最速不動の剣はその獣の信徒なり
「――ぐぅ、あの馬鹿ども、加減というものを知らんのか」
「あの2人に加減なんて求めても無駄でしょ、少なくともうちの聖女はいつでも全力元気いっぱいよ」
「それだけ可愛げのあるものなら良かったのですけれどね」
アヤメ様を抱えて今俺はシラヌイの屋敷を全速力で走っている。リョカたちの言葉に甘え、カグラを捜しているのだが、その途中で俺の相棒と手のかかる我らの聖女様が放つ殺気に頭が痛くなっているところである。
「これほどの圧、並の相手ならぶっ倒れますね。レンゲとサジは無事だろうか」
「……」
「アヤメ様?」
横抱きに抱えているアヤメ様が俺の首に手を回して引っ付いているのだが、そんな神獣様が思案顔を浮かべており、俺は首を傾げる。
「リョカが警戒態勢に入っている。今までどんな相手でもその場の勢いだけでなんとかしてきたあいつが、エンギには最大限の戦力で挑もうとしている」
「でしょうね。リョカは阿呆ではないです、道化を演じることもありますが、何よりも最善の道筋だけを描く。遠回りしているように見えてその実、常に最短距離ばかり選んでいる。あれは天才です、だからこそエンギ=シラヌイという初めての強敵に警戒をしているのでしょう」
「強敵は今までもいたでしょう?」
「人の枠では。です」
「……お前はエンギをどう見る」
アヤメ様の問いに、俺は地を蹴る脚の速度を徐々に緩め、一度目を閉じた。
エンギ=シラヌイ、俺の故郷の、俺の知らなかった脅威。今の今まで姿はなく、やっと出てきたと思えばヤマト=ウルシマなど足元にも及ばない強大な魔王。
先ほどの体が燃えるような攻撃、あれだけで俺は今までの強敵を上書きされた。
あいつは誰でも殺せる。
殺し屋を名乗っていた自分が恥ずかしいほどだ。以前リョカと話していたが、俺は俺を壊さないために、殺しを正当化するための言い訳をいくつも持っていた。
けれどエンギは違う。
こいつにそれは必要ない。目の前にある命は奴にとって燃やせるものなんだ。燃やせるから燃やす。何とも単純明快な殺しの理由だ。
「あいつは、人殺し。そう、人を殺す魔王です」
「……人を殺す魔王はたくさんいるわよ。昔のロイだってそうでしょ」
「ロイに関して言うのなら、あいつは人を殺していたのではなく、命を支払っていただけ。ヤマトも人を殺すことで自分の在り方を確保していただけです」
「エンギは違う?」
「……あいつの殺しには何もない。そこに自己陶酔だとか、名誉だとか、嫉妬、金――人が人を殺すための理由なんてありはしない。まさか、殺しは殺しだとリョカに言った俺が、マシな殺しをしていたとは思いませんでしたよ」
リョカからの臣下宣言を得たからこそわかったこと――思考とは速度の妨げになる。
意思や決意、尊い思考はそれだけで脚を遅くする。振るう手を鈍らせる。俺が殺しのために用意したいくつもの逃げ道すら、殺すという行為の妨げとなっていた。
俺はいつだって手を止めていたんだ。
「勝てる?」
「勝つんです。俺は勇者の剣ですよ、そしてこの国を故郷に持つ、あなたの信徒です」
「……」
「アヤメ様、何か悩みでも?」
先ほどからの試すような問い。しかしその答えを深く聞き込み、そして顔を伏せてしまう神獣様の姿は、どうにもやりにくく思えてしまう。
リョカたちと行動を共にするようになってから女神さまへの印象もだいぶ変わった。
俺は未だに神獣様を信仰しているが、以前のような苛烈な面だけではなく、ミーシャと一緒にいる甘えた獣のような面も今では悪くないとも思えている。
リョカ風に言うのなら可愛らしい神獣様がすくすくと在ってくれるのがそれなりの喜びにもなっている。
「……ねえテッカ、お前は、まだ神獣を敬える?」
「当たり前です」
「……エンギはかぐらの時代の犠牲者だそうよ。俺が何もしていなかった時の、ね」
控えめな瞳が微かに揺れている。この女神さまも、やはり人に寄り添っているのだろう。
「俺は獣よ、だから人の物差しで動くことはないわ。でもね、それでも人のことを見捨てたいとは思ったこともないのよ。何もしないけれどね」
「ええ、わかっています」
「シラヌイを生み出してしまったのは俺の怠慢よ、獣だからって人の世に関わらないことを是としてきた俺が招いたこと。それが巡り巡って今お前たちを傷つけている。いい加減、愛想をつかされそうなものじゃない?」
頭のお耳がぺたんとしおれ、叱られるのを待つ子どものように神獣様が俺を見上げていた。
そんな彼女に俺は肩を竦ませ、折れ曲がった耳を巻き込んで神獣様を撫でてやる。
「俺は行動には移せそうにないので、一緒に想像しましょう」
「えぅ?」
「今俺とアヤメ様は2人きりですが、なんと突然どこかの聖女と魔王、そして月が現れます」
「うっ」
アヤメ様が顔を歪めて、そっぽを向いた。
今の発言をいつもの面々が聞いたらどうなるのかを思い浮かべたのだろう。
「ああ、魔王は悩みも何もかもを無視してアヤメ様を撫で始めるでしょう。可愛い可愛いと言ってまったく相談に乗ってもくれない。役に立つんだか立たんのか、判断に困ります」
「うん」
「次に月が神獣様を照らしてくれます。その光は優しく、何もかもを包み込むような優しさで――」
「あいたぁっ!」
「アヤメ様?」
突然頭を両手で覆ったアヤメ様が涙目で頬を膨らまし、どこかの方向を軽く睨んでいた。そして小さく「ルナぁ」と口にしており、思っていた以上に神獣様にはその光は優しくはなかったようだ。
「そして聖女は顔を伏せる獣の頭を引っぱたき、可愛らしく睨むあなたの手を引っ張ってくれるのです」
「……」
「アヤメ様、俺はこの国で威厳のある神獣様のことも尊敬していますが、学園にいる俺の生徒、アヤメ=ジブリッドのことも最後まで見守るつもりですよ。例えあなたが原因の何かがあろうとも、俺はこの国の信徒としてそれを解決しますし、教師として何があろうとも生徒を守ります」
アヤメ様が口元をもごもごさせながら、照れたように視線をあちこちにやり、俺の首に回している腕の先の指をこちょこちょと揺らしていた。
「神獣様、あなたはもっと胸を張るべきです。今あなたに付き従う信徒は過去最高の聖女と剣だと」
「……大きく出たわね。まあその通りだけれど」
アヤメ様がやっと普段通りの勝気な顔で笑ってくれ、俺も一安心。
「さあ、では正しましょう。かの魔王が我らの神獣様の負の部分であるのなら、俺たちでそれを打ち倒しましょう」
頷いた神獣様が大げさに腕を振り上げた。
「テッカ=キサラギ! 俺をその気にさせたのだから、最後まで責任を持ちなさいよっ」
「ええ、任せてください」
神獣様は勝気に笑い、そして大げさに振った腕で真正面を指差す。
のだったが、一瞬俺の耳元に口を寄せてきて、小さく「ありがとっ」と、その言葉をもらった。
なんと名誉なことか。
俺は地を蹴る脚に力を込め、飛ぶように、刺すように、その速度を上げていくのだった。




