最速不動、その幼子の速さを初めて知る
「……見事だ。俺の、負けだ」
「――」
まさか、ここまでできるようになっていたとはな。
リョカとミーシャ、アルマリアとロイには礼を言わなければならない。ここまでレンゲとサジ、そして2人を引っ張るコークとバッシュを育ててくれたことが素直に嬉しかった。
負けたというのに、随分と晴れ晴れとした気分になるとは思ってもみなかった。
俺は未だ俺に覆いかぶさって剣を構えているレンゲの腕をそっとどかそうとするのだが、彼女は動かず俺は首を傾げる。
「レンゲ?」
「……あたしの技は、あんたに届いたの?」
「キサラギの技はスキルと組み合わせた殺しの技だ、常に敵の裏をかき、そして急所を狙うことに特化している。それに則るのならお前の技はすでに完成しているだろう」
「……」
裏如月と名乗っていた曖昧だった技も、明確な意味を持って技に昇華しているし、ミーシャとの鍛錬によって得た経験はさらに技を鋭くさせた。
キサラギとしてなら、すでにランガよりは上だろう。もっともあいつは鍛錬をサボってばかりだろうがな。
「……違う」
「ん?」
しかしレンゲは首を横に振り、奥歯をかみしめるように歯を鳴らした。
俺の位置からでは彼女の顔は短剣で良く見えないが、少しだけ声が震えているようだった。
「あたしの技は、あんたの目に映ったかって聞いてるの」
「あ、ああ、だから見事だと――」
「違う! 違う違う! そうじゃない! あたしの技は、あんたにどう映ったかって聞いてるのよ!」
剣を下げ、瞳に映ったレンゲの顔は涙であふれており、いつか見た子どものような表情で、まるで俺に懇願するように、今度こそは理解してほしいと、ほしい言葉を待っているかのようにレンゲが叫んだ。
「――」
その顔には、覚えがあった。
あれは俺がレンゲに稽古をつけた時だったか、何度も何度も挑んでくるこの子が、最終的に泣きそうな顔で俺の言葉を待っていたことがあった。
その時、俺は何と言ったのだっただろうか。
レンゲとサジの母親はお世辞にも真っ当な母親とは言えなかった。
キサラギに尽くすことを良しとし、その命すらいつでも捧げる覚悟を常に持っていた。子どもが出来て少しはその生き方が見直されると期待していたが、最後の最後までキサラギのために生きた母親だった。
そしてその苛烈なまでのキサラギへの忠義の思想はレンゲとサジにも押し付けるように、教育という形で2人へと与えられていた。
もちろん、そういう教育が普段から行われていることもあったし、2人の母親だけが特別に熱心というわけでもなかった。
これはキサラギに生まれたからこそ誰もが通る道なのだと。
俺に関して言えばお袋がそういう思想を嫌っていたこともあり、レンゲとサジを気にかけるようになったともいえるが、それが一般的だったんだ。
そんな厳しい教育の中でもレンゲは耐え忍ぶように、彼女たちの母親の鍛錬を受けており、あの頃も、この子たちが不憫で仕方ないと思っていた。
だからこそ俺は――。
「……きれいな技だ。これからも鍛錬を続ければ、俺も越されるかもしれないな」
そうだ、そうやって褒めて、もう十分すぎるほどの力を持っていると知ってもらい、少しでも鍛錬の負担が減るようにと声をかけたんだった。
もっとも、聞いた話では効果もなかったようだが。
「嬉しかったのよ」
「……」
声を震わせて言うレンゲに俺は息をのんだ。
ただの一言だけだぞ、あの頃は兄としての自覚もろくになく、ただただキサラギに翻弄されている子たちだとしか――。
「誰にも褒めてもらえなかった。父様は奥様の看病があるからあたしたちに時間を割けなかったし、母さまはあたしがどれだけ技を見せても一度だって褒めてくれなかった」
「それは――」
技の出来で優劣を競うものではない。殺しの結果こそがキサラギの本懐だ。などというくだらない思想で、技を褒めるという考えがないからだ。
「サジはまったく殺しに向いていない。あの子は優しすぎるし、体の柔軟さもない。でも、そんなサジにも母様は厳しかった。だから」
レンゲの涙が俺にこぼれてくる。
ポタポタと思い出を流すように、無力な自分を隠すように体を震わせている。
「サジが傷つかないように、あたしが頑張るからって! 頑張ったの、たくさんたくさん、頑張って……」
「ああ」
「でも、それでも辛くて――そんな時に、あんたが、あなたが……お兄ちゃんが、あたしを」
「……ああ」
馬鹿野郎が――人の心がわからないなど、リョカのことを言えないな。
この子はこんなにも、これだけ……ああそうか、ミーシャが何を俺に言っていたのかようやく理解した。ロイが俺に打ち付けてくれた杭が今になって効いてきた。
「頑張ったんだよ、あたし、お兄ちゃんに褒められて、たくさん頑張った。サジがキサラギを継がなくてもいいように、あたしだけが頑張ればきっと……いつか、また褒めてもらいたいって、ずっと頑張ってきたのに」
正しいと思っていた。殺しは忌むべきものだと――その考えは今も変わらない。だが、だが……この子にとって殺しの技は、キサラギというものは。
「ねえ、なんでよぅ。どうして、あたしはまだ、何もしてない。誰にも、認められていない」
「……」
「ねえ、あたしに残ったのは、殺しの技と、技を磨くために費やした時間――返してよぅ、あたし、それだけしか――」
刃を地に落とし、俺の胸に頭を押し付けてきたレンゲが悲痛に叫んだ。
俺はレンゲの頭を抱き、奥歯をかみしめる。口の中に鉄っぽい嫌な味がする。
何をやっているんだ俺は。
この子たちのためを想って? この子たちが真っ当に生きられる道? 全部俺が築いてしまった理想の話だろうが!
「あたし、もっと、もっとお兄ちゃんに褒められたかっただけなのに、それなのに」
「ああごめん、ごめんな――もっとお前たちに気を配るべきだった。もっとお前たちの声を聞くべきだった。もっとお前たちの速さに――」
ついに決壊したのか、子どものように泣きじゃくるレンゲを、俺はただ抱きしめることしかできないのだった。