでいた、世界を。
1人になった寂しさを、誰からも気が付いてもらえない孤独感を――挙句の果てに、私が今まで捨ててきたものと同じように投げ捨てられたことに対する怨みか。
どのような理由にしろ、私は逆恨みもはなはだしい理由で、魔王への権利を手に入れてしまっていた。
「おっさんはね、すっごく可愛い美少女になったんだよ。それだけじゃない。今まで散々な生き方をしていたのに、この世界はおっさんを受け入れてくれたの。お父様もお母様も、幼馴染もご近所さんも、おっさんに関わる全ての人々が優しくて、受け入れてくれて……」
僕はエレノーラちゃんを抱っこしながらその場に腰を下ろし、胸の中に納まっている小さな、本当に小さなその異形を抱き締めながら話を続ける。
「ねえエレノーラちゃん、この世界は、とっても優しいんだよ。知ってる? 王都にある僕の家の近くのパン屋さんはね、登校中の子どもたちに試食って言って小さなパンを配ってくれるんだよ、街を綺麗にしているお爺さんはね、毎日挨拶してくれるんだ」
「……」
エレノーラちゃんが黙って話を聞いていた。
その表情から僕はなにも読み取れない。どのような経緯でここに立っているのかも聞いていない。
けれど、僕は、私は、この子がここに立っているのは、奇跡なのではないかという予感がしている。
「エレは、ね。きっと、そういうのを見たことがないんだと思う」
「どうして?」
「わからない。でも、ううん……やさしさ。うん、エレは知ってるよ。でも、きっと知らない。覚えてない。ううん、塗りつぶされて、怖い怖い人たちが、目の前に。違う、エレは、私は――っ!」
荒い呼吸を始めたエレノーラちゃんを僕は強く抱きしめた。そして大きく息を吸うと、声にありったけの優しさを込めて歌を唄う。
子守唄なんて歌えない。そもそも、やっぱり僕の歌は、人を夢中にさせる歌で在りたい。
だからこそ、僕はこの歌をエレノーラちゃんに届けたい。
心のどこまでも、隅々まで。
「あ、う? あれ」
「エレノーラ、多分だけれど、僕に君は救えない」
「……はい、エレも、きっと誰にも救われることはないと思っています。でも」
「救える人はいるんだろうね」
「リョカさん、まだ、お話を聞かせてもらえますか?」
「うん、もちろん。でもその前に」
首を傾げるエレノーラに苦笑いを向けて、僕は先ほどから固まったままのルナちゃんを見た。
「ぷはっ! 大教会を単騎で行なうのは危険すぎます! ってあら? 驚いた拍子に戻ってしまいました。わたくしとしたことが」
「おかえりルナちゃん、ミーシャは相変わらず元気だった?」
「元気過ぎて大聖女超えましたね。あそこまでいくとわたくしたちの手に負えなくなってきます、だからリョカさん、しっかり見守ってあげてください」
僕はルナちゃんの言葉にうなずいて返すと、隣にいるエレノーラと顔を見合わせる。
「また話す内容が増えたみたいだよ」
「うん、楽しみ」
上品に笑うエレノーラと、首を傾げているルナちゃんの手を引き、僕はまだまだ続きそうな階段を上がっていくのだった。




