聖女ちゃんと迫るタイムリミット
「むっ」
バッシュとの依頼を終え、あたしたちは帰路に着いているのだけれど、その道中アヤメが頬を膨らませて機嫌悪そうにしていた。
ルナ……これは多分リョカもね。余計なことを言ったのかしら。
「俺はそんなにチョロくない!」
「チョロいわよ」
あたしはリョカが今朝作りおいてくれていた饅頭をアヤメの口に運んだ。
膨らんでいた頬がしぼんでいき、一噛みごとに頬をほころばせていく。これがチョロくなくて何がチョロいと言うのか。
隣を歩いているアヤメを抱き上げてあやすように揺らしていると、テッカが複雑そうな顔をしていた。
「諦めなさい、この国の女神はこんなもんよ」
「止めろ、やめろっ――」
「親しみやすくていい女神じゃねえか。テッカは何が不満なんだよ」
「……お前たちはこの国で育っていないからそんなことが言えるんだ。この国の人々は神獣様の慈悲のもとに生きていられるんだ、神獣様の機嫌を損ねたら俺たちなんて――」
アヤメがあたしの腕の中で鼻を鳴らして胸を張っている。
これは……この子さては言わせているだけね。
「あんた、そう言われていた方が格好いいからって否定しなかったんでしょ。機嫌悪くなっても店先から甘い物が消えるくらいしかしないわよね」
「おいおいミーシャ、さすがに俺でもまさか神獣様がそんな格好つけのためだけになんて言えないぞ。そんなわけも――」
ガイルは一体アヤメの今までの何を見てきたのだろうか。現にこうして尻尾を体に巻き付けて2つ結び――ツインテールの髪を体の正面で両手に握りながら明後日の方向を向いているじゃない。
それにこの子が気分1つで人を害するわけがそもそもない。
「……え? 嘘だろアヤメ、マジで何にもないのにそんなこと言わせていたのか?」
「……い、いや、これはだな、ただ俺たち人に気を遣ってだな」
「いい加減認めなさい、この子は人に寄り添う女神よ。畏敬も畏怖も戦いの中でこそ覚えるべきよ」
「くっ、だが、だがっ、神獣様というのは――」
「……ここまで誤った女神像を植え付けるっつうのは、さては結構なやり手だなアヤメ、ルナより女神っぽく見えてきたよ」
「そうでしょう? これでもその最高神を女神として育てたのは俺なのよ。もっと称えなさい」
ルナが聞いたら怒りそうだけれど、今はいい顔をさせてあげておいてあげましょう。
しかしすぐにアヤメが真面目な顔を浮かべた。
「キサラギの家にシラヌイが攻めてきたみたいよ」
「なんだと――母さんっ……は、大丈夫そうだな。りょっ……か、も大丈夫そうだな」
「うん、こともなさげに瞬殺してたわ」
「だろうなぁ。むしろあの2人がいる時に攻めたシラヌイが気の毒だな」
「とはいえ、そんな悠長なことを言っている場合でもないっぽいのよね」
「どうして?」
「今日シラヌイの奴ら、1人も見かけてないだろ」
「そういえばそうね、諦めたのかしら?」
「うんな殊勝な連中じゃないでしょ、それに諦めたのならキサラギは襲わない。むしろ厄介なことになっていると俺は思うけれどね」
面倒くさげにアヤメがため息を漏らすから、あたしは彼女の顎下を撫でながら思案する。
シラヌイがここに来て行動を変えた。リョカは奴らの目的がわからないと言っていたが、きっと目的がないわけではないのだろう。じゃあその目的とは……?
「駄目ね、考えても何も浮かばないわ。もっと簡単に殴り合いだけをしてくれないかしら」
「なんだその蛮族集団、これでもシラヌイは大分歴史のあるほど古い家なのよ」
「あんた前もそんなこと言っていたけれど、一体いつからいるのよ」
「う~ん……いつの間にか湧いてたから俺もよく知らないのよ。この国、俺がいない時に限って変なことするから、多分そのときね」
「いない時ってお前……俺、国で人のことをどうこう言いたくはねえんだけれど、テッカ、この国アホしかいないんじゃないか?」
「やめろっ! それにお前にだけは阿呆などと言われたくはない」
「あの女神に人をささげる? っていうのも俺知らなかったし、帰ってきたらテルネにブチギレられるし、多分その辺りにはいたんじゃないかしらね」
当てどころか役にも立たないわねこの獣。
そしてふと疑問がわいてきて、アヤメに尋ねる。
「そう言えばそのエンギってやつ、いつから魔王なのよ」
「だからそれも知らん。メルに聞けばわかるかもだけれど、あいつも行方知らずだしなぁ」
確か魔王を選定している女神だったかしら? いつも女神同士がやっているように連絡を取り合わないのだろうか。
そうしてあたしが首を傾げていると、ふと見知った気配がいきなり現れ、あたしもガイルもテッカもそちらに目をやる。
「……」
「カグラ――」
「……ごめんなさい」
「なに?」
人並みのある往来の中、あたしたちの正面に現れたカグラがひどく悲しそうに顔を伏せていた。
何か思いつめたように、覚悟を決めたように、彼女はただ一言謝罪を口にした。
「もう、止められません……あの人、エンギは、全てのシラヌイの祖にして、始まりのシラヌイ――近いうち、この国に火が上がります。今度こそ幻ではない本物の炎、あの人は今度こそ幻ではないことを証明するつもりです」
「いったい何の話を――」
カグラの体がゆらと薄れる。スキルじゃない、純粋な技能だ。それなりの強さを持っていることは何となくだけれど察していた。けれどあの子もやはりシラヌイなのだろう。
「ごめんなさい……カナデは、カナデは私が何とかします。だから皆さんは」
「突然そんなことを言われ、はいそうですかと引き下がるわけないだろうが」
カグラが首を横に振り、テッカと顔を合した時、彼女の瞳は涙いっぱいであふれており体を震わせていた。
一体なんだと言うのだ、あの子にあんな顔をさせ、あろうことかあたしたちに逃げろとまで言わせる。
灰燼の魔王、エンギ=シラヌイ――彼女にとって奴が何だと言うのか。
カグラの泣き顔にテッカが息をのみ、小さく手を伸ばしたのが見えた。
「ごめんなさい――」
「カグラ!」
そう最後に、カグラの姿がおぼろに消え、あたしたちは呆然と人並みを見つめていた。
「……こりゃあ何か起こるな」
「ええ、それにカグラのあの感じ――テッカ、大丈夫?」
「……ああ」
あたしはキサラギの屋敷に脚を向ける。このままじゃなにか取り返しのつかない事態に発展しそうな気配に、今すぐリョカと作戦会議をする必要があるだろう。
「ああいう顔はあまり見たくないわね」
「女神として?」
「この世界に生きる獣として」