魔王ちゃんと夜を晴らした時
「表しらぬい――」
「遅い! 『銀姫に倣う夜の雫』」
ギンさんがシラヌイの技を使用する寸前、僕は夜を彼の周辺に撃ちけん制、動きを制限して真っすぐとギンさんに向かって歩みを進める。
「ヨリ待ってくれ! ギンさんは――」
「……」
「ツキコ、どうして」
コークくんの腕を引っ張るツキコに、彼は顔を歪めた。
ツキコには損な役回りをやらせてしまった。あとでたくさん撫でてお菓子をあげて精いっぱい甘やかそう。
「足りないんだよ。ねえギンさん、生きたいって言ったでしょ? それなのにこの期に及んでまだ届かせないのか」
「――」
そう、足りない。
この男はきっとコークくんたちのおかげでその夢を見ることを諦めなくなった。でも足りてない。肝心な部分で彼はその結末を許容している。
「お前今コークくんに助けてって言っただろ! それなのに、お前その夢を抱いて死のうとしてるな?」
「……」
「――なっ、なんでだよギンさん! 俺たちが――」
「……いいんだよコーク、俺はな、嬉しかったんだ」
ギンさんが微笑んだ。
諦めとも違う。受け入れたとも違う。彼は確かに前を向いて歩み出した。
でも違う。決定的に違うのは、コークくんたちが望む運命と、彼が辿らなければならないと思い込んでいる結末が異なっている。
だから僕には彼のそれが視えない。
「コーク、俺を助けるということはな、あの男と、あの怪物と戦わなければならないということだ」
「そんなの、俺たちも――」
「無理、あれと目を合わせただけで君らは死ぬ」
「そんなの――」
「ヨリお嬢ちゃんの言う通りだ。奴の力は――」
「ギフトの焼却、それによって聖女の生命力も勇者の聖剣も霧散するように消えていく」
「……驚いたな、お嬢ちゃんはそこまでエンギを調べたのか」
太刀を構えたままギンさんが感心したようにうなずいた。
彼らは知っているのだろう、エンギ=シラヌイが最も強いのだと――馬鹿げている。
「そんな、そんなの……」
「コーク、俺の体、いや魂にはな、エンギの傀来がかけられている。俺の体の中にあるギフトを燃やし続け、時機に魂すらも燃やし、そして最後には……」
「本来の傀来が発動し、心も肉体も変異した化け物へとなり替わる」
「……そういうことだ」
コークくんだけではない。レンゲちゃんもサジくんも、バッシュくんも唖然とした表情でギンさんに目をやった。
「だがなコーク、お前たちのおかげで俺は世界を恨もうなんて気もなくなったよ。どうしてこんな家に生まれたんだと何もかもを憎んだこともあった。でもそれはもう――」
「ふざけんな」
「……ヨリ?」
「コークくんたちがどんな気持ちでここに来たのかわかってんのか?」
「仕方のないことなんだ。今あの聖女や金色炎、それに風切りがいるようだが、それでも届かない」
奴は最強だ、誰にも倒すことは出来ない。だからせめて――ってか? この男は本当に何もわかっていない。
「コークたちは俺が連れて帰る。だが、その後は――」
「ふざけんなって言ってんだよ!」
僕の怒号に、コークくんたちが驚いたような表情を浮かべた。
ヨリでいる間は多少は大人しくしていた。感情を爆発させたこともなかったし、彼らは僕のことを冷静なちびっ子だと思っていたのだろう。
でも僕は、このギンという男の態度も、見据えた未来も、その何もかもが気に入らない。
「せめてコークくんたちを守ろうとでも思ってんだろ」
「ああ――」
「自惚れんな、あんたの力なんてなくてもコークくんたちは自力で生き延びる。それだけの力を得た」
「だが足りない――」
「いつまでこの子たちの前に立ってるつもりなんだ!」
「……」
「ギンさん、あなた今、この子たちと戦ったんでしょ。強かったでしょ? 見違えたでしょ? もっと信じてあげてよ、もっとこの子たちと並んで歩いてあげてよ」
「お嬢ちゃん……」
どうにも子どもっぽく頬を膨らませてしまう。
コークくんたちはギンさんと対等になった。あの子たちもそう思っているだろう。でも肝心のギンさんがそれを認めていない。
いつまでも彼らを引っ張るんだとその手綱を下ろさない。
それじゃあ駄目だ、それじゃあこの子たちが歩んだ軌跡が、もがいてきた道のりが、全部全部無駄になる。
私はそれを無駄にしてきた。だから――。
「優しいか無関心かの違いしかないんだよ。結果は同じだ」
「君は、何を」
「もっとコークくんたちを見てあげてよ」
「……だが、それでもエンギには――」
「届くよ」
「なに?」
「最初の違和感はジンギくんが奴に傷をつけたことだ」
「ジンギ……確かにエンギに傷をつけた冒険者がいると」
「あいつは無敵じゃない。あいつは所詮、この世界の住人だ」
「……さっきから聞いていれば、まるでお嬢ちゃんならあいつを倒せると言っているようだな」
「倒せるよ」
途端、ギンさんの気配が鋭いものとなった。
激昂しているわけでもない。でもきっと彼にとって僕もその対象なのだろう。
「行かせるわけにはいかない。お嬢ちゃん、君はコークたちを導いてくれた。その恩人をこんなところでみすみす死なせるようであっては俺の沽券にかかわる」
「……そう。そんなに僕と全力バトルしたいんだ」
「ギンさん、ヨリ、止めてくれよ……」
コークくんが伸ばす手を躱し、僕は大鎌を取り出してギンさん――ギン=シラヌイと対峙する。
「『表不知火・大炎廼華』」
ギンさんの周囲を炎が巡り、体を包むようにして炎が彼の体に纏われている。
「ギン=シラヌイ、俺の幸福を守るために――参る」
「『夜と共に月に馳せる』」
炎の渦が体中を行き来しており、攻撃に移るとその炎が僕に目掛けて飛んでくる。
攻防一体となっているのか、近距離を主体にしたバトルスタイル。
「『夜を潜ませ月に繰り』」
ギンさん自身の動き、炎の動き、両方取り込みながら戦うのは少々骨だけれど出来ないことはない。
「君はエンギと言う化け物をわかっていない!」
「いいや知っているさ、あいつは僕を怒らせた。それ以外は何もいらない」
「そんな理由であいつを倒すと? 馬鹿げている!」
馬鹿だろうとなんだろうと、あいつは僕の友だちを一度殺し、そして僕の大事な可愛い子を縛り付けている。それ以上の理由はいらない。
ギンさんもそうだと知っているはずだ。彼もまた、僕らに翻弄されてきた人の1人なのだから。
「あいつは理不尽だ、自分勝手だ――そこに俺たちは巻き込まれるだけなんだ! なぜならあいつは……」
「魔王だから」
「そう、そうだ、魔王とはそうやって生きている。俺たちがどう生きようと、どう抗おうとも、奴は災いを引っさげ俺たちを蹂躙していく」
「……知ってるよ」
「なら――」
横薙ぎに振るわれる太刀を僕は夜を込めた手で受け止めた。
「僕自身がそうだからね」
「なに――?」
僕はそっと背後にいるコークくん、バッシュくん、レンゲちゃんとサジくんに目をやる。
「ごめんね、僕はずっと嘘を吐いていた。君たちを騙していたわけだ」
「ヨリ、なにを」
「ヨリさん? ヨリさんも、一緒に帰れるんだよね?」
僕は目を伏せ、自身の体に手をかざす。
「おいヨリ! お前俺との約束は忘れてないよな!」
「……勝手にいなくなったりはしないよ。でも、君たちが離れていくかもね」
「ヨリあなた――」
バッシュくんの声を聞きながら、レンゲちゃんの伸ばしてきた手を横目に、僕は僕にかかった魔法を解く。
「『眩惑の魔王オーラ』」
世界を渡る。今ここでヨリフォースの世界は終わった。
彼らにこの姿がさらされる以上、その役割に意味はない。
コークくんとバッシュくんには嫌われるかもしれない。あの子たちは魔王の被害者だ。
レンゲちゃんとサジくんは……いや、変に希望を持つのはやめておこう。
体が変わっていく。
そんな僕の姿をギンさんは驚いたような顔をしてみていた。
銀の髪が靡く。小さかった体躯は大きくなっていき、見上げるだけだったコークくんたちを同じ視線で目を合わせられる。
「これは――」
途端にギンさんが僕から飛退き、唾を飲む音を鳴らし呆然と口を開いたまま太刀を握る手を震わせた。
「その銀の髪……そうか、君が」
あちこちから現闇の闇を纏い、僕は改めてギンさんと向かい合う。
「そうか、君があの、月と星を創る銀の魔王、リョカ=ジブリッドか」
「初めまして。この方が都合がよかったからね、おかげであなたのことも探れた」
瞬間、ギンさんが体を沈ませた。前傾姿勢による突貫攻撃。けれど――。
「――っ!」
僕はすかさず指を鳴らし、指を撃って太刀を剥がし、現闇で周囲にあらゆる武器を生成させた後、そこに命を宿した影法師が数百彼を取り囲み、そのどれもが星の輝きを発生させた。
「……これほどか、銀の魔王とはこれだけの力を持っているのか」
僕はそっとギンさんに近づき、彼の首に手を添えた。
「――っ! 待って、待ってくれって! お願いだ! ギンさんは、ギンさんは――」
コークくんの声を聞きながら僕は首に添えた手をは逆の手でギンさんの心臓辺りに手を添えた。
「『心打つ魂の絶唱――」
やっと出てきた。やっとそれをさらけ出した。この姿になった甲斐がある。僕自身魔王だから人の希望になるつもりはない。けれどそこに見出してくれたのなら僕が僕であることに意味があった。
あとはさっきやったように――。
「ヨリ!」
「……いいんだよコーク、自惚れか。確かにそうだな、君からしたら俺は敵だ。この結末に何の文句もない。ただコークたちは」
「ヨリ頼む! ギンさんを連れて行かないでくれ! その人は、俺の憧れなんだよ」
「……」
ぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあ騒ぐ外野に、僕は頭の中でプチと言う音が鳴るのを聞いた。
「ああもう! コークくんうるさい! 集中できないでしょ!」
「あっはいごめんなさい」
「さっきから何を勘違いしているのか知らないけれど、僕はここに、わざわざ遠回りしてきたのは君たちを、助けに来たの!」
「……お嬢ちゃん、一体何を?」
僕はさっきと同じ要領でギンさんへ『心打つ魂の絶唱』を当てていく。
これだけ魂が綺麗なら僕でも届かせられる。けれどこのギンさんの場合、その魂が霞んで消えていた。
それは諦めからなのか、魂の防衛反応なのか、表に出さないことで魂が壊れることを防いでいた。
だからそれを引っ張り出す必要があったのだけれど、この男、よほど強情なのかここまで来てやっとその一部が顔を覗かせたのだ。
「僕は希望になれたかな?」
「――」
「倒せるって思ったでしょ? 銀の魔王ならもしかしたらって」
「……ああ」
「魂が隠れて大変だったんだから、ちょっとは反省してくださいよ」
隠れていた魂をやっとつかみ、僕はその侵された魂――否、ギフトに向かって放つ。
「逃られぬ理不尽の一手』」
まだ魂と炎がそれほど接地していない状況だからこその奇跡――ギフトを燃やしているだけの魔王の理不尽程度であるのならどうにでもできる。
夜神様の夜を混ぜ込み、どこまでもどこまでも逃れられない夜の帳を張ることで、その理不尽を、理不尽で徹底的に追い詰める。
それが魔王の、人の力であるのなら神の力でいくらでも晴らして見せる。
「これは――」
途端、ギンさんの手に浮かんでいた紋章が消え、彼の魂が解放されたことを知れた。
「ふぅ――やっぱ集中力使うなぁ」
「君は、今何を」
「何って、エンギの傀来を取っ払ったんだよ」
「そんなことが」
「出来ますよ~。僕魔王ですし。理不尽には理不尽をってね」
すると紋章があった個所に目を落としていたギンさんが体を震わせ、瞳からポタポタと涙を落とし始めた。
「まさか、こんなことが。だが、ああ! なんということだ、これで俺は――」
僕はそっと息を吐くと、そのまま彼らに背を向けて歩き出す。
コークくんたちがギンさんに飛びついたのを横目に、僕の出番は終わったとミーシャたちの下へ足を進ませようとするのだけれど、突然腕を掴まれる。
「おっと」
「どこに行くのよ」
「ん~? そろそろ倒しに行かないとね」
「もうちょっとゆっくりしていきなさいよ。ああそれと、あたしは知ってたからね」
「え? あっミーシャか。あの子隠し事下手だからなぁ」
「あなたもね。あれだけ干渉されたら嫌でもわかるわよ」
「え~……」
バレてたのか。そういえばなんか色々聞きたそうにしていたけれど、もしかしてレンゲちゃん、このことを聞こうとしてたのか。
でもレンゲちゃんはよくても他の人は――。
「ヨリ! ありがとな! お前凄いな」
「ヨリさん魔王の力も跳ねのけられるんだね、俺も習ったらできるかなぁ」
「いや、あの……」
と、僕が苦笑いを浮かべるとハッとした顔のコークくんとサジくんが顔を見合わせ、首を傾げて口を開いた。
「よ、リョカさん?」
「りょ、リョカさん?」
「いやどっちでもいいよ。それよりいいの? 僕魔王なんですけれど」
「ヨリだろ?」
「ヨリさんだよぅ」
僕が驚いた顔をしていると、レンゲちゃんがクスクスと笑い始めた。
「あなたこそあたしたちのこと舐めてるんじゃないの? それにその件に関してはとっくに聖女に釘を刺されているわよ」
「……」
すると話を黙って聞いていたバッシュくんが近づいてきて、僕の顔をじろじろと覗いてきた。
「な、なに?」
「あんだよ美人じゃねえか。これなら目をつぶす必要はないな」
「んがっ」
僕が顔を赤らめているとツキコがバッシュくんの腰を叩き始め、それを彼が頭を撫でて押さえている。
「やったことはどうあれ、やっと驚かずにいられたわ。ちょっとは成長したでしょ?」
ウインクをして勝気に笑うレンゲちゃんを今すぐに抱きしめに行きたかったが、コークくんとサジくんにもみくちゃにされていたギンさんがギョッとしたような顔を浮かべてこちらを見ていた。
「コーク、サジ、とりあえず頭を下げなさい」
「え、え、なになに?」
「わっわっ、ギンさんどうしたの?」
「銀の魔王と一緒にいる少女……先ほどの姿を変える術が他人にも使えるのなら、まさか――」
「ああね」
さっきまでの不機嫌はどこへやら、ツキコがバッシュくんからのナデナデを気持ちよさそうに受けている。
そんなツキコに、ギンさんは深く深く頭を下げた。
「月神様とお見受けいたします。このような状況で、礼儀も何も弁えておりませんが、この子たちの教育は私めの責任でございます。なにとぞご容赦を――」
「え?」
「え?」
「……」
ギンさんに頭を下げさせられていたコークくんとサジくんは目を点にし、ツキコを撫でていたバッシュくんは動きを止めた。
驚かないと息巻いていたレンゲちゃんはブフッと吹き出し、体をわなわなと震わせて僕に非難の目を向けてきた。
僕がなにしたって言うんだ。
「んぇ? あっ、いえそんな――」
するとツキコがそっとギンさんに近づき、彼に手を差し出した。
「ギンさん、今は冒険者のツキコです。ね?」
「……いやはや、まさかシラヌイの私に手を差し出してくれるとは」
「いち冒険者が先輩冒険者に助力しただけですよ」
ギンさんがツキコの手を掴んで立ち上がった。




