夜を被る魔王ちゃんと逃れられない火のさだめ
「ほらほらほ~らほらっこんなものですか!」
まるで鞭のようにしなる腕を躱しながらも、私の目はずっとギンさんに向けられていた。
戦いが始まってから彼は一切動かずに、ただ下唇を噛んで顔を伏せていた。
目的はわからない。いや、そうするしか道はなかったのだろう。抗うことも、立ち止まることも許されない。
シラヌイの体を調べてわかったことは、紋章のないあれらは命のない人形だ。
けれどある強い力によって命を持たない人形が動き続けている。
その力は当然紋章を持っている彼らにも使われているだろう。その強制力がどれほどのものか、私はまだ推測することしかできないけれど、ギンさんのあの顔を見るに相当なものだろう。
私が彼をじっと見つめているとギンさんと目が遭い、ばつの悪そうにそっと目を逸らした。
ここにいたのが私で良かった、我らの聖女様だったのなら説教の1つでも始めていたところだろう。
「その程度で我らの前に立ちふさがろうとするとは片腹痛い。我らの力を侮ったようですね」
彼は一体何を考えているのだろうか、ギルドでの顔は本当に若者を案じているような、親的な顔をしていた。それが嘘だとは思いたくはない。
「さあ、さあ、さあっ!」
「……うるさいな、今考え事をしてんだよ」
「『表不知火――八多蓮卦』」
ピエロが腕をしならせ、指先が見えないほどの速度であちこちに腕を振るう。
鞭の先端は音速を超えると言うけれど……所詮音速だ。こっちは風とか光を斬る相手を散々相手にしているんだぞ。
その程度の速度、どこに来るかわかっていれば避けるのも容易い。
「右、右、左、2歩後退、屈んで1歩ジャンプ、大きく後ろに飛んで――」
「……?」
ピエロの方は自分に酔いしれているかのように技を繰り出しているけれど、ギンさんの方は私に違和感を覚えたのか、目を見開いていた。
「馬鹿な、彼女はスキルによる強者のはず。こちらの技を躱せるとは――」
「だからスキルだよ。『夜を潜ませ月に繰り』」
夜に私が読み込んだデータを組み込んで、その通りに私を動かす夜を取り込む。
つまりとっくにこのピエロの動きは読み切った。あとはデータ通りに動かされるだけ。私のすることなんて夜に身を委ねて体から力を抜くくらいだろう。
「何故、何故当たらん――『表不知火・飛岩烈翔』」
ピエロが腕を大きく振り上げ、地面を叩き大地が沸き上がって塊となって飛んできた。
初見の技だろうともそういう遠距離技も想定済みだ。見てから回避余裕です。
礫を避けきった私は駆けだし、ピエロの懐に潜り込もうとする。
「体勢を低く、膝から滑り込むように――」
「『表不知火――連回追閃』」
大きく腕を広げてまるでコマのように回転するピエロだったけれど、技を発動する直前に体勢を低く膝から滑り込んで、ピエロの懐に入り込んだ。
そんな私をピエロは体を回転させながら、顔を引きつらせて見ていた。
そしてその顔が見切れる前、私は『銀姫に倣う夜の雫』をピエロの顔面に向けていた。
「しまっ――」
指先をピエロに向け、ベッと舌を出して笑う。
夜の雫はピエロの両肩を撃ち抜き、勢いのなくしたコマのようにピエロの体が傾いた瞬間、私はすぐにピエロの足を払い、倒れ掛かる彼の顔面を足で踏み抜いた。
そして気を失ったピエロ辺りに夜の雫を控えさせ、ギンさんに目をやる。
「こいつは貰っていくよ」
「……君は一体」
「なんかあっちの人たちと揉めているみたいだけれど、こっちにまで手を伸ばすって言うのなら、当然私もツキコも動く。敵を作りすぎだよ」
「……」
「あなたたちが何かはわからない。でも、私はいまだに信じていない」
「私のことをか」
「ううん、あなたが、辛そうな顔をしているあなたが、ギルドを捨てようとしている事実にだよ」
「……私は――」
街のあちこちから警笛のような甲高い音が鳴った。きっとシラヌイの撤退の合図だろう。
ギンさんがじりと後退しようとしている。
「ねえギンさん、1つ答えて」
「……答えられることならば」
「もし、もし――もしあなたに使命なんてなかったら、どうしていた? どんな未来を見ていた?」
「……異なことを、私が私である内は、その使命を――」
「もしもだって言ってんだろっ。何者にも縛られず、何者もあなたを侵す者がいなかったらどんな未来を歩みたかったかって!」
「……」
ギンさんは顔を伏せると、すぐに顔を上げ、そしてギルドを優しげな顔で見つめた。
ああ、この人は、侵されていない。
「サジとレンゲには不要だろうが、コークとバッシュには私の技を教えてもよかったかもな、この技は冒険者にも役立つ。他にも最近若い冒険者が入ってきた。初々しく、冒険者に憧れている。それに――」
彼はひと際慈愛の目、いや、どこか親を彷彿とさせるような優しい瞳を向けた後、奥歯を噛みしめた。
「叶うのなら、マクルールと、その子、俺の……一緒に」
「――大馬鹿野郎が」
ギンさんが少しずつ下がっていく。
私は彼に向かって頷き、顎で背後を指す。
「行きなよ。次私の目の前に現れたら、本気で戦うからね」
「……ああ」
ギンさんの姿が陽炎のように消え失せ、私は深いため息をついて空を見上げた。




