風割く獣くん、その憧れを引き上げる
「『獣・如月――牙我壬』」
「それがキサラギの技か。『表不知火・大炎壊』」
レンゲの牙がギンさんに届く直前、彼女の周囲を細かい粉のような光が舞った。
その粉はギンさんが太刀を振るうと同時に発火し、いくつかの爆発を繰り返し、飛び込んだレンゲを吹き飛ばした。
「っく」
「レンゲ!」
ギンさんを見つけた俺たちだったが、彼は有無を言わさずに戦闘体勢に移行し、俺たちに襲い掛かってきた。
俺はただ、棒立ちでギンさんが普段使ったのを見たこともない太刀を振るう姿に呆然としていた。
「『妖精楽園会』」
「すまないサジ、それは俺には効かない」
「えっ!」
「サジ下がれ! こいつらスキルを無効化してくる、物体なら届くがそれ以外は通らない!」
「――っ、なら! 『花妖精の悪戯』」
サジの妖精がバッシュへと補助をかける。
バッシュの姿が霞み、ぶれるように幾重にもなって現れた。
「バッシュ、お前の攻撃も――」
「それはあんたにかかった場合だろうが!」
ギンさんの頭上高く飛んだバッシュがヨリからもらったスパナとかいう武器を大きく振り上げる。
「『1,2,3で跪け』俺にかかった重力を止める術はねえだろうが!」
「うぐっ!」
バッシュはスキルをスパナにかけ、大きく重力をかけた一撃をギンさんへと放った。
みんなが戦っている。けれど俺は――。
「コーク!」
「――っ!」
「何ちんたらしてんだ! お前がここに来たのはこの阿呆を連れ帰るためだろうが!」
「……」
「あんたがそんなのだとあたしたちは何もできない!」
「コークさん! 俺たちのパーティは子どもみたいな我儘を通すんでしょ! なら子どもみたいにもっと好き勝手にやろうよ!」
「――」
「あんたA級冒険者になりたいんでしょ! ギン程度にその足を止めるな! そんな程度の覚悟しか持っていないのならミーシャにもう一度鍛えてもらうわよ! あんたの中の獣を、ケダモノを、さっさと解き放ちなさい!」
俺は目をつむって奥歯を噛みしめる。
散々後押しがあったじゃないか。それなのにこの土壇場でまた迷って、俺自身の我儘から目を背けて――俺は槍を強く握り、ギンさんを見据える。
「……コーク」
「ギンさん、帰ろうよ」
「……」
きっと縛られている。
俺にはギンさんが何に縛り付けられているのかはわからない。でも、それでも俺は――。
「俺さ、レンゲやバッシュ、サジ、それにマクルールさんや他のみんな、ギンさんのいるギルドが大好きなんだ」
「……コーク、俺は」
「あの日、俺を助けてくれたギンさんにずっと憧れているんだ」
シラヌイは殺し屋の家系だと聞いた。
でもこの人は、ギンさんは俺の命を救ってくれた。だから俺はそれを信じる。
「だから! 何があっても引きずってでも俺はあんたを連れて帰る! 『廻れ回れ風の目となれ』」
槍を構えた俺はすぐにギンさんの周囲に『風流る幾千の残響』を張り、以前テッカさんにやったように最速の槍の連打を放つ。
「『その災厄の気まぐれ・窮獣、大敵を嚙み砕く』」
体がバラバラになるような感覚、1つ突くたびにその速度を蓄えて次の突きにその速度を上乗せしていき、体の限界を超えた速度を発揮するスキル。
体の被害など度外視した不完全なスキル――これは聖女と共にいる魔王からの福音だと聞いた。
魔王からの力なんて――そう思いもした。けれどこれが実に肌に合う。
俺のために作られたスキルのような、出会ったこともない魔王が俺の存在など見初めてくれているはずもないけれど、そう錯覚するほどにこのスキルは俺のためだけにあるのだと確信している。
「これは――コーク、これだけの力を」
「ギンさん! これは俺の我儘だ! その先にどんな運命が待ち構えていても俺が、俺たちが、絶対にぶっ飛ばしてやるから!」
「――っ、勝手なことを」
「それがガキの特権だ」
俺が槍を放つのを止めて滑るように後退するとレンゲとサジ、バッシュが隣に並んでくれた。
「お前たち」
「諦めなギン、俺たちはもう諦めるっつことを諦めた。随分と強引に我儘貫き通す馬鹿たちを見ちまったからな」
「そういうことよ、あたしたちの大将がギンを連れて帰るって言ってんの。あたしたちも全力を以てあんたに立ち向かう。これ以上ギルドでデカい顔はさせないわよ」
「ギンさん、うちのコークさんはすっごい強くなったんですから。だから諦めていうこと聞いてくださいね」
真っすぐとギンさんへと伸びる瞳、俺たちはもう迷わない。
しかしギンさんは俺たち1人1人に目をやると歯を噛みしめて顔を伏せた。
何か迷っている。俺にはそう思えて仕方なかった。
「お前たちには、ないからだ」
「……」
「どれだけ望んでも、どれだけ夢見ても、決して叶うことのない正常。お前たちは知っているのか、いつ燃やされるかもわからない明日を待つ者の気持ちが。お前たちは知っているのか? どれだけの幸福を望もうとも、それが明日燃やされるかもしれない恐怖を――マクルールも、俺の子も、あいつに、燃やされてしまうかもしれないんだぞ!」
「……」
体を抱きしめるように声を荒げたギンさんに、レンゲたちが顔を歪めた。
でも、そうじゃない。俺はそんなことを聞きたいんじゃない。
「だから――」
「なに?」
「それであんたはどうしたいんだよ! ギンさんが怯えているものはわかった、でも俺はまだ聞いてない! あんたは、ギンさんは! どう生きたいんだよ!」
「――」
ギンさんが体を震わせ、今にも泣きだしそうなそんな顔をして俺を視てきた。
この人はその幸福を、やっと手に入れた幸福が偽物であるはずがない。だからこそ、その幸せをギンさんがどうしたいのか。俺はそれが知りたかった。
「俺の、意思など――」
「その幸せもあんたの意志だろうが! あんたの恐怖なんて俺にはわかんないよ、でもさ、でもだ! あんたがギルドにいた幸福は少なくとも誰かからの恐怖の上で成り立ったものじゃないだろうが!」
「――おれ、は」
ギンさんが太刀を強く握り、涙を流し懇願するようにして剣を構えた。
「コーク、俺は、おれは――」
「来いよギンさ――ギン! 上も下もわからない恐怖は俺にもわかる! でもあの日、あんたは俺をすくい上げた! 今度は俺の番だ! その夢を、今ここでぶちまけちゃえよ!」
「ああ、ああ――あっ、ふ、ああ。あああ――っ!」
荒い呼吸でみっともなく涙を流したギンが俺たちにその剣を振るうために飛び込んできた。
「『表不知火・大炎琴』」
ギンが振り下ろした一太刀がまるでいくつもの炎の線となって俺たちに伸びてきた。
「バッシュ!」
「任せろ――『雁字搦めの領域』」
バッシュの重力の膜が炎の衝撃に伸びていき、それを全て床に叩き落とした。
俺たちはそれと同時に駆け出し、ギンへの攻撃を開始した。
「俺も、俺だって、お前たちと、マクルールとともに生きたかった! だが――」
「だがじゃない! なら生きろよ! どれだけ泥臭くとも足掻いてみろよ!」
「お前たちはあいつを、父を、エンギを知らない」
「知ったことか! あんたの人生だろうが、あんたの運命だろうが!」
「そんなもの、この家に生まれた俺には、ない」
「うんなわけねえだろうがよ、それならあんたは、コークを助けたのも、マクルールの姐さんに惚れたのも、全部シラヌイのためだっていうのか!」
「それは――」
ギンが血が滲むほど太刀を強く握る。
滴った血が太刀に流れ、床へと落ちる。
「『小さき英傑の詩歌――妖精を導くその名は・O』」
サジが呼び出した大きな妖精が屋敷のあちこちに術を放ち、屋根やそれを支えていた柱をギンの頭上に落とした。
「『表不知火・大炎冠』」
ギンが頭上に掲げた太刀から炎が噴き出し、屋根もろとも吹き飛ばした。
「このシラヌイという家から逃れたかった、しかし俺の中の、奴の力がそれを許してくれない。姉上はいつも俺を守ってくれた。でも、だけれど、姉上も、あの子も、結局はここに縛られた。コークを助けたのも、マクルールを愛したのも、俺は――」
「ギンさん、弟なんだ――なら! それなら弟が泣いていたらお姉さんは悲しんじゃうでしょ!」
「――っ!」
「お姉ちゃんだよ、いつも俺たちの幸せを考えてくれてるんだよ。それなのに、あなたがそんな顔していたら、報われない!」
「サジの言う通りだ。ねえギン、あんたそれだけ幸せに囲まれているのに、どうして脚を止めるんだ、どうして叫ばないんだ!」
「……」
ギンが頭をかきむしり、呼吸を荒く荒く吐き出しながら口を震わせ、あふれ出てくる言い訳を探すように、ただ戦場に立っていた。
そんなギンに、レンゲが獣の、ケダモノの圧を放つ。
「『その災厄の気まぐれ――獣姫・如月――」
一歩を踏み出したレンゲの圧がいくつも増え、その圧がそれぞれレンゲの形になっていく。
複数に増えたレンゲの同時攻撃。
「蹂躙する獣大行進』」
「表しらぬ――これはっ!」
「そんなぬるい炎! ケダモノが消し飛ばしてやるわよ!」
レンゲの放った圧倒的な圧による牙が次々と辺りに噛み傷をつけ、ギンはそれを太刀で防ぐのだがそれも叶わず、傷つきながら吹き飛んだ。
「あんたは歩みを止めたかもしれない! でもね、前に進まなければ届けたい声も、想いも、誰も受け取ってくれないのよ! そんな後ろで叫ぶこともせずに立ち止まっているだけなら、あんたは最初からシラヌイの人形であったらよかったのよ! でもそうじゃない、そうじゃないんでしょ! 差し伸べられた手に、いい加減気が付きなさいよ!」
「――」
ふらふらと立ち上がったギンが太刀を引きずりながら俺に向かって歩んでくる。
「俺は、おれは、俺はぁ!」
「来いよギン、全部受け止めてやる!」
「あぁぁああああっ!」
叫びながら駆け出してきたギンに、俺は槍を下ろし笑みを浮かべて迎え撃つ。
「ちょっとコーク――」
レンゲの声を聞きながら、俺は向かってくるギンさんに手を伸ばした。
俺の首目掛けて振り上げられた太刀を横目に、ただじっとギンさんを見つめる。
「表しら――コーク、俺を、助けてくれ」
「ああ――」
振り抜かれるたちがゆっくりと俺の首に向かってくる。
その太刀を躱し、俺はギンさんに手を伸ばそうと――その瞬間、俺の背中が引っ張られる。
「え――」
「助けを求める相手が違う。このひよっこたちに何を背負わせる気だ。『夜と共に月に馳せる』」
俺の首をギンさんの太刀が通り過ぎる。
なんだと振り返るとそこには黒い髪をなびかせ、ギンさんを睨みつける小さな影。
「ヨリ――」
「ギンさん、僕言ったよね? 次目の前に現れたら本気で戦うって」
「……」
「待ってくれヨリ、ギンさんは――」
その刹那、俺を貫く圧倒的な戦闘圧。
レンゲとも、テッカさんとも、ガイルさんとも、ジンギとも、ミーシャさんとも違う。
へばりつく様な、体の底から、魂から震えるような感じたこともない圧。
戦闘の圧には多少慣れたつもりだった。けれどこいつ、ヨリフォースの圧は違う。
俺だけではなく、レンゲもサジもバッシュも目を見開き、体を抱えるようにしてヨリを見ていた。
「……ああそうか、君が俺の死神か」
「それ言ったらあの子泣いちゃうんですけど――まあいいや、ちょっと僕も言いたいことがあるんで、覚悟してくださいね」




