風穿つ獣ちゃん、如月の風に身を任せる
本当に馬鹿げている。
ジワリと滲む額の汗が目を通るのも構わずに、あたしの視線はテッカから外すことが出来ない。
脚を止めることは死へと直結することは間違いないのに、それでもあたしの歩みは止まってしまった。
ミーシャが言っていたっけ。キサラギはすぐに相手と敵の実力差を明確にするって。
こんなことでキサラギだということの自覚をしたくはなかったけれど、昔から敵との距離は測れと口酸っぱく言われていたんだ、今さら変えられない。
あたしたちじゃ、テッカ=キサラギを倒せない。
「レンゲ!」
「っ!」
コークにまた抱えられ、突然目の前に現れたテッカの攻撃をかわすことが出来た。
「ったくお前は、またいつもの――」
「……コークぅ」
今あたしは、とんでもなく子どもっぽい顔を浮かべてしまっているだろう。
瞳からは涙があふれてくるし、見栄を張りたい相手も気を失っているし、正直もういっぱいいっぱいだ。
「ああもう、サジが倒れたから決壊したか……」
ため息をついたコーク、さすがに呆れられたかと控えめに彼を見上げようとすると、あたしの頭にその大きな手がのせられ、荒々しく撫でられた。
「まっ、いつも通りだ。レンゲが自分の感覚を信じられないのなら、俺とバッシュの感覚を信じろ。あいつも言ってただろ、勝つって。俺も同じ気持ちだ。だから――」
コークがあたしより前に進んで、振り返って手を差し出してくれる。
伏せていた顔を上げ、その目に映ったコークの顔はやっぱりあたしが知る中で一番頼りになる顔で、泣きたくなる気持ちも、折れかかる心も、すべて晴らしてくれる。
あたしは涙を袖で拭うと、コークの手を取って頷いて見せる。
「よし、いけるな」
あたしとコークが改めて武器を構えなおすと、テッカが微笑んであたしたちを見ていた。
「もう大丈夫か?」
「待ってもらってすみません。ちょっと折れそうになると随分可愛らしくなっちゃうんですよね」
「みたいだな。昔に似たような姿を見たことがある」
「これもキサラギの特性なんて言わないですよね」
「さあな。だが、俺もそうやって払ってもらったことはあるな」
「キサラギめんどくせぇ」
うなだれるコークだけれど、あとで引っぱたいてやることを決めると同時に、そのコークが戦闘圧を体に纏って顔を上げた。
そして一度あたしに目線をやると、すぐに脚に大気を纏って飛び出した。
「来るか――臣下宣言」
「させるか! 『風流る幾千の残響』」
テッカが体の動きを止めようとしたのだけれど、コークが槍を放ち避けられた先に『風流る幾千の残響』を設置、風の帯の反動で槍を戻し、さらにテッカのあちこちに風の帯を設置、反動を使った連続攻撃を仕掛けた。
「止まらせませんよ」
「察しが良いじゃないか。ならこれはどうだ?」
さっきまで止まっていた百壊が動き出し、コークに向かって剣を投げるのを再開した。
「レンゲ!」
「ん――『獣・如月――』」
コークが前にいる。だから大丈夫。あたしじゃ足りない。だからこそあたしは同じ速度で歩んでくれるコークを、バッシュを、信じている。
あたしたち姉弟を引っ張ってくれた2人をどこまでだって信じていける。
あたしの黒化した腕がきらめきを放ち、まるで吸い寄せられるようにおよそ知っている魔王からもらった短剣へと黒が伸びていく。
刀身は黒く輝き、周囲に力の奔流をバチバチと鳴らす。
「『牙華世』」
飛んでくるいくつもの大剣を一振りで払い、それを何度も何度も剣を振るう。
コークに攻撃は届かせない。
「はっ、いい連携だ。だが防いでいるだけじゃ俺を倒せないぞ!」
「届かせる!」
テッカの言うとおりだ。でもコークが届かせると言った。あたしはそれを信じる。
「――っ、これは」
変化が訪れたのはすぐあと、コークの体から骨のきしむような音と攻撃を受けたわけでもないのに血を流す音、そして体中が悲鳴を上げる音とともに彼の速度が上がった。
これは一体とあたしが驚いていると、テッカもまた驚愕しており、目を見開いていた。
「これは……そうかお前たちもリョカの――」
「その背中、捉えて見せる!」
コークが体を傷つけながらもその速度はさらに上がっていき、巻き上がる血潮も摩擦を起こして蒸発するように赤黒い蒸気を纏わせている。
「この速度は――」
「ああああぁ! 『窮獣、大敵を嚙み砕く』」
もはや視認さえ難しいほどの速度で、コークが嵐を起こすように槍を突き続ける。
テッカはその速度に圧倒されており、顔をゆがめていた。
けれどまだ足りない。風切りとしての経験か、キサラギ故の才能か、コークの速度にもギリギリではあるけれど対応している。
あともう1つ――。
「な――」
その刹那、テッカの体が突然傾いた。
彼の足元に目をやると、そこには小さな羽の生えた小人、妖精が舌をべっと出してテッカの膝の反対を押していた。
あたしとテッカが瞬時に視線をミーシャの方向に向けると同時に、テッカがまるで上空から叩きつけられるように大地へと押さえつけられた。
「これは――っ!」
ミーシャの肩に担がれている2人――サジとバッシュが歯をむき出しにして腕を伸ばしており、してやったりと嗤っていた。
「レンゲぇぇ!」
「――」
ここまでおぜん立てをされた。
あとはあたしが、あたしの覚悟で――。
「『如月流無爪一式』」
キサラギから離れたくて、ずっとキサラギの技は隠してきた。その結果、あたしの技はキサラギの裏をたどるものとなっていた。
でも、今なら胸を張って技を放てる。
やはりあたしも、レンゲ=キサラギも、この家のものなのだということなのだろう。
「『討爪』」
「――」
テッカの首筋で短剣を止め、あたしたちの戦いは、終わりを告げたのだった。